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270. ある日の朝

 三日ほど夜の練習を試みた結果、どうもその時間の活動はサクラの生活に合わないことがわかった。朝起きるのが辛かったり、授業中に居眠りをしたりと悪影響が出てしまったのだ。

 もう猫を被るのを止めたらしい校長に「面倒くせえ奴だな」と舌打ちされつつも、夜練は朝練へと変わった。


 眠い目をこすりながら朝の四時に目を覚まし、身支度を整え、人目を忍んで校舎へと向かう。

 校舎の開校時間は六時三十分と決まっているので、その前までに朝練を終わらせ、その後は教室で課題に取り組むことにした。一応、他の生徒には内緒ということになっているが、例外もいる。寄宿舎で同室のホズミもその一人だ。


「おはようございます!」


 サクラが一礼して演習場へ入ると、ホズミもそれに続いた。

 これまで実技に消極的だったホズミだが、特別練習の話を聞いて「私もがんばってみたい」とフヨウと校長に掛け合い、一緒に魔術と体術を教えてもらうことになった。

 練習の内容はサクラよりも軽めだが、それでも授業で居眠りしそうになるくらいには、フヨウの部下にしごかれている。ちなみにサクラも夜練のときよりは居眠りが減ったが、ゼロではない。

 そんなサクラとホズミを見れば何かしているのは一目瞭然で、早々に察したアスマとウキもまた校長に許可をとり、眠い目をこすりながら朝練に参加している。


「おはようございます」

「……はようございます」


 しかし朝に弱いウキの寝ぼけ眼を見たフヨウの部下が顔をしかめた。


「おいおい、目ぇ開いてんのか? 寝ぼけた頭で俺らに相手してもらおうなんて思ってねえだろうな」

「もうとっくに目が覚めてますがなにか?」

「そうですよ、眠くなんて……」

「言ってる側から寝るなウキ!」


 意外なことにウキは朝に弱いようだ。ホズミもそうだが、優等生の弱点は朝なのかもしれない。

 そしてさらにもう一人、参加を表明した者がいた。


「なんだなんだ、そんなもんか。剣だけで押そうとするな、魔術が使えないわけじゃないんだから、がんがん取り入れていけ」

「はい!」


 タケもまたこの特別練習を知るなり、フヨウと校長に参加を申し出た。さらに腕を上げたのがわかる見事な立ち回りだ。


「よそ見とは余裕だな」


 ほんの少しタケに目を奪われたわずかな隙に、サクラは練習相手の姿を見失ってしまった。魔素の動きを見て横に避けたが、それを見抜いていたかのように、攻撃は方向を変えて襲ってきた。しかも相手は魔術と体術の両方で仕掛けてくる。フヨウの部下は驚くほど強く、魔術だけではなく体術でも隙がなかった。

 おまけに練習中は、授業の復習までさせられている。


「隣国の首都の名前は?」

「えー、えー、アル」

「はい時間切れ、後で書き取り二十回な」

「せめて十回で!」

「却下。じゃ次の問題、十二と二十四と四十八の最大公約数は?」

「うっ、えーっと、十二の二倍が二十四でその倍が」

「時間切れ。算術、五問追加」


 体を動かしていた方が記憶に紐づくのではないかと誰かが言い出し、この苦行が始まった。答えられなければ宿題と称した勉強が課される。もちろん授業で出される課題とは別のため、次々とやらなければならない事が増えていく。ただでさえ時間がないのに……。




 朝練が終わるとフヨウの部下たちが水魔術で簡単に汗を流してくれる。フヨウや校長よりもずっと丁寧な洗い方で、おもわずそう口にしたら笑われた。


「あの二人はそういうところは雑だからな」

「でも雑なくせに、変なところで神経質なんだよな。この間も書類の角が揃っていないってだけで、ニクマルがぐちぐち嫌味言われてたぞ」

「隊長も食器を置く位置とか、結構細かいからなー」


 もちろんこの場にはフヨウも校長もいない。サクラの知らない大人たちの話はおもしろくて、ついつい聞き入ってしまう。


「僕もこの前、うっかりスプーンとフォークを混ぜてしまって、注意されました」


 そう言って会話に入ってきたのは遊隊の新人であるツクモだ。


「それは駄目に決まってんだろ」

「スプーンの中にフォークが混ざってたら、使うとき取りづらいじゃねえか」


 ツクモは食堂に配置替えになったと生徒たちに通達された。校長の逆鱗に触れて、仕方なくフヨウが引き取ったのだという噂を耳にすれば、誰もが納得した。サクラに関する事情は伏せられている。


 そんな簡単に人を異動できるのか、アスマが人事の権限についてニクマルに尋ねたところ、養成学校の経営については校長が、その中でも食堂についてはフヨウに権限があるため、本部や総帥の了解は不要だと教えられたそうだ。


 意外にもフヨウの部下たちはツクモを受け入れていて、ここ数年新人が入ってくることもなかったせいか、彼らなりに可愛がっているそうだ。

「あの人たちの可愛がりって、いじめって意味だからね」とツクモは言っていたが、教師をしていたときよりは、どこかさっぱりした顔をしていた。


「なんであの人、普通にこの場にいるのかな」

「ほんと、普通に話に入ってくるよね」


 冷気をまとったウキとホズミが、笑顔で苛立っている。

 ツクモはサクラをさらおうとしたことについて謝らなかった。サクラとしてはその実感もないうちに解決したためどうでもよいが、むしろホズミやコデマリたちが憤っていた。

 それでもツクモはホズミにだけは謝った。脅して言うことをきけばそれでよし、きかなかったとしても牽制しておけば、いざというときに動けなくなると思ったらしく、本気でホズミやその家族に危害を加えるつもりはなかったそうだ。


