第一章 龍人種の国 -デュトブロス- Ⅱ
「私は嫌です!!」
「凛……」
「なぜ傍に置いてくれないのですか?!」
「分かってくれ…」
「……」
「……凛。」
「……」
「俺は凛の事が本当に大好きなんだ。」
「えっ?!」
「皆の事も大好きで、誰一人として失いたくない。
だが、このままでは俺の手でその大好きな人達を残らず殺してしまう。それだけは避けたいんだ。」
「……」
「必ず制御して、凛を迎えに行く。だから凛。俺の事を待っててくれないか?」
「そんな言い方…狡いです。」
「悪いな…俺にはこんな言い方しか出来ないんだよ。」
「………分かりました。真琴様の我儘を聞くのも私の務めですから。」
「ありがとう。助かるよ。」
「ですが。一つだけ。」
「ん?」
ドアップになる凛の顔。本当に綺麗な顔をしているなぁと思っているとその顔がドンドンと近付いてきて…
「っ?!?!?!!」
唇に触れる凛の唇。
一瞬だったが、確かに触れた。そして真っ赤になる凛の顔が離れていく。
「負けてられませんから…」
そぉ言って俯く凛。
「あ……え?……あれ?」
「他の女の人にノコノコついて行ったりしたら怒りますからね。」
「お…おぉ。分かった…」
「では……お待ちしております。」
そぉ言って逃げる様に走っていった凛。
俺の頭は何も処理出来ずにボーッとしていた。
まさかファーストキスを女性に、しかも凛に奪われるとは…というかこぉいうのって男からするものなのでは…?
いや…やめよう。これ以上考えていたら一生動けなくなる。
気持ちを切り替え…られないが、なんとか立ち上がる。
「やるか。」
俺は足を皆と反対方向へと向けた。
真琴様と別れてまず一番に向かったのは俺の剣術の師匠であるキーカさんの所だった。
この街には昔来た時も他の街より長く滞在した。その時は体もまだ出来ていなくてキーカさんに教えて貰った事の半分も出来なかった。だが今なら俺も少しはマシになっているはず。日本での鍛錬もあるし…正直自信ないが…
デュトブロスという国にはいくつか大きな街がある。その中で最も大きい街がこの首都ズァンリ。
ズァンリの街並みは和風…と言うと語弊があるが、少し昔の日本に似ている所がある。木造建築が多く瓦や土壁の文化もある。
着物は無いが浴衣の様な服はある。あまり好んで着る人は少ないみたいだが。
そんなズァンリの西側に一等大きな道場がある。
そこがキーカさんの住む道場。星龍剣術の道場だ。
星龍剣術というのはキーカさんがずっと昔に作り出した剣術で現在に至っても最強と言われている剣術だ。
「ここに来るのも数年振りだな…」
大きな黒塗りの木の門を両手で押し込むとギギギと軋む音がして門が開く。
普通の道場では門は開かれているだろうが、ここの門はいつも閉まっている。
この大きな門の中には鉄が流し込まれていて普通に開けようとしても半端な力では開かないようになっているのだ。
この門を開けられない様な半端者にはこの道場に足を踏み入れる事すら許さない。という事らしい。
まぁそのせいでここの道場はいつも門下生がいないのだが。
「ふぅ…相変わらず重い門だな。」
「………久しぶりに門が開いたと思ったらお前だったのか。」
目の前に立っていたのはキーカさんその人。
浴衣の様な構造の服を着た女性で、 二本の和龍の角 が生えている。黄緑色の長いウェーブ髪をポニーテールにしていて、黄色い瞳のキツい目は昔となんら変わらない。
綺麗だけどどこかカッコイイと言われるタイプの女性でありながらけしからん胸をしている。
そして何より目立つのは肩に担がれた大剣。自分よりもデカい大剣を軽々と肩に乗せているのはこの国でもキーカさんくらいのものだ。
太く暑い刃とそこに刻まれた星のマークは誰が見てもキーカさんの物だと判別が出来る。
国からこの星のマークを背負って良いと言われているのは特星龍のキーカさんのみらしい。
「久しぶりだな。ジャイル。」
凛とした声。そして覇気を含んだ視線が俺に向けられる。
「あぁ。久しぶりだな。今は健と名乗ってる。」
「そぉか…ケン。門が開けられたって事はその後鍛錬を怠ったりはしてないみたいだな。」
「もちろんだ。あの時より少しはやる様になったぜ。」
「ほぅ。私を前にそんな事が言えるとは思い上がりでないと良いがな。」
ズンッ!
肩に担がれていた大剣が地面に刺さるとその重さを示す振動が地面を伝ってくる。
昔はあの大剣を受け止めるどころか持ち上げることさえ出来なかった。
「俺だって遊んでたんじゃねぇ。」
「……来い。どれだけ変わったか見てやるよ。」
「言われなくてもそのつもりだ!!」
俺は全力でキーカさんに向かっていく。全身全霊。全てを出し切る。遠慮は無しだ。殺す気で行く。
小波を使いキーカさんへと向かう。
「死ねぇ!!」
「師匠に向かって死ねとはいい度胸だ。」
あっという間だった。気が付いたらうつ伏せに倒れる俺の上に大剣を担いだキーカさんが座っていた。
「ぐっ……」
「多少は動ける様になったらしいが。まだまだだな。」
「くそっ!」
「おら。どぉした。終わりか?」
「舐めるな!!うぉぉおおおおお!!!」
全力で腕に力を込めてキーカさんを背に乗せたまま持ち上げる。
「ほぉ。」
「だらぁぁ!!」
キーカさんを跳ね除け着地に合わせて刀を横に薙ぐ。
それを簡単に避けて見せたキーカさんの足が俺の腹にめり込む。
「ぐぉっ!」
バキッ!
