06話 『蛹』
周囲の石壁に不思議な文様が刻まれた出口が無く暗い地下室に、赤と青の小さな光が見える。
もちろん、明かりが灯されているわけではない。
部屋に居る二人の魔力が活性化状態にあるため、その瞳が煌いているだけだ。
「グ……GROWRRR……」
「ねースナッチ、大丈夫なの?」
「うー……たぶん……こういうもんだと、思……う、マスタ……ぁ」
変態が始まりそうな悪魔スナッチを、周囲から隔絶されたリンガーリング製の地下石室まで連れてきたセレスト。
そこまではよかったのだが、用意された魂を全て吸収して少し経ったところでスナッチが呻き始め、それから半日ほどずっとこの調子だ。
セレストもリンガーリングも理由がわからず、亜空間から取り出したリッチモンドにとっても悪魔は専門外なのであった。
「ほんとかしら」
「GRRRR」
「うーむ、やはり危険なのではないか」
「セレスト様、離れといた方がいいんじゃね?」
「高祖父様もリンちゃんもうっさい、わたしのなんだから見届ける理由があるの!」
「え、おいセレ、ゴボボボ……」
「わしまでもか!ぬわ、ゴボ……」
無粋な一冊と一匹を泡立つ影の中に収納したセレストが蹲るスナッチへと向き直る。
いつの間にか瞳だけではなく口内や爪、蛇髪の牙、そして少し前まで色が抜けていた肘のブレードまでがルビー色に光りはじめていた。
セレストの霊気の瞳が、彼の体表から体内へと循環し脈動する魔力の追跡を続ける。
そのうち殆どは悪魔契約回路を通してセレストから補給されたものだ。
しかし、今巡っている魔力は消化し変換され、かなり変質してしまっている。
セレスト本人以外には元々どんなものであったか判別できまい。
「スナッチ、聞こえてる?」
「お……う、だから平気、だってんだろ。
きっと、きっとだ、俺は強くなる、だから捨てないで」
「何言ってんの、まだ契約の時のこと根に持ってるわけ。
知らない奴ならともかく、今更スナッチを食べたりしないわよ」
「へへ、安心だ」
スナッチが歪んだ笑みを浮かべる。
悪魔は珍しい者と強い魔力に本能的に惹かれる……とセレストの読んだいくつかの本には書いてあった。
おそらく、セレストほど悪魔に好かれる生き物も珍しいのだろう。
「はぁ、じゃあ正直に言えるよね?」
「えと、割とまじで平気だと思う、多分。
……が、なんだ、か、コントロールが」
「いいならいいんだけど、むー……一気に消化しすぎたのかしらねー」
話している間もスナッチから感じられる魔力と光はじわりじわりと強くなってゆく。
それからさらに一日近くが経過した。
「……どうなのかなー」
様子を見守っているセレストが首をかしげた。
スナッチは無言で集中している。
今や石室は彼の全身から発せられている赤い光で昼間のように明るく、気温も溶鉱炉のごときだ。
リンガーリング達はセレストに封印されたままだが、それがなくても結局この場には居られなかっただろう。
色々と考えを巡らせていると、唐突に温度が下がり光が消えた。
「え?ちょっと?!」
凄まじい勢いでスナッチが融けてゆく。
後にはピッチ状と言っても過言でないほどに濃厚な魔力粘体が残された。
「死ん……でないわね、契約回路は開いてるし。
ねー?スーナーッーチー?おーーーい?
