ぱんつと嫉妬と蛍石(前編)
Twitterでイラストを寄せて下さったれもんさん(@RemonKoucha)のために書かせていただききました。
作中の風間 鈴奈のモデルがれもんさんとなっております。れもんさん、ありがとうございました。
「やー、奈落さん!すみませんねわざわざ帝都までお越しいただいて!」
応接間に通され、奈落がちょうど出された茶に口をつけ始めたところで、天元 面虎が部屋に入ってきた。奈落は茶碗を茶卓に戻すと、小脇に抱えた封筒を持ち直して立ち上がった。
「いえ、ちょうど私もこちらの方に用事があったのです。そのついででして。それに、いつも書面でしかやりとりしてませんでしたから、一度はお伺いしなければと思っていたのです」
「ああ、そのまま。座っててくださいよ」
そういうと、面虎は奈落の向かい側の寝椅子に腰を下ろした。体格のいい面虎が座ると寝椅子は随分と沈み込んだが、面虎はそれを意にも介さず、自分の前にも出されていた茶に口をつけた。
ここは帝都にある出版社「印宮堂」。奈落と面虎の共通の知人である小説家、森 紫鶴が小説を寄せている出版社である。奈落の住む雲水峰坂町は帝都から鉄道で数時間かかるのだが、所用があったこともあり、珍しく奈落は帝都に上京していた。
「今日は、旦那さんはご一緒ではないので?」
「だん…っ!」
面虎の何気ない言葉に、奈落は思わず茶を吹き出しそうになった。いつもなら激怒して否定するところだが、全く悪意のない、しかも仕事で取り引きしてる相手に向かってはそういうわけにもいかない。奈落は苦虫を噛み潰したような顔で、言葉を続けた。
「…利一でしたら、石の買い付けに行って貰っています。こちらの方には原石を取り揃えている大きな店がありますからね。そのついでに、彼にも色々寄りたいところがあるようで。こちらに一泊する予定ですから、明日改めて彼と一緒にご挨拶に伺いますよ」
「そうですか!いやぁ、利一さんには朝鮮でお世話になりましてね!一緒に焼肉を食べたんですよ。いやぁ、楽しい方ですよねぇ」
「ははは…そうですか…」
わからない。利一の友好関係がどうなっているのかなど、奈落には全く把握できていなかった。確かに石の買い付けのために朝鮮に行かせた事はあったが、焼肉の話は初耳だったし、そもそも利一は酒を飲めなかったような気がしたのだが。
なんとなく胸の中にもやもやとするものを感じたが、奈落はそれを茶で無理やり流し込んだ。
「それにしても奈落さんの鉱石薬コラム、好評ですよ。語り口が若い女性にもわかりやすいみたいですね」
そう。奈落が帝都に上京し、印宮堂に来たのはそのためだった。若い女性向け雑誌に何かコラムを入れたいと言っていた面虎に、森が奈落を紹介したのがきっかけだった。もともと奈落の読書量は凄まじく、晴子への手紙などでその文章力を知っていた森が「彼女ならコラムぐらい書けるんじゃないか」と酒の席の与太話で言ったことだったので、本当に文章を書く仕事が自分に回ってくるとは奈落も思っていなかったのだが。
「いやぁ…何度も言いますが、私は本職ではないので…。森さんは私以上に鉱石薬の知識がある方なんですから、森さんが適任なんじゃないかと思うんですが…」
「いやいや、こういうのは文章の専門家じゃなくて、その知識の専門家が書くのが一番いいんですよ。それに、メメは今新作長編が追い込みでしてね。あまり負担を増やす訳にもいかないんで、正直奈落さんに書いていただけるのはこちらも助かっているんです」
森は面虎に「メメ」と呼ばれている。これは彼だけの呼び方で、彼の苗字の森からメメント・モリを連想し、それをもじっているらしい。
森は奈落よりも強い鉱石体質者で、もともとは彼も薬屋だったのだが、その強い鉱石体質から逆に日常生活が困難になってしまい小説家に転職した稀有な人間だった。
「それに、フアンも付き始めています。時々奈落さん宛にフアンレターがくるぐらいで。ほら」
そういうと、面虎は数枚の便箋を奈落に差し出した。奈落は内心、またか、と思って頭を抱えた。由乃の通っている女学校の生徒たちからもこういったものを貰っていたが、今度はコラムのフアンとは。有り難くないわけではないのだが、こういったものは非常に強烈な感情を奈落にぶつけてくるのでやや疲弊してしまうことがある。別にそんな目立った生活をしたいわけではないのに、何故こうなるのだろう?
