紫の死神
思考する暇すらなかった。
暗い路地を、一定の歩調で進む一人の女――シズカ。
その足音が響くたび、周囲の音は消えていく。
人々は口を閉ざし、息を潜め、ただ彼女の存在を恐れていた。
彼女は一枚の紙を掲げる。
そこに描かれているのは――一人の少年の顔。
冷たい声が、静寂を切り裂いた。
「……この男を見なかったか?」
問われた男は、肩を震わせる。
視線を紙へ、そして彼女の瞳へ――すぐに逸らした。
「み、見ました……!」
かすれた声。
「一人じゃなかった……もう一人、男がいて……あの……そこから……」
震える指が示したのは――闇に沈む穴。
「……下水道です……」
一瞬の沈黙。
シズカの紫の瞳が、わずかに細められる。
「なるほど……」
小さく呟き、
「賢い……あるいは――」
わずかな間。
「ただの逃げ場を失ったネズミか」
そう言い捨て、彼女は歩き出した。
「ついて来なさい」
拒否など許さない声。
そのまま、闇の中へと降りていく。
恐怖も、躊躇も――一切ない。
◆
下水道の奥。
濁った水の音。
重苦しい空気。
黒星ミナトは無言で歩いていた。
その隣には、火村シン。
薄く笑いながら、何度もミナトを見ている。
やがて――
「さっきから……何度も見るな」
低い声。
「何が見える?」
シンの口元が、わずかに吊り上がる。
「感情の麻痺」
沈黙。
「人間が、徐々に感情を失っていく状態だ」
「嬉しさも……怒りも……何も響かない」
ゆっくりとミナトの目を覗き込む。
「まるで――中身だけ死んでるみたいに」
ミナトの拳が、わずかに軋む。
だが、否定はしない。
シンは淡々と続ける。
「親父が精神科医でね。人の内側を見る癖がついた」
そして、微笑む。
「お前は……分かりやすい」
重い沈黙が落ちる。
やがて――
微かな光。
二人は地上へと出た。
◆
そこに広がっていたのは――別世界。
整った石畳。
静寂に包まれた街並み。
洗練された建物。
「……貴族街か」
ミナトが呟く。
「随分と差があるな」
シンは笑う。
「ここは支配者が住む場所だ」
そして――低く。
「ゲームの本番はここからだ」
その瞬間だった。
二人の動きが、同時に止まる。
合図はない。
ただ――本能。
「……来たな」
シンが低く呟く。
次の瞬間。
空気が歪む。
圧力。
殺意。
見えない“何か”が、空間を押し潰す。
一歩。
また一歩。
足音が近づくたび、世界が軋む。
そして――
路地の奥に、その姿が現れる。
長い黒髪。
紫の双眸。
シズカ。
彼女は足を止め、ミナトを見据えた。
そして――微笑む。
「……見つけたわ」
空気が凍りつく。
呼吸すら、許されない。
「……あいつか」
ミナトが低く呟く。
シンは笑う。
だがその笑みは――先ほどとは違う。
「面白い……」
「想像以上だ」
シズカがゆっくりと手を上げる。
その瞬間――
轟音。
地面が砕ける。
ガラスが弾ける。
空気そのものが、刃となる。
「あなたは――」
冷酷な声。
「生死を問わず、拘束対象よ」
ミナトは無言で剣を抜く。
蒼い光が、闇を裂いた。
そして――
「やってみろ」
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