……話せないの?」
どうやら、床に盛り上がった魔力粘体がいまだスナッチであることは確かなようだ。
約1バレルの塊が呼びかけに応えるように蠢き、セレストの足元まで擦り寄ってきた。
密度や重量、感じる力は大きく変化しているものの、雰囲気や形質に関しては最初契約する時に帳の向こうから出現したものと極めて似ている。
粘体は濡れているようで乾いている濃い魔力独特の触感で、見た目を別にすれば極めて心地良いものだ。
熱く硬く柔らかいそれがセレストに縋り付き、高エネルギー体との接触に耐え切れなかった衣類が崩れてゆく。
「なあに、どしたの」
セレストの仮想肉体と直接接触した赤黒い粘体がシュウシュウ音を立てている。
強力な消化能力を持っているらしく、服だけでなく石の床までもが溶解しはじめていた。
しかしセレストの白く柔らかい肌には傷一つ付かない。
彼女の仮想肉体はこの手の作用に対して完全な免疫があるからだ。
足を伝い胴体にまで絡んできている粘体を、セレストの細い指が幼い子供をあやすかのように優しく撫でた。
撫でられた部位が何となく嬉しそうに揺れる。
「困ったわねー」
スナッチが魔力粘体と化してしばらく経過したが、相変わらず変化は見られない。
元は石だった床は溶け崩れ、得体の知れないドロドロしたプールと化している。
赤黒い粘体状のスナッチは案外軽いようでその上に浮き、セレストの足場代わりとなっていた。
一応意識は残っているようなのだが、発声能力もなければ念話も使ってくれないため何が言いたいのかセレストには伝わらない。
意思表示といえば時々体の一部を触手状に伸ばしてくるぐらいだが、それも撫でてやるとすぐに引っ込む。
その時。
「んむぐ?!こら、だめ…………あれ?」
今までよりずっと細く伸びた一本の触手が突然口に突っ込まれた。
すぐに引っ張り出し、どうお仕置きをしてやったものか考えるセレスト。
しかし、その思考はすぐに中断された。
粘体が突如、震えだしたのだ。
「なにこれ、さっきのが何か……ああ、そっか。
不便ね悪魔って。
それでどれぐらい欲しい?」
言葉はないが、セレストにはどうにか理解できた。
変態の最終段階では契約回路から流れるものや溜まっていた分と別に、契約主の魔力が必要なのだと。
おそらく、普通は勝手に悪魔側が吸い取るのだ。
先ほどから顔に向かって触手が伸びていたのは、彼女の身体で外部からまともに触れられる唯一の部位が口だからだろう。
ともかくスナッチの殻を叩き割るべく、集中を始める。
セレストは二年前のことを思い出していた。
自身の生活を補助させるために釣り上げた幼い悪魔。
その時も今同様、強引に魔力を与えたのだった。
しかし、一つ違うところがある。
前回はセレスト側の一方的な都合、今回はスナッチのためだ。
セレストは自問する。
悪魔よりずっと悪魔的な魔法的アンデッド生物の自分が、他人の事など考えられるものだろうか?
自分はどこまでがセレスト・カロルで、どこまでがリッチモンド式魂魄格納型強化精神不滅体なのだろう?
いくらリッチの肉体により思考力と精神力にブーストがかかっているとはいえ、彼女の年齢に哲学的な問いは荷が重く、答えは出ない。
何にしろ、スナッチは既に下僕であり友人であり、家族だ。
「ま、今はどうでもいいかな」
浮遊する少女の裸体が、灰色の魔力生成ローブで包まれ、青く煌くオーラが渦を巻く。
その光が小さな掌に収束していった。
眼下で赤黒い粘体が脈動している。
「起きて」
準備を終えたセレストが粘体の上にふわりと着地し、サファイアの掌底を足元の粘体に叩き込んだ。
今度は防壁でカバーしているのでローブが崩れる事もない。
膨大な魔力が注ぎ込まれ、脈動する粘体が輝き出す。
「――?!――!!――!――!!!」
不協和音を上げる粘体が収縮し、受肉を開始する。
二年前とは比較にならぬ、とてつもない力の流れだ。
セレストは氷で作った椅子に座ってそれを眺めていた。
だんだんと光が収まり、成体となったスナッチの全貌が露になる。
全体的に以前よりやや細長く、長身痩躯の若者だ。
黒髪に象牙色の肌は変わらず、吸い込まれるようなルビーの虹彩。
頭に角などはなく、貴魔時代同様にやや子供っぽいが整った顔も瞳以外はほぼ人間と同じ。
背中にはセレストの霊気の瞳でも注意しないとわからないような透明の皮翼が生え、それで浮遊している。
外見的に最も変わったのは服装だろうか。
裸の上半身にジャケットという以前のアウトローさはなりを潜め、バトラーめいて落ち着いた暗色の上下が生成されていた。
「我が名はスナッチ、扉の悪魔なり。
へへへ、よくわからないけど強くなったぞマスター!」
「お疲れさま。……扉の?