「これは…私のコラムというよりは、あの挿絵のせいではないのですか?あれは美化しすぎでしょう。初めて見たときは吃驚して噴き出してしまいましたよ」
「いやいやいや、何を仰っているんですか。男装の美人店主なんて美味しい持ちキャラを使わない手はありませんよ、女学生はそういうの大好きですからね。それに、あの似顔絵はそっくりだと思いますよ」
奈落が言っている挿絵とは、コラムに毎回入れられている奈落の似顔絵である。面虎から雑誌のコラムに掲載するから写真が欲しいと求められたので最初の原稿と共に何気なく送ったのだが、どうやらそれを元に描かれたらしい。奈落からすれば美化も甚だしいそれは、毎回水晶のような鉱石を背景に従えて悩ましい流し目を読者に向けている。
「勘弁して下さい…アレを見た妹に大爆笑されたんですから…」
まったく姉をそういう対象として見れない妹からすれば、非常に面白おかしいらしく毎回その挿絵を見ては笑いものにしている。最近はその挿絵の構図や表情を誇張して真似るのが彼女の中で流行っているらしく、わざわざ姉の前でそれをやるのだ。恥ずかしいったらない。
「やー、でも受けはいいですからねぇ。あれはもう変えられませんよ」
面虎の言葉に、奈落は頭を抱えるしかなかった。妹による辱めはしばらく終わりそうにない。
「ああ、挿絵と言えば。その挿絵画家から、貴女が来るなら自分も会いたいと言われていたんですよ」
「へっ?」
頭を抱えて考え事をしていた奈落は、思わず変な声を出してしまった。今日は面虎としか会うつもりはなかったので、まったく心の準備が出来ていなかったのだ。
「挿絵画家…って、確か『檸檬』さんでしたっけ…」
「そうそう、檸檬さんです。ただ、この人ちょっと変わった人でしてね…。奈落さんの写真を見てからと言うものずっと会わせろ会わせろと煩かったんで、すみませんちょっとだけお付き合い頂いてもよろしいですか?」
「ああ、構いませんよ。どうせ変わった手合いには慣れてます。…不本意ながら」
「そうですか!いやぁ、助かります。彼女も今日ここに来てるんですよ。ちょっと呼んできますね」
そういうと面虎は立ち上がり、いそいそとまたドアの外へと消えていった。
挿絵画家の檸檬。面虎は「彼女」と言っていたので、女性なのだろう。奈落の周囲にはむしろ変わった手合いしかいないので、多少風変りなぐらいなら既に対応に慣れている。
しかし、茶を飲みながらはたと奈落は手を止めた。
奈落と面虎の知人の範囲は、ほぼ似通っている。つまり、面虎の周囲も相当の変人揃いだ。その面虎をして「変わり者」と言わせる女性とは、相当なアレなのではないか?
早まった事をしただろうか。もしかしたらこの原稿だけここに置いてもう退散したほうがいいかもしれない。奈落がそう思い始めた頃、面虎と思しき足音がこちらに戻ってくるのが聞こえた。駄目だ、もう遅かった。
「いやすみませんお待たせしてしまって。こちらが挿絵画家の檸檬さんです」
面虎の声に反射的に立ち上がった奈落は、彼の後ろから入ってきた女性を見て言葉を失った。
美人。そう形容するのがふさわしいだろう。面立ちはどこか千代に似ている気がする。だが、ころころとした小動物的な可愛らしさのある千代とは違い、きちんと化粧された顔は整っていて、体つきなどは海外の彫刻かと思うほどだ。服装は洋装で、いわゆるモガなのだろう。サテンと思われる滑らかな生地の白いブラウスに、首元にはオレンジ色のスカーフが巻かれている。下は紺色の長いスカート。結われていない長い髪は緩く波打っていて、パーマネントがあてられているのだろうか。黒いヒールの靴を履いていて、全体的にきりりとまとまっていた。
しかし、彼女の美貌に奈落が固まっているのも構わず、彼女は奈落を見るなり顔を綻ばせて、駆け寄ってきて奈落に飛びつき、寝椅子に押し倒される勢いで抱き着いてきた。
「奈落さん!会いたかった!」
大概奈落も色んなことを経験してきたが、ここまでの美人に初対面で抱き着かれた事はない。しかし、こんなものはまだ序の口であると、奈落は後々思い知る事となった。
「突然すみません、失礼しました」
「…いえ」
