272. 遠い記憶が見せる夢8
魔力が多いというだけで一軍に入れられたものの、ドラセナはこれまで喧嘩すらしたことがなく、暴力を振るわれても逆らわずにただ我慢しているような子どもだった。
体術も魔術も基礎から教え込まれたとはいえ、人を相手に暴力を振るうのはためらいがあったし、毎日の訓練はとても辛かった。
しかしようやくそんな日々にも慣れてきた頃、突然それまで面倒を見てくれていたニシヤが異動になり、さらには二人一組で任務にあたるよう命令されたことで、気が合うとは言えないまでもそれなりに話すようになった同僚とも、たまにしか会えなくなってしまった。
隣国のスパイが紛れ込んでいる。ドラセナの初任務は、その証拠を掴むべく潜入捜査だった。
そういった任務があることはニシヤに習ったが、ドラセナ自身がそのような重大な案件に就かされるとは思わなかった。ましてや毎日のように体術と魔術ばかり練習していたため、スパイの見分け方など知るはずもない。けれどもそれをニシヤの後任に言っても、指令が覆ることはなく、結果ドラセナのミスでスパイを逃がしてしまった。
ドラセナは国に損害を与えたとして、一緒に組んでいたアリクラ・カゲツを巻き添えにして、懲罰を課せられた。
だが罰は別々の内容だった。ミスをしたドラセナの方が体力的にもつらくきつい土木仕事を、アリクラは他国からの亡命者の世話を命じられた。
だが結局はアリクラもそこで失敗をして、ドラセナと似たような仕事をさせられたらしい。というのもドラセナとアリクラはそれぞれ別の場所に配置され、次の任務に就くまで顔を合わせることはなかったから、指導役から聞かされる情報でしか、離れている間のことはわからなかった。
失敗はその一度だけでは終わらず、任務と称した無茶ぶりをされるたびに罰が課せられた。
疲労が毎日のように蓄積していき、たまに一軍の連中と顔を合わせても喧嘩になることが多くなった。
不思議なことに、あの頃は誰もが自分が一番大変な任務を与えられていて、他の奴らの仕事は楽そうに見えていた。
後で考えてみればなんてことはない。その者に不向きな仕事を押し付け、失敗するよう仕向けられていただけだった。サルであれば他者と連携が大切な仕事、サカイであれば弱者を気遣う仕事、フヨウであれば我慢を強いる仕事、そして心の弱いドラセナには緊張感を伴う仕事、と。
その日は朝から妙に気だるく、ようやく仕事が終わったところで、とうとうドラセナは動けなくなってしまった。
周りの大人たちはドラセナに気づいていないのか、気づいていても無視をしているのか、目の前を通り過ぎて帰って行った。
「ドラセナ、大丈夫かい?」
どれだけ時間が経ったのか、蹲ったドラセナに手を差し伸べてくれたのは、アリクラだった。同じ場所で働いているわけではないので、わざわざ迎えに来てくれたのだろう。
アリクラの手は荒れていて、慣れない仕事に苦労していることがわかる。土木工事では、魔術を使える工程もあったが、人の手でなければどうにもならない作業の方が多かった。
「もう嫌だ。毎日つらい、帰りたい」
帰る場所などどこにもないのに、それでも帰りたいと思ってしまうのは人のさがなのか。ペアを組まされた割に別行動を強いられたアリクラの顔を見て、ホッとしたのも事実だった。それを悟られたくなくて顔を俯ける。
「うん、帰ってご飯を食べよう」
ドラセナたちは本部の寮に身を寄せていたが、任務を任されるようになってからは、それぞれ寮を分けられた。アリクラはドラセナの言葉を真っすぐ受け止め、寮に帰りたがっていると捉えたのだろう。
「やだよ。あそこは帰る場所じゃない」
「でもほら、寮に戻ればご飯は食べれるからさ。働いた分だけ給金も出るし」
その言葉だけで、アリクラも辛い境遇の中で育ってきたことがわかった。孤児院では満足に食事がとれることの方が少ないのは身に沁みて知っている。
