101 ホットプレート
朝の宿場町。
俺は宿の食堂で軽く欠伸をした。
昨日、宿に戻ってからユミルは、半日寝て回復、九割。
今朝は、もう立てる。
歩ける。
でも、徒歩の二日を急ぐ理由はなかった。
ユミルが向かいの椅子に座っていた。
ファーファがユミルの肩で、軽く目を開けていた。
ニョルニルは、ユミルの影の中でたぶん聞いていた。
「ユミル」
「**……はい**」
「今日、出るか」
「**……いえ**」
「もう一日?」
「**……一日、休んで、いきます**」
「お前、ゆっくりだな」
「**……合理、です**」
「合理、か」
「**……急ぐ、理由、ありません**」
ユミルが軽く頷いた。
俺は軽く笑った。
合理の鬼が「急ぐ理由ありません」と言うのは、珍しかった。
たぶん、ユミルは自分の回復より仲間の温度を優先している。
昨日のソール戦の余韻が、まだ皆の肩に残っている。
「分かった、もう一日、休もう」
「**……はい**」
「皆、暇だな」
「**……皆様、休めます**」
「だな」
ファーファがユミルの肩で、軽く首を傾げた。
「**主の主、もう一日、ジャーキー、食べ放題ニャ?**」
「お前、ジャーキー、いつでも、食べ放題、だろ」
「**今日、特に、食べ放題、ニャ**」
「お前、語彙、強化、してるな」
ファーファが得意げに尾を振った。
---
朝食終わって、宿の部屋に戻った。
ユミルがベッドの上に座った。
ファーファがベッドの足元に降りた。
そして、ふとファーファがユミルの影の方を見た。
「**主の主、ニョルニル、出して、ほしいニャ**」
「**……はい**」
ユミルの指が軽く動いた。
ニョルニルのハンマーが、ベッドの足元に現れた。
木の床の上に軽く置かれた。
「**……了解**」
ニョルニルがぼそっと低く答えた。
「ニョルニル、出てきたニャ」
「**……了解**」
「お前、ファーファ、ジャーキー、教えるニャ」
「**……了解**」
ファーファがベッドの足元で、ジャーキーの束を広げた。
昨日、宿の主人から買い足した新しいジャーキー。
細く長く、薫製の香りが強い。
「お前、ジャーキー、まだ、覚えてないニャ?」
「**……了解**」
「了解、は、はい、ニャ?」
「**……はい**」
「お、はい、覚えたニャ」
「**……了解**」
「了解、は、はい、ニャ」
「**……はい**」
ファーファが軽く頷いた。
俺は机の椅子に座って、軽く笑った。
ユミルもベッドの上で、軽く口の端を動かした。
「ファーファ、お前、教師、向いてるな」
「**当然、ニャ**」
「ニョルニル、語彙、増えてるか」
「**了解、と、はい、ニャ**」
「ぼちぼち、増えてるな」
「**ぼちぼち、ニャ**」
「お前、ぼちぼち、覚えたな」
「**主の口癖、移ったニャ**」
「俺の、せいか」
「**主、ニャ**」
ファーファが軽く首を傾げた。
ニョルニルが低く続いた。
「**……了解**」
「了解、は、はい、ニャ」
「**……はい**」
「定着、してきたニャ」
ファーファが得意げに尾を振った。
---
昼前、ファーファがジャーキーをベッドの足元のニョルニルの上に並べ始めた。
「**お前、ジャーキー、見るニャ**」
「**……了解**」
ニョルニルのハンマーの上に、ジャーキーが二切れ並んだ。
木のベッドの足元の上に、転がった戦槌。
その上に、細いジャーキー。
変な絵面だった。
「お前、ジャーキー、上に、置いて、何、するんだ」
俺は軽く首を傾げた。
「**展示、ニャ**」
「展示」
「**お前、見るニャ**」
「**……了解**」
ファーファがジャーキーを軽く整えた。
角度を揃えた。
ニョルニルのハンマーの平らな面に、ジャーキーが二本並んだ。
「**ニョルニル、ジャーキー、感じるニャ?**」
「**……了解**」
「了解、は、はい、ニャ」
「**……はい**」
「お前、ジャーキー、感じてるニャ?」
「**……はい**」
「お、感じてるニャ」
ファーファが満足げに頷いた。
俺は軽く笑った。