ピンポン玉の様に吹き飛んだ俺はそのまま外壁にめり込む。
まるで大型トラックに跳ねられた気分だ。
「おもしれぇ。そんじゃ受けてみろ。」
壁から抜け出した俺に容赦無く振り下ろされる大剣。
なんとか反応出来た俺は刀を斜めに構え大剣を刃に滑らせる。
僅かに軌道をズラせたが、吸収しきれない衝撃によってまたしても壁に叩きつけられる。
「っ!!」
「はっ!やる様になったじゃねぇか!」
嬉しそうに笑ったキーカさんはそれでも容赦無くもう一度大剣を振り上げる。
鬼かよ…
「ぐおぉぉぉ!!!」
再開して数秒で始まった稽古は、俺の意識が飛ぶまで続けられた。
「うっ……」
「起きたか。」
目が覚めると板張りの道場の床に寝ていた。
煙管を口に煙を燻らせるキーカさんは俺の前に座っている。
「くそっ。少しはやれるかと思ってたんだがな…」
「まぁ随分マシにはなってんぞ。ただ私を楽しませるにはまだまだ足りねぇな。」
「ちっ…」
バキッ!
訳の分からない強い衝撃が頭に走る。どぉやらキーカさんが煙管で俺の頭を殴ったらしい。
「いてぇな?!」
「師匠に向かって舌打ちなんざするからだ。」
「くー!!」
「そんで?真琴達はどぉした?」
「あぁ。その事なんだがな。少し聞いて欲しい。」
「どぉせ誰も来ねぇんだ。いくらでも聞いてやるよ。」
俺は真琴様達と別れて鍛錬をする経緯について話した。
「んだよ。マコトの奴。先に逢いに来てからでも良いだろうに。薄情な奴だ。」
「真琴様には真琴様の考えがあったんだろ。多分今はまだ会うべきじゃないって思ったんだ。」
「そんなもん知らん。私はマコトに逢いたかった。」
「なんで年上の女性は皆真琴様には甘いんだ?キーカさんもそぉだろ?」
「マコトは特別だ。理由なんて私も分からん。」
「はぁ…まぁいいけどよ。」
「んで?ケンはここで鍛錬するってことか?」
「……あぁ。昔の続きを頼みたい。強くならなきゃならない。」
「………強くならなきゃならない…ねぇ。」
「二度と負けられねぇんだ。次は無い。
俺が真琴様の隣にいる唯一の方法なんだ…頼む。」
「ったく。そんな顔すんな。ちゃんと稽古付けてやるから。」
「本当か?!」
「あぁ。だが、今度は最後までしっかり教えるからな。途中で逃げ出したりしたら追いかけて殺しに行くぞ。」
「分かってる。」
「そんなら良い。本当はプリネラの奴も虐めてやりたかったが…あいつの戦い方は私の剣術とは正反対だからな。」
「本人も分かってるからここにいないんだろ?」
「あいつの怯える顔は見てて面白いんだがな!」
「鬼め…」
「あ?なんか言ったか?」
「なにも。」
「そんじゃさっさと始めるか。」
「今からか?」
「当たり前だ。十分休んだろ。」
「気絶してただけなんだが…」
「それを休憩って言うんだよ。」
そんな怖い休憩嫌なんですけど…とは言えなかった。
それからは地獄の毎日が始まった。
初めにやらされたのはとにかく体力の増強と剣術の為の筋力増加。
筋力増加と言えど普通の筋トレでは無い。剣を、俺の場合は刀だが、それを振るために必要な筋肉のみを延々と鍛え続けるのだ。ほかの筋肉が発達してしまうと、寧ろ枷となってしまうためである。
少しでも怠けたりするとあの大剣が飛んでくる。
それだけならまだ良い。食事の時も風呂の時も、寝る時でさえ気を抜くと本気で死ぬレベルの打撃が顔面に打ち下ろされる。
そんな生活から始まるのだ。地獄と言わずしてなんと言おう。
ただ人間不思議な事にそんな生活にさえ数ヶ月もすれば慣れてくる。
「ふんっ!ふんっ!」
「大分良くなってきたな。」
「そぉか?変わった気がしないが…」
「それ。」
不意に振り下ろされる大剣。それを刀で滑らせる。
初日は吹き飛ばされた攻撃が今回は吹き飛ばされず綺麗に流す事が出来た。
「お、おぉ…」
「くっくっくっ…やっぱりケンは良い。鍛えがいがある。」
「その目…怖いんだが…」
「なぁに。今日から今までの鍛錬にちょっと立ち稽古を追加するだけだ。」
「立ち稽古…って……」
「私の剣術は教えてやるが、考えても身につかん。実戦の中で体感することで初めて理解出来るものだ。」
「実戦って…」
「それ。行くぞ。死んでくれるなよ。」
「マジかよ…」
それからは気絶する毎日が続いた。
今までの鍛錬に加えてキーカさんとの立ち稽古。という名の虐め。
吹き飛ばされて気絶。吹き飛ばされて気絶を繰り返す。
しかも気絶したら直ぐに水を掛けられ起こされる。何より恐ろしいのはキーカさんが唯一使える特殊な魔法だった。
治癒魔法。簡単に言えば魔法で怪我を治せるのだ。
つまり、骨が折れようが、筋肉が切れようが、即座に回復され、また大剣が振り下ろされるのだ。
それを笑いながら行うキーカさんを見て恐怖に感じない人はいないだろう。
それでも、俺は強くなる必要がある。
いくら死に目を見たとしても、その経験が真琴様を守る事に繋がるのであれば、俺は決して手を抜かない。
そして、季節が変わり俺達が別れた冬の終わりが再度訪れた頃、俺は自身の目標として決めていた事を遂に成し遂げられそうなところまで成長した。
その目標は、キーカさんを相手に一合取る。それだけだ。
言葉にしてみれば簡単に思えるかもしれないが、それを成すまでに一年が掛かった。
「……」
「………」
最初はキーカさんは構えなど取らなかった。
それ程までに俺とキーカさんの差は開いていたのだ。だが、数ヶ月前からキーカさんは構えを取るようになった。