普通の悪魔となんか違うのかしら」
「わかんない」
「わかんないって何よ」
「んと、成体になる時にさ、帳の向こうから成長先に応じた知識が流れ込むんだけど」
「それは前聞いた」
「……なんだけど俺の理解力足りてないのかな、熱力学法則?思考実験?わっかんない!」
「確かにわからないとしか言いようがないわ。
それで、強さと飛べること以外に何が変わったの」
「なんか色々と消費が減った気がする、それとマスターと同じ非物質化」
言うが早いかスナッチの輪郭がぶれ、岩の天井に頭から突っ込む。
元より存在しなかったかのように爪先まで消えた後、セレストの横の壁から優雅に出現した。
確かに非物質化能力だ。
「便利なのはいいけど、大人になったってよりわたしに近くなったみたい」
セレストが首をひねった。
契約悪魔は主人の特性に影響されるらしいが、体質まで引き継がれるのは予想外だ。
少しばかり魔力を注ぎすぎたか等と一人思案する。
スナッチは飛べるのが嬉しいのか踊るようにくるくる回っていた。
「いえい」
「楽しそうでいいわね」
「楽しい!」
「帰ろスナッチ。
ダンジョンのことも報告しなきゃ、中層の広間あたりまでのデータ渡せば不自然じゃないでしょ。
それと高祖父様を出して聞けば扉の悪魔の事も少しはわかるかも」
「帰るぞ!」
「はいはい」
テンションの高いスナッチを適当に流しつつ、セレストが四方の石壁に刻まれた文様を破壊してゆく。
リンガーリングが生成する地下室はこの文様によって維持されているのだ。
全て消し終えるのとほぼ同時に、押し分けていた土や岩が不吉な音を立て始めた。
スナッチが床を溶かしていたため、通常よりずっと崩壊が早い。
しかし痕跡を早く消せるのはいいことだろう。
非物質化した二人が地中へと消えた。
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「馬鹿な……」
闇の中、男が呆然として呟いた。
痩せぎすの体から莫大な魔力が溢れ出す。
並みの魔物狩りや兵士ならばその威圧だけで気を失うやも知れぬ魔力量。
だが、彼は特に何かを威嚇しようなどと思ってそうしたわけではない。
ただ単に動揺がそうさせたのだ。
「あの、どうしましたナ……ヴァネク様」
「どうもこうもないわグレア。お前はなんとも思わんのか」
隣に立つ軽鎧を着込んだ小柄な人影が歌うように尋ねる。
ヴァネクと呼ばれた男が溜め息をつく。
彼はそのローブ姿、発する雰囲気、そして強大な魔力からして明らかに専業の魔道士だ。
尋ねた方、つまりグレアは灯りの代わりに暗視の魔法をかけ、周囲を見回して再び首をひねった。
「なんともって、この広間何もないじゃないの、警戒する必……」
「馬鹿!」
「ええ、だって何も、何も?おかしいでしょう、ダンジョン発生地点ですよ、なな何もないわけが」
「大声を出すんじゃない馬ッ鹿者!」
「ヴ、ヴァネク様声がでかいす」
動揺するヴァネクとグレア。
それも当然だろう、研究のためこの場所に大規模な魔法で無数の死体を埋め込んだのは彼ら二人なのだから。
そして予想通りに死体からの魔力により巨大な人工的自然発生型ダンジョンが生まれたのだ。
九十年越しの実験が実を結んだ事に喜んだ二人が向かったのは、誕生の噂を聞いて五日後の事。
すぐに動かなかったのは、単に仕事が忙しかったからである。
強力なアンデッドにより発生地点が守られるという確信もあり、甘く見ていたのもいけなかった。
とはいえこの速度は異常だ。
普通に考えて、二人のように魔物を無視して進みでもしない限り、発生地点どころか深層に到達してすらいないだろう。
「何者がこんなに素早く処理したのかはわからん。
わからんが可能な限り追う……シューッ!」
ヴァネクが低く叫ぶと、全身から細い糸状の魔力体が発生した。
糸は、自然発生型ダンジョン独特の鉱石が沈着した床や天井を這ってまたたくまに広がり、先駆者の残滓を漁り回る。
グレアが慌てて飛び退き、細い翼を羽ばたかせた。
「ちょ、ちょっと私がまだ」
「うむ、よく隠蔽されておるが俺の目はごまかせぬ。
……だが、これはまずい、相当まずいぞ」
大悪魔の姿を一部現して浮遊し、不平を呟くグレアを無視してヴァネクが集中する。
悪魔のタイプと強さはそれほど厳密に関連付けられておらず、個人差が激しい。
たとえば成体の悪魔で最も階位が低いとされるのは枝魔だが、大悪魔や悪魔公並みに強力な個体も存在する。
しかし低位の悪魔が強いことはあっても、高位悪魔が弱いことはまずないのだ。
つまり、精神干渉の危険が大きい大悪魔グレアに対し、明白に上の立場を持つヴァネクの能力は相当のもの。
その彼が焦燥している。
「全く、いつもこうなんだからナ……ヴァネク様は」
「グレア、悪魔だ」
「なんですと?」
ヴァネクが魔力の糸を引っ込めたのを確認し、地に降りてきたグレアが素っ頓狂な声を上げる。
可能性はあった。
あったし、主ヴァネクが断言するならばそうなのだろう。
本能が今ひとつ納得できていないだけだ。
「お前の感覚はおそらく正常だが、他に考えられん。
ここの魂を全て攫っていったのはそいつだ」
「ですがヴァネク様、あの数の死体で九十年も経っていれば最低でも団長。
あるいは騎士、もしかすると将軍すよ?