かろうじてそう言うのが精一杯だった。まだ顔が熱い。しかし、目の前の美女はずっとニコニコして奈落のほうを見つめている。なんだか少し、居心地が悪かった。
「いやぁ…なんだかすみません。今日奈落さんが来るという話をしてからというもの、檸檬さんはずっとこの調子なんですよ」
「はあ…」
「檸檬さんも落ち着いて下さい。奈落さんはこう見えて人見知りが激しいんですよ?」
「人見…!?」
「どうしました?」
「…いえ」
人見知り。まるで赤子のような言われ方をされて、奈落はやや恥ずかしさを覚えた。しかし、初対面の相手やいきなり馴れ馴れしい相手には壁を作る癖があるので、面虎の言うことも強ち間違いではない。奈落は不本意そうに茶を啜ろうとして、既に中身が無くなっていることに気付いた。今日は矢鱈と喉が乾く日だ。
「でも私、奈落さんにお会いしたかったんですよ!コラムを拝見して、凄く知的な方だなと思って。それで挿絵の為にお写真拝見した時も、私初め殿方かと思ったんです。それが女性と聞いて、もう矢も盾もたまらず!」
そう言うと、美女はテーブル越しに奈落の手を取り、きらきらした目で奈落を見詰めた。その整った顔に見つめられてどきどきするし、なんだか居心地は悪いしで、奈落はもうその場から逃げ出したかった。
そしてなんだかこの展開は、利一に初めて出会った時に似ている。この美女が、実は男だとか言いださないか奈落は内心ハラハラした。
「ああ…女性にしては大きな手をしてらっしゃるんですね?少し胼胝があるのはお仕事柄でしょうか…男装して顧客に抵抗感を与えない配慮、豊富な鉱石薬の知識、それらの調合をこなすこの手。握力はあまりないようですが、その二の腕には実は筋肉が付いているとお見受けしました。きっと、沢山の鉱石をこの腕で運ばれてきたのでしょう?素晴らしいですわ、ワンピースを着て一寸事務作業をするような職業婦人とは一線を画してらっしゃいますわね」
「は…はぁ…?」
思わず奈落は目で面虎に助けを求めたが、面虎は諦めきった顔で顔を横に振った。しかし、その口元は笑いを噛み殺している。奈落は面虎に何か嵌められてしまった事に気付いたが、最早遅かった。
しかし、手に触れただけでこれだけの情報量を探り出すこの女…侮れない。奈落は美女に対して、多少警戒し始めた。
「それに…ああ!お写真ではわかりませんでしたが、ダイクロイックアイですのね!」
「ダイクロイックアイ?」
「たまに左右で目の色が違う猫がいますよね?あれはオッドアイと言うんですけれども、そうではなくて瞳の中で色が違うのをダイクロイックアイと言うんですよ。わかりづらいですが、両目の左下が少しだけ茶色く色が変わってますのね」
「…っはぁ、よくわかりましたね。これに気付く方は稀なんですよ。少し離れると普通の目に見えますから…」
「へえ!?そうなんですか?」
知らなかったとばかりに面虎も奈落の目を覗き込んだ。二人に目を覗き込まれて、奈落はこれ以上ない程居心地が悪かった。
親族は大体奈落のこの目を知っているが、他では利一と千代ぐらいのものだ。普段つるんでいる風吹さえ知らない。風吹の場合は、目が悪いと言うこともあるのだろうが。だからあまり目の事を他人から指摘される事はなかった。
奈落は一抹の不安を覚えた。この女、なんなのだろう。洞察力が凄まじい。何もかもを見透かされそうで、酷い不安感が奈落を襲った。
「あの…檸檬さん…」
ずっと掴まれたままの手を解こうとして、手をもぞもぞさせながら声をかける。察して貰えるかと思ったが、その手は逆に余計しっかりと掴まれて、奈落は更に動悸が跳ね上がった。
「鈴奈です!本名は風間 鈴奈。どうぞ名前でお呼び下さい!」
「あ…の…鈴奈、さん?」
「はい!」
「そろそろ、手を…」
「あら、ごめんなさい。私ったら気が利きませんで」
そういうと、鈴奈は奈落から手を離した。奈落がほっとしたのもつかの間、今度は鈴奈は自然な流れで奈落の横に座り、自然な流れでしなだれかかってきた。奈落は途端に固まった。
何故。何故そうなる。違う、そうじゃない。逆に近くなってるのはどういうことなんだ。本当に利一の時に状況が似過ぎているんだが、この鈴奈は本当に女性なのか。しかも、彼女からはふわりと香水のような、それでいてきつくない甘い香りが漂ってきて、奈落は心底何かが参りそうだった。
