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ぱんつと嫉妬と蛍石(後編)

れもんさん(@RemonKoucha)のために書かせていただいた短編です。

蛍石は「月長石の秘め事」で少しだけ触れましたが、ちゃんと出すのは今回が初めてですね。安眠作用や興奮を鎮める作用があるという設定です。いやでも単に、蛍石を炭酸水の中に入れたら綺麗だろうなと思ったというところはあります。

今回は少々ラブコメ色が強いですね。百合ってなんでしたっけ。

本当に、何がどうしてこうなった。

奈落は鈴奈に連れられて、帝都の大きなデパートメントに来ていた。その一角にある、女性用の下着だけが立ち並ぶエリアのど真ん中で、奈落は途方に暮れていた。

それはそうだ。奈落の格好はパッと見には男である。下着を物色していた女性客の不審な目線が痛くて居た堪れない。全くそれに気付かない鈴奈は、奈落の隣で下着を物色していた。

「このお店は、一般に出回っている乳バンドやズロースだけでは無く、海外から輸入した様々な女性下着を取り扱っているのです。ガーターベルトやコルセット、そして私が愛して止まないパンティも豊富で、私が一番気に入っているお店なんですよ!」

そう言って、やや興奮で頬を紅潮させながら、鈴奈は手に取った小さな布切れを奈落の方に突き付けた。

「…何ですかこれは?」

押し付けられたのでつい手に取ったそれは、雑巾よりも小さな、およそ着衣の類とは思えない布である。縁にはレースがあしらわれており、小さなリボンが前についていて、まあ可愛らしいといえば可愛らしい。

「やだ、奈落さん今まで何を聞いてたんですか。ぱんつですよ、ぱんつ」

「…ぱんつ」

「正しくはパンティです。日本女性にはまだ馴染みは薄いかもしれませんね、ズロースの類ですよ」

「…」

奈落はしげしげとその布を見て、ズロースとは何だったかを必死に思い出した。確かズロースはもう少し布面積が大きく、臀部をすっぽりと覆うものだったはずだ。

つまりこれは、認めたくはないが、あの部分に着用するものだという事になる。

「…随分と…小さいんですね…」

精神的に疲弊していた奈落はようやくそれを言うのが精一杯だった。いつもの奈落だったら恥ずかしさで大騒ぎするところだが、印宮堂で散々辱めを受けて来たのでもはや騒ぐ気力もない。

「いえ、多分奈落さんにはそれがぴったりです。先程触りながら採寸させていただきました。着物の生活で座っている事も多いのでしょうか、やはりお尻は安産型ですね。それですと、その大きさが良いかと思いますわ」

「あんざんがた」

先程から余りにも破壊力の強い言葉が出て来て、奈落は頭が真っ白だった。奈落から見たら小さなその布を持たされて、奈落は死んだ目でただ繰り返すばかりだった。

「そのぱんつに合わせるなら乳バンドはこれがいいでしょう。そちらで試着が可能ですから、サイズが合うならそのまま購入してしまいましょう。お近付きの印に私からプレゼントさせて頂きますから」

そういってにっこりと笑う鈴奈に一瞬従いそうになったが、すんでのところで奈落は自我を取り戻した。

「いやいやいやいや、待って下さい。お気持ちは嬉しいですが、そこまでしていただく義理は無いというか、私は普段から和装を着用しておりますから今のところこのような下着を身に付ける場面がありません。折角ですが…」

「あら、でしたら洋服を着れば良いのですよ」

鈴奈は全くひるむ事なく奈落に笑いかけてくる。奈落はその表情を引きつらせた。

「いやしかし」

「奈落さん?」

鈴奈は、笑顔を顔に貼り付けさせて奈落に迫って来た。怖い。何だかよくわからないが、怖い。その恐怖感から、奈落はいつのまにか乳バンドも手渡されていた事に気付かなかった。

