127 エーギル家
宿の奥の、小さな、卓だった。
エルナとトーマスが向かい合って座っていた。卓の上に瓶と二つの杯。瓶の中の、酒が半分くらい、減っていた。窓は、閉まっていた。月の光が薄く、入っていた。
リンは店の隅で酒を舐めながらその様子を横目で見ていた。
ボブから人攫いの相談を受けた、夜のことだった。リンとユミルとファーファが戻ってきて、明日からの、調査の、段取りを決めた。エルナがトーマスを店から宿の奥に呼んだ。リンは最初、二人だけにしようと思った。しかし、エルナがリンの方をちらりと見て、ぽつりと言った。
「リン、お前も聞いとけ」
「いいのか」
「いい」
エルナが頷いた。
それで、リンが店の隅に座った。離れた、位置だった。話に加わる、つもりは、無かった。ただ、聞くだけだった。
ファーファは足元ですでに寝ていた。背のニャルニルが起きていた。ぽつりと、ニャルニルだけが、リンに囁いた。
「**……記録、しません**」
「ああ」
「**……主、合図、あれば、起こします**」
「分かった」
ニャルニルがそれで黙った。
トーマスはしばらく、何も、話さなかった。瓶を傾けて、自分の杯に酒を注いでいた。一杯、ゆっくり飲んでからぽつりと言った。
「姉さん」
「ん」
「お前聞きてえ、んだろ」
「ああ」
「あの時の、ことを」
「ああ」
エルナがぽつりと答えた。
トーマスがまた酒を口に運んだ。
「数年前だ」
トーマスがぽつりと言った。
「ああ」
「俺は二十二だった」
「だな」
「幼馴染、と海に出た」
トーマスがそれで止まった。一拍、置いた。
「全部で五人」
「五人」
「俺は入れて、五人だ」
「分かった」
エルナがぽつりと頷いた。
「漁、じゃなかった」
「漁じゃねえ?」
「ああ。沖に行きたい、っていう、奴が、二人、いた。冒険みたいな、もんだった。俺は舵ができたから誘われた」
「お前誘いに乗ったのか」
「ああ。乗った。当時俺は面白そうだと思った」
「だな」
エルナが頷いた。
「沖に出た」
トーマスがぽつりと続けた。
「そうしたら」
「そうしたら」
「嵐になった」
「ああ」
「今回の嵐の、規模だった。たぶん」
トーマスが酒を杯に注ぎ足した。
「俺は舵を握ってた。雷の魔法はまだ覚えたて、だった」
「使ったのか」
「使った」
「だが、嵐の中、で?」
「使った。嵐の中で」
トーマスがぽつりと言った。
エルナがしばらく、黙った。
「お前それは」
「分かってる。嵐の中で雷を使えば、海面に伝う。船の上の、全員に伝う」
「分かってて使ったのか」
「分かってなかった」
「ああ」
「当時俺は雷の魔法を覚えたて、だった。海賊船が嵐の中、襲ってきた。俺はただそれを撃退、しようとした。雷を呼んだ」
「呼んだら」
「呼んだら」
トーマスがそれでまた、止まった。一拍、置いた。
「全員、死んだ」
「ああ」
「俺だけ、帰ってきた」
「ああ」
エルナがぽつりと頷いた。
「俺はその時舵にしがみ付いて、た。雷が海面に伝った時俺は舵の木の部分に両手、置いてた。木が、絶縁、してくれた、のかも、しれねえ」
「だな」
「他の、四人は、舷側にいた」
「ああ」
「全員、海に落ちた」
「分かった」
エルナがぽつりと言った。
「俺は舵にしがみついたまま、流された。船は半壊してた。だが底は、抜けてなかった。三日、漂流した」
「三日」
「漁村の近くに流れ着いた」
「漁村」
「あの漁村だ。俺たちが最初に行った漁村だ」
「ああ」
エルナが頷いた。
リンの内側で独り言が走った。
——あの漁村、か。
第一遺跡があった漁村。トーマスがサイラスから依頼を受けて、最初に向かった漁村。そこに、トーマスは過去にも流れ着いて、いた。
「漁村の人たちが助けてくれた」
トーマスがぽつりと続けた。
「だな」
「俺は半月、漁村にいた」
「半月」
「半月でなんとか立ち直った。だが」
「だが」
「町に戻ってきた時俺は何も、話せなかった」
「だな」
「四人の家族に会いに行った」
「ああ」
「四人とも海に落ちたと言った。嵐の、中で舵が壊れたと言った」
「嘘、ついたのか」
「嘘だ」