あの大剣を片手で構え、半身にする星龍剣術の基本的な構え。
そして俺もその構えを真似て構えている。
「はぁ!!」
俺が前に足を出してキーカさんの懐に潜り込もうとする。
それを横薙ぎの一閃で払い除けるキーカさん。片腕であの大剣を俺の刀と同じ速さで振れるとかほんと異常だ。
その大剣を下に潜り込む様にして避け、キーカさんの首元に切っ先を向ける。
その攻撃に対してキーカさんは膝を上げて顎を蹴りあげに来る。
刀を持っていない方の手でキーカさんの膝をブロックするが体を持っていかれる。宙返りの形で後ろに着地した俺の目の前に大剣の切っ先が突き出される。
それを紙一重で躱し前に出ようとする俺の側面から避けた筈の大剣が刃の向きを変えて襲ってくる。
星龍剣術、龍牙。
突きから全方位に対して攻撃を変化させる剣技。生半可な筋力で行うと腕の筋肉が弾け飛ぶ程の負荷が掛かる。
その剣戟を刀で滑らせる様に上へと逸らせる。
ギチギチと関節が軋むがそれだけだ。
大剣が通り過ぎた後、俺は突きを放つ。
星龍剣術、龍弧。流れる様な動きで曲線的な突き攻撃を放つ剣技。
星龍剣術は剛と柔を必要とする技に別れる。
龍牙は剛、龍弧は柔に分類される技だ。
どちらも基礎が無ければ到底振れない技だが、なんとか体得した。
龍弧は曲線的な突き技である為攻撃の位置を見定める事が難しい。その特性を利用してもう一つの技を組み合わせた。俺が日本にいた時に体得した三ノ型。流華線。花弁が舞うような剣戟を繰り出す技だ。
この二つを組み合わせる事で龍弧は更にその軌道を読みづらくなる。弧の動きではなく波の様な動きになるからだ。名付けるのであれば、龍華線。だろうか。
驚いた顔をしたキーカさん。今日初めて見せたのだから当たり前だ。
その一撃をキーカさんはニヤリと笑い首を横に向けて避ける。
これを避けるとか本当にこの人は異常だ。
そして俺の突きに合わせた反撃が訪れる。
斜め下から振り上げられる強烈な一撃。
いつもならばここで終わり。俺は吹き飛ばされてまた気絶する所だ。
だが、今回は違う。
俺は下から振り上げられる一撃に合わせ、抜刀しながらの四ノ型、朧月を繰り出す。
小波を用いて剣戟を躱し攻撃を当てるカウンターだ。全体的な能力が底上げされ、全ての技のキレが増した俺の朧月はそれまでのものとは全く違う物になっていた。
本来であれば抜刀の勢いが必要なこの技だが、今の俺なら抜刀した状態でも使える。
キーカさんの大剣が振り上げられた。しかし俺は既にそこにはいなかった。キーカさんの背後へと回り込んだのだ。
一合。取った。
「………ほぉ。」
「やった…のか…?」
「まさか私が一合取られるなんてな。しかも一年かそこら教えただけの奴に。」
「やった…やったぜ!」
「正直大したもんだ。私が教えられる事はこれで無くなったな。」
「本当か?!」
「技も全て叩き込んだんだ。後は自分で考えて強くなるしか無い。」
「………」
「なんだ?嬉しくないのか?」
「あ、ありがとうございました!!」
「おぅ?!いきなり大声だすんじゃねぇよ!」
ガンッ!
拳を頭に受けて星が散る。
「私の教えに着いてこられる奴は健くらいだと思ってたが、本当に耐えきるとはな。」
「地獄だったけどな。」
「強くなれただろ?」
「…あぁ。本当に感謝してるよ。」
「ふん。だったら次に来る時はもっと強くなって私を本気で楽しませてみな。」
「うすっ!!」
「ほれ。」
「なんだこれ?」
「免許皆伝の証だ。取っときな。」
キーカさんが手渡してくれたのは、いつもキーカさんが咥えている煙管と同じデザインの煙管だった。
横には星の彫り込みがしてある。
「星……良いのか?」
「特星龍の私が認めたんだ。良いに決まってんだろ。」
「……ありがとう。」
「さてと。終わったのは良いがこっからどぉすんだ?」
「もう一つの目標を片付けたら真琴様と合流してここに連れてくるつもりだ。」
「おぉ!やっと会えるのか!」
「真琴様の事だから今頃皆を待ってるはずだ。直ぐに戻ってくるさ。」
「待ち遠しいな!早く連れてこい!」
「分かったから焦らせるなっての!」
「ほらほら早くしろ!」
「分かった分かった!じゃあ行ってくる。」
「おぅ!」
キーカさんに見送られ…というか追い出されて俺は龍脈山に向かう。Aランクモンスターの単独討伐。
はっきり言って自信しか無かった。何せAランクモンスターより強くて怖い人と毎日立ち稽古していたのだから。
龍脈山を登り雪がそろそろ見えてくる頃、お目当てのモンスターに出会う事が出来た。
ミノタウロス。前に一度戦ったモンスターだ。
以前は苦労して、しかも真琴様の力を借りてやっと倒せた相手。攻撃力も防御力も高い。
「悪いが俺の踏み台になってもらうぞ。」
「グオォォォオ!!」
怒声にも聞こえる叫び声を放ち大きな岩を片手にズンズンと俺の方へと向かってくるミノタウロス。
普通ならばこの光景に絶望し涙を流すものなのだろう。
だが、ミノタウロスの力を凌駕する力で毎日殴られていた俺にとっては既に脅威とは言えなくなっていた。
手に持った大岩を大きく振り被り、振り下ろす動作がゆっくりに見える。そしてその威力も今の俺にはよく分かる。
俺の脳天に振り下ろされた大岩は俺の頭を砕く事は無かった。
「グォ?!」
こんなモンスターでも驚く事があるらしい。
渾身の一撃を片手で受け止め平然としている人間を見た事が無いのだろう。
残念だが俺がその初めてで最後の人間だ。
バコッ!
