103 買い出しと、地図と、酒の話
朝、市場に下りた。
出立は明日。買い出しの日だった。エルナとリスト合わせをしたら、紙が二枚出てきた。俺の一枚、エルナの一枚。中身がほぼ被っていて、二人で笑った。
「お前、どっちでやる」
「私の方、安い店、書いてある」
「分かった、お前のでやる」
リストはエルナのを採用。俺のリストはそれで終わり。
——
最初は乾物屋。
干し果物、干し肉、塩、香辛料。長旅の保存食。塩は王都のが安く、香辛料は種類が多い。エルナが細かい話をしながら親父と量を交渉していた。
「あんた、この粒胡椒、もう少し負けて」
「姉ちゃん、これでも安くしてんだ」
「うちは長旅だよ、親父、こっから南だ」
「南? どこまで行く」
「ヴェルファ」
「あー、あっち暑いから、これ持ってけ」
親父が別の袋から、何かの根を一握り出した。生姜に似たごつごつした根。
「これ、何」
「向こうの料理に使う。暑いとこ行く時は腹を冷やすからな」
「いくら」
「サービスだ、姉ちゃん」
エルナが少し笑って銅貨を一枚、追加で置いた。親父が手を振って断ったが置いて帰った。エルナはこういうのが上手い。値切るところは値切るが、最後に銅貨を置いていく。
その間、俺は荷物を持っていた。乾物屋の荷物は重い。
——
次が薬屋。
包帯、消毒の蒸留水、止血用の粉と胃薬。エルナが胃薬を多めに入れた。
「お前、胃、弱いのか」
「酒飲み過ぎた時用」
「お前のかよ」
「あんたのも入ってる」
「俺、あんまり飲まないだろ」
「念のため」
ユミルは横で薬屋の棚を眺めていた。瓶のラベルを一つずつ追っているらしい。
「あんた、薬、興味あんの」
「種類、です」
「種類?」
「記録、します」
エルナが首を傾げて笑った。
「あんた、変な趣味だな」
「ユミルちゃんのは、いつものやつ」
「ああ、そうか」
ユミルの「記録」はもう仲間内で通じるようになっていた。世界に何があるかをユミルは一覧にしていく。理屈は説明しない。説明できないか、したくないのだろう。俺もそれ以上は聞かない。
——
武具屋に寄った。
矢じりと弓弦の予備。ルークの矢羽根が一束足りない。俺の予備も少し補充。
「リント君、矢、何本持つ」
「五十、いや、六十」
「重くない」
「馬車だから、平気」
「あんた、馬車の重量制限、聞いてないだろ」
「……聞いてない」
「リント君のとこは、矢三十でいい。ルーク兄ちゃんのは別カウントだから」
エルナが矢の束を半分戻した。俺は肩を竦めた。エルナはこういう実務でいつも勝つ。俺は山と森でしか役に立たない。市場での勝ち負けはエルナのもの。
ルークが矢羽根を選んでいた。一本ずつ手に取って確かめている。村にいた頃と同じ手付きだった。
「兄貴、それ、いい羽根か」
「悪くない」
「悪くない、なら、どうなんだ」
「悪くない」
ルークの語彙は矢のことになると半分になる。昔からそうだ。気持ち男前になっても、ここだけは変わらない。
——
エルナが裏路地に消えたのは武具屋を出た後だった。
「ちょっと待ってて」
「酒か」
「酒」
「やっぱりか」
エルナが半分笑って、半分本気の顔で消えた。十五分は戻らなかった。戻ってきた時、紙が二枚増えていた。
「収穫」
「何の」
「ヴェルファの地酒、もう一軒分の情報」
「お前、本当にそれだけはな」
「酒が分かれば街が分かる」
「意味分からん」
「いつか分かる」
エルナが指で紙の上を辿った。文字は前より殴り書きだった。
「澄んだのが二銘柄、濁ったのが三銘柄。海洋国家側の蒸留酒が一銘柄、値段は張る」
「お前、最後のは諦めろ」
「飲むまでは諦めない」
「お前な」
ユミルが横から紙を覗いた。
「お酒、五銘柄、です」
「そう、五銘柄」
「全部、飲むんですか」
「全部飲む」
「……強さ」
「上から、弱、中、強、強、強。最後のは、強の上」
「上、です」
「上」
ユミルが頷いた。記録、と頭の中で言ったのだろう。エルナは紙を畳んで懐に入れた。
——
宿に戻って、地図を広げた。
街道は王都南門からまっすぐ南へ伸びる。一日目は昼に小さい村、夜は街道沿いの野営地。二日目の昼に中継の宿場町ハンドル、一泊。三日目に坂を下って、ヴェルファ。
ルークが地図に指を置いた。
「ここ、坂の手前」
「ああ」
「狭くなる、馬車、半速だ」
「分かった」
「ここから先、魔物が出やすい。木が深くなる」
「気を付ける」
ユミルが地図の縁を指でなぞっていた。海の絵のところ。波の線が三本、引いてあった。
「海、ここ、です」
「ここだ」
「初めて、見ます」
「うん」
「楽しみ、です」
ユミルがそう言って地図を巻いた。エルナがふっと笑った。
「あんたの『楽しみ、です』、たまに聞くと、いいな」
「いい、ですか」
「いい」
ユミルがちょっと首を傾げた。
「楽しみ、です」
もう一回言った。エルナがまた笑った。
——
夜、宿の食堂。
ファーファとニャルニルが部屋の隅で何かやっていた。ファーファが干し魚を並べ、横でニャルニルが温度を出していた。
「ニャルニル、軽く、ニャ」
「……了解」
「軽く、ニャ」
「……はい」
干し魚が少し柔らかくなっていた。香ばしい匂いだった。
「お前、何やってんだ」
「主、温め、ニャ」
「魚、温めてんのか」
「主、教えた、ニャ」
「俺、何、教えた」
「干し魚、温め、ニャ」
「……寝言、か」
「……はい」
ユミルが横で短く頷いた。
「マジか」
ファーファが得意げに鼻を鳴らした。
「主、教えた、ニャ」
ニャルニルがぼそっと言った。
「……訓練、しました」
ニャルニルの「訓練」は、最近少しずつ語彙が増えている。「了解」と「はい」しか言わなかった頃から考えれば、進歩している。ファーファの教育のせいだろう。本人は雑だが、ニャルニル相手には届く。
俺はニャルニルが温めた干し魚を一切れもらって食った。
「……うまい」
「うまい、ニャ」
「うまい、ニャ」
ファーファがまた鼻を鳴らした。ニャルニルがぼそっと付け加えた。
「……役に、立てました」
——
寝る前にもう一度地図を見た。
南門から二日、中継で一泊、坂を下って海。
ユミルが寝る前に薄く言った。
「リン様」
「ん」
「明日、出立、です」
「ああ」
「楽しみ、です」
「うん、楽しみ、だな」
俺もそれだけ言って、灯りを消した。
夜が、また少しだけ深くなっていた。
【了】




