Interlude 1-5:「友達になろう」
【前回までのあらすじ】
エドワード「痩せすぎ」
ショウ「納得いかない」
早めの夕飯を済ませて。
寮の各部屋に備えられた設備にしては、やたら広いお風呂で湯浴みも済ませて。
翔が異世界にやってきて、初めて夜を迎える。
「ハルちゃん、ショウちゃん。もう消灯時間だよぉ」
すでに寝巻きらしきゆったりと着られるシャツとズボンという服装のエドワードが、欠伸混じりに消灯時間であることを告げる。
ちょうど掃き出し窓に2人揃って張り付き、夜の屋上庭園を眺めていたところである。ガラス製のドームから降り注ぐ冷たい月明かりが屋上庭園の花々を静かに照らしており、幻想的な光景はいつまでも見ていたい気分に駆られた。
ハルアが「夜の屋上庭園は綺麗だよ!!」と教えてくれたので、試しに掃き出し窓から眺めていたら時間が経つのをすっかり忘れて見入っていたようである。眠気もやってこないので気が付かなかった。
「えー、まだ見てたい!!」
「明日からまた授業なんだから寝なさいよぉ」
「ぶー!!」
「そんなおブスな顔をしてもダメなものはダメよぉ」
頬を膨らませて抗議してくるハルアに、エドワードが彼の頬を萎ませながら就寝を促してくる。消灯時刻を迎える以上、家主に逆らう訳にはいかない。
「ハルアさん、明日もありますから寝ましょう」
「ショウちゃんが言うなら分かった!!」
翔の言葉に、ハルアがあっさりと頷く。先輩と後輩の立場が逆転しているような気がした。
ひらりと掃き出し窓から身を引いたハルアは、軽い足取りでロフトベッドの上部分に向かう。小さな階段を駆け上がり、ぼすんと何やら敷布団に飛び込んだような音が降ってきた。
ここで問題になるのが翔の寝床である。どこで寝るのか決めていないのだ。周囲をぐるりと見渡して寝具を確認するも、寝床になり得そうな場所は部屋に置かれたソファぐらいのものだ。部屋の中は比較的温かいので、布団がなくても寝られるだろう。
とりあえずお世話になる間の寝床を見定めた翔だったが、
「ショウちゃーん、寝るよー!!」
「え?」
顔を上げれば、ハルアがロフトベッドから顔を出していた。満面の笑みで翔に手招きをし、
「おいで!!」
「えと、そこはハルアさんのベッドでは……?」
「オレのベッド広いから!! ショウちゃん一緒に寝よ!!」
その申し出はありがたい話だが、ハルアが寝にくくないだろうか。他人と一緒のベッドを使うのが嫌だという人間も世の中にはいる。それに、寝ている間にハルアへ迷惑をかけないという保証がない。
戸惑う翔に、エドワードが「いいじゃんねぇ」と背中を押した。前につんのめるように1歩を踏み出す翔。弾かれたように振り返ると、大柄な先輩は口の端を持ち上げて笑っていた。
「ハルちゃん、寝相が悪いから蹴飛ばされないように気をつけなよぉ」
「ええ……?」
「行ってあげなぁ。ハルちゃん待ってるからぁ」
エドワードはそう言って、自分の寝床であるロフトベッド下の空間にモソモソと引っ込む。大きめのソファベッドに身を横たえると、枕元に置かれていた目覚まし時計の側面を何やらいじっていた。
逡巡したのち、翔は覚悟を決めてロフトベッドに上がることにした。ハルアの好意を無碍にするのも何だか申し訳ない。本人が同衾を許可してくれているのだから、それに乗っかる方がいいと判断した。
ロフトベッドの脇に取り付けられた階段を上ると、大きめの敷布団が設置された寝床に辿り着いた。2人は並んで寝られそうな広さがある。ハルアはすでに寝転んで待機しており、翔が顔を覗かせると「早く早く!!」と誘ってくる。
翔はロフトベッドいっぱいに置かれた敷布団へ横になると、
「ええと、お邪魔します……」
「うん!! お邪魔されます!!」
ハルアは嬉しそうに破顔し、翔にピッタリとくっついてきた。
「おやすみ!!」
「はい、おやすみなさい」
そう応じると、ハルアは瞼を閉じた。蜂蜜を想起させる琥珀色の双眸が、瞼の向こうに消える。
