第10話(最終話) 記録更新ですわ!
グランツェルト帝国。
国境都市ベルグラード。
王国側との外交協議が長引いた結果、エルーゼ・フォン・アルヴィアは未だ正式国外追放処理待ちという奇妙な状態に置かれていた。
そして現在。
ベルグラード領主館・大会議室。
そこでは前代未聞の光景が広がっている。
(なぜ隣国で再審議されておりますの……?)
エルーゼは疲れ切った顔で思った。
本来なら。
断罪。追放。
終了。
それだけだった。
なのに今。
王国側使節団。帝国外交官。攻略対象たち。
さらには帝国騎士団長カイゼルまで同席し、エルーゼ処分再検討会議みたいなものが始まっている。
意味がわからない。
しかも空気がおかしかった。
窓から差し込む夕陽が妙に綺麗で。
使用人たちは涙ぐみ。
BGMみたいに弦楽器の音まで聞こえる。
(補正が強すぎますわね……)
エルーゼは理解していた。
この世界には、“物語を成立させようとする力”がある。
そして今、その力は。
悪役令嬢エルーゼを、愛されヒロインとして回収する
方向へ暴走していた。
レオニスが立ち上がる。
「エルーゼ」
(来ますわね)
告白イベントである。
「俺は君を誤解していた」
真剣な声。
後方では他攻略対象たちまで同じ顔をしている。
完全に連鎖イベント。
地獄だった。
「君はずっと、一人で耐えていたんだな」
「違いますわ」
「本当は優しい人だった」
「違いますわ」
「俺は君を――」
「待ってくださいまし!!」
エルーゼが勢いよく遮る。
会議室が静まり返った。
「これ以上、好感度を上げないでくださいまし!」
「……好感度?」
「もう十分ですの!これ以上イベントを積まれると補正が加速しますわ!」
ざわつく空間。
だがエルーゼは真剣だった。
ここまで来て、ようやく世界の構造が見えたのだ。
「この世界、“役割”で動いておりますの」
全員が息を呑む。
「王太子。主人公。悪役令嬢。全部、物語の役ですわ」
エルーゼは静かに続ける。
「だから、わたくしが国外へ出ても、シナリオが無理やり戻そうとしてくる」
追放撤回。
好感度上昇。
隠し攻略対象。
全部そうだ。
世界が、“悪役令嬢エルーゼ”を必要としている。
なら。
「壊すべきなのは、追放ルートではありません」
エルーゼはゆっくり息を吸う。
「悪役令嬢エルーゼという役割そのものですわ」
空気が揺れた。
レオニスが目を見開く。
「……何を言っている?」
「簡単な話ですの」
エルーゼは微笑んだ。
「わたくし、もう悪役令嬢をやめますわ」
その瞬間。
世界が、軋んだ。
窓ガラスがちらつく。
燭台の火がノイズみたいに揺れる。
涙ぐんでいた使用人たちが、
「あれ?」
みたいな顔になる。
エルーゼは確信した。
(通りましたわね)
シナリオが、“対象”を見失い始めている。
「わたくしは婚約者でもありません」
一歩前へ出る。
「主人公のライバルでもありません」
さらに空気が歪む。
「断罪されるためだけの存在でもありませんわ」
パリン、と。
今度ははっきり、何かが割れる音がした。
レオニスが苦しそうに額を押さえる。
「待て……エルーゼ……君は……」
「誰なんですの?」
エルーゼは首を傾げた。
その瞬間。
世界から、悪役令嬢エルーゼという定義が滑り落ちた。
感動的だった空気が消える。
使用人たちが正気へ戻る。
攻略対象たちの熱も、急速に冷めていく。
補正が切れたのだ。
世界はもう、誰を悪役令嬢として扱えばいいのか
わからなくなっていた。
エルーゼは静かに後ろへ下がる。
誰も止めない。
いや。
止められない。
物語の外へ出た彼女を、シナリオ側が認識できなくなっていたから。
そのまま。
エルーゼはベルグラード領主館を後にした。
誰にも気づかれず。
まるで最初から、そこにいなかったみたいに。
数ヶ月後。
グランツェルト帝国の片田舎。
小さな家。静かな庭。窓辺の紅茶。
エルーゼは穏やかな日々を送っていた。
誰も彼女を悪役令嬢とは呼ばない。
誰も断罪しない。
誰も恋愛イベントを始めない。
ただ、静かな生活だけがある。
エルーゼは椅子へ座り、小さな銀の懐中時計を開いた。
そこに刻まれた時間を見て、満足そうに微笑む。
「追放完了タイム、9分28秒」
正式記録ではない。
けれど。
世界の補正すら抜け切った、唯一のチャート。
エルーゼは静かに紅茶を飲みながら、小さく笑った。
「……更新ですわね」




