271. 完璧が似合う人
騎士科二年のカノと揉めていたのは、ハナロクショウからの転校生であるロッケ・モカラで、一学期にサクラへ嫌がらせをしようとして退学になった女子の従姉妹だ。
「一人でお暇そうでしたので、相手になってさしあげようとしましたのに」
ロッケ・モカラはカノを練習に誘ったが断られてしまい、それが不満なようだ。
「だーかーらー、私には私の予定があるの!」
カノが小刻みに地面を踏んで苛立ちをあらわにした。
「一人寂しく練習することが予定ですの?」
サクラは特別練習が始まってから時間的にも体力的にも余裕がなくなり、ずっと続けていたカノとの朝練を一旦休みにしてもらった。過去にニノマエの事件もあったことから、その理由も簡単にではあるが告げてある。
「べつに私は寂しいなんて思ってないし、きちんと予定を立てて自己研鑽に励んでるの」
「実力をつけたいなら、一人で練習するよりも相手がいた方がいいに決まってますわ」
カノの怒りもなんのその、ロッケ・モカラはまったく意見を譲らない。見かねたのかタケも話に入ってきた。
「つまりモカラ先輩は、カノ先輩と一緒に練習したいんですね?」
「一緒に練習してさしあげてもよくってよ。せっかくの留学なんですから、私たちは積極的に交流すべきでしょう」
そう言ってロッケ・モカラはきれいに巻いた髪を見せびらかすように手でかき上げた。邪魔なら切れよと言わんばかりにカノが睨みつけている。
ロッケ・モカラの言うことはもっともだが、彼女は見かけるたびにアスマの兄であるクラマにべったりで、自らオリベの生徒と関わろうとしているようには見えなかった。どんな心境の変化だろうか。
「あら、アスマ様に、ハナカイドウ様もいらしたのね。おはようございます」
ロッケ・モカラが、サクラの後ろにいたアスマとウキの存在に気づいた。アスマは無表情で、ウキは笑顔で挨拶を返した。
「皆さん、早起きなのね。なにをしていらしたの?」
「勉強ですよ。朝の方が頭の働きがいいですからね」
常に寝ぼけまなこで演習場へ入ってくるウキが、爽やかな笑顔で言い切った。
「まあ、感心ね。わからないところがあれば教えてあげましょうか」
「ありがとうございます。ですがまずは、自分たちの力で取り組んでみますね。そうしないと実力がつきませんから」
やんわりと断られたロッケ・モカラは残念そうな顔をした。だがウキはここで会話を終わらせず、遠慮がちに上目遣いで尋ねた。
「ですがもし解けない問題があったら、お伺いしてもよろしいでしょうか。モカラ様が優秀だという噂は、かねてより聞き及んでいますから」
美少年ともいえる整った顔立ちのウキのこの仕草には、ロッケ・モカラもきゅんとしたようだ。
「まあ、もちろんですわ!」
見事に手の平で転がしている。サクラはウキのあざといやり方に感心したが、タケはやや引き気味だし、アスマとホズミは冷たい視線を送っている。
「気持ち悪くて鳥肌立った……いてっ」
視線を窓の外に向けたままで、ウキはアスマの足を踏んだ。
「ところでモカラ様、他のハナロクショウの方々も、オリベの生徒と交流すべきというお考えなのですか?」
「ええ、クラマ様がそうおっしゃいましたの。ハナロクショウだけで固まっていては留学の意味がないからって」
兄の名前が出たからかアスマが反応した。
「体のいい厄介払いだな」
ドキッとしたが、小さな声だったのでロッケ・モカラには届かなかったようだ。
「ちょっとモカラ、一年生にまで絡まないでよ。仕方ないわね、私が相手をしてあげるわよ」
頭をがしがしとかくカノに、ロッケ・モカラは不満げに眉をしかめた。
「まあ、わたくし絡んでなんておりませんわ。でもそうね、あなたがその気になったのであれば、さっそく練習いたしましょう」
「なら演習場に行くわよ」
わざわざ演習場に行くということは、体術だけではなく魔術や剣術を取り入れた練習をするつもりなのだろう。不満げなカノとは裏腹に、ロッケ・モカラの足取りは軽かった。
「あの先輩、強いのかな?」
サクラの疑問にはウキが答えてくれた。
「強いかどうかはわからないけど、留学生に選ばれるくらいには成績上位者なはずだよ」
「へえ、カノ先輩との練習、見てみたいなあ」
何気なくつぶやくとアスマから睨まれた。
「お前はただでさえ時間が足りないのに、この上、徹夜でもするつもりか? 余計なことに首を突っ込んでないで勉強に戻れ」
そう言われてしまえばサクラは宿題に取り組むしかなく、ため息を吐いたら、さらなる嫌味と説教が追加された。
今夜のお風呂の順番は一年生が最後である。課題を終えて、ホズミとあくびをしながら風呂場へ向かうと、脱衣所から言い争う声が聞こえてきた。
「そんなことは部屋でやりなさいよ、いつまでも使ってたら次に使う一年生が困るでしょ。さっさと出るわよ」