軽く握っただけで粉々になった大岩。それを見て後退るミノタウロス。
逃がす気はもちろん無い。
ブンッ!
単純に刀を横薙ぎに軽く振っただけだった。今まであれ程斬りにくかったミノタウロスの骨肉がいとも簡単に切断された。
首を無くしたミノタウロスはその場に倒れ、死に至った。
「………よし。」
自身の成長を感じ、俺は拳を握った。
これで俺も真琴様の横にいる資格を持てたと感じられた。
真琴様の居場所は既に知っている。居場所だけは教えてくれていたし、それぞれの目標が達成されたら真琴様の元に集まるということになっている。俺はその場所に向かって歩き出す。
「はぁ…どぉしよぉ…」
私は真琴様と離れて数日で直ぐに困り果てていた。
この国には奴隷という存在が無く、私一人でも普通に生活する事が可能ではあるけれど、強くなるために必要な事が全く分からない。
毎日弓の練習は欠かしていないし、今では的を外す事の方が珍しい程になった。爆発矢や貫通矢を使えば威力も増す。でも弓はあくまでも弓でしかない。
私は魔法も得意では無いし使えても強化や阻害魔法ばかり。
攻撃魔法を練習しようかと頑張ってみても合わない魔法は全く上手くいかない。
お金は真琴様に貰っているし生活は出来るけどこのままじゃ一生強くなんてなれない。でもどぉしたら良いのか分からない…
そんな事を考え、毎日何か無いかと探し回ってはいるものの糸口さえ掴めずにいる。
「どぉしよぉ…」
困り果てて外に設置されたベンチに座っていると、ある人物に声を掛けられた。
「君…」
「え?私ですか?」
「突然声を掛けてすまないね。私はニャルイ。と言う者でね…」
丸眼鏡を掛けて糸目。緑髪の男性龍人種だった。もちろん初対面…だと思う。
「確か毎日森の方で弓を練習している子だよね?」
「え?あ、はい。」
「やっぱり!」
奴隷としての性なのだろうか、私はこぉして話しかけられると相手を疑ってしまう。それくらいで丁度いいのだと思うけれど、今の私はマコト様の奴隷であり仲間。下手な事をしてマコト様に迷惑が掛かるような事は出来ない。
慎重に物事を見極めなきゃ。
疑いの目を向ける私にその人は馴れ馴れしく近付いてくる。私は基本的に他人を信用しない。というか出来ない。信用して痛い目を見てきたから。
「いやぁ!ずっと気になっていたんだよ!あんなに正確に的を射るなんて本当に凄いよ!」
「…ありがとうございます…」
「私の知り合いにも弓を使う人が居るんだけどその人も凄くてね!私も練習したんだけど的にさえ当らない!
この国じゃ弓を使う人があまり多くないけど、あれを使えるのは本当に尊敬するよ!」
「いえ…」
「あ、ごめんごめん!興奮し過ぎてしまったね。
ついつい力が入ってしまったよ。
君は…奴隷なのかい?」
「…はい。」
あまりにも不躾な質問に戸惑うが事実だし否定はしない。
「君の様な優秀な人を奴隷にするなんて南の人達は本当にどぉかしてるよ。」
「……」
「かと言って私に何ができる訳でも無いんだけど………そぉだ!良かったら私達の街に来てみないか?!」
「??」
「私はこの街に用事があって来ているだけで住んではいないんだよ。この街の東にあるペントルスという街に住んでいるんだ。どぉかな?」
ハッキリ言ってこれが私を誘拐したりする手の者であったならセンスが無い。そんな簡単に一人の女性が着いていくと本気で思っているのだろうか?
話の繋がりも全くわからず、いきなり違う街に誘うなんて怪しさしかない。
「なんでそのペントルスという街に私が?」
「私達の住む街はあまり大きくは無いんだけど、皆昔色々とあった人達ばかりでね。ここより少しは居心地も良いかと思ってさ。
あれ?これじゃ私が君を攫おうとしている様に見えるかな?」
「私を攫おうとしているのですか?」
「ととととんでもない!!そんな事しないよ!」
「そぉなんですか?」
「もちろんさ!本当に君の弓が凄いと思ったから…その…笑って欲しかっただけなんだ。」
「笑って…?」
「あんなにも凄い矢を放てる君がいつも暗い顔をしていたから…」
つまりこの人は私が生活上で何か嫌な事を他人からされていてそんな顔をしていたのだと勘違いしているらしい。
「あの…私は別に嫌な事をされたりしているわけではありませんよ?