かすかな寝息を立て始めた先輩の姿を確認して、翔も瞼を閉じた。瞼の向こうではまだ明かりがついているような気配があるものの、それも翔が目を閉じた途端にぷつりと途切れる。部屋の中に夜の帳が下りた。
☆
「…………」
瞼を閉じて数分――あるいは数十分経過した頃だろうか。数時間が経過しているかもしれない。
翔は音もなく目を開いた。部屋の大きな窓から差し込む月明かりが、天井を青白く染め上げている。まだ見慣れない天井が視界いっぱいに広がる様を、翔はただ静かに呼吸をしながら眺めていた。
端的に言おう、眠れないのである。それもそのはず、自分の知らない世界にやってきてすぐに眠れるような図太い神経を有していないのだ。
(どうしよう……)
明日から授業が始まるらしい。だから早く寝なければならない。
懸命に目を閉じるのだが、それでもなお眠気はやってこない。眠くなる為に素数を数えたり、羊を数えてみたりしても睡眠欲はどこに消えたのか意識はぷつりとも途絶えることはない。それどころか不安感が胸の内に去来する。
本当に、自分はこの世界で生きていけるのだろうか。
「ショウちゃん」
「…………ッ!!」
横から小声で呼ばれて、翔は息を呑んだ。
寝返りを打つと、ピタリと寄り添っていたハルアがこちらを見つめていた。翔が起こしてしまったのかと謝罪の言葉を口にしようとすると、彼が「寝れないね」なんて言って小さく笑う。
どうやらハルアも眠れない様子らしい。寝る前もエドワードと一悶着あったぐらいだ。互いに眠気がやってこない者同士ということである。
「ショウちゃん、いいもの見せてあげよっか」
「いいものですか?」
「うん」
ハルアは頷くと、真下で眠るエドワードを起こさないように気をつけながら起き上がる。それから音を立てることなくロフトベッドから降りていった。
「おいで」
「? ハルアさん、どこに」
「いいから」
ハルアに促されるまま、翔もまた彼の背中を追いかけるようにロフトベッドから抜け出る。ちらと背後のロフトベッド――真下の空間で眠るエドワードの姿を確認してから、ハルアの手招きに従って翔は寮部屋の外に出ることとなった。
「ハルアさん?」
「ショウちゃん、こっちだよ」
月明かりに照らされる屋上庭園を突っ切るハルアが向かった先は、庭園を仕切るガラス製のドームだった。強固なガラス製の壁には見えにくいが扉が設けられており、そこから外に出ることが出来る仕組みになっている様子である。
ハルアは慣れた手つきでガラス製の扉を開けた。足音を立てずに扉を潜り、翔に向けて手招きをする。部屋の中のエドワードに叱られることを気にするも、好奇心には抗えずに翔はハルアの誘いに乗ってしまった。
手招きされるがまま、翔は扉を潜る。ガラス製のドームから外に出ると、思いの外、冷たい風が頬を撫でた。
「わ」
「ショウちゃん、お空見て!!」
冷たい風に顔を顰める翔だが、ハルアに促されるまま頭上を見やる。
「…………!!」
頭上に広がる紺碧の空には、宝石箱をひっくり返したかのような白銀の星々が瞬いていた。険峻な霊峰が遠くに連なり、人里すら周りを見渡しても存在せず、ただ雄大な自然風景が存在する環境で拝むことが出来る満天の星空である。幼い頃に見たプラネタリウムよりも美しい空模様に、思わず息を呑む。
冷たい風が頬を撫でる感覚すら忘れ、翔は美しい星空に目を奪われた。吸い込む空気は澄んでおり、雲の存在もなく晴れ渡った星空がそこにある。キラキラと瞬く星々が、夜空の中天に浮かぶ青白い月を彩っていた。
翔の隣で、ハルアが自慢げに胸を張る。
「凄いでしょ!! 生徒会にだけ許された特権だよ!!」
「凄いです。とても綺麗な星空ですね」
翔は星空から視線を外し、隣に立つ先輩に目をやる。
「でも、どうして俺に見せてくれたんですか?」
「ショウちゃんはお友達だもん!! 特別なの!!」
「お友達」
「そう、お友達!!」