ニョルニルがジャーキーを感じているかどうかは、たぶん本人にも分からない。
ファーファが「感じてるか」と聞いて、ニョルニルが「はい」と答える。
それで、十分らしい。
ファーファがジャーキーを一切れ、口に咥えた。
それから、軽く止まった。
「**……ニャ?**」
「ん」
「**主、これ、温かいニャ**」
「ジャーキー?」
「**さっき、置いた、ジャーキー、ニャ**」
ファーファがジャーキーを口から出した。
それから、ニョルニルの上にもう一度置いた。
しばらく待った。
それから、ジャーキーを咥え直して軽く口に含んだ。
「**……ニャ! これ、温かいニャ!**」
「マジで?」
「**マジ、ニャ!**」
「お前、マジ、覚えたな」
「**主、口癖、ニャ**」
ファーファが軽く興奮していた。
俺は椅子から立ち上がって、ベッドの足元に近づいた。
ジャーキーを一切れ、ニョルニルの上から取った。
指の先で軽く温度を確かめた。
——温い。
人肌より、ほんの少しだけ上。
熱いというより、温かいレベル。
たぶん、室温+十度ぐらい。
「ニョルニル、お前、温めてるのか」
「**……了解**」
「了解、は、はい、だな」
「**……はい**」
「お前、ジャーキー、温めたか」
「**……はい**」
「マジか」
俺は軽く笑った。
ジャーキーを口に運んだ。
温かいジャーキー。
燻製の香りが、軽く立っていた。
脂がほんの少しだけ溶けて、口の中で軽く広がった。
——美味い。
俺の頭の中で、その印象が整理された。
普通のジャーキーは、冷たい、固い、ぎゅっと噛み締める食感。
温かいジャーキーは、脂が軽く緩んで、噛むと香りが強い。
「ファーファ、これ、美味いな」
「**ニャ! 溶岩焼きニャ!**」
「お、溶岩焼き、知ってんのか」
「**石、上で、肉、焼く、ニャ!**」
「それは、合ってる」
「**ニャ?**」
「お前、たまに、当てるな」
「**当然、ニャ**」
「常温+十度、だけど」
「**主、固い、石、ニャ。溶岩、ニャ**」
「お前、構造、合ってる、温度、間違い」
ファーファが首を傾げた。
「**ジャーキー、温かい、美味い、ニャ**」
「それは、認める」
「**ニョルニル、家電、ニャ**」
「お前、家電、知ってるのか」
「**主、前世、覚えてるニャ。教えてくれたニャ**」
「俺、教えたか」
「**夜、寝言、ニャ**」
「俺、寝言、言うのか」
「**たまに、ニャ**」
「マジか」
ユミルがベッドの上で、軽く頷いた。
「**……寝言、確認、しています**」
「お前、聞いてるのか」
「**……はい**」
「俺、何、言ってる」
「**……たまに、IT、用語**」
「あー」
「**……ファーファ、覚えてしまいました**」
「ファーファ、何、覚えた」
「**家電、ニャ**」
「あー」
俺は軽く笑った。
寝言で家電と言ったら、ファーファに覚えられる。
そして、戦槌に家電と命名される。
これはこれで、ぼちぼちいい流れだった。
「ニョルニル、お前、家電、になったぞ」
「**……了解**」
「お前、家電、知ってるのか」
「**……了解**」
「了解、は、はい、だな」
「**……はい**」
「お前、家電、知ってるのか」
「**……はい**」
「お前、嘘、ついてないか」
「**……了解**」
「了解、は、はい、だな」
「**……はい**」
「お前、嘘、つくのか」
「**……了解**」
「お前、ぼちぼち、嘘、つくな」
俺は軽く笑った。
ファーファが軽く首を傾げた。
「**主、ニョルニル、長いニャ**」
「ん?」
「**ニョルニル、長いニャ。呼びにくいニャ**」
「お前の、相棒、だろ」
「**呼びやすく、したいニャ**」
「あだ名?」
「**そう、ニャ**」
ファーファがニョルニルのハンマーの傍に、座り直した。
それから、軽く首を傾げた。
「**ニャ、ニャ……ニャルニル、ニャ?**」
「ニャルニル」
「**ニャルニル、ニャ!**」
「お前、ニャ、入れたな」
「**当然、ニャ**」