悩み事があるだけですから。」
「悩み事?」
「私の尊敬するある人が、強くなる為に鍛錬をしてこい。と仰ったのですが、どぉしたら良いのか全くわからず。」
なんでこの時、彼にこんな話をしたのか自分でも不思議だった。初めて会った人にこんな事を言われても普通は流されるだけ。話しながら私自身そぉ思っていた。
でも結果的にこの事がその後の行動を決める事に繋がった。
「それなら私達の街に来るといい!」
「え?」
「さっき話した僕の知り合いの弓が上手い人!その人に話をしてみると良いよ!」
「助言を頼む…という事ですか?」
「助言…が聞けるかは分からないけど、多分力になってくれると思うよ。」
「……」
見ず知らずのよく分からない奴隷エルフが目の前に現れ、弓のことについて助言を求められたとしても、困る。
私なら困るしお引き取り願うくらいしか出来ない。
「あー。その人は私の古くからの知り合いでね。私が紹介すれば多分聞き入れて…くれるはず?」
「なんで疑問文なんですか?」
「あははー…」
この人は多分いつも言葉が足りていない。自分の中で話を端折ってしまうのだろう。
それに古い知り合いと言うのに疑問文というのは…
でも、私にはあまり選択肢は無かった。
そもそも行き詰まっていたのだし、もし嘘だったとしても今の私なら逃げるくらいは出来るはず。
そぉ思って彼の言う事に付き合ってみることにした。
早速後日ニャルイさんの言っていたペントルスという街に赴いてみる。
言っていた様にあまり大きな街では無く、のんびりとした空気が、初めて訪れた私にも分かるくらい街中に流れていた。
子供達のはしゃぐ声、鼻歌を歌いながら洗濯物を干す女性。
椅子に座って日を浴びる老夫婦。
こんな所に弓を使う様な殺伐とした人がいるとは思えなかった。
「やぁリーシャさん!!」
あの後ニャルイさんに自己紹介だけして、後日伺う旨をお伝えしてあったので、街に入ると直ぐにニャルイさんが駆け付けてくれた。
「こんにちは。」
「待ってたよ!アキリシカさんの所に行く前に街を案内するね!」
「お願いします。」
アキリシカさんというのはニャルイさんが言っていた弓使いの人の事。詳しく聞いてはいないけど、怖い人では無いらしい。
「宿はここを使うと良いよ!それでこっちは…」
ニャルイさんは街で必要になる店を一通り教えてくれた。なんでここまでしてくれるのか正直よく分からないけど、確かにここの人達は私の枷やエルフという事はあまり気にしていない様子だった。
龍人種以外の種族が居る事自体に驚く人は多かったけど、嫌な目で見てくる人は一人もいない。
「さて!それじゃ一通り紹介も済んだことだしアキリシカさんの所に行こうか!」
「はい。」
ニャルイさんに着いていくと街の外れに建つ小さな一軒家に連れて行かれた。
庭にいくつかの花が咲き始めていて太陽の光を浴び、風に吹かれ揺れている。
家の裏手に大きな木が一本生えていて、周りには家が見当たらない。まるで隠れて建っている様でここだけ街の中でも一層時間の流れが遅い様に感じた。
木造の小さな家の扉をニャルイさんがノックする。
コンコン
「……はい。」
中から聞こえてきたのは澄んだ女性の声。
「アキリシカさん。ニャルイだよ。入っていいかな?」
「……どうぞ。」
ニャルイさんはその声を聞くと扉を開く。開けてくれるのを待たないのかと疑問に思ったけれど、その答えは直ぐに分かった。
「今日はお客さんを連れて来たんだ。」
「どちら様ですか?」
そぉ言って小さな丸テーブルに持っていたカップを起き、こちらを向いたアキリシカさんは、長めの黒髪を頭の後ろで纏め、凄く綺麗な肌をした綺麗な龍人種の女性だった。
そして何故ニャルイさんが勝手に扉を開けたのか…それはアキリシカさんは両瞼を閉じている事から分かった。
恐らく両目の視力が無い。
「リーシャさんというエルフの女性だよ。弓を凄く上手に使う人だったから声を掛けたんだ。」
「……はぁ。ニャルイさんはいつも言葉足らずですね。」
「あれ?そぉだった?」
「私の所に連れて来た理由もリーシャさん本人の事もほとんど分かりませんよ?」
「あー…ははは…」
「笑って誤魔化してもダメです。気をつけてください。」
「面目ない…」
「リーシャさん…でしたね。私はアキリシカと申します。この様に盲目の半人前ですが、どぉぞよろしくお願いしますね。」
「いえ。こちらこそよろしくお願いします。」
手を差し出してきたので私は咄嗟にその手を握り返した。
チャラ…
その時私の腕に着いた枷から伸びた鎖が鳴る。真琴様に切ってもらって短くしてもらったのだけれど音はどうしても鳴ってしまう。
「あなたは…」
「はい。奴隷です。」
「……不思議な方…ですね、」
「え?」
「貴方のその言葉には恥も後悔も恨みも全くありません。奴隷である事に誇りすら感じている…」
「声だけで分かるのですか?」
「人の声というのは色々な事を教えてくれます。それこそ表情よりも多くの事を。」
「……はい。私の主人であるマコト様は誰よりも素晴らしいお方ですから。」
「……そぉですか。きっと本当に素晴らしいお方なのですね。」
「??」
「貴方の声には優しさと強さを感じます。多くの嫌な事を経験した人特有の重みも。そんな方が仕えていて嬉しいと感じる方なのですから。」
「…はい。」
