07話 『訪問者』
妙に軽快な音を立て、長身痩躯の青年が突然室内に出現した。
フォーマルカジュアル両対応といった趣の落ち着いた上下に身を包み、怪しげなルビーのような虹彩を持った、整ってはいるが神経質そうな容貌。
セレストの使い魔、扉の悪魔スナッチだ。
契約したしもべは時間差や消費はあるものの、従者召集で自分の下に転移させる事ができる。
セレストを視認したスナッチの表情が、面倒な仕事を押し付けられているかのような渋いものから一瞬で幼子のそれに変わった。
「わあいマスター!」
「おかえりスナッチ。
成体っていうから、父さんみたいに落ち着いた大人になるって期待してたのに全然だめね。
なんでこの歳で子供できたよーなことになってるんだろわたし」
躊躇なく抱きついてきたスナッチを、七歳児の外見からは到底想像もつかない怪力を発揮し引き剥がしてソファーに座らせ、おやつとして中くらいの結晶を渡したセレストが首をひねる。
興味の対象がおやつに移ったスナッチはすぐにリラックスして魔力が凝固した結晶を齧り始めた。
それを横目で確認したセレストがもう一人の仲間こと休眠中のリッチモンドを呼び出す、いや取り出すべく影を泡立たせる。
成長したスナッチの能力を試すにしろ、街に展開されていた霊気の糸の謎にしろ相談相手として必要だ。
ほどなくして取り出された黒く分厚い本から陽気な老人……の姿をした幻影が飛び出す。
「相変わらず先祖の扱いが荒い。
それであの後どうなったんだ、途中で片付けおってからに」
「ごめんね高祖父様。
でも、あの後すごい暑くっていうか熱くなったから、どうせ最後までは居られなかったよ。
スナッチだけどちゃんと成体になったわ、頭の方はおんなじだけど」
「まあいい。フゥーム、しかし、本当にあれで成人……成体なのか」
リッチモンドの視線の先では、靴と上着を脱ぎ、ベッドめいた大きなソファーにだらりと身体を預けたスナッチが結晶を食べていた。
体格や服装、体から発せられる強者のオーラは間違いなく成熟した戦士のものだが、顔はどう頑張っても二十歳以上には見えない。
その表情にいたっては明白に子供である。
悪魔の特性として演技力や機転には優れているため、人格が子供だからといって役に立たないわけではないが、これで大人というのは魅了にかかっているのでもない限り皆が否定するであろう。
「むぐ、うまい、ん?なんだよマスターも先生も妙な表情して。
俺の顔になんかついてるかな」
「や、なんでもないわスナッチ」
「そっか、ところでリンガーリングどこ?」
セレストの腕を見て、何も嵌っていない事に気づいたスナッチが首を三百七十度回転させた。
食事に集中していたため小首を傾げようとして回しすぎてしまったのだ。
「もうちょっと人間らしい動作しなさい、新しい身体に慣れてないのはわかるけど。
んでリンちゃんなら屋上で見張り」
「あう、ごめんマスター。
で見張りってなに、みんな起きてるんじゃ」
「サーディアン全域に謎の霊気の糸が張り巡らされてる。
何に使うのかわからないけど、とにかくやな感じなの」
「うぬ、霊気の糸、糸だと、待て、これは!」
叫んだリッチモンドが伸び上がり、天井を透過……しようとして防御壁に引っかかり、窓から外へ出てゆく。
足元は机の上の黒い本に繋がっているが、ある程度の伸縮は可能だ。
しばらく待っても外に向け身体を伸ばしたリッチモンドは戻ってこない。
「高祖父様どうしちゃったのかしら」
「さあ?
