124 拭けてねえぞ
光の卵の中で、ユミルが塔の壁面に両手を当てたまま、しばらく動かなかった。
リンはユミルの隣でじっと待っていた。
「**……痕跡、もう少し見ます**」
ユミルがぽつりと言った。
「ああ」
ユミルが塔の壁面に当てた手をわずかに移動させた。掌の位置を少しずつ、変えながら何かを探っていた。光の卵の壁の、開いた部分から、ユミルの掌だけが、外に出ていた。
「**……ここに印、あります**」
ユミルがぽつりと言った。
「印?」
「**……はい。操作した、人物の、痕跡、です**」
「指紋、みたいなもんか」
「**……それに近いです。魔力の特徴、残っています**」
ユミルが頷いた。
「**……特徴、覚えました**」
「覚えた?」
「**……次に同じ魔力に出会えば、識別、できます**」
「分かった」
リンが頷いた。
ユミルがまた両手を塔の壁面に当てた。光の線の流れの調整が、続く。ユミルの作業は、慎重だった。
しばらく経って、ユミルがぽつりと言った。
「**……一つ、分かりました**」
「ん」
「**……痕跡、最近です。だが最新、では、ないです**」
「最新じゃ、ない?」
「**……ここに最後に来た時からもう少し、時間、経っています。数週間前、と思います**」
「数週間前、か」
「**……はい。それから誰も、来ていない、です**」
「分かった」
リンが頷いた。
つまり、敵は、数週間前にここを操作して、その後、来ていない。漏出を強くする方向に調整して、放置している。それが、嵐を呼んでいた。第二遺跡が稼働するだけで漁村の生態系を歪めるほどの影響を出していたが、敵の調整によって、その影響は、嵐を生み出すレベルにまで増幅されていた。
「ユミル」
「**はい**」
「敵がこうした、目的は」
「**……分かりません**」
「分からない、か」
「**……ただ、何かを進めるための、準備、可能性、あります**」
「準備?」
「**……他の遺跡、稼働させる、ための、何か**」
「他の遺跡?」
「**……分かりません**」
ユミルが繰り返した。
リンは頷いた。それ以上は、推測しても、仕方がなかった。情報が、足りなかった。
「ユミル」
「**はい**」
「調整、できるところまでやってくれ」
「**……はい**」
ユミルが再び、塔の壁面に両手を当てた。
光の線の流れが、徐々に整っていく。明滅が、規則的になっていく。漏出の量が、目に見えて、減っていった。
「**……リン様、もう少しです**」
ユミルがぽつりと言った。
「ああ」
ユミルが両手を上下に軽く動かした。塔の壁面に当てたまま、移動させていた。ユミルの掌の通った跡が、青い光が整って、流れる。
——丁寧、だな。
リンはそれを見ていた。
ユミルの作業は、第一遺跡の時より、明らかに慣れていた。数週間で、ユミルの技術が、上がったというより、第二遺跡の構造の方が、ユミルの知識とより、近いものなのかもしれなかった。仮想世界、で、ユミルが扱っていた、ものに近い。
「**……完了、です**」
ユミルがぽつりと言った。
「終わったか」
「**……はい。漏出、抑えました**」
「停止、はできない、んだったな」
「**……完全停止、できません。ただし、これで嵐を呼ぶレベルでは、無くなりました**」
「分かった」
リンが頷いた。
ユミルが両手を塔の壁面から離した。光の卵の壁の、開いた部分が、閉じる。ユミルの掌が、卵の中に戻った。
「**……戻りましょう**」
「ああ」
ユミルが両手を軽く合わせた。光の卵が、塔の内側から外へ、移動した。開口部を抜け、塔の外の、海中に出た。
「**……上へ**」
ユミルがぽつりと言った。
光の卵が、海面の方へ、ゆっくり上昇した。
水面を抜けた。
ユミルが両手を軽く開いた。光の卵が、解けて、消えた。リンとユミルが海面に浮かんだ。
「お前ら」
舷側からトーマスの声が降ってきた。
「終わったか」
「終わった」
リンがぽつりと答えた。