「それで…何故ここに?」
「…突然のお話で申し訳ありませんが…
その主人であるマコト様が強くなる為に自分達で鍛錬しろと言われました。
しかし、どぉしたら良いのか全く検討も付かず悩んでいた折に、ニャルイさんからアキリシカさん事を聞きまして。」
「ふふふ、大丈夫ですよ。ニャルイさんとは古い付き合いですからよく分かっています。
ニャルイさんが突然話し掛けてきて無理矢理ここへ連れてきたのでしょう?」
「なっ?!私は無理矢理連れてきてなどいないよ?!」
「街で困っている女性に声を掛けて、ここまで連れてくる事を無理矢理と言うのですよ。」
「うっ…」
「アキリシカさん。ここに来る事は私が決めた事です。ですから…」
「リーシャさんは本当に優しいですね。」
「そんな事は…」
「ニャルイさんは困った人を見てはこの街に連れてきてしまうので皆呆れているのですよ。たまには誰かが叱りつけてあげないといけないのです。」
「アキリシカさんそれは無いよー…」
「ですけど、ここに来て助かった人の方が多いというのも事実ですから。あまり責めないであげてくださいね。」
「責めたりしないですよ。」
「ふふふ。
あ、私ったら。お茶も出さずにごめんなさい。」
気が付いた様に立ち上がりお茶を用意してくれるアキリシカさん。本当に目が見えないのかと思う程テキパキとお茶を用意する様子に驚いてしまう。
「どぉぞ。」
「ありがとうございます。
凄く良い香りのお茶ですね?」
「ふふふ。ここの庭に咲いている花を使ったお茶なんですよ。」
「ほっとする様な凄く優しい香りです。」
「よかったです。ニャルイさんに出してもただ飲むだけで何も言ってくれないから不味いのかと思っていました。」
「私は不味いなんて一言も言ってないよ?!」
「何も言ってくれないのは出した本人に不安を与える事が分からないニャルイさんはダメダメですね。」
「うっ……」
どぉやらニャルイさんにとってアキリシカさんは抗えない存在らしい。
何かにつけては叱られている様子が見て取れる。
「さて。それでは本題に入りましょうか。」
「はい。」
「リーシャさんは…強くなりたい。という事ですか?」
「はい。マコト様をお守りする盾となりたいのです。ですが、私の特技と言えば弓くらいのもの。魔法を使って多少は上手く射ることが出来るようになりましたが、それだけではとてもお守りするなんて言えませんので…」
「……リーシャさんはとても優しい方だと思います。そのマコト様という方と共にいなければ強くなる必要も無いはずです。
離れた所からでもお助けする事は出来ます。間接的ではありますが。それを選ばない理由は何故ですか?」
「……私はマコト様に何度も命を救われて頂きました。本当に何度も。マコト様がいなければ既に私は死んでいたでしょう。」
「……」
「奴隷である私を救い仲間として接してくれるマコト様に私は私自身の全てを捧げています。
もしマコト様が盾となり死ねと仰るのであれば私は迷うこと無く盾となり死ぬ覚悟を決めています。その様な事は絶対に仰らない方ですが…
それくらいの覚悟は既にしています。ですが、もし傍に居られないとなれば私は盾になる事も叶わないという事になってしまいます…もしそれでマコト様に何かあれば私は自分を許せません。
そぉならない為に私はマコト様の傍にいたいのです。」
「……」
「……そして何より……」
「??」
「単純に傍にいたいのです。奴隷である私には分不相応の願いかもしれませんが…」
「そんな事は決してありませんよ。私はその方を知りませんが、きっとマコト様も同じ事を言うと思います。」
「…ありがとうございます。」
「……リーシャさん。」
「はい?」
「私で良ければ弓を教えて差し上げたいのですが、どぉでしょうか?」
「良いのですか?!」
「はい。」
「あ、ありがとうございます!!」
「私の弓の腕を見ていないのに何故その様に喜ぶのですか?」
「アキリシカさんの手は弓を握る為の手ですから。」
握手をした時に分かった。
弓を使う人特有の掌の硬さ。一体どれ程の弓を射ることでそんな手になるのか分からない。
「ふふふ。
今回ばかりはニャルイさんを責められそうに無いですね。リーシャさんに会えて私は幸せです。」
「え?」
「アキリシカさんはこの国で最強の弓使いです。」
「え?!」
「もし星龍としての地位を求めたら特星龍の座を射止めるとまで言われている人なんですよ。」
「そ、そんなお方なのですか?!」
「ニャルイさん。憶測でものを言ってはいけませんよ。」
「事実ですから。
ですが、残念ながらこの国ではあまり弓は人気がありません。なのでアキリシカさんの弓術の後継者が見つからずこのまま消え去るのみと思っていたのです。
そこへリーシャさんが現れてくれた。」
「そ、そんな大役私が?!」
「リーシャさんだから…ですよ。種族も性別も地位も関係ありません。私の技を悪用しない方に教えたかったのです。
その点リーシャさんは問題ありませんから。」
「確かに悪用するつもりはありませんが…」
「ふふふ。それで十分ですよ。」
「良いのでしょうか…?」
「はい。」
「それでは…よろしくお願いします。」
「こちらこそ。」
「じゃあ私はそろそろ行かせてもらうよ。」
「ありがとうございました!」
「いえいえ。それよりアキリシカさんには気をつけてね?