「更衣室は、あちらです」

「はい…」

奈落はただ、鈴奈の言葉に従うしか無くなっていた。


先程とは違うフロアを、二人は荷物をたくさん抱えて歩いていた。鈴奈はさも満足そうに、奈落はだいぶぐったりした表情で。

下着屋で無理やり着用させられたパンティと乳バンドが違和感しかない。普段身につけていないものを身につけるとは、こんなにも奇妙なものか。

そして、なかば鈴奈に着せ替え人形にされて身につけさせられた洋服一式が、ただただ慣れない。心元なさすぎる。

「やはり私の見立ては間違っていませんでしたわ!奈落さん、とてもお似合いです!!」

「はぁ…そうですか…」

そういってぐったりしている奈落は、ふと足を縺れさせた。慣れないヒールの靴で歩くのはなかなかしんどい。ふと奈落が背後で体のバランスを崩したことに、浮かれていた鈴奈が気付いて奈落の手を取り支えた。

「大丈夫ですか!?」

「あぁ…すみません。この手の靴は慣れなくて…」

「そこに、椅子があります。少し座って休みましょうか」

そういうと、通路の脇の椅子まで鈴奈が支えて奈落を誘導した。奈落は椅子に座ると、少し靴を脱いで足を解放した。

「ふう…」

「すみません…気が付きませんで」

「いえ…普段から下駄ばかり履いているもので…こういった、可愛らしい靴も履きなれていたほうが良いのでしょうけれども」

そういって奈落が苦笑いすると、鈴奈は少し辛そうな顔をして荷物を床に置き、奈落の隣に座った。

「…鈴奈さん?」

「すみません…私、奈落さんにお会いするの本当に楽しみだったんです。お写真を見て素敵な人だなって思っていて…コラムの内容も本当に魅力的で…」

そういって伏し目がちになってしまった鈴奈に、奈落は焦ってしまった。そんなに彼女をへこませるつもりはなかったのだ。

「あの…いや、その…それがちょっとよくわからなくて…。何故、貴女のようなお綺麗な方が、私のような性別を捨てたような女のことをそんなふうに思ってくれるのかと…」

謙遜などではなく、奈落は本当にそう思っていた。奈落の普段の格好は仕事のためもあったが、女性としての自信の無さからくるものでもある。どんなに女学生から慕われようと、それは彼女たちが自分の奥に理想の男性像を見ているに過ぎない。そう奈落は考えていた。

だから、奈落自身を女性として見て、こんな風にいろいろと世話を焼いてくれるのが何故なのか、奈落には理解できなかった。

「…ふふふ。ご自身ではわからないものですよ。奈落さんはとても魅力的な女性です。だから…」

そこで鈴奈は言葉を止めると、鈴奈は買い物袋のひとつを抱えてきゅっと抱きしめた。それは最初に入った下着の店で買いこんだ、ぱんつの山だった。

「あのデパートの火災の年、私は十二歳でした。その年に私は女学校に入学する事になっていて、近所に住んでいた幼馴染も一緒に入学する予定だったのです。彼女は、学校生活に必要なものを買いに家族とデパートメントに行って、あの火災にあいました。…そして、救助しようとしていた消防隊の救助を拒んで、焼け死んだのです。…下半身を見られたくないからという理由で」

鈴奈の言葉に、奈落は沈黙した。突然の重い告白だった。

「私はそれが悔しくて…なぜそんな理由で彼女が死ななければいけなかったのか、わからなかったのです。私だったら、そんな理由で死ぬなんてあり得ない。死ぬぐらいなら、下半身なんて見られても構わない。…でも、彼女はそう思わなかったんでしょうね。だからその時から、どうしたらそんな哀しい事故がなくなるか、私なりに考えたんです。そして行き着いたのが、女性用下着の普及でした。

私は恥をかいても構いません。売女と罵られても、あんな悲しい思いをするぐらいなら私一人恥をかくなんてなんでもないことなんです」

淡々と語る彼女の言葉に、奈落は彼女と先ほど初めてあった時のことを思い返した。あの、わざとらしいまでの勢いは、彼女のそういった想いも込められていたものだったのだと奈落は気付かされた。

「だから…駄目なんです私。お友達になりたいなって思うような素敵な方にお会いすると、自分を止められなくて…でも、ご迷惑でしたよね。ごめんなさい」

「いえ…」

鈴奈の目尻にうっすら涙が浮かんでいるのが見えて、奈落は懐から手拭いを出すため手を入れようとしたが、いつもの着物姿では無いことに気付いてバツが悪くなった。先ほど着替えたばかりの服なので、ハンケチといった洒落たものも入れてはいない。どうにも間が悪い。