ところでマスター、俺さっき詰所で悪魔見た。
えっと、たぶん大悪魔で、結構若そうな感じ。
高くても百五十歳ぐらいかな、なんか調べてるみたいな」
大悪魔。貴魔が正統進化した上位悪魔で、様々な特殊能力を持つという。
武力組織や強力な魔物狩りに飼われていたり、重要人物の側近であったり、あるいは精神干渉で逆に主を操っていたりする。
セレストの顔が険しくなった。
「それは今日初めて見たの?」
「おう。……だけどずっと前から居て、俺が強くなったからわかるようになったのかもしんない。
片っ端から魅了と探査系かけてたから、あわてて逃げたんだぜ。
俺、隠蔽してたし入れ違い気味だったからたぶんばれてない。
それに魔力紋は覚えたから次見たらわかる。ほめてマスター」
ソファーに寝転がるスナッチを撫でつつ、セレストが物思いにふけっているとようやくリッチモンドが戻ってきた。
伸ばした身体をカタツムリのように引っ込めるだけなので、元々室内に居たといえば居たのだが。
警戒というより興奮しているリッチモンドの様子を見て、セレストが不審な目を向ける。
リッチモンドはその視線すらも流して、何やらぶつぶつ呟いていた。
「ねえ高祖父様、何だったの、おーい?
むー…………」
「む、おお。運が向いてきたと思ってな。
この糸はセヴァンのものだ、間違いない。
さあて奴をいかにして攻略するか」
「ふぇ?攻略?」
リッチモンドが訳のわからない事を言っている。
少なくともセレストにはそう思えた。
彼女が地下室でスナッチを召喚する前、リッチモンドはセヴァンなる者の事を知り合いと言っていた筈だ。
彼女の肉体は極めて記憶力が高い。
間違えるはずなどないのだが、獲物とは一体どういうことだろう。
だが、続くリッチモンドの言葉ですぐに疑問は解消された。
「そうだ。奴は、セヴァンは勿論知り合いだ。
そしてライバル、いや宿敵ぞ!
奴は昔からわしの秘密研究を、影の魔法と魂魄格納型強化精神不滅体を狙っておった。
わしも奴の変化魔法の研究が欲しい!
だが……そして…………」
愛憎入り混じった様子で延々とセヴァンについて話すリッチモンド。
それに対してスナッチは困惑し、セレストは自分の進退にかかわるためそこそこ真面目に聞いていた。
リッチモンドの言を要約すると以下のようになる。
元フレンドリアの魔法研究家であり、リッチモンドの同僚にして敵。
魔力量、魔法研究どちらにおいても高い能力を持ち、特に結晶を動力とした機巧の発明で財を成した。
魔道車を含めた様々なメカニカル製品の核となる新型結晶炉の開発者もセヴァンだ。
その性質は悪意と出世欲に溢れ、あらゆる目的に対して手段を選ばない。
本人の戦闘能力も高く、不老である。
「ねえ、高祖父様」
「何かねセレストや」
「私怨……」
やや冷たいセレストの瞳が幻影を見つめる。
リッチモンドは目を逸らしつつも話を続けた。
セレストは肩をすくめたが、彼女にとっても変化の魔法を手に入れることは極めて重要なため、セヴァンを襲うことそのものに躊躇はない。
ただ、わざわざ戦うなんてめんどくさい等と思っているだけだ。
「多少は、まあ、無くもないといったところだろうが、うむ。
そんな事は今はいい。
まず、セヴァンをどうにかして無力化しなければいかん。
奴が自ら秘密を教える事はありえぬし、脅迫が通じる相手でもない。
そこで、わしの出番だ。
本に憑依の術法が載っておったろう、霊体でないと使えんからセレストが覚えなかった奴が。
あれでもってわしがセヴァンと同化し、秘術を吸収する。
奴があれからどれだけ強くなっておろうと、一対一ならばセレスト、お前で勝てるはず。
しかし霊気糸の収束方向を見るに、奴はサーディアン城の近辺に住んでおる。
……つまり、一定以上の権力を扱える立場なわけだな。
更に厄介なのは、奴自ら育てた大悪魔だ。