怒ると怖いから。」
「ニャルイさん?」
「おっと!じゃまた今度ねー!」
逃げる様に出ていったニャルイさん。溜息を吐いて首を振るアキリシカさん。いつもの事らしい。
「それで…私は…?」
「そぉですね。まずは私の技術をお見せしますね。」
「お願いします。」
「ではこちらへどぉぞ。」
アキリシカさんと家の裏手へと回る。
大きな木の下にアキリシカさんが立ち、弓を持つ。
凄くシンプルな弓で飾り気は一切無い。
「それでは始めましょう。」
「はい。」
「リーシャさん。矢を私に向かって射って下さい。」
「…え?!」
「大丈夫ですから。」
軽く微笑むアキリシカさん。その距離は3メートル程。普通に射ったとしてもこの距離では避ける事は絶対に出来ない。反応して体を動かすより早く矢が届いてしまうから。
そんな距離で矢を放てと言われても…
言い換えてしまえば殺せと言われている様なもの。
でも、なんとなくこの人には私の矢は当たらないと感じた。
言われた通りに私は弓を構える。
両目を閉じて自然に立っているアキリシカさん。その顔目掛けて矢を放つ。
全てが良く見えていた。私の手から離れた矢が真っ直ぐとアキリシカさんへと向かっていく。火の尾を携えて飛んでいく矢。
しかし、その矢はアキリシカさんに届くことは無かった。
私が矢を放った瞬間にアキリシカさんも矢を構え放った。その矢は寸分の狂いもなく私の放った矢の先端を捉え撃ち落とす。
「そ、そんな…」
「終わり…ですか?」
「い、行きます!!」
私は魔法も使って色々な角度から何本も矢を射った。
最初こそ曲がる矢に驚いた顔を見せてくれたけど、ただそれだけの事だった。曲げようが何をしようがアキリシカさんに矢が届く事は無く、全てを撃ち落とされてしまった。
矢を握ってから放つまでが速すぎる。普通は狙いを定めたりと時間があるものなのに、その時間が無い。
矢を握ったと思ったら次の瞬間には既に矢が放たれている。しかも狙いを外す事が無い。
「す、凄過ぎます…」
「ふふふ。面白い矢を放つのですね。曲がる矢は初めて見ました。」
「初めて見たのに全てを撃ち落としたんですか?」
「真っ直ぐ飛ぼうと、曲がって飛ぼうと、あまり関係はありませんから。」
嫌味なんかでは無く本当にアキリシカさんには関係が無いのだと理解出来た。
あまりにも完成された弓術に私は言葉を失ってしまった。
「どぉですか?私に教わっても損は無いでしょうか?」
「損なんて!!アキリシカさんに教われる事を嬉しく思います!」
「それは良かったです。」
「でも…一体どぉやって?」
「見るのですよ。」
「見る…?」
「えぇ。」
アキリシカさんからは出てこないはずの言葉が聞こえた。
「そぉですね……ではまずはそこから始めましょうか。」
「はい…?」
アキリシカさんから渡されたのは厚手の黒い布。
「それで目隠しをして下さい。」
「…はい。」
「その状態でこれからずっと過ごします。寝泊まりは私の家で構いませんから。」
「こ、この状態で…」
「はい。いついかなる時もそれを外す事を禁止します。」
「……分かりました。」
「まずはその状態で普通の生活を送れるようになりましょう。」
そぉ言ってスタスタと家の中へと入っていってしまうアキリシカさん。
私は生まれて初めて見えないという恐怖を知る事になった。
見えないというのはこれ程までに恐ろしい事なのかと思った。
ただ足を一歩踏み出すという事がこれ程頼りなく感じた事は初めてだった。
頭をぶつけ、足をぶつけ、躓き、転ぶ。
手探りで辺りを調べたとしても安心出来ない。最初の三ヶ月はそれこそアキリシカさんに頼りっきりだった。
普通に生活する事さえままならなかった。
それでも数ヶ月経つと少しずつその恐怖に慣れてくる。もちろん家具の位置等を覚える事で恐怖が低減したのもある。
アキリシカさんの手を借りずに生活が出来るようになった頃、アキリシカさんにまた家の裏手に呼ばれる。
「リーシャさん。今日から少しずつ弓の練習に入りましょう。」
「はい!」
「今日からは毎日二つの事をやってもらいます。」
「はい。」
「まずは、大木の周りを歩いて下さい。」
「……それだけですか?」
「はい。それだけです。
ただし、大木の枝には毎日別の位置に木の板をいくつかぶら下げておきます。それに当たらない様にして下さい。」
「手で探りながら進むという事ですか?」
「違います。手を使わずにただ歩くだけです。」
「え?!それでは板の位置が分かりません。避ける事は出来ないと思いますが…」
「出来ますよ。私は出来ますからリーシャさんにも出来るはずです。」
「そんな事…どぉやればいいんですか…?」
「目を使わずに見てください。」
「目を使わずに…見る…?」
「はい。きっと出来ます。
そして二つ目は、そのぶら下がった板に弓を射て当てて下さい。立ち位置はこの辺がよろしいかと。」
「そ、そんな事…」
「出来ませんか?」
「…………やります。」
「はい。では頑張って下さい。」
「……」
またしてもスタスタと家の中へと入っていってしまうアキリシカさん。
優しい声とは裏腹に割とスパルタという事を一緒に住むことで理解していた。
優しいとは思うけれど、アキリシカさんは絶対に手を貸したりしなかった。
どれだけ私が困っていても本当に無理な事だけしか手伝ってはくれなかった。
でも逆を言えば、私にどぉにか出来る可能性がある事柄であるが故に手を貸さない。という事。
ならばきっと私にも出来るはず。
それから毎日の日課としてその2つを行った。最初は板にぶつかって悶え、矢を放ち地面に刺さった矢を探して回収するという毎日を送っていた。
ニャルイさんは、アキリシカさんの家で過ごす様になってから何度も足を運んでくれていた。
途中経過の観察。なんて言ってたけど心配してくれていた事はわかっていた。ニャルイさんが勧めたという事もあるのだろうけど感謝していた。
街の人達は最初は目隠しをした変な人が来たと私の事を見ていたのに、いつの間にか仲良くなり何かと声を掛けてくれた。