相当の密度の亡霊団も湧いていたはず。
それを一人、いや契約者がいるから二人か、けども」
グレアが眉を顰めた。
閉じた翼が持ち主の不機嫌を表すかのように泡立つ。
「無理か?」
「そらヴァネク様、私なら当然できますよ。
上位悪魔はアンデッドに強いですもの」
「ならば、そいつにも可能なのであろう。
何者か知らんがここ最近現れたのは間違いない、国内の上位悪魔はほぼ把握している、しかしそのいずれとも反応が違う。
ともかく戻って対策を練らねば、俺は疲れた、運んでくれグレア」
欠伸をしたヴァネクの痩身がぐにゃぐにゃと歪み、縮んでゆく。
長いローブも、持っていた短剣も全てを巻き込み魔力が渦を巻いた。
魔力が霧散すると、そこにいたのは小さな黒い子犬だ。
それは男が希少な変化魔法のマスタリーであり、多相生物であることを示している。
子犬が見事な回転ジャンプで宙を舞い、まるでそこが定位置であるかのようにグレアの腰バッグに納まった。
「はいはい、わかりましたよーだ」
翼を真横に展開したグレアが飛び立つ。
さすが大悪魔と言うべきか、暗く狭い通路をものともせぬ。
彼らもセレスト達同様、他人に報告する気はさらさらない。
このダンジョンの制圧報告により富を得るのは、幸運な次のチームに託された。
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「おいセレスト様」
「外で喋らないでよリンちゃん、わたしにだって見えてる」
地下深くからサーディアン市街に戻ってきたセレストの霊気の瞳がせわしなく動く。
人々の様子はいつもと変わらず活気があり、屋台で買った何かよくわからない揚げ物も美味い(ただし、食べたからといって育つわけではない)。
セレストが警戒しているのは街の様子ではなく、その上空だ。
使用目的まではわからないが、非常に細い霊気の糸が建物同士を結ぶように市街全体に広がり、網状になって伸びていた。
ここまで絞り込まれた魔力を視ることができるものはそう多くはないだろう。
ましてやこれを張り、利用するとなると一国に数人いるかいないかではなかろうか。
「うん、とりあえず急いで家に戻って高祖父様を開封ね」
「スナッチはどうすんだ、あいつ外の詰所に報告行ってるだろ」
「だから喋らないでってさ……だいじょぶよー、そのまま近くの森で待っててって伝えた。
部屋で従者召集使って回収するわ、っと」
大通りを離れ、するりと物陰に入り込んだセレストがその場から消失する。
非物質化で地中へ潜ったのだ。
地中移動はセレストの体質をもってしても実際のところかなり面倒で、常時使いたいものではない。
だが歩くよりは早く隠密性に極めて優れるという特徴を持ち、彼女の持つ移動手段の中で最も信頼できるために使用頻度は増える一方だ。
スナッチが成体になるに際し同じ能力を得たために、今後更に使うことが増えると予想される。
堂々と外を歩ける日をいつかこの手で作り出してやる、等と考えながら、セレストは暗く重い土の中を家に向かって急いだ。
霊的世界で暮らす悪魔達の設定妄想をメモしているといくらでも時間が潰れますが、それが日の目を見ることはきっと無いです。
次は8月7日か8日になります。