「せっかちですわね、だから急いで支度しているのでしょう」
またカノとロッケ・モカラが揉めているようだ。脱衣所の入り口に呆れた顔で立っているのは、カノと同室の二年生で、サクラたちが挨拶するとため息で返された。
「まったく一日中あの調子なのよ、カノも変に面倒見がいいものだから振り回されちゃってね」
サクラは疑問に思っていたことを訊いてみた。
「ロッケ・モカラ先輩って騎士科なんですか?」
「そうよ。うちのクラスに留学中」
アスマの兄クラマは魔導士科だ。よく一緒に行動していたし、従姉妹のことも魔力が多くないくせにとか言っていたから、てっきり同じ科なのだとばかり思っていたが違ったようだ。
「あまり騎士っぽくないですよね」
騎士科の女子は動きやすいよう髪を短く切っていたり、邪魔にならないようにまとめていることが多いが、ロッケ・モカラは綺麗に巻いた髪を常に下ろしている。
「ああ見えてかなり強いわよ、彼女。まあ、だからこそ留学生に選ばれたんでしょうけど」
言われてみれば、お嬢様にしては筋肉がついていたかもしれない。
「カノさんもたまには髪を巻いてみたらどう?」
「この長さでどう巻けっていうのよ、そんなことより早く出なさいってば」
追い立てられるように脱衣所から出てきたロッケ・モカラは、髪にたくさんの布を巻き付けていた。
「わっ」
その様子に驚いて声を出すと、ロッケ・モカラがサクラの存在に気づいた。
「あら、あなた」
「こんばんは、モカラ先輩。すごい髪ですね」
「ホホホホホ、美は一日にしてならないのよ。あなたの髪も巻いてあげましょうか」
得意げに腰に手を当てているロッケを押しのけるようにして、カノが脱衣所から出てきた。
「一年生はこれからお風呂に入るんだから、邪魔しないの」
「失礼ね、わたくしは上級生として、身だしなみに気をつけるよう指導しているだけですわ」
カノは「はいはい」と面倒くさそうに流すとサクラとホズミに向き直った。
「ごめんなさい、待たせちゃったわね。ほら、あなたも謝りなさいよ」
「わかっておりますわ。お待たせしました、どうぞお入りになって」
ロッケ・モカラはすました顔で脱衣所への道をあけたが、カノは顔をしかめた。
「全然謝ってないじゃない、いちいち気取った言い方しちゃって」
「まあ、今日わたくしに負けたからと言って、難癖をつけるのはお止めくださいな」
「はあ? 勝率は半々だったわよね」
二人は言い合いつつも歩き出し、カノの同室の先輩も疲れた顔でその後をついて行った。たぶんロッケ・モカラからだろうが、花のようないい香りがして、特別な石鹸を使っているのかもしれない。
「髪って、ああやって巻くんだね」
ホズミが興味深そうに去って行く先輩たちの後ろ姿を見つめた。
「やってみたいの?」
「うーん、ちょっとだけ」
くるくると巻いた髪はたしかに可愛いが、結構な手間がかかりそうだ。あれを毎晩やっているのかと思うと、ロッケ・モカラは相当の努力家な気がする。
それからカノとロッケ・モカラの言い合いは、校内や寄宿舎で度々目撃され、数日もすればみんなその光景にも慣れてきた。
ある日サクラが一人で廊下を歩いていると、前からクラマが歩いてくるのが見えた。前は気づかなかったが、うっかり魔素の動きをまともに見てしまい、彼の魔力が相当なものであることを知った。
「こんにちは、クラマ先輩」
苗字で呼ぶか迷ったが、既にアスマの家で会ったときに名前で呼んだので、そのまま突き通すことにした。幸いにも相手に嫌がる様子はなかった。
「こんにちは。冬のオリベはどこもかしこも白くて綺麗だね」
クラマが目を細めて窓の外に視線を向けた。その気持ちはよくわかる。白銀の世界は見慣れているサクラでも目を奪われることがある。
「ハナロクショウは雪が全然降らないって本当ですか?」
「たまに降ることはあるよ。ただ積もるほどじゃないんだ。それでも珍しさからちょっとした騒ぎになるけどね」
雪が降っただけで騒ぎになるというのは想像できないが、雪かき当番がないのは羨ましいかもしれない。
「そういえばツクモ先生の件は大変だったね」
突然切り出された話題に虚を突かれた。どこで知ったのだろうか、アスマが直接クラマに話すとは思えないのだが。
「事情を知っている人は知っていると思うよ」
考えが顔に出てしまったらしく困ったように笑われた。
「君は総帥のことが嫌いなの?」
これまた思いがけない質問だった。戸惑った顔を見せたくなくて、つい語気が強くなった。
「好きではありません」
サクラの意志を無視して思い通りに動かそうとしている者を、好きになどなれるはずがない。両親のことだってある。
「クラマ先輩は総帥のことが好きなんですか?」
「僕かい? 嫌いではないけど、好きというのも少し違うかな」
「仲がいいんじゃないんですか?」
クラマは総帥のお気に入りだと、目をかけられていると、これまでに何度か耳にした。
