123 水中作業
朝の遺跡の塔の脇で、リンはユミルの肩に手を置いていた。
「具合は」
「**……回復しました**」
「無理、するなよ」
「**……無理は、しません。今日は、私の専門です**」
ユミルがぽつりと答えた。
ユミルは海面を覗き込んでいた。塔の根本、海中の、本体。そこに潜る必要があった。第一遺跡の時と同じように稼働状況を確認する。停止できるなら停止させる。停止できないなら調整して、影響を抑える。
「光の卵、だな」
リンがぽつりと言った。
「**……はい**」
ユミルが頷いた。第一遺跡の時に、ユミルが地下水路に潜るのに使った技術。光の球を自分の周りに展開し、その中に空気を保持する。一定時間、水中で活動できる。
「俺も、入る」
リンがぽつりと言った。
「**……リン様、潜れますか**」
「魔力を貸してくれれば、潜れる」
「**……分かりました**」
ユミルが頷いた。
トーマスが舷側に立っていた。一晩、寝た後で顔色は戻っていた。
「お前ら潜るのか」
「潜る」
「俺は、上で待つ」
「ああ」
「何かあったら合図しろ」
「合図、できるか」
ユミルがぽつりと答えた。
「**……はい。光の卵、内側から外に信号、送れます**」
「分かった。じゃ、見てる」
トーマスが頷いた。
エルナが舷側のもう一方に立っていた。
「ファーファは上に居ろ」
エルナがぽつりと言った。
「**……ファーファ、潜れない、ニャ**」
「お前、水、苦手だろ」
「**……はい、ニャ**」
ファーファがちょっとしょげた。背のニャルニルからぼそっと声がした。
「**……自分も、水中、推奨されない**」
「だな。ニャル、お前、水、駄目だろ」
リンがぽつりと言った。ニャルニル——戦槌——は、火を扱う。水とは、相性が、悪い。
「**……非推奨です**」
ニャルニルがそれだけ言った。
「ファーファ、ニャル、お前らは、上で見張りしててくれ」
リンが言った。
「**……分かった、ニャ**」
ファーファが頷いた。背のニャルニルが続いた。
「**……了解**」
ユミルが両手を軽く合わせた。掌のあいだから薄い、光が漏れた。光が徐々に広がっていく。やがて、ユミルとリンの周りに半透明の、卵のような形の、光が現れた。
「**……サンドボックス、ファイアウォール、複合、です**」
「複合か」
「**……閉じ込め、と、選別。両方、必要、です**」
「単独より、消耗、大きいな」
「**……はい。空気、保持、五分が、限界、です**」
「五分か」
「**……それを何度か繰り返します**」
「分かった」
リンが頷いた。
ユミルがリンの手を軽く握った。
「**……リン様、跳んでください**」
「跳ぶ?」
「**……海中に跳ぶ、です。光の卵、一緒に潜ります**」
「分かった」
リンが舷側に足をかけた。エルナとトーマスが見ていた。サイラスも舷側で見ていた。
リンが海中に跳んだ。ユミルが続いた。光の卵が、水面を突き抜けた。
水中だった。
光の卵の中は、乾いていた。空気が保持されていた。卵の壁——半透明の光——を通して、水中の景色が見えた。
塔の海面から下の部分が、見えた。海面に出ている部分の、二倍くらいの長さが、海中に伸びていた。塔は海底まで続いていた。
塔の表面に所々、開口部があった。そこから青い、光が漏れていた。
「**……稼働中、です**」
ユミルがぽつりと言った。
「青い光、か」
「**……エネルギーの、漏出、です。第一遺跡と同じ性質、です**」
「ああ」
「**……ここも、稼働、です**」
ユミルが繰り返した。
リンの内側で独り言が走った。
——稼働してる、か。
第一遺跡——漁村側の祠——も、稼働していた。それを、ユミルが調整して、漏出を抑えた。今、目の前の、第二遺跡も稼働している。漁村側よりも、規模が、大きい。漏出も、大きい。
光の卵が、塔の脇をゆっくり降りていく。ユミルが足の裏で海中の水を軽く押すような動きをした。光の卵が、それに合わせて、移動した。
「**……リン様、観察してください**」
「ああ」
リンが塔の表面を見た。所々、開口部から青い光が漏れている。光は不規則に明滅していた。一定の周期では、無かった。
「**……不規則、ですね**」
「ああ」
「**……第一遺跡はもう少し、規則的でした**」
「規則的?」