手をフラフラさせてそわそわする奈落を見て、鈴奈がくすりと笑った。

「…ふふ、大丈夫ですよ。ありがとうございます」

そういうと、鈴奈は自分のバッグからハンケチを取り出して目尻を拭い、またそのハンケチをしまった。そして、奈落に向かって精一杯笑ってみせた。

その笑顔がなんだかいつかの千代のようで、奈落は衝動的に抱き締めたい気持ちに駆られたが、それは千代にも鈴奈にも失礼な気がしたので、奈落はその手をぐっと握りしめるだけに留めた。

「…鈴奈さんは恥知らずでも、売女でもありませんよ。とても硬い信念をお持ちの、素敵な女性だと思います」

そういって奈落は被っていた中折帽を取った。そして隣の椅子にそれを置くと、鈴奈の手を取って握りしめた。

「私で良ければ…お友達になっていただけますか?」

そう言って鈴奈の目を見つめると、鈴奈は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに満面の笑みを見せて奈落の手を握り返した。

「…もちろんです!」

そうして二人は、お互い手を握り合って、くすくすとしばらく笑い合っていた。

「そうだ、では鈴奈さんにお願いしたい事があるのです」

「はい、なんでしょう?」

「実は、私には妹がいるのですが、いつも私のお下がりばかりを着ていてどうにも垢抜けないのです…顔立ちは可愛らしい妹なのですが。折角こういうところに来たので、何か可愛い服を買ってやりたいのですが、私はセンスに自信が無く…一緒に選んでいただけますか?」

奈落がそう伝えると、鈴奈の顔がぱっと明るくなるのがわかった。

「ええ…ええ!もちろんですとも!では、早速参りましょう!」

そういうと、鈴奈は奈落の手を掴んだまますぐに立ち上がった。奈落は苦笑いして鈴奈を引き戻し、足元を指差した。

「あっ…ごめんなさい」

奈落の足は、まださっき靴を脱いだままだった。


******


「ところで、その待ち人の方ってどんな人なんです?」

鈴奈と妹の服を選んでいるうちに、利一と待ち合わせの時間が近づいていた事に気付いた奈落は、鈴奈を連れて宿泊するホテルのロビーに来ていた。ラウンジで紅茶を頼んだ鈴奈は、檸檬をその中に入れてかき混ぜている。この飲み方を気に入っているので、筆名が「檸檬」なのだと話していた。奈落は相変わらず、こういう場所では珈琲を飲む事にしている。

「あー…そうですね。なんと言えばいいのか…背の高い和装の女の子…ですかね」

こういう時、利一の事をどう説明すればいいのか困る。今日は確か馴染みの大きな原石店に行かせているので、旅に出る時の黒外套ではなく女装で行っていた。あっちが普段着になっているのは、少しよくわからない。だが、女装姿なので男と説明すれば鈴奈にはわからないだろう。かといって、女でもないのだが。

奈落はふと、面虎に「旦那さん」と言われた事を思い出して珈琲を吹きそうになったが、すんでのところで堪えた。そうそう何度も利一絡みで珈琲を吹くわけにもいかない。しかし、周囲からはそう見られているのだろうか。同じ屋根の下にいて、同じ仕事をしていて…褥を共にもしている。そこまで考えて、むしろそう思われない要素がない事に奈落は気付いて唖然とした。まさか。アレが?私の夫?

「…奈落さん?どうしました、お顔が真っ赤ですが…」

「いえっ!なんでも…!!」

鈴奈に指摘されて、奈落は柄にもない裏声が出てしまった。ちょうどその時だった。

ドサッと、大きな重い荷物が落ちる音がした。二人がそちらの方に目を向けると、長い黒髪の和装の女装…つまり、利一が奈落の方を見て両手を口元に当ててプルプル震えていた。その両脇には荷物が落ちていたので、恐らくは荷物から手を離した時にその音が出たのだろう。