分断して各個撃破しなければ、奴の頭から知識を取り出すのは厳しい」
「んん?その大悪魔って若い女だったりする?」
寝転がっていたスナッチが飛び起き、リッチモンドがそれを肯定するかのように頷く。
特に驚くでもないのは、依り代である本の方で室内の会話をある程度聞いていたからだろう。
「ああ、さっきスナッチが魔物狩り詰所で見たっていう。
セヴァンと関係あるかはまだわかんないけど、そいつにとって詰所でないと調べられない事が何かあったってことよね。
詰所……詰所……ダンジョンかしら?」
「仮に、その大悪魔がセヴァンのしもべで、何らかの目的のもと詰所まで来ているならば報告どうこうは無意味だ。
所属している魔物狩り全員にインタビューするまで動く事はなかろう。
まあ、とりあえず放置しておくしかあるまい。
それにしても、どうセヴァンに接触したものか」
リッチモンドが難しい顔で呟く。
セヴァンから秘術を取り出すにはリッチモンドがアクティブな状態でなければならない。
しかし、分霊と言えども彼が“大陸一有名な魔力紋”を持っていることには変わりなく、何らかの搦め手が必要そうだ。
全員が考え込んでいたその時、小さな何かが窓から飛び込んできた。
先ほどまで屋根の上で警戒してきたリンガーリングだ。
「おい、怪しい奴がこっちに向かって来てるぜ。
OD色の髪をボブカットにした女だ、軽鎧を着込んでる。
魔力的にも視覚的にもそいつ一人……だが人じゃねえ」
慌てた様子のリンガーリングが警告を発しながらセレストの腕に巻き付き、腕輪に戻る。
三人に緊張が走った。
最初に反応したのはスナッチ。
「ボブカットで軽鎧?!詰所に居た奴だ、どうしよマスター」
小さく叫んで自身の魔力に隠蔽を施したスナッチが、困惑してセレストとリッチモンドを見た。
「スナッチ、魔物狩りとしての連絡用住所ってここで登録してる?」
「うん。そんなことまで魅了使ってたらきりないし」
「なら、そいつはあくまでスナッチにのみ用があるわけよね。
わたし達は今のところフリー……隠れるか、動くか」
「まあ待て、これはむしろ幸運かもしれんぞ」
リッチモンドが白く長い髭を揺らしてにやりと笑い、呟く。
幻影なのでもちろんただの演出だが、セレスト達はもう慣れているし、今はそんな事に突っ込むほど暇ではない。
「なにが幸運よ高祖父様……」
「いいか、用心深いセヴァンが見える形でごそごそやっとる。
そして同時期に現れた大悪魔。
セヴァンの敵ならばこれ以上ない援軍であるし、しもべならば期せずして分断に成功したというわけだ。
この家をスナッチに任せて乗り込むぞ」
「待て、ちょっと待てリッチモンド様、霊気の糸が罠だったらどうすんだよ」
腕輪状態のリンガーリングが慌てて割り込む。
あまりにも正論だ。
「罠だったら逃げれば良い、全員飲食も睡眠も不要なのだからどうにでもなるわい。
チャンスを逃すことこそ愚策よの?」
「まあ、そうかもしれないし、高祖父様が言うなら行くけどさー」
セレストが大きく溜め息をついた。
呼吸の必要も無いのに、単なるポーズでなく実際の人間のように息を吐くのは、相当げんなりとしているということだ。
並行して室内の服や雑貨類、結晶などを亜空間に収納してゆく。
セヴァン云々とは関係なく、平穏な生活のため家を捨てなければならない可能性があるからだ。
怪しげな大悪魔……つまり、それを操るもっと怪しい人物に自宅を知られているのはセレストとしては勘弁願いたい。
「なあリッチモンド様、俺に後を任せられても、何すればいいかわかんない」
「普通に応対すればいいのではないかね。
上位悪魔同士ならあまり隠す必要もあるまい、一応戦闘も考慮に入れるべきとは思うが」
「うー……」
「スナッチ、いつも詰所でやってるようにやりなさい。
どうしてもだめなら念話使ってもいいけど、反応できないかも?
