012 いい、やれ。
峠が見えてきた。
街道の両脇が徐々に斜面になり、岩と土の崖が迫ってきた。
風が変わった。
峠の入口に差し掛かると、前方から剣戟が聞こえ始めた。続いて、獣の咆哮。
「始まってるな」
セオの声が低い。
馬車は峠の手前で止まった。
後方班の五人——リント、ユミル、セオ、後方班リーダーの中年男、魔法使いらしき若い女——が馬車を降りて、徒歩で峠に入った。
岩の陰に身を寄せた。
※
五十歩先。
オーガが二頭。身の丈、三メートル超。棍棒。
四つ足の黒い獣が一頭。背中の棘。垂れた舌。
前衛班の六人がそれらと対峙していた。
既に三人が倒れていた。動かない者もいれば、地面を這って後退しようとしている者もいた。
残る三人で、辛うじて立っていた。
グラスパーティのリーダーの女が両手剣でオーガの一頭を牽制していた。ブラッドパーティの剣士がもう一頭のオーガと斬り結んでいた。ブラッドパーティの弓使いが、四つ足の獣を矢で削っていた。
「押されてる」
セオが言った。
「剣が、通ってない」
リントは弓を取り出した。
後方班のリーダーが手で制した。
「待て」
「……」
「王都の応援まで、あと一時間。前衛班は持ちこたえる。俺たちは退路の確保だ」
「分かった」
リントは矢筒から抜きかけていた矢を戻した。戻したが、指は弦の近くから離れなかった。
※
ユミルは岩の陰から動かなかった。
戦闘を見ていた。
目は一か所に留まらなかった。
オーガの右、オーガの左、四つ足の獣、倒れた三人、残る三人、その距離、その呼吸。
順に、順に、視線が流れていった。
リントは横目でその横顔を見た。
ユミルの瞳の奥に、静かな速度があった。
※
グラスパーティのリーダーが、オーガの棍棒を受けた。
剣ごと、身体ごと、宙を飛んだ。
背中から地面に叩きつけられる。
「チッ」
後方班のリーダーが舌打ちした。
女は起き上がろうとした。起き上がれなかった。
オーガの棍棒が、高く振り上げられた。
影が、女の上に落ちた。
※
「間に合わねえ!」
セオが叫んだ。
リントの指は、もう動いていた。
矢が、弦に乗っている。
距離、五十歩。
風、微風、左から。
息を止めた。
——放つ。
※
矢羽根が、オーガのこめかみに生えていた。
棍棒の振り下ろしが、止まった。
一拍遅れて、巨体が半歩後退った。
女は転がって、岩の陰に滑り込んだ。
「ナイス、リント!」
セオが叫んだ。
※
オーガは倒れなかった。
こめかみに矢を生やしたまま。
「……マジかよ」
リントは二本目をつがえた。
その、一拍の間に——
獣の舌が伸びた。
ブラッドパーティの弓使いを絡め取った。
引き寄せる。口が開いた。黄色い牙。暗い喉。
弓使いの悲鳴が、嗄れた。
※
「リン様」
ユミルの声が、静かに届いた。
「ん?」
「……前衛班、崩れます」
リントはユミルの顔を見た。
ユミルは戦場を見ていた。
無表情だった。その瞳の奥に、もう順番は流れていなかった。
「リン様」
「ああ」
「私、前に、出てもよろしいですか」
リントは一拍、間を置いた。
後方班のリーダーが「待て」と言いかけた。
リントはそのリーダーを見た。それからユミルを見た。
ユミルの指先が、ほんの少しだけ震えている。
気のせいかもしれなかった。
「……行け」
ユミルは頷いた。
※
岩の陰から、ユミルが歩み出た。
急ぎでも、遅くもない。
戦場に出ていくという緊張感が、その背中にはなかった。
散歩の途中の、自然さだった。
その自然さが、セオの顔を強張らせていた。
※
ユミルは峠の道の中央で足を止めた。
オーガの二頭と、四つ足の獣と、倒れた冒険者たちが、視界の中に全部入る位置。
右手をゆっくりと前に掲げた。
そして——
一拍、目を閉じた。
何かをためらう間。
ユミルが小さく呟いた。
「……加減が、できませんが」
リントにはかろうじて聞こえた。
後方班のリーダーにも、セオにも届かなかった。
リントは岩の陰から、短く答えた。
「いい、やれ」
※
ユミルは目を開けた。
唇が動いた。
「ガベージコレクション、対象、群れ、範囲、面」
(exec.garbage_collection --targets=swarm --range=area)
——攻撃対象、確定。
※
――第十一章、了。