「本当、奈落さんは涼やかでお美しい方ですのね…その男着物も雰囲気を纏って着こなしてらっしゃる…私の周りにはいないタイプの女性ですわ」
耳元で囁かれて、奈落はぞわぞわした。もう、鈴奈が何をしたいのかわからない。
「…でも」
突然、鈴奈の声色が真面目なものになり、虚を突かれた奈落は次の瞬間臀部に異様な感触を覚えた。
「ふゅああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!???」
奈落がこんなあられもない声を上げたのはいつぶりの事なのか。鈴奈の手が奈落の臀部をまさぐっていた。ただ触るだけではない、撫でまわし指を食い込ませ…何かを確認するように執拗に奈落の尻を撫でまわしていた。
奈落はキッと面虎のほうを睨み付けた。面虎は両手で顔を覆いながら、指の間からばっちりこちらを眺めている。奈落がわなわなとやりどころのない拳を面虎に見せたが、面虎は親指を立てていい笑顔をするだけだった。そうじゃない。そうじゃねぇ。
「あの!鈴奈さん!」
面虎が役に立たなさそうなので、奈落は直接鈴奈に声をかけたが、鈴奈は真剣な顔でずっと奈落の尻を撫でまわし、やがてようやく何かに納得したように手を離した。
「やっぱり!お着物ですからそうじゃないかとは思っていたんです。まさか褌をつけるわけにもいきませんものね…」
「…は?」
褌?一体鈴奈は何を言っているのか?
面虎はただひらすら、くっくっと腹を押さえて笑っていた。
「失礼。私、挿絵画家の傍ら女性の地位向上のための活動家として、ぱんつ啓蒙活動を行っておりますの。大正も30年以上が過ぎているというのに、いつまでも女性が下着を身に着けないのはナンセンスですわ!」
「ぱんつ?下着?…ええと…ズロースの事でしょうか…私はあまり、洋装は着ないので…」
「ズロースは女性物下着のひとつに過ぎませんわ!」
鈴奈が鼻息荒く奈落に詰め寄る。なまじ美女であるだけに戸惑うのだが、なるほどこれは相当の曲者だ。
「日本では女性ものの下着というと、和装の時の腰巻か洋装の場合はズロースですわね。奈落さんが腰巻を履いてらっしゃるのは今確実にわかりましたが」
「いやまってちょっとまって、唐突に人の着物の中を告白しないで」
「それはそれで営みの場では大変にエロティックで宜しいと思いますわ。でもですね」
「いと…ちょっと!!」
奈落は顔を真っ赤にして声をかけるが、鈴奈は止まらない。面虎は笑いが止まらなくなり、腹を抱えてうずくまっていた。
「奈落さんもご存知でしょう?大正22年、デパートの火災が甚大な女性の被害者を出したことを!あれは多くの女性に下着を身に着けるという習慣がなかったことから、デパートに取り残された女性たちが下半身を見られることを嫌がって建物の中に残ったために女性の被害が拡大した哀しい事故なんですのよ。あれからいくぶん、女性が下着を身に着ける風習が出来つつはありますが、まだまだ女性の意識は低いままです!現に、男性と渡り合って店を切り盛りする奈落さんですら!その着物の下は腰巻ひとつというこの現状!」
「やめて!」
「いいぞー!やれやれー!」
思わず奈落は顔を覆ってしまったが、鈴奈は止まらない。面虎は逆に気分が高揚してきたらしく、拳を上げて鈴奈を支持し始めた。なんだこの辱めは。
「そもそも、女性が下着を身に着けるのはいやらしいというこの考え方がよろしくないのです!そんなことばかり言っているから、女性はいつまでも男性にこき使われ、自由に恋愛することもできず、処女性ばかりを重要視され、いいように利用されていなければならないのです!私は変えたい!この風潮を!!いまこそ!全ての女性にぱんつを!!!!」
いつの間にか立ち上がり、テーブルの上に足をかけて熱く語っていた鈴奈が、顔を覆っていた奈落の片手を唐突に掴んだ。奈落は呆気にとられた顔で、鈴奈の前に真っ赤に染まったその顔を晒さなければならなくなった。
「というわけで、奈落さん。この後お暇ですか?」
「…はい?」
「奈落さんにぱんつを履いていただきます」
直後、印宮堂には奈落の断末魔と、面虎の大爆笑が響き渡ったという。