夜の雰囲気には似つかわしくない爽やかな笑顔で、ハルアが頷いた。
翔としても願ってもない申し出である。この世界では、翔の知り合いは誰1人として存在しない。家族はもとより友人もいない状況である。ハルアが友人になってくれれば、この先色々と助けてもらえるだろう。――自分が助ける割合の方が多そうだが。
だから「こちらこそ、よろしくお願いします」と頼もうと思った。明るい性格の彼にとっては大勢いる友達の1人に過ぎないだろうが、それでも友達が1人もいないよりマシだった。
「オレ、友達いないから。ショウちゃんが友達になってくれると嬉しいな」
「え?」
翔はハルアの言葉に驚きが隠せなかった。
「お友達、いないんですか?」
「うん。みんな、オレのことを怖がっちゃうんだ」
おかしな話である。ハルアには『怖い』と思う要素はどこにもない。確かに初対面ではブリッジ状態で覆い被さってきたりされたが、話が通じない訳ではなかった。話の通じない人間を過去にたくさん見てきたがゆえに、翔の中ではハルアのことは『怖い』と思えなくなっているのかもしれない。
ただ、ハルアが友人のいなさを悩んでいるのは事実だった。しょんぼりと肩を落とし、いつも以上に寂しそうな雰囲気が漂う。明るい彼なりに、人付き合いには悩みがあるのだろう。
翔はハルアの手を取ると、
「はい。俺でよれけば友達になりましょう――いいや」
ハルアの琥珀色の双眸を真っ直ぐに見据え、翔は言う。
「友達になろう、ハルさん」
「ッ!!!!」
ハルアの顔がパァと輝く。瞳は星々に負けないほどキラキラと輝き、嬉しそうな雰囲気が伝わってきた。
「ショウちゃんがオレのお名前呼んでくれた!!」
「えと、皆さんにそう呼ばれていたから……ダメだっただろうか?」
「嬉しい!!」
ハルアは翔に抱きついてくると、
「ありがとうショウちゃん!! お友達!!」
「ああ、お友達だな」
嬉しそうなハルアを見ていると、打算的に友人関係を申し出た自分が何だか悪人のような気がしてならなかった。せめて、彼にはそのような意図があることが伝わらないように振る舞おうと心に決める。
初めての友人に、ハルアはキャッキャとはしゃぐ。特に「ハルさん」と翔があだ名で呼んだことが嬉しいのだろう。麗しの生徒会長であるユフィーリアや先輩のエドワードも彼を『ハル』もしくは『ハルちゃん』と呼んでいたので真似をしてみたのだが、嬉しそうなようで何よりだ。
すると、
「随分と夜更かしさんじゃんねぇ。明日から授業だってのにまだ起きてるのぉ?」
「あ」
「おげ」
ぽん、と2人の背後から誰かに頭を撫でられた。
ハルアの表情が嬉しそうなものから一転し、引き攣る。翔も自分の頭に乗せられた大きな手のひらの感触に戦慄せざるを得なかった。このまま握り潰されたら翔の頭は爆発してしまう。
そんな恐怖心を抱きながら恐る恐る振り返ると、
「天体観測でもしてたぁ?」
「え、エドワード、さん……」
「頭だけは潰さないで!!」
「潰さないよぉ、何言ってんのぉ」
消灯時間を過ぎても起きていることを咎められるかと思いきや、エドワードの声は優しい。彼の表情は歳の離れた弟たちが悪戯をしているのを咎めることなく眺める兄のように穏やかだった。
「ショウちゃんが来てハルちゃんも興奮気味だったからねぇ、寝られないのは予想ついてたよぉ」
呆れたような口振りで言うエドワードは、翔とハルアにマグカップを差し出した。その中はホットミルクが満たしており、陶器製のマグカップ越しに熱い温度を感じ取る。熱さはあれど、外の空気が冷たいので適温で楽しむことが出来た。
「それを飲んだら寝なよぉ」
「ありがとう、エド!! 持つべきものは先輩だね!!」
「ありがとうございます、いただきます」
エドワードが入れてくれたホットミルクに口をつけ、翔は「ほぅ」と息を吐く。ホットミルクには蜂蜜が垂らしてあるのか、とても甘くて美味しかった。
今夜はよく眠れそうである。