「あの…おい?どうした…」

「嘘…奈落さんなんですか…?素敵…」

利一の目線はまっすぐ奈落の方を見ていた。利一の言葉で思い出したが、そういえば鈴奈の選んだ洋装を着ていたのだ。

あまりぴったりとはしすぎていないものの、腰から太腿にかけての体のラインが露わになり、膝下で裾が緩く広がっている柔らかい青灰色の生地のワンピースを身に付けている。大きな紺色の襟で胸元は隠れているものの、袖は肩口に少しフリル状についているばかりだ。だがそれが恥ずかしくて、着ていた絽の羽織を肩に掛けていた。首元には疑似のものではあるが真珠の長い二連のネックレスをかけて、目元にも薄くアイシャドウを入れていた。ざんばらに切ってある髪は鈴奈が手持ちの整髪料で少し綺麗に纏めてくれていて、こうなるといつもの黒い中折帽も全体に合い女らしく見える。もちろん足元は、先ほどの黒いヒールの靴だ。

「…ええと?」

「ああ…すみません。あれが私の待ち人です。おい、ええと…お、おいち」

頭の上に疑問符を並べる鈴奈を見て、止む無く奈落は初めて利一を「おいち」と呼んだ。まぁ、変に関係を疑われるよりはましだろうと思ったわけなのだが。

しかし鈴奈は利一を頭の上からつま先までまじまじと見ると、はっきりと言ってのけた。

「…あなた、男性ですわね?」

「!?」

一目見ただけで利一の性別を見抜いた鈴奈に、奈落は驚愕して鈴奈を顧みた。

「…奈落さん、こちらは?」

「ええと…私のコラムに挿絵を寄せて下さっている鈴奈さんだ。さっき印宮堂で会ってから友人になって、この服を見立ててくれた」

「あら!じゃあ奈落さんをこんなに素敵にしてくださった方なんですね!ありがとうございます!」

そういうと、利一は荷物を持ち直して奈落たちのほうに歩み寄り、また置きなおして鈴奈の手を取って感謝の笑みを向けた。

その瞬間、奈落の心に少しだけちくりと刺さるような感覚があって、奈落はそんな自分に動揺を覚えた。

「…ところで…なんでわたくしが男だと思ったんです?」

奈落は動揺していて気付かなかったが、鈴奈は見抜いていた。利一の目の奥に少し邪なものがあることを。鈴奈は利一の手からするりと抜けて、その手を自分のほほに少しだけあてた。

「ふふふ、私は見ただけで相手がパンティを着用しているのかズロースを着用しているのか、それとも何も履いていないのか見抜く女ですわよ?女装をしていてもそもそもその体つきでわかりますわ。ちなみにその下は…履いてませんわね」

そういうと、鈴奈は利一の臀部をさわさわと触り始めた。

「あら、いいお尻」

「ちょっ…!れいな…!!」

その瞬間、顔を真っ赤にした奈落が立ち上がって鈴奈に非難の声を上げた。しかし、鈴奈と利一の両方に注目されて、奈落は言葉に窮した。

沈黙が走る。どうしよう、どうしたらいいんだこういう時。奈落の頭は真っ白になっていた。

その時、鈴奈がみるみるうちに凄いいやらしい笑顔になっていった。そして利一の着物の裾を奈落の目の前でたくし上げた。

「こらっ!!」

「あらいやだ」

「あら、足元はソックスガーターでしたのね。なかなかセクシーですわね」

「あら嬉しい。ありがとうございます」

慌てふためく奈落を他所に、インナーの話題で盛り上がる鈴奈と利一だったが、その目はちらちらと奈落のほうを見ていた。確実に奈落の反応で遊んでいる。

「足が綺麗ですわね、剃ってらっしゃるの?」

「ええまぁ一応は」

「これさらにたくし上げたら見えちゃいますよね?」

「それはちょっとここでお見せするのは問題がありますわねぇ」

「………!!!!!!」

奈落は完全に顔を真っ赤にして、手で顔を覆ってしまった。そして急に立ち上がり、その場を走り去ろうとした。

「あっ、こら」

しかし、その腕を利一に掴まれてそれ以上進む事は出来なくなった。そのまま、奈落は二人に背を向けて立ち尽くしていた。

「…この方ですのね?面虎さんの言っていた、奈落さんの『旦那様』という方は」

鈴奈の投げかけた言葉に、しかし利一が一番反応していた。

「えっ、そうなんですか?」

「奈落さんにはそういう方がいると、面虎さんからお伺いしましたが…」

「今度印宮堂には何か素敵なお中元を準備しますね?」

何故か意気投合したらしい二人はそんなやりとりを進めていたが、奈落はそのままその場で震えているだけだった。

「…すみません…なんだか、淡々としていた奈落さんが、顔を真っ赤にして慌てふためく姿が面白くて、ついおいちさんにちょっかいをかけてしまいました。そんなに悋気されるとは思わなかったので、びっくりしてしまったんですけれども…」