「なんでアリクラがここにいるの?」
「教えてくれた人がいるんだ」
一緒に土木工事をしていた者だろうか。直に声はかけないまでも、気にかけてくれたのかもしれない。
「僕ら、これだけ魔術が使えたら他のところでも雇ってもらえるよね」
防衛軍を出て行く勇気もないくせに、知った顔で言ってみたら、アリクラは意外にも首を横に振った。
「軍との契約がある。違反金を返せるほどのお金なんてないし、逃げ出したところで、どこにいても連れ戻されるよ」
アリクラが隣に座り込んだ。
「まるで知っているかのように言うじゃないか」
「うん。だって僕、一回脱走したもん」
ドラセナは驚いて顔を上げた。
「なんでかわからないけど魔術を使えなくなったことがあったんだ。っていうかたぶん、使いたくないって思ったから、使えなくなったんだと思うけど」
「使いたくない?」
「人を傷つける行為が苦手なんだ。たぶんドラセナが思っているよりもずっとね。情けないだろ?」
力なく笑うアリクラに、なにも言えなかった。ドラセナだって暴力は嫌いだ。
「隣町に新しい倉庫を作っただろ? 魔術が使えない間はそこで働かされていたよ。周りは声を荒げるような大人ばかりで、怖くて、毎日へとへとで、誰も助けてくれなくて、辛くて逃げた」
アリクラの表情から笑みが消えた。
「でも連れ戻された。最初は小さな村に逃げ込もうとしたけどよそ者は目立つし、そこそこの大きさの街には防衛軍の基地がある。防衛軍はこの国のあらゆる場所を見張っているから、逃げ場なんてないんだよ」
「国外に行ったらよかったんじゃないの?」
「国外に逃げるには、一年中雪に覆われている山脈を超えるか、海を渡らなくちゃいけないだろう。山脈には人を襲う獣がいるし、海から出るにしても国の許可がいるからね」
アリクラはいつも笑っているから、そんな経験があったなんて気づかなかった。
「そうしているうちにまた魔術が使えるようになって、訳のわからないまま一軍に放り込まれたんだ」
アリクラが初めてやって来た日、妙におどおどした奴だと思ったことを憶えている。
もしかしたらドラセナより弱いかもという勘は当たったけれど、フヨウやサルに追いかけ回されているうちに、そう変わらない実力を身につけていた。もしかしたら恋人の存在がアリクラを強くしたのかもしれない。
「今だって本当は逃げたいよ。でも、もう逃げない」
「ナナミがいるから?」
そう尋ねるとアリクラは耳まで真っ赤になった。
「彼女はこんな俺でもいいって言ってくれるんだ」
嬉しそうにはにかみながらアリクラは言った。
「結局のろけかよ」
「そ、そんなんじゃないよ。ただ生きてれば、そのうちやりたいこととか、楽しいことが見つかるからって言いたかったんだ」
「べつに僕は死にたいわけじゃない」
「あ、そうだね。ごめんね」
本当は元気づけようとしてくれたことも迎えに来てくれたことも嬉しくて、ありがとうと言いたかったが素直じゃないドラセナの口からはそんな言葉しか出てこなかった。そしてお人好しで素直なアリクラもまた、その言葉を額面通りに受け取った。
「バーカ」
そう言ってやるとアリクラはなぜかドラセナを見て笑った。
その数年後に、ドラセナたちに課された任務は、すべて失敗を前提にしたものだったことを知った。
サルであれば他人と連携が必要な仕事、サカイであれば弱者を気遣う仕事、フヨウであれば我慢を強いる仕事、そして心の弱いドラセナには緊張感を伴う仕事、と。
懲罰先で誰も話しかけてこなかったのも、上層部が一軍の連中を孤立させ、操りやすくするためだった。
そんな馬鹿げたことのために、ドラセナたちは辛い日々を送らされたのだ。
魔物との戦いを終えた後、ドラセナたちの立場はまた変わった。