「サクラは平気か? 顔を見るのも嫌なら変えてもらったらどうだ?」


 後で事情を知ったタケにはとても心配され、今もまた気を遣ってくれているが、本当にサクラはツクモのことなどどうでもよかった。


「嫌じゃないよ。それにツクモ先生の役目って、私たちに出された宿題を書き留めるだけで、動かないから寒いでしょ。他の人にそれをやってもらうのは申し訳ないけど、ツクモ先生なら気にしなくていいからね」


 朝の演習場は相当に冷えている。練習が始まればすぐに体が温まるが、その場に立っているだけでは普通に辛いだろう。その証拠にツクモはもこもことした防寒着を着込んでいる。


「じゃあ、あっちはいいのか?」


 アスマが視線を演習場の端に向けた。そこには三学期から新たに加わった歴史教師、元ベニシダの部下が立っている。彼はフヨウの部下ではないが、危険のないよう監視するという名目で、校長に見張りをさせられていた。


「おいサンスパ、俺らはもう戻るから片付けとけよ」


 フヨウの部下たちは、ベニシダの部下を三重のスパイという意味を込めて、サンスパと呼んでいる。

 彼はその立場から、校長、フヨウ、ベニシダそれぞれに情報を流すように言われて、追い詰められている可哀想な大人らしい。


「サンスパ先生って私のこと避けてる気がするんだよね。話しかけても、すぐどっかに行っちゃうし」

「あれはお前が答えづらいことを訊くからだろうが」

「なにを訊いたんだ?」


 アスマが呆れたように言うと、タケが興味を示した。


「ベニシダおじさんは元気ですかって訊いただけだよ」

「一応は元部下って体なんだから、元気だなんて答えるわけないだろうが。それじゃ今も繋がってるって言ってるようなもんじゃないか」

「そもそも繋がっているとバレている時点で、スパイとして失格なんじゃないのか……?」


 サクラは難しいことはよくわからないので、眉間に皺を寄せて腕組みをするに留めた。アスマの「ポーズだけで乗り切ろうとするな」という言葉は右から左に流しておく。


「さて、私たちはそろそろ教室で宿題をしないとね」


 腕を目いっぱい頭上に伸ばしたホズミの言葉に、サクラのポーズは呆気なく崩れた。


「ねえ、今日は先に食堂に行かない? 朝から動いてお腹ペコペコだよ」


 お腹に手を当ててアピールするも、アスマが即座に却下した。


「お前の場合、満腹になったらただでさえ働かない頭がますます怠けようとするだろうが。そうでなくとも俺らよりもやることが多いんだから、さっさと行くぞ」


 サクラ以外の四人は、朝練中の問いに難なく答えている。たまに躓いたり間違えることはあっても、サクラに比べたら宿題の量はだいぶ少ない。


「そもそも休憩中にミルクティーをおかわりして飲んでたよな?」

「あれは飲み物であって食べ物じゃないもん」

「今日はスコーンもあっただろ」


 さすがは食堂で働いている人たちの差し入れだけあって、マシュマロ入りのミルクティーとニンジン入りスコーンは絶品だった。

 サクラは朝練のおかげでマシュマロの存在を知った。どうして卵白があんな食感になるのか不思議である。

 早起きは大変だが、そういう小さな楽しみを作ってくれるのはありがたかった。


「あんな砂糖のたっぷり入ったものをバクバク食って飲んでたんだ。さぞかし脳もよく働くだろうな」


 そんな都合よく栄養が脳にいってくれたら苦労はない。ため息で答えると、タケが気遣ってくれた。


「いやでも、あの人たちも俺らの苦手な科目をわかってきたみたいで、その辺りを突いた問題を出してくるから、そこまでサクラと宿題の量は変わらないぞ」


 その優しさに涙が出そうだ。朝練の最後に、ツクモから宿題の一覧を渡されるのだが、サクラだけその文字量が多いことは一目瞭然だった。


「簡単なことばかり訊かれて間違うなんて、ある種の才能だな」


 アスマはしつこく追い打ちをかけてくる。そもそもこの場には成績優秀者ばかりが揃っていて、勉強の話をされると疎外感を抱かずにはいられない。


「ノウゼン、どうして君はそうやってサクラを追い詰めるんだ」

「追い詰められてるやつがスコーンを二個も三個も食うか」

「三個は食べてないよ!」


 本当は三個目に手を伸ばしたかったが我慢したのだ。それに「サクラは美味そうに食うから作り甲斐がある」と言ってくれるので、期待に応えたくなるのが人情というものではないだろうか。




 さてそんなこんなで教室に到着し、五人はそれぞれ宿題や課題に取り組んだ。

 タケは騎士科で違うクラスだが、一人では寂しかろうとサクラとホズミとウキが誘った。

 騎士科は剣以外の武具についても学ぶらしく、これにはアスマとウキが食いついた。やはり男子はこういう話が好きらしい。

 勉強を始めて少し経った頃、窓の外から女子の言い合う声が聞こえてきた。


「だから誰も頼んでないって言ってるでしょうが!」

「あなた、そのすぐ怒る癖はなんとかした方がいいわよ」

「誰が怒らせてるんだっての!」


 外にいたのは騎士科二年のカノと、ハナロクショウからやって来た二年生の女子で、何か揉めているようだ。

 サクラはすぐさま立ち上がって窓を開けた。


「カノせんぱーい!」

「ほうっておけ」


 カノを呼んだのと同時に、アスマが何か言った。


「え、なんて言ったの? アスマくん」

「お前はいちいち揉め事に首を突っ込まないと気が済まないのか!」


 なぜか突然怒られた。


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