「お前の、相棒、だから、ニャ」
「**そう、ニャ**」
ファーファが満足げに頷いた。
それから、ニョルニルの上のジャーキーに軽く鼻を寄せた。
「**ニャルニル、お前、ニャルニルでいいニャ?**」
「**……了解**」
「了解、は、はい、ニャ」
「**……はい**」
「お、了承、もらったニャ」
ファーファが軽く頷いた。
俺は軽く息を吐いた。
「ファーファ、お前」
「**ニャ?**」
「お前、勝手に、名前、変えたぞ」
「**勝手じゃないニャ。ご主人、だから、ニャ**」
「ご主人、特権か」
「**当然、ニャ**」
ユミルがベッドの上で、軽く頷いた。
「**……所有権、移行、済み、です**」
「ユミル、肯定するのか」
「**……合理、です**」
「合理」
「**……所有者が、命名、自然、です**」
「お前、即答かよ」
「**……事実、です**」
ユミルがすまし顔で頷いた。
俺は軽く笑った。
「ニョルニル、お前」
「**……はい**」
「お前、今、ニャルニル、だぞ」
「**……はい**」
「お前、それで、いいのか」
「**……はい**」
「即答、かよ」
「**……はい**」
「お前、ファーファ、好きなんだな」
「**……はい**」
ファーファがニャルニル改ニョルニルのハンマーの上で、軽く尾を振った。
「**ニャルニル、ファーファの、相棒、ニャ**」
「**……はい**」
「**よろしくニャ**」
「**……はい**」
「**ジャーキー、温める、お前の、仕事、ニャ**」
「**……はい**」
「**お前、家電、ニャ**」
「**……はい**」
ファーファが満足げに頷いた。
——ニョルニル、改、ニャルニル。
俺の頭の中で、その認識が書き換わった。
半人格のハンマーが、ファーファの命名でニャルニルになった。
そして、ジャーキーを温める家電になった。
これが、ファーファの所有下で起きたニャルニルの進化だった。
---
午後、エルナとミラとシオンが部屋に来た。
「リント、暇?」
「ぼちぼち」
「ファーファちゃん、何、してるの」
「ジャーキー、温めてる」
エルナがベッドの足元を、覗き込んだ。
「あれ、戦槌?」
「ニャルニル」
「ニャルニル?」
「ニョルニル、改」
「あんたら、何、してるの」
ファーファが得意げに尾を振った。
「**ニャルニル、家電、ニャ**」
「家電」
「**ジャーキー、温める、ニャ**」
「マジ?」
エルナがジャーキーを一切れ、ニャルニルの上から取った。
指で軽く温度を確かめた。
それから、口に運んだ。
「**……」**
「どう?」
「美味い」
「だろ?」
「うん、美味い」
エルナが軽く目を丸めた。
それから、軽く咀嚼を続けた。
舌でジャーキーを転がした。
口の端が、ふと上がった。
「リント」
「ん」
「これ」
「うん」
「**酒、合うやつ**」
「お?」
「**確実に、合う**」
「お前、即、その方向か」
「**当然だろ。あたし、酒飲み**」
「自覚あるのか」
「**当然**」
エルナが軽く頷いた。
それから、もう一切れジャーキーを取った。
口に運ぶ前に、軽く香りを嗅いだ。
「**燻製の、香り、温めて、立つ**」
「うん」
「**脂、軽く、緩んでる**」
「うん」
「**噛むと、燻製、口の中、広がる**」
「お前、急に、評論家だな」
「**酒、絡むと、本気出す**」
エルナが軽く笑った。
「リント」
「ん」
「あんた、宿の、主人、呼んできて」
「何の、用」
「**酒**」
「お前、本気か」
「**昼間、だけど、本気**」
エルナが立ち上がった。
それから、扉の方に歩きかけた。
途中で止まって、振り返った。
「あたし、行く」
「お前、本当、酒、好きだな」
「**好き、というか、合うものは、合わせる**」
「合理、だな」
「**酒飲みの、合理**」
「ユミルの、合理と、別物だろ」
「**別物。あたしの、合理**」
エルナが軽く笑って、扉を出ていった。
しばらくして、エルナが戻ってきた。
手に、宿の主人から買ったらしい瓶を持っていた。
