第3話:覚醒、そして崩壊
思考する暇など、一瞬たりともない。
黒い蜘蛛の群れが、濁流のようにミナトへと押し寄せてくる。
ミナトは足をもつれさせながら後退し、恐怖と混乱に顔を歪めて叫んだ。
「な、なんなんだよここは!? 俺はどこにいるんだよ……!」
その瞬間、突き出た巨木の根に足を取られ――
地面へと激しく転倒した。
無数の紅い複眼がミナトを捉え、一斉に牙を剥いて襲いかかる。
――終わった。
そう思った、その刹那。
空気が鋭く裂けた。
「ミナト――っ!!」
視界に飛び込んできたのは、見慣れた少女――リナの姿だった。
彼女は電光石火の速さでミナトの手を掴み、そのまま抱え上げて空へと舞い上がる。
地上に取り残された蜘蛛たちは、届かぬ獲物を求めて狂ったように蠢いていた。
ミナトは目を見開き、叫ぶ。
「お、おい!? なんで空を飛んでるんだよ!?」
リナは戸惑いながらも答えた。
「わからない……でも、この世界に来たとき、私の中に何かが目覚めたの!」
ミナトの表情が固まる。
「この世界……?」
リナは真剣な表情で言った。
「ここは東京じゃない。ここは――異世界よ」
その言葉が、雷のようにミナトを打ち抜いた。
「異世界……?」
だが次の瞬間、ミナトの中に別の考えが浮かぶ。
(なら、俺にも何かあるはずだ……!)
彼は全力で跳躍した。
――ドサッ!
顔面から地面に叩きつけられる。
「……」
リナが吹き出した。
「ふふっ……!」
ミナトは顔を押さえながら立ち上がる。
「くそ……飛べないなら、怪力だ!」
近くの岩に拳を叩きつける。
「ぐあああああっ!!」
激痛が走り、悶絶する。
「痛すぎるだろ!!」
リナは優しく言った。
「手、出して」
彼女が手を握ると、緑色の光が溢れ出す。
傷は一瞬で治った。
「これが……私の力……治癒能力」
その時、ミナトの視線が背後へ向いた。
蒼いオーラを放つ剣。
「……あの剣、使っていいか?」
リナは静かに頷く。
ミナトが剣を握った瞬間――
力が流れ込んだ。
全身を満たす、異質な感覚。
振るう。
――ズバァッ!!
岩が真っ二つに割れた。
「どうだ……」
「すごい……!」
だが次の瞬間――
蜘蛛たちが再び現れる。
数が違う。
さっきよりも、多い。
「俺がやる。下がってろ」
ミナトは地面を蹴った。
斬る。
斬る。
斬る。
青い光が軌跡を描き、次々と蜘蛛を両断していく。
止まらない。
止められない。
やがて、最後の一体へと剣を振り下ろした。
「終わりだ――」
その瞬間。
「ミナト!! 後ろ!!」
振り返る。
――遅かった。
巨大な母蜘蛛の脚が、ミナトの胸を貫いていた。
「がはっ……」
血が溢れる。
視界が揺れる。
「ミナトォォ!!」
リナが叫び、飛び込む。
傷を負いながらも、彼を引き抜く。
しかし――
毒が、体を侵食していく。
黒く、深く。
命を削るように。
リナは震える手でミナトに触れた。
「お願い……生きて……」
緑の光が溢れる。
だが、追いつかない。
命が――消えていく。
母蜘蛛が、ゆっくりと迫る。
絶望。
逃げ場はない。
その時――
リナは、微笑んだ。
「ミナト……」
か細い声。
「……殺して……殺される前に……」
「……さよなら」
その瞬間。
ミナトの目が――開いた。
蒼く、冷たい光。
感情の消えた瞳。
何かが――壊れた。
完全に。
そして――
静かに、剣を握る。
立ち上がる。
血を流しながら。
ゆっくりと、母蜘蛛を見る。
その目には、恐怖はなかった。
ただ――
“終わり”だけがあった。
次の瞬間。
世界が、裂けた。
◆
それは、戦いではなかった。
抵抗でもない。
一方的な――蹂躙。
斬る。
壊す。
消す。
すべてを。
音もなく。
感情もなく。
ただ機械のように――
命を刈り取っていく。
やがて。
森は、静寂に包まれた。
何も残っていない。
ただ一人。
血に染まった少年だけが、立っていた。
そして――
それは、虐殺ではなかった。
“終わり”だった。