大人なんだから一人でやれるわよね、わたしの家を守るのよ」
「わ、わかったよマスター」
口を尖らせつつもバトラーめいた服を整え、靴を履くスナッチ。
気を張ったスナッチは悪魔の本能でもって落ち着いた雰囲気と、欺瞞のオーラを身に纏っている。
もちろん演技が不要な場面ではすぐ子供に戻ってしまうが、今は問題ない。
実際、セレストとリッチモンドの存在さえばれなければ良いのだ。
「ゆくぞセレスト、今は時間が惜しい」
「高祖父様は本当に」
「わしの心はいつでも若者……ぬわーっ!」
本を引っ掴んで勢いよく閉じたセレストが非物質化で床をすり抜け、地面にダイブした。
感覚を研ぎ澄まし、霊気の網を地中から追尾するのだ。
奇襲できるかどうかはリッチモンド次第であるが、セレストは多分無理だろうと思っている。
記憶を受け継いでいるだけの分霊であるリッチモンドと、本人のセヴァンでは明らかに基礎能力が異なるはずだからだ。
しかし、後のことを考えるとリッチモンドを引っ込めておくわけにはいかない。
一人と一冊が、一直線にサーディアン城へ向かう。
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「ここで最後、か」
ボブカットの小柄な女が、沈む夕日をバックに二階建ての小さな家を見上げた。
若々しい顔と痩せぎすの体に真新しい軽鎧を着込んだ見た目は新兵、あるいは駆け出しの魔物狩りといった感じだが、油断ならない雰囲気と魔力を纏っている。
別に天才児であるとか、実力を隠すため外見を偽装している等ということはない。
単に種族が人類でないだけである。
“グレア”という通名で強力な魔道士に仕える大悪魔、それが彼女の正体なのだ。
グレアはこの日、とある大型ダンジョンに入った魔物狩りと片っ端から接触していた。
サーディアン中を駆け回り、悪魔らしい魔法を駆使して魔物狩り詰所でインタビューを行い、いまだ目的の情報には辿りつけていない。
だが、どうやら徒労に終わる事はなさそうだ。
目の前の一見みすぼらしい家屋は、公共建造物や富豪宅と比較しても劣らない魔法的加工がなされている。
家の主である、名をスナッチというらしい魔物狩りは間違いなく只者ではない。
扉を控えめに叩き、動力が切れている呼び鈴を強引に鳴らして待つことしばし、目的の人物が現れた。
長身痩躯を暗色の落ち着いた服装で包んだ若者。
ルビーの輝きを持った虹彩がグレアを見つめている。
「ええと、こんばんは。何か御用ですか?」
「こんばんはスナッチ様、私はサーディアン詰所よりのグレアです。
あなたへの連絡事項がありまして」
その挨拶と態度には一見何の不自然さもないし、魔力を帯び変色した瞳も戦闘の多い職業ならばそう珍しくはない。
しかしグレアの大悪魔としての直感が警告を発している。
よく隠されてはいるが、彼女同様、人にあらず。
「はあ、確かに俺……私は中位魔物狩りのスナッチですが」
あからさまに嫌そうな態度でスナッチが応じる。
それも当然だろう。
職場から直の連絡など、大抵は嫌なものだ。
もっとも、今回に関してはそういう問題ではない。
「ああ、面倒すねえ」
主人ではなく、従者が出てきたのはグレアにとって予定外だ。
正確には、魔物狩りとして登録された方が人ではなかった、ということだが。
これでは会話で片をつけることが難しい。
何より彼女は、下手に出なくてはならないインタビュー作業の連続に辟易していた。
魅了は便利な精神操作だが、決して万能ではない。
むやみに不機嫌にさせると効果が切れるし、強度が高すぎると今度は用が済んだ後、廃人になってしまう。
しかし、今の彼女には対象の機嫌を伺いつつ繊細な作業をするほどの精神的余裕が残っていない。
力技あるのみとでも言わんばかりに、美しいオリーブグリーンの瞳が正面に立つ未確定悪魔に対し、強力な精神干渉の魔力を発する。
常人ならば、一瞬にして魂の死を迎えるであろう精神波だ!
「え、なんだそれ、俺はそんな」
困惑しながらも無造作に精神干渉を払いのけたスナッチの両掌から、赤く透き通ったブレードが飛び出す。
グレアは腰から二本のダガーナイフを引き抜き、非人間的バックステップで距離を取った。
もはや意味のなくなった隠蔽を解いた彼女の背中から、細長い翼が現れる。
「できる!
……お前、何者っすか?契約主どこよ?」
「現世の大悪魔ってのは、出会い頭に精神破壊ぶち込むもんなのかよ?!それともお前だけか!
それに、俺さっきスナッチだつったろ、えーと、グレ、グレ……」
「グレアよ」
「そう、グレア!わかんないけど敵だなお前!」
「まあ、味方じゃないっすよねえ、どう見ても」
ほぼ同時に対人用の演技を止め、自然体となった悪魔二人が向かい合う。
互いの目的と実力の程は不明だが、少なくとも精神干渉で勝負がつくほどの差がない事は確定している。
……つまり、戦いだ。
次は8月13日か、それに間に合わなければ17日となります。