木のコップが四つ、宿の主人から借りてきたようだった。
「リント、ミラ、シオン、ユミルちゃん」
「お前、皆、巻き込むのか」
「**昼酒、皆で**」
「ユミルは、寝てるぞ」
「**寝てる、ユミルちゃん、起こさない**」
「お前、配慮、できるのか」
「**当然**」
エルナがテーブルの上に、瓶とコップを並べた。
それから、コップに軽く酒を注いだ。
四つ、ぼちぼち揃った。
「ミラ、シオン、リント」
「あたし、飲むよ」
「私も、頂きます」
「俺、ぼちぼち」
「ぼちぼち、で、いいの?」
「ぼちぼち、で、いい」
俺たちはコップを軽く合わせた。
カチン、と軽い音がした。
エルナが軽く口に運んだ。
「**……」**
「お?」
「**ジャーキー、酒、合う**」
「だろ?」
「**完璧。これ、完璧**」
「お前、語彙、強くなったな」
「**酒、合うと、語彙、強くなる**」
エルナがジャーキーをもう一切れ、口に運んだ。
それから、酒をぼちぼち口に含んだ。
目が軽く細まった。
口の端が軽く上がった。
「**……たまんない**」
「お前、絶賛、してるな」
「**絶賛、してる**」
「ニャルニル、聞いてるか」
「**……はい**」
「お前、絶賛、されてるぞ」
「**……はい**」
「お前、嬉しいか」
「**……はい**」
ニャルニルが軽く答えた。
ハンマーの表面の温度が、ほんの少しだけ上がったように見えた。
ジャーキーが軽くじゅわ、と音を立てた。
「ニャルニル、お前」
「**……はい**」
「絶賛、されて、温度、上げたか」
「**……はい**」
「お前、調子、出てきたな」
「**……はい**」
エルナがジャーキーをもう一切れ取った。
温度が上がったジャーキー。
脂が、ぼちぼち滲んでいた。
口に運んで、目を軽く見開いた。
「リント」
「ん」
「**これ、もっと、温度、上げて、いい**」
「お?」
「**もう、ちょい、焼いた方が、酒、合う**」
「お前、要求、上がったな」
「**酒飲み、要求、上がる**」
「ニャルニル、聞いてる?」
「**……はい**」
「お前、温度、上げられるか」
「**……はい**」
「上げてみろ」
「**……はい**」
ニャルニルの表面の温度が、軽く上がった。
ジャーキーが、ぼちぼち焼け始めた。
脂が滲んで、ハンマーの表面に軽く垂れた。
香りが強くなった。
エルナが軽く息を止めた。
「**……」**
「どうだ」
「**……完璧**」
「お前、二回目、完璧、出したな」
「**完璧、二回目**」
「お前、語彙、強化、絶好調だな」
「**酒、絡むと、本気**」
ミラが横で軽く笑った。
「エルナ、あんた、本気、出すと、別人」
「**別人じゃない。本来の、姿**」
「これが、本来か」
「**そう**」
「驚き」
「**驚かれる、心外**」
エルナが軽く笑った。
それから、シオンの方を向いた。
「シオン、塔士、酒、飲める?」
「ええ、嗜む程度、です」
「嗜む程度、で、これ、行ってみ」
「了解、です」
シオンがジャーキーを一切れ、口に運んだ。
それから、酒を軽く口に含んだ。
目を軽く伏せた。
「**……」**
「シオン?」
「これは」
「うん」
「**塔の、規律、緩みます**」
「お前、塔士、外せ」
「外しません」
「外せ」
「外しません」
シオンが軽く笑った。
それから、もう一切れジャーキーを取った。
酒をぼちぼち口に含んだ。
「リント君」
「ん」
「**これは、確かに、合います**」
「だろ」
「**塔士の、職業として、認めます**」
「お前、職業、として、認めるな」
「**ええ、認めます**」
シオンが軽く頷いた。
エルナが横で満足げに頷いた。
「リント」
「ん」
「あんたら、本当、面白い、仲間」
「面白い?」
「**敵の、戦槌、家電、家電が、酒の、つまみ、温め器**」
「言われると、確かに、変だな」
「**変、というか、自由**」
「自由、か」
「**そう、自由**」
エルナが軽く笑った。
それから、酒をもう一口飲んだ。
「ニャルニル」