「だな」
「雷のことは、言わなかった。俺は雷で四人を殺した、とは、言わなかった」
「分かった」
エルナがぽつりと頷いた。
トーマスが酒をまた、杯に注いだ。今度は、ゆっくり飲んだ。
「俺はそれから雷の魔法、使ってない」
「使ってないのか」
「使えなかった。覚えてる、けど、使えなかった」
「ああ」
「使ったらまた、誰か死ぬ、気がした」
「だな」
「でも今回」
「今回」
「今回、見た」
トーマスがぽつりと言った。
「リンとユミル組んで雷を呼んだ。海賊船を一隻、潰した。俺はそれを見てた」
「ああ」
「あれはユミルのコマンドライン、リン、二人がかりの、雷だった」
「だな」
「俺の、雷とは、別物だ」
「別物?」
「俺のは身体に、覚えさせた、雷だ。武器に纏わせる。直接、刃に乗せる」
「ああ」
「リンの雷は、ユミルのシステム、経由。空から降らせる。出力が、桁違いだ」
「だな」
「あの二人の、雷を見て、俺は思った」
「思った」
「俺はあの時もし、ユミルみてえな、誰かが、いたら四人、死なずに済んだ、のかもしれねえ、って」
「だな」
「俺の、雷は、武器、限定だ。遠くまで、届かねえ。だから当時海面に伝うことしか、できなかった」
「ああ」
「だが、状況を整える、っていう、考え方、無かった。お前らの、雷を見て、ようやく、それが、分かった」
「だな」
エルナがぽつりと頷いた。
「姉さん」
「ん」
「俺はリンとユミルに感謝してる」
「ああ」
「あの二人、雷を撃った時俺は当時の自分を思い出した。それから思い出した上で、自分の雷も、撃てると思った」
「撃てる?」
「ああ。武器、雷、エンチャント。状況を整えれば撃てる」
「だな」
「だから撃てる機会が、来たら俺は撃つ」
「分かった」
エルナがぽつりと頷いた。
しばらく二人とも何も、話さなかった。
トーマスが酒を杯にまた、注いだ。
「姉さん」
「ん」
「お前これ知ってたか」
「全部は、知らなかった。雷で死んだ、っていう、ところだけは、薄々感じてた」
「だな」
「お前口、固いから」
「ああ」
「私、聞かなかった。お前が、自分から話すまで待った」
「だな」
「待ってよかった」
エルナがぽつりと言った。
トーマスが頷いた。
「姉さん」
「ん」
「ありがとな」
「ああ」
トーマスがそれだけ言った。
エルナが頷いた。エルナの目がわずかに潤んでいた。月の光でそれが、薄く見えた。エルナはそれを隠そうとは、しなかった。ただトーマスを見ていた。
リンの内側で独り言が走った。
——家の血、か。
エーギル家。雷の魔法を扱える、家系。船を扱える、家系。祭祀の、知識は、途絶えた。だが雷を扱える、ことは、残っていた。
トーマスはその、家の血を過去に一度、使い損ねた。四人を失った。それから雷を封じた。
そして、今再び、雷を扱おうとしている。
エルナが瓶を取って自分の杯に酒を注いだ。トーマスの杯にも注ぎ足した。
「飲もう」
エルナがぽつりと言った。
「ああ」
トーマスが頷いた。
二人は、しばらくゆっくり、飲んでいた。話す事は、もう無かった。だが二人、向かい合って座っていた。
リンは店の隅で自分の杯を傾けた。これ以上、ここに居る、必要は、無かった。立ち上がり、店から離れた。階段を上がった。
ファーファが後ろからついてきた。背のニャルニルがぼそっと言った。
「**……記録、しません、でした**」
「ああ」
「**……約束、です**」
「分かってる」
リンがぽつりと答えた。
部屋に入った。リンが横になった。ファーファが足元で丸くなった。
リンの内側で独り言が走った。
——あの時のと同じ。
トーマスが海賊船を見て言った言葉。あれは過去の嵐の中の、海賊船を指していた。今回の嵐と海賊の二重の襲撃。それが、過去のトーマスの悲劇とぴったり、重なった。
トーマスは、リンとユミルの連携の雷を見て、自分の雷を再び撃てると思った。系統は、別物だ。だが状況を整える、という、発想を、貰った。
——いずれ、また雷を撃つ場面が、来る、かもしれねえ。
短く、それだけ思ってリンは目を閉じた。
【了】