トーマスとタロが舷側から縄を降ろした。リンが先に縄を掴んで登った。次に、ユミルが登った。エルナが舷側でユミルを引き上げた。
「ユミル、立てるか」
エルナがぽつりと言った。
「**……立てます**」
「無理、すんなよ」
「**……していません。今日は、楽でした**」
ユミルが答えた。
エルナが頷いた。タオルを、ユミルに手渡した。ユミルが髪を軽く、拭いた。
ファーファがリンの脇に来た。背のニャルニルからぼそっと声がした。
「**……主、無事、確認**」
「無事だ」
「**……主、濡れてる、ニャ**」
ファーファがぽつりと言った。
「濡れてるな。海から上がったからだ」
「**……ファーファ、拭く、ニャ**」
ファーファが自分の前足でリンの足元をぽんぽんと叩いた。何もしていないのとほぼ同じだった。
リンがふっと笑った。
「お前、それ、拭けてねえぞ」
「**……でも、気持ち、ニャ**」
「気持ちは、伝わる」
リンが頭を軽く撫でた。ファーファが目を細めた。
サイラスが舷側に立っていた。
「リン様、ユミル様。お疲れさまでした」
「ああ」
「成果、ありましたか」
「あった」
リンがぽつりと答えた。
「サイラス、座って、話そう」
「分かりました」
リンが甲板の中央の卓の方へ、歩いた。サイラスが続いた。トーマスとエルナも卓の方へ、来た。ユミルもエルナに支えられて、卓に着いた。
リンがぽつりと言った。
「第二遺跡、稼働してた」
「やはり」
「ユミルが漏出を抑えた。これで嵐は、呼ばなくなる」
「それは、何よりです」
「だが、もう一つ、分かったことが、ある」
「と申しますと」
「数週間前、誰かが、第二遺跡を操作した」
サイラスの表情が、わずかに変わった。
「操作」
「漏出を強くする方向に操作した。それが、嵐を呼んでた、原因だ」
「……」
「誰かが、わざと稼働を強くしてる」
サイラスが卓の上で両手を組んだ。少し、考えるような、顔だった。
「リン様。それは、海洋国家として、看過できません」
「だな」
「私が、本国に戻り次第、報告いたします。第二遺跡の警戒を強めます」
「頼む」
「ただし、リン様」
「ん」
「操作した、人物の、見当は」
「ついてない」
「そうですか」
「ユミルが魔力の特徴を覚えた。次に同じ魔力に出会えば、識別できる」
「**……はい**」
ユミルが頷いた。
サイラスがふむと頷いた。
「では、調査の、方向性は、見えました」
「だな」
「リン様」
「ん」
「もう一つ、お伺いしても?」
「ああ」
「他の遺跡も操作されている、可能性は」
「ある」
リンがぽつりと答えた。
「まだ、十一カ所、残ってる」
「十一カ所、ですか」
「ああ」
サイラスが頷いた。
「では、急ぎますね」
「急ぐ。だが慎重にいく」
「分かりました」
エルナが横からぽつりと言った。
「とりあえず、今日は、休もう。ユミル、消耗してる。リンも昨夜、寝てねえ」
「だな」
「明日、港に戻る」
エルナが宣言するように言った。
「分かった」
リンが頷いた。
「お前ら休め。私が、上で見張る」
「お前も、休め」
「私はまだ平気だ。トーマス、お前、もう少し寝とけ」
「ん」
トーマスが頷いた。
リンとユミルとファーファが船室の方へ、降りた。エルナが上で見張りを続けた。
リンの内側で独り言が走った。
——敵が動いてる。
明日、港に戻る。サイラスに調査を頼む。残りの遺跡の警戒を強める。やることは、明確だった。
ただ、一つだけ、はっきり、しないことが、あった。
——あの時のと同じか。
トーマスが海賊船を見て言った言葉。それが、リンの中でまだ、残っていた。それが、何を指していたのか。それは、今日の、調査では、明らかにならなかった。
——それは、トーマスが自分から話すまで待つ。
リンの内側の、独り言が、そう、決めた。
ファーファがリンの足元で丸くなった。ユミルが隅で毛布を被った。リンも横になった。船の揺れが、昨日より、ずっと小さくなっていた。波が収まっていた。
リンは目を閉じた。
すぐに眠った。
【了】