「私は…悋気だなんて…」

「うふふ、それは完全に嫉妬なさってますよ?」

そう言って、鈴奈は奈落の方に回り込んで顔を覗き込んだ。奈落の顔は真っ赤で、目尻には涙も滲んでいる。

「ご安心下さい。私、夫も子どもも居りますの。別に奈落さんからおいちさんを取ろうなんて思ってもいませんわ?私にとっては、家族が一番大事ですから」

そういって、鈴奈はにっこりと笑ってみせた。

「えっ…えっ?」

しかし、奈落は鈴奈の言葉に別な衝撃を受けたようだった。

「お子さんが…いらっしゃるのですか…?」

「ええ、2人ほど」

「えっ…私よりお若い方かと…えっ、2人…?」

「私、二五でしてよ?上の子はななつ、下の子はふたつですわ。今日はお義母さまにお願いしてきましたけれども」

「…えっ?同じ歳…えっ…?」

奈落はそう呟くと、頭を抱えて天井を仰いだ。

「あー、そうですか…いやぁ…ははは、参りましたね…」

今度は鈴奈がキョトンとする番だった。

「いや…すみません。別にアレを取ってくださってもそれはそれで構わないんですが」

「うわぁ相変わらず酷いですわ奈落さん」

「どうも…私は相当貴女のことを魅力的だと思っていたようです。女として魅力的な方というのは、こういう人の事を言うのだろうなと…。劣等感を感じていたのですよ。敵わない…と思いました。お恥ずかしいです」

利一が何か不貞腐れていたが、そこは敢えて奈落は受け流した。奈落の言葉に、鈴奈が満面の笑みを見せた。

「最高の褒め言葉ですわ!ありがとうございます」

そう言うと、鈴奈はまた奈落に抱き着いた。

「でも…奈落さんはもう少しご自分の魅力を自覚なさった方がよろしいですよ?でないと私、危なっかしくて見てられません」

「…どういうことですか?」

「自分のことを女として見るものなどいない…なんて考えていると、痛い目を見るということですよ。 …こんな風に!」

そういうと、鈴奈は突然奈落の唇に接吻した。

今度は、利一が目を丸くする番だった。


******


「…いやぁ。鈴奈さん、凄い人でしたね…」

髢を外してホテルの浴衣に着替えた利一は、髢を梳りながらぼそりと呟いた。

「正直、あれ以上浴衣の裾をたくし上げられたら危うくぶん殴るところでした…」

こういうところは、利一は男女平等である。相手が女だろうと男だろうと、自分が気に入らなければ遠慮がない。その考え方が正しいかどうかは、別問題だが。

しかし、あれだけ意気投合しているように見えていたのに、内心でそんなことを考えていたのかと思うと、奈落は少々身震いした。

風呂から上がってきた奈落は、今日鈴奈が選んで自分が着ていた服に目をやった。まさか、自分がこんなものを着る日が来るとは思わなかった。あまりにも慣れなくて居心地は悪かったものの、内心悪しからず思っていた自分がいたのも確かだった。

それに、妹への土産も買うことができた。今日はとても、気分がいい。

「…そのお洋服、お気に召したんですか?」

「あ?あぁ…そうだな。普段着慣れていないから違和感はあったが、悪くはなかったよ」

そう答えたが、利一はこちらを見てにやにやしている。

「素直じゃないですね、頬が緩んでますよ?気に入ったんでしょ?」

そういうと、利一は奈落に近づいてきて、後ろから奈落を抱きしめようとしたが、伸ばしたその手を奈落にぴしゃりと叩かれてしまった。

「いって…」

「調子に乗るな。同室にしたのはそのほうが安上がりだからだ、他意はないぞ」

「はいはい…」

むしろ、何度か体を合わせていていまだにこの態度というのが腑に落ちない訳ではあるのだが、今日は別に利一は気にならなかった。なにせ、奈落の悋気が見れたのだ。どても希少価値が高い。それが自分に対するものだと思うと、自分の頬も緩むというものだ。