「**……はい**」
「お前、お前を、嫌わない、相手、見つけたな」
「**……はい**」
「ファーファ、エルナ、皆」
「**……はい**」
「お前、幸せか」
「**……はい**」
ニャルニルが軽く答えた。
俺は軽く笑った。
ミラが横で覗き込んだ。
「あたしも、欲しい」
「どうぞ」
ミラがジャーキーを一切れ取った。
口に運んだ。
軽く目を見開いた。
「うん、美味い」
「だろ」
「ニャルニル、家電、いいね」
「お前、ファーファに、感染したな」
「あたしも、ニャ、語尾、ニャ?」
「やめろ」
ミラが軽く笑った。
シオンが横から軽く頭を下げた。
「私も、頂いて、よろしいですか」
「どうぞ、シオン」
シオンがジャーキーを一切れ取った。
丁寧に口に運んだ。
軽く目を伏せた。
「リント君」
「ん」
「これは、確かに、美味しい、です」
「だろ」
「温度の、効果、です」
「シオン、塔士、っぽいな」
「塔士、です」
「分析、するな」
「ええ、分析、します」
シオンが軽く頷いた。
「タンパク質の、構造が、軽く、緩んでいます」
「お前、塔士、というより、料理人、だな」
「両立、します」
「両立、するな」
シオンが軽く笑った。
ファーファが軽く首を傾げた。
「**主、皆、ジャーキー、奪いに、来てるニャ**」
「お前、独占、できないぞ」
「**ファーファ、教えたから、皆、来てるニャ**」
「お前、教えるな、だったか」
「**ファーファ、後悔、してるニャ**」
「お前、語彙、強化、絶好調だな」
ファーファが軽く不服そうに尾を振った。
ニャルニルが低く続いた。
「**……了解**」
「お前、了解、しか、言わないけど」
「**……了解**」
「了解、は、はい、だな」
「**……はい**」
「お前、ジャーキー、温め、続けるか」
「**……はい**」
「お前、家電、極めるか」
「**……はい**」
ニャルニルが軽く答えた。
ハンマーの表面で、薄い温度が保たれていた。
ジャーキーが軽く温まり続けていた。
エルナがもう一切れジャーキーを取った。
「リント」
「ん」
「あんたら、本当、平和」
「平和な、宿、だ」
俺は軽く笑った。
---
夕方、ルークが村への手紙を宿の主人に預けた。
俺の家族への手紙も、ルークが一緒に預けてくれた。
明後日には、王都経由で村の方に向かうらしい。
宿の食堂で夕食。
ファーファがテーブルの上で、ジャーキーを並べていた。
ニャルニルは、テーブルの足元の近くに置かれていた。
ハンマーの上で、ジャーキーがぼちぼち温まっていた。
「ファーファ」
「**ニャ?**」
「お前、ジャーキー、テーブルでも、温めるのか」
「**ニャルニル、ジャーキー、温める、家電、ニャ**」
「持ち歩くのか」
「**当然、ニャ**」
「便利な、家電だな」
「**便利、ニャ**」
ユミルが横で軽く頷いた。
「**……持ち運び、可能**」
「お前、認めるのか」
「**……便利、です**」
「合理、か」
「**……合理、です**」
ユミルがすまし顔で頷いた。
ルークが横で軽く首を傾げた。
「兄貴」
「ん」
「ニャルニル、家電、なら、他の、料理、も、できるかな」
「他?」
「肉、焼く、とか」
「お前、急に、欲、出してきたな」
「ジャーキー、温めるなら、肉、焼ける、可能性、ある」
ルークが軽く頷いた。
ファーファが軽く首を傾げた。
「**ニャルニル、肉、焼くニャ?**」
「**……了解**」
「了解、は、はい、ニャ」
「**……はい**」
「お、肉、焼けるニャ」
——ファーファ、楽観すぎ。
俺は軽く笑った。
ニャルニルの温度は、室温+十度ぐらい。
肉を焼くには、足りないはず。
でも、ファーファが試したいという表情をしている。
「ファーファ、肉、焼く、ためには、もっと、温度、必要だ」
「**ニャルニル、頑張るニャ**」
「お前、頑張りで、なんとかするのか」
「**当然、ニャ**」
「ニョルニル、改、ニャルニル、お前」
「**……はい**」
「お前、ファーファに、頑張れって、言われてるぞ」