「他の人にはそう見えるみたいだけど、あの人はべつに僕のことなんてどうも思っていないよ」
坦々と答えるクラマに寂しさは見えない。
「総帥にとって、僕も君もただの駒なんだ。役に立つかどうか、それが重要なんじゃないかな」
サクラもクラマも物ではない。生きて自分の意志を持っている。少なくともサクラはそういう扱いをされたら嫌な気持ちになるが、クラマは気にせず受け入れているのだろうか。そもそも、なぜこういう話をサクラに振ってきたのか、その意図がまったく読めない。
「そういえばモカラさんと仲良くしてくれているみたいだね。ありがとう」
サクラを困らせたとでも思ったのか、また唐突に話題が変わった。
仲良くという程でもないが、ロッケ・モカラはカノと一緒に居ることが多いので、顔を合わせれば話すくらいの仲にはなった。
呼び方も「モカラ先輩」と呼んでいたら、従姉妹であるネリ・モカラを思い出して嫌だろうからと、名前で呼ぶように言ってくれた。
「どうしてクラマ先輩がお礼を言うんですか?」
「一応、今回の留学では僕が代表ということになっているからね」
なんだか釈然としないが、リーダーとしてロッケ・モカラを心配しているようだ。
アスマを家から連れ出したときも思ったが、クラマは掴みどころがなく、話していても本心がわかりづらい気がする。アスマはこの人とどのように接していたのだろう。
「クラマ様!」
廊下の向こうからロッケが走ってきた。
「モカラさん、廊下を走ってはいけないよ」
「失礼しました、私としたことが」
クラマに注意され、ロッケは恥ずかしそうにしゅんとしたが、すぐサクラの存在に気づいて首を傾げた。
「あらサクラもいたのね。二人でなにを話していたの?」
「オリベの雪景色とか、ハナロクショウでは雪が降らないのかとか、そんな話だよ」
クラマが答えた。さすがに総帥の話とは言わなかった。
「まあ、ハナロクショウの話なら私に聞いてくださればいいのに」
ロッケは第一印象こそあまり良くなかったが、話してみれば意外に優しいところがあり、サクラやホズミのような一年生にお姉さん風を吹かすのを楽しんでいるようだ。少し気位の高いところはあるが、悪い人ではないと思う。
「じゃあ後でハナロクショウの話を聞かせてください」
「ええ、もちろんよ」
クラマの前だから快諾したというわけではなく、ロッケは後輩に頼られたことが素直に嬉しかったようだ。
サクラはクラマのような何を考えているかわからない者よりも、ロッケのような単純な人の方がわかりやすくて好感を持てる。
「さて、それじゃあそろそろ僕は行くね」
「私も途中までお供しますわ」
教室へ戻るのか、踵を返したクラマの隣にロッケが並んだ。嬉しそうに微笑むその顔はまさに恋する乙女である。
対するクラマは平静そのもので、一目瞭然なロッケの好意に照れる様子も困っている様子もない。
総帥にとっては、サクラもクラマも駒であると先程彼は言った。だがサクラから見たら、クラマこそが誰に対しても穏やかで平等で、人間味がないように感じてしまう。
「サクラ、なにボーっとしてるんだ。遅刻する気か」
廊下に佇んでいたら、背後からアスマがやってきた。
「ううん、なんでもない。次は移動教室だよね」
「だから教科書を持って歩いてるんだろ?」
サクラの抱えている荷物を見てアスマが訝し気な顔をした。
「そうなんだけど、考えごとしてたらなんだかボーっとしちゃって」
クラマと話したことを隠すわけではないが、アスマは過敏に反応するきらいがあるので適当に濁した。
「お前がボーっとしているのはいつものことだろう」
アスマはやれやれといった感じで小さく息を吐いて歩き出した。その隣にサクラも並ぶ。
「ボーっとしてたんじゃなくて考え事してたの」
「おい、さすがに自分で言ったばかりの言葉くらいは憶えておけよ」
「なにが?」
意味がわからず尋ねると、残念そうな視線を向けられた。これはよくない流れである。
「そういえば今度の休息日、楽しみだね」
サクラとアスマは「オリベの街に出かけるぞ」とフヨウから誘われていた。サクラにとっては久しぶりの街歩きである。
「面倒なだけだ。ただでさえ課題や宿題もあるのに、なにをさせられるかわかったもんじゃない」
たしかに用件は教えてくれなかったが、フヨウと出かけられるだけでサクラは嬉しかった。
「クレープ屋さんに寄ってくれないかなあ」
「お前、知らない奴に食い物をやるって言われても付いていくなよ?」
「行くわけないでしょ!」
大変失礼な物言いである。小さな子どもでもあるまいし。
「晴れるといいね」
「どうせ雪だろ。当日降らなかったとしても既に積もってるんだから、街に行くだけで体力を削られるな」
そしてまたアスマはため息を吐いた。
せっかくウキウキしかけた気分が台無しである。




