Days 0:「怖いに決まっておりますが!?!!」
【前回までのあらすじ】
ユフィーリア「自己紹介で1日が終わった」
人生に疲れた。
眼下に広がるのは、夕陽に沈む住み慣れた街並み。幼い頃から過ごした冷たい住宅街は、今日も変わらず人々の営みの糸を紡ぎ続ける。
同時に、この街はどこまでも冷酷だった。苦しかろうが、悲しかろうが、それでもこの自分を無視して世界は回る。口を噤んで我慢するしかなかった。耐え忍ぶしかなかった。
それも、もう限界だった。
「拝啓、天に在します父さん」
自分の行く末を遮るものは何もなく。
遠くに聞こえる街の住人たちの賑やかな声に、そっと耳を傾けながら。
「今、会いに行きます」
――東翔はその日、15階建ての自宅マンションの屋上から飛び降りて、自らの人生に幕を引いた。
落ちる。
落ちる。
まだまだ落ちる。
どんどん落ちる。
落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる。
そこで気づく。
「長くないか?」
自宅マンションの屋上から身を投げた翔は、全身を貫く衝撃がいつまでも訪れないことに疑問を持つ。
全身を包み込んでいるのは、未だ落下する際に味わう浮遊感である。自宅マンションの屋上とはいえ15階建てのありふれた集合住宅だ、そろそろ地面に叩きつけられてこの世とオサラバしてなければおかしい。これではいつまで経っても天国で待つ父親の元に逝けないではないか。
屋上から身を投げてから、体感でおよそ10分以上は経過している。15階建てのマンションから飛び降りたらこんなに長く感じるだろうか。それとも極度の緊張状態によって時間が引き延ばされているとか、そういうあれだろうか。
そう思った翔が、パッと目を開く。
「え」
地面がなかった。
いや、地面はあるけれど遥か下の方にあった。
見覚えのない大地だったけれど。
「は?」
うつ伏せの姿勢でどこまでもどこまでも落ちていく翔は、かろうじて周囲に視線を巡らせる。
北欧の大地を想起させる険峻な山脈が連なり、麓には綺麗な湖と豊かな森林まで備わっている。萌ゆる若葉たちは春の訪れを感じさせた。晴れ渡った青空はとても美しく色鮮やかで、穏やかな陽光が高高度落下を現在も続けている翔の全身を包み込んでいる。
大自然の中にポツンと佇むのは、白亜の王宮を中心としたどこぞの王国である。人里からあまりにも離れた場所に存在する王国は、現実味がなくどこか絵本の世界のような見た目をしていた。
つまり。
言うなれば。
ここ、どこだ?
「ええええええええええええええ!?!!」
全く見覚えのない光景に、翔は生まれて初めて混乱した。
いつのまに外国へ飛んでしまったのだろうか。15階建てのマンションから飛び降りただけで北欧もかくやとばかりの世界にぶっ飛ばされてしまうとは、これ如何に。自殺を図ったが故の罰だろうか。
いや、そもそも夢を見ているのかもしれない。これは悪夢だ。それか天国の光景か何かだろう。なるほど、あの白亜の王宮は神様でも住んでいるお城なのかもしれない。父親もそこで待っていてほしいものだが。
混乱する頭で無理やり完結させた翔だったが、
『――――ぁぁぁぁああああああああああああああ!!!!』
「え?」
悲鳴が頭上から降ってきた。
何事かと思った次の瞬間、翔の横を何かが物凄い速さで落ちていった。それは大きいものだった。両手両足を目一杯に広げて、空気に全力で抵抗していた。棚引くそれはヒーローのマントのようにも見えたが、浮力を与える役目を果たしていなかった。
どこからどう見ても人であった。命綱も何も装着しておらず、ただただ重力に従って落下していく。相手の方が翔よりも体重があるのか、落ちる速度は凄まじい。
『――きゃああああああああああああああ!!』
『わあああああああああああああああああ!!』
『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!』
多種多様な絶叫が頭上から降ってくると同時に、翔の横を同じく人間が落下していった。それは半泣きでスカートを押さえる少女だったり、空中で器用に回転しながら落ちる少年だったり、ジタバタと暴れて助かろうとする男だったり、とにかく年齢層も容姿も何もかもが違う人間が次々と落下していくのだ。
先程まで、彼らの存在はなかったはず。翔だけが1人寂しく高高度から自由落下していたのに、いつのまにか――それこそ魔法のように虚空に現れて同じく命綱なしのスカイダイビングを始めるとはどういうことだろうか。
知らん間に現れて、しかも落下を楽しむ人物まで存在することに驚きを隠せずにいる翔の横から、ごうごうと風の音に紛れて英語がぶつけられた。