邪魔な人間を蹴落とし、のし上がらなければ人生が終わる。一時は出て行きたいと思っていたのに、気づけば防衛軍という組織に固執していた。
「ドラセナ、こんなことをしていたら、いずれ取り返しのつかないことになってしまう」
カゲツの必死な訴えも、ドラセナの心には響かなかった。
一軍だった同僚たちとは、昔のように周囲を巻き込む喧嘩はしなくなったものの、その関係はどんどん冷え込んでいった。
また不思議なことに、最近ではそれぞれの呼び方も変わってきた。ドラセナは自分の名前が嫌いなこともあり、昔から苗字で呼ぶよう周りに仕向けていたが、気づけば他の者も下の名前で呼び合うことはなくなっていた。それはアリクラ・カゲツも例外ではない。
「もう手遅れだよ。カゲツ、君だって綺麗ごとを言ってる場合じゃないだろ。早くあいつらを出し抜かないと、最悪殺されるぞ」
「みんながみんな疑心暗鬼になってるだけだ、みんなで手を取り合えば」
「だから無理なんだって!」
カゲツの言葉を遮り、ドラセナは拳で机を叩いた。
「誰もスイセンを止められない! あの刃はいつか僕たちにも向く、その前になんとかしないと……」
スイセンは防衛軍の膿を吐き出すために動いている。それに伴って地位も上がり、出来ることが増えていった。気を抜いたらあっという間に差をつけられてしまうだろう。
あんな恐ろしい目にあって、片腕を無くして、スイセンだけがいい思いをするなんて絶対に許せなかった。
「ねえカゲツ、前から言ってるけど、いい加減に僕と組もうよ。君と僕が組めばスイセンだってそう簡単に僕らを排除できないよ」
痛ましいものを見るような目でカゲツが首を横に振った。
カゲツのために言ってやっているのに、その頑なな態度に頭にカッと血がのぼった。
「スイセンが誰よりも排除したいのは間違いなく君だぞ」
愛する姉を奪われた恨みをスイセンが忘れるわけがない。
「それでも僕は彼を友人だと思っているよ」
カゲツは、ナナミの弟だからとは言わなかった。
綺麗ごとだけでは生きていけないのに、なぜカゲツはわかってくれないのか。
「また来るよ」
しかし、まさかこれがカゲツとの最期になるなんて、このときは思いもしなかった。
それから一か月後、留守を任せていた部下から、またカゲツの訪問があったことを告げられた。
「お言伝を伺いましたが、ずいぶん焦った様子で、また来るとだけおっしゃって帰られました」
「焦っていた? カゲツが?」
懲りずにドラセナを説得しにやって来たのだと思ったが、焦るようななにかが起きたのだろうか。
引っかかるものはあったが、ドラセナもまた昇進するたびに忙しさが増していて、そのうちまたやって来るだろうと気にもかけなかった。
それから三日後、カゲツが死んだという知らせが入った。
目の前が真っ暗になった。部下から報告があった日に会いに行っていれば、そんな知らせを聞かずに済んだかもしれないのに、あの日ドラセナは自分を支援してくれる護民官との食事を優先させた。
だってまたすぐに会いに来ると思ったんだ。
それからはさらに息苦しい日々が続いた。
カゲツは自分が辛いときでも優しかったのに、耳を貸さなくてはいけなかったのはドラセナの方だったのに、なぜあのとき気づかなかったのか。すべては自業自得で、もうドラセナを心から気にかけてくれる者はいなくなってしまった。
しかもドラセナは自分の愚かさを認めたくなくて、その後に頼ってきたナナミを冷たくあしらってしまったのだ―――――
昨夜は眠りが浅かったせいか、まだ午前中だというのにうとうとしてしまった。
誰かが部屋に入ってきて顔を上げると、昔馴染みの超問題児が満面の笑みを浮かべていた。
「よおドラセナ、退屈そうだな。少し刺激を与えに来てやったぞ」
先程の夢は凶兆だったに違いない。