「…なんだ、にやにやと。気持ちが悪いな」

奈落の小言も今日は苦にならない。同室にしたから意識してしまっているのか、彼女の警戒心は非常に高まっているが、そんなものはどうにでもなる。

「明日の予定を確認してもいいです?」

「あぁ、そうだった。明日はもう一度院宮堂に行くよ。面虎さんがお前に会いたいと言っていた」

「あぁ、面虎さん」

「…」

そういうと、奈落はジト目で利一のほうを眺めていた。利一はその目線に気付くと、小首を傾げて不思議そうな顔をした。

「…なんです?」

「別に…」

「別にという顔ではないですよ?」

「…朝鮮で、面虎さんと焼き肉を食べたんだって?」

そういうと、奈落はそっぽを向いてしまった。

「お前は酒も煙草も飲まなかったと思ったんだがな。違ったのか」

よく見ると、奈落は耳まで赤くなっていた。これは…入浴して赤くなっているわけではなさそうだ。

「…ぷっ」

思わず利一は噴き出してしまった。なんだって今日は、随分と貴重なものが見れる日だ。

「…違いませんよ。酒も飲めませんし、煙草はもっと駄目です。面虎さんとは目的地が偶然同じだったので、誘われて焼き肉を食べましたが本当にそれだけです。まぁ、彼らの何人かはそのあと女を買いに行ったりしたようですけど」

そういうと、奈落は妙な表情で利一のほうを振り返った。

「女を買う!?面虎さんが!?」

「いや、面虎さんは行きませんでしたね。現地の案内人の方が殆どです」

「はぁ…というか、そんなに何人もいたのか…」

「ええ、まぁ」

「…私は、何も聞いてない。お前から何も。焼き肉を食べた話も、女を買った話も、何も聞いてない!」

「いや俺は女買ってませんから」

まずい。なんだか雲行きが怪しい。奈落は何を苛立っているのだろう、と利一は思った。少々、理不尽に思えてきたからだ。

しかし、ふと利一は何かに気付いた。

「…俺が、旅先で何をしてたのか気になります?」

「そりゃあ…!」

そこまで言いかけて、奈落は自分が何を言ったのか気付いて、また顔を真っ赤に染めた。

「き、気にならない!」

そうは言ったが、後の祭りだった。なるほど、全く脈がないというわけでもないらしい。

利一はすぐにでも抱き着きたい気持ちをぐっと堪えて、買ってきた荷物の中からいくつかの蛍石を出した。それを洗面台で洗うと備え付けのグラスに入れて、付属の冷蔵庫に入れておいた炭酸水を取り出し注ぎ入れた。

「奈落さん、これ飲みませんか?今日行った卸の方に教えてもらった、鉱石茶の派生なんですけど」

「…ほう?」

「蛍石を炭酸水に入れると、晶沸水とは違う成分が抽出されて香りが変わるそうですよ。俺はちょっとよくわからないんですが、奈落さんなら楽しめるんじゃないでしょうか。それに炭酸水ならさっぱりすると思います」

そういって利一から手渡されたそれは、果実のような蛍石に炭酸の泡がぷつぷつとまとわりつき、爽やかな音を立てていた。

「ふむ、これは夏場向きする飲み物だな。炭酸水か。ラムネなどは小さい頃に飲んだものだが」

「ラムネのように甘さはありませんから、砂糖や蜜などで調節するといいかもしれませんね。もちろん、そのままでも楽しめると思いますよ」

それを聞いて、奈落はやや警戒を解いた顔で利一に笑いかけた。

「有難う、なかなか良さそうだ。蛍石は安眠作用もあるから、この時間に飲むのにも良いだろうな」

そう言って奈落はグラスに口をつけた。飲み口が良く、湯上りで喉が渇いていたこともあってか、半分ほど一気にグラスの中の炭酸水が無くなっていった。

利一は一抹の罪悪感を覚えたが、そんなものはじきどうでも良くなった。


奈落がそのグラスの中に、蛍石に混ざって薔薇石の細石が混入していたことを知るのは、その数分後の事である。



安易にオチに媚薬(薔薇石)を使いました。

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