『どうした、新入生!! 楽しんでる様子じゃねえな!!』
弾かれたように声の方へ視線をやると、迫り来る大地を背にして笑う銀髪碧眼の美しい女がいた。
降り注ぐ陽光を受けて煌めく髪は銀糸の如く艶やかで、宝石に勝るとも劣らない色鮮やかな青色の瞳には愉悦の感情が浮かぶ。ゾッとするほど整った、さながら西洋人形を彷彿とさせる美貌は喜色満面に溢れていた。
目を引くのは、装飾や模様すらない漆黒のドレスと明らかに身の丈と合っていない厚手のローブという格好だろうか。バサバサと暴れるドレスのスカートから覗くのは、生足ではなく厚手の軍用ズボン。安全靴を履いた足先は優雅に空を掻くだけである。貴婦人のように気品はあれど、硝煙漂う戦場も似合いそうな雰囲気のある女性だった。
盛大に銀髪を乱しながらも落ちゆく彼女は、翔に楽しそうな笑顔を向ける。
『まさか怖いのか!?』
『怖いに決まっておりますが!?!!』
翔は必死に英語で叫んで返した。
『何で命綱なしにスカイダイビングなんてしなければならないんですか!? 俺の覚悟を返してほしいぐらいです!!』
『何か、凄え必死だな。おもしろ』
『面白がってる場合ですか!?』
翔が怖がる様が面白いのか、銀髪碧眼の美女はあろうことか笑い飛ばしてくる。こちらは必死なのに。
『怖いなら手でも握っててやろうか、新入生』
『ありがとうございますお願いします!!』
『勢い』
笑い飛ばしてくる割には翔の必死さを心配してくれていたらしく、銀髪の女性が仕方なしに手を伸ばしてきた。真っ黒な手袋に覆われた手に、翔は全力で縋り付く。
彼女が伸ばしてきた手は柔らかく、それでいてどこかひんやりと冷たかった。冷え性なのだろうかと頭の片隅でどうでもいいことを考えてしまうぐらいには余裕が出てきた。
翔は涙目で『あの』と女性を見やり、
『こ、これ助かりますよね。こんな位置から地面に叩きつけられたら全身弾け飛びますよね!?』
『なーに言ってんだ、こんなめでたい日に高高度から自由落下なんてして冥界に直葬しましたなんて洒落にならねえだろ。ちゃんと安全策は考えてあるさ』
『め、めでたい日? めでたい日に自殺とも読み取れるような行動に踏み切る理由は!?』
『そりゃあ決まってんだろ』
女性は桜色の唇を持ち上げて笑うと、
『今日はヴァラール魔法学院の入学式だぜ。新入生をド派手に祝ってやるのが先輩――ひいては生徒会長の役目だ!!』
聞き覚えのない学校名だった。
ヴァラール魔法学院? 魔法?
そんな、魔法なんていうものは翔の中には存在しない。アニメや漫画、映画などでよく取り扱われる題材を学ぶと?
惚ける翔をよそに、女性が『お』と声を上げた。
『そろそろ楽しい落下時間は終わりだな。校庭が見えてきちまったわ』
「ッ!?!!」
翔は息を呑んだ。
迫り来る緑の大地はすぐそこである。あと数分、いや数十秒ほどで全身を衝撃が包み込むことだろう。そうなったら翔の身体は弾け飛ぶ羽目になる。
覚悟を持って自宅マンションの屋上から飛び降りたものの、ここに来てその決意が揺らいだ。「まだ死にたくない」という本能じみたものが湧き出てくる。必死に銀髪の女性の手を掴んだ。
『あ、あの、俺、着地に自信がなくてですね!?』
『え、このまま手を離そうかと思ったけど』
『手を離さないでくださいお願いです助けて!!』
『だーから勢いが凄えのって』
女性は『しゃーねえな』と言うと、
『ほら、じゃあしっかり捕まってろよ』
「わぶ」
ぐんッと引っ張られたと思いきや、何か柔らかいものが翔の顔面を包む。
それは、女性の豊かな胸だった。ドレスの布地を押し上げる胸は柔らかく、ひんやりとしており、ついでに言えばいい匂いがした。いやこの状況で匂いなど気にしている場合ではないが、とりあえず甘い匂いがした。
声なき悲鳴は女性の豊かな胸によって塞がれ、呼吸さえも奪われん幸せすぎる圧迫感をたっぷりと味わいながら翔の自由落下は最終段階に移った。女性の細腕にヒョイと抱きかかえられ、ガクンと唐突に浮遊感が消失して重力が襲いかかってくる。
あの高高度から落下しながら、女性は何と見事に両足で着地を果たしたのだ。どれほど強靭な筋肉を持っていれば無傷で着地が出来るのか。
『ところで』
抱きかかえられた翔を緑の大地に下ろしながら、女性は軽い口調で言う。
『お前、見かけない顔だけど。本当に新入生――あれ?』
翔は気絶していた。白目を剥いて、静かに意識を手放していた。
女性の柔らかな胸に顔面を圧迫された影響もあれど、高高度からの自由落下は翔の精神にあまりにも深い傷跡を残した。想定外のぱふぱふで思い切りトドメを刺されたようなものであった。
女性が何やら叫んでいたが、すでに意識を手放した翔には届かないことだった。