「**……周期、ありました。ここは、無い、です**」
「壊れてる、っていうことか」
「**……壊れて、いるかそれとも調整、されていない、です**」
ユミルがぽつりと言った。
リンが頷いた。
ユミルが塔のあるひとつの開口部に近づいた。光の卵が、開口部の手前で止まった。
「**……ここから入れます**」
「入る、のか」
「**……はい。塔の内側、確認、必要、です**」
「分かった」
ユミルが開口部に向かって、両手を軽く、出した。光の卵の壁が、わずかに変形した。卵の一部が、開口部の中へ、伸びていく。やがて、卵全体が、塔の内側に入った。
塔の内側だった。
円筒形の、空間が、上下に伸びていた。壁面に青い光の線が、走っていた。光の線は、上から下へ、流れるように移動していた。流れの速度が、一定では無かった。
「**……これが、原因です**」
ユミルがぽつりと言った。
「原因?」
「**……嵐、これが、原因です**」
「嵐?」
「**……海上の、エネルギーの漏出が、大気の、温度差を増幅、しています。それが、嵐を呼ぶ**」
「呼ぶ?」
「**……自然な嵐とは、別にここの、漏出が、原因の嵐、生じています**」
「昨日の、嵐」
「**……たぶん、これが、起こした、です**」
リンの内側で独り言が走った。
——遺跡が嵐を呼んでる、か。
「規模、大きいな」
「**……第一遺跡よりずっと規模が、大きいです**」
ユミルが頷いた。
「停止、できるか」
「**……完全停止は、難しいです。ただし、漏出を抑えることは、できます**」
「やってくれ」
「**……はい**」
ユミルが両手を塔の壁面に当てた。光の卵の壁が、ユミルの掌のあたりでわずかに開いた。掌だけが、卵の外に出る形だった。
ユミルの掌が、塔の壁面に触れた。
青い光の流れが、ユミルの掌の周辺で変化した。不規則だった流れが、少しずつ、規則的になっていく。光の線の、明滅の間隔が、一定に近づいていく。
「**……調整、進行中**」
ユミルがぽつりと言った。
「無理、すんなよ」
「**……していません。これは、第一遺跡と同じ作業です**」
「分かった」
リンはユミルの隣でただ、見ていた。
ユミルの調整が、続いた。光の線の流れが、徐々に整っていく。青の明滅が、規則的になっていく。
ふとユミルがぽつりと言った。
「**……これ、です**」
「これ?」
「**……痕跡があります**」
「痕跡」
「**……最近、誰かここを操作した痕跡、です**」
リンがユミルの方を見た。
「**……最近、です**」
ユミルが繰り返した。
「最近、っていうのは」
「**……数週間、以内、たぶん**」
「数週間」
「**……はい。漏出を増幅させる方向に調整した、痕跡です**」
「増幅?」
「**……はい。誰かが、わざと漏出を強くした、です**」
リンの内側で独り言が走った。
——誰かが、わざと稼働を強くした。
その誰かは、第二遺跡の操作の仕方を知っていた。それは、簡単なことでは、無いはずだった。第一遺跡を操作するのに、ユミルは仮想世界の知識を使った。同じレベルの知識を持っている誰かが、第二遺跡をわざと強く、稼働させた。
「ユミル」
「**はい**」
「誰だ、それ」
「**……分かりません**」
「だが、知ってる、奴がいる、ってことか」
「**……はい。誰か知って、います**」
ユミルがぽつりと答えた。
「敵、か」
「**……敵の可能性、高い、です**」
ユミルが頷いた。
リンの内側で独り言が走った。
——敵が動いてる。
仮想世界の知識を持っている敵。第一遺跡——王都の地脈の根——を暴走させようとしていた連中と同じ系列の存在かもしれなかった。あるいは、別の系列かもしれなかった。だがいずれにしても、こちらと同じ知識の系統を持っている。
「ユミル、調整、続けてくれ」
「**……はい**」
ユミルが再び、両手を塔の壁面に当てた。
光の線の流れが、もう一段、整っていく。ユミルの作業は、丁寧で確実だった。
リンはユミルの隣でただ、見ていた。
光の卵の中は、静かだった。海中の音は、ほとんど、聞こえなかった。ユミルの呼吸の音と青い光のわずかな、ジリジリとした、振動の音だけが、響いていた。
——敵が動いてる。
その認識が、リンの中で確かなものになっていった。
【了】