「**……はい**」
「お前、頑張るのか」
「**……はい**」
ニャルニルが軽く答えた。
そして、ハンマーの表面の温度が、ほんの少しだけ上がった。
——え。
俺の頭の中で、警報が軽く鳴った。
ジャーキーが、ニャルニルの上で軽くジュ、と音を立てた。
脂が軽く滲んだ。
燻製の香りが強くなった。
「ファーファ」
「**ニャ?**」
「ニャルニル、温度、上がったぞ」
「**ニャ! 頑張ってるニャ!**」
「お前、本当に、頑張らせてんのか」
「**応援、ニャ**」
ニャルニルの上のジャーキーが、軽く焼け始めた。
ジュ、ジュ、と低い音が続いた。
脂がハンマーの表面に、軽く垂れた。
「**ファーファ、感動、ニャ**」
「お前、感動、したのか」
「**ニャルニル、家電、進化、ニャ**」
「家電、の、ホットプレートだな」
「**主、ホットプレート、知ってるニャ?**」
「前世、用語、だ」
「**寝言、出たニャ?**」
「**……はい**」
ユミルが横で軽く頷いた。
「**……寝言、ファーファに、聞かれて、います**」
「俺、寝言、整理しろ」
「**……整理、しても、漏れます**」
「マジか」
「**……マジ、です**」
「お前、マジ、復活してんな」
「**……復活、しました**」
「禁止、だろ」
「**……ファーファに、移ったので、私も、解禁**」
「お前、ファーファ、口移しで、解禁するのか」
「**……合理、です**」
ユミルがすまし顔で頷いた。
俺は軽く笑った。
ニャルニルの上で、ジャーキーが軽く焼けていた。
脂が滲んで、香りが強かった。
ファーファが得意げに尾を振っていた。
仲間がテーブルを囲んで、ジャーキーの進化を見ていた。
「リント」
「エルナ」
「これ、食っていいの」
「どうぞ」
エルナがジャーキーを一切れ、ニャルニルの上から取った。
指で軽く温度を確かめた。
それから、口に運んだ。
「**……」**
「どう?」
「焼いた」
「焼いてる」
「美味い」
「だろ」
エルナが軽く目を丸めた。
「リント」
「ん」
「あんたら、本当、家電、生み出してる」
「ぼちぼち」
「ぼちぼち、じゃない」
「美味いから、いい」
「美味いから、いい、で、片付けるな」
エルナが軽く笑った。
ニャルニルが低く続いた。
「**……はい**」
「お前、はい、しか、言わないけど」
「**……はい**」
「お前、満足してるか」
「**……はい**」
「お前、家電、極めたか」
「**……はい**」
ニャルニルの表面で、温度が軽く安定していた。
——溶岩焼きニャ。
俺の頭の中で、ファーファの語彙がぼちぼち馴染んできていた。
溶岩焼きは、本当は溶岩の温度で焼くわけじゃない。
冷えて固まった石を、プレートにして肉を焼く。
ニャルニルのハンマーの平らな面で、ジャーキーを焼いている、これ。
構造的には、溶岩焼きで合っていた。
温度は、低めだけど。
——ファーファ、語彙、強化、半分、当たる。
俺は軽く笑った。
---
夜、宿の部屋。
ユミルがベッドの上に座って、軽く笑っていた。
ファーファがベッドの足元で、ニャルニルの上にジャーキーを並べ続けていた。
ニャルニルは温度を保ったまま、低く「**……はい**」を繰り返していた。
「ユミル」
「**……はい**」
「お前、笑ってるな」
「**……笑って、います**」
「珍しい」
「**……ファーファ、面白い、です**」
「お前、ファーファ、好きだな」
「**……はい**」
ユミルが軽く頷いた。
俺は机の椅子に座って、軽く息を吐いた。
「ユミル」
「**……はい**」
「ニャルニル、これからも、ジャーキー、家電、続けるのか」
「**……はい**」
「戦闘の、時は」
「**……手伝います**」
「家電と、武器、両立か」
「**……ニャルニル、本人、希望**」
「お前、確認したのか」
「**……確認、しました**」
「いつ」
「**……夕食前**」
「マジか」
「**……マジ、です**」
ユミルがすまし顔で頷いた。
俺は軽く笑った。
ニャルニルが家電と武器、両立を選んだらしい。
半人格のエージェントの、自由意志だった。
ファーファの所有下で、ニャルニルが自分の生き方を選んでいる。
「ユミル」
「**……はい**」
「お前、敵の、遺品を、こんな、平和に、活用できる、と、思ってたか」
「**……いえ**」
「お前、想定外?」
「**……想定外、です**」
「お前、面白がってる?」
「**……面白がって、います**」
「いいな」
「**……はい**」
ユミルが軽く頷いた。
俺は軽く笑った。
——刻んだ。
俺の頭の中で、また記録した。
ユミルが「想定外、です」と認める時の、声の温度。
合理の鬼が、世界の未知に出会って面白がっている瞬間。
これは、いつものユミルとは違う温度だった。
ユミルが軽く息を吐いた。
それから、ベッドに横になった。
ファーファがニャルニルの上で、ジャーキーを整え続けていた。
ニャルニルが「**……はい**」を、低く続けていた。
「ユミル」
「**……はい**」
「明日、もう一日、休もう」
「**……はい**」
「明後日、王都、出る」
「**……はい**」
「徒歩、二日」
「**……はい**」
「王都、戻ったら」
「**……長老**」
「ヴェスタ、長老」
「**……はい**」
「報告、渡すか」
「**……はい**」
ユミルが軽く頷いた。
それから、薄く目を閉じた。
ファーファがニャルニルの上で、軽く伸びをした。
「**主の主、ファーファ、寝るニャ**」
「お前、寝ろ」
「**ニャルニル、夜中、勝手に、温度、上げないように、ニャ**」
「**……はい**」
「**ファーファ、ジャーキー、夜中、食べないニャ**」
「**……はい**」
「お前、夜中、食べないって、言うのか」
「**ファーファ、寝る、ニャ。食べないニャ**」
「お前、本当か」
「**……たぶん、ニャ**」
「お前、たぶん、で、逃げるな」
ファーファが軽く笑った。
それから、ユミルの胸の上に移動して丸まった。
ニャルニルの上のジャーキーが軽く温まり続けていた。
ニャルニルの温度が、ぼちぼち安定していた。
ハンマーの表面で、低く薄い温度の揺らぎが続いていた。
——半人格の、ハンマー、家電化。
俺の頭の中で、その認識が整理された。
ソールの相棒だったニョルニル。
機能をユミルに剥離されて、ただの話す魔石になった。
それがファーファの所有下でニャルニルに改名されて、ジャーキーを温める家電になった。
これはたぶん、敵組織が想定していなかった進化の形だった。
「ニャルニル」
「**……はい**」
「お前、よかったな」
「**……はい**」
「ソール、お前、扱い、雑だったろ」
「**……はい**」
「ファーファ、扱い、丁寧か」
「**……はい**」
「お前、幸せか」
「**……はい**」
ニャルニルの声が低かった。
でも、その「**……はい**」がいつもより、ほんの少しだけ柔らかかった。
そう、聞こえた。
たぶん、気のせいではなかった。
俺は軽く笑った。
そして、ベッドの灯りを絞った。
ユミルの寝息が、ふと深くなった。
ファーファがユミルの胸の上で、軽く尾を振った。
ルークが別のベッドで、軽く鼾をかいていた。
ニャルニルが「**……はい**」を、低く続けていた。
夜が、軽く深かった。
明日、もう一日休む。
明後日、王都へ出発。
ヴェスタ長老への、報告。
そして、その後北方へ。
いつかの、始まりの場所の森。
ぼんやりと、これからの形が見えていた。
でも、急がなくていいらしい。
ユミルが合理の鬼の判断で、急がないと決めた。
俺はそれに付き合う。
それで、いいと思っていた。
俺は軽く息を吐いた。
そして、自分のベッドに横になった。
ニャルニルの温度が、ぼちぼち続いていた。
夜の宿場町は静かだった。
窓の外で、虫の音が軽く聞こえた。
——ジャーキー、また、明日。
俺の頭の中で、その期待が軽く形を取った。
ファーファの世界観が、徐々に皆に感染していた。
それはたぶん、悪くない感染だった。
【了】