あまりアキリシカさんの家から出る事は無かったけど、街の人達を含めて、このペントルスという街は私にとって凄く居心地のいい暖かな街だった。
ニャルイさんの言っていた様にこの街には昔色々とあった人達が暮らしていた。
脛に傷のあるという事ではなくて、どちらかというと被害者として色々とあった人達ばかりだった。
詳しく聞いたことは無いけれど、きっと皆それぞれで辛い事があったのだと思う。そんな街の人達の大半がニャルイさんに声を掛けられてこの街に来たのだという。
あの怪しさが滲み出る誘い方は昔かららしく、皆感謝はしているもののニャルイさんの行動を呆れたと言わんばかりに見ている人が多かった。
それでもニャルイさんは声をかける事を止めなかった。
アキリシカさんが教えてくれたのは、昔ニャルイさんには凄く優しい妹さんがいたらしい。
非常に可愛らしく明るい子でニャルイさんと歳が離れている事もあって凄く可愛がっていたそぉだ。
でもある日、家族で街の外に出掛けた時、氷鳥に出会ってしまった。Aランクのモンスターを倒せる程の力を両親も、自分自身も持っておらず、氷鳥の思うがままにニャルイさん一家は殺されたらしい。
ニャルイさんの目の前で凍りつき、砕け散る両親。なんとか妹を引きずって逃げ出したニャルイさんはまだ息のあった妹さんを抱き締めて一人森の中で泣いていたそぉだ。
その場に訪れたのはアキリシカさん。偶然の事だったらしい。今でも住んでいる場所に一人ポツンと暮らしていたアキリシカさんはたまにモンスターを狩って日々の糧にしていた。そのたまに訪れた森の中で泣きじゃくるニャルイさんと、下半身が完全に凍りつく妹さんを見つけたらしい。
妹さんの息は絶え絶えで後数分も生きられ無い状態だった。回復薬も上級回復薬でなければ治せない状態。一人で住むアキリシカさんがそんな高価な物を持っているはずもなく、為す術は無かったらしい。
そして妹さんは息を引き取る寸前にニャルイさんに向かって言ったらしい。
お兄ちゃんは生きて。と。
あまりにも残酷なお願いだとニャルイさんは泣いたらしい。そのニャルイさんを見て妹さんは微笑みを浮かべながら息を引き取ったそぉだ。
アキリシカさんの手伝いの元両親と妹の亡骸を持ち帰り、現在ニャルイさんの家のある庭に埋めたそぉだ。
それからニャルイさんは家族の墓のある場所に家を建て、アキリシカさんの元に弓を教わりに来たそぉだ。戦闘に関するセンスは欠片も無く断念せざるをえなかったらしいが…
それが分かったニャルイさんは毎日街に出掛けては自分と同じ様に悲しい過去を引きずる人達を呼び集めた。
寂しかったのだろうか…それとも二度とあんな事が起きないようにしたかったのだろうか…本心はニャルイさんにしか分からない。
その話を聞いてからニャルイさんの明るさに少しだけ寂しさが混じっている様な気がした。
そしてアキリシカさん。彼女もまた悲しい過去を背負う人だった。一年も傍にいると何故こんな所に一人で?という疑問を持つのは道理だった。
隠しているわけでも無いとアキリシカさんは自分の事について語ってくれた。
アキリシカさんの家は代々星龍弓術を使う名家だったらしい。父も、母も、姉も星龍弓術使い。アキリシカさんももちろんその教育を小さな時から受けていた。
厳しい家だったらしいけど、アキリシカさんにとってはそこが世界の全てであり、当たり前の事だった。
そんな家に生まれたアキリシカさんは幸か不幸か弓術の才能に恵まれていた。誰よりも弓を上手く扱い、その腕は当主である父を越える可能性を秘めた物だった。
そしてそれが彼女の悲劇を生むことになる。
龍人種は強さに忠実な種族。
それが例え小さな女の子だったとしても、強ければ当主となれる。
アキリシカさんは弓に愛された事で、家族からの愛を失ってしまった。
自分達がアキリシカさんよりも弱いと分かった時、家族が家族で無くなり、アキリシカさんは両親と姉を一瞬にして失ってしまった。
アキリシカさん自身は、厳しい家でも家族を愛していた。厳しい父、美しい母、優しい姉。そんな家族を愛していた。
だけど家族はアキリシカさんを愛してはいなかった。醜い嫉妬や憎悪の感情でアキリシカさんを黒く塗り潰し、そして遂にはアキリシカさんを殺そうとした。
その時アキリシカさんは死ぬ事を受け入れようとしたらしい。
愛した家族が自分を疎ましく思うのであれば、それは自分がこの世に生まれてきてはいけなかったということだと。
弓ではなく剣を携えて現れた父と母。アキリシカさんは抵抗しようとはしなかった。
剣を振り上げた父と母の顔を今でも覚えていると教えてくれた。
そぉ、アキリシカさんは生まれつき目が見えなかったわけではなかった。
剣を振り下ろす父と母の目の前に飛び込んだのは姉だった。
アキリシカさんを庇うように飛び込んだ姉の背に二本の剣が刺さった。
「ごめんねアキリシカ…今まで……ごめんね…」
その言葉をアキリシカさんは死ぬまで忘れないと言っていた。
父と母の手によって死を迎えた姉。
姉を殺してしまった事に耐えきれず狂ってしまった母。わけも分からず父に剣を突き立てる。
アキリシカさんを抱き締めるように死んだ姉の後ろで繰り広げられる絶望。
父が息をしなくなっても剣を突き立て続ける母。そして、最後に自分の喉へと剣を突き立てた。
一晩にして家族を失ってしまったアキリシカさんの取れる行動はあまり多くなかった。
姉とたまに遊びに行っていた森に咲くアキリス。その花はとても香りが良くお茶に用いられる事も多い花。アキリシカさんの名前の由来となった花。
そのアキリスは森の中ではもう一つの花といつも共にある。
ネリスト。
アキリスに寄生する植物でその根には強い毒がある。
自分の名の由来になったアキリス。でも本当はきっとネリストの方が自分に似ているとアキリシカさんは悲しい笑顔を見せて言った。自分は家族という物に寄生する毒だと。
失意の底にいたアキリシカさんはそのネリストの根を食べて死のうとしたらしい。結局死ぬ事は出来なかったのだが…
毒によって気を失っていたアキリシカさんは姉に会っていたと話してくれた。
死のうとした自分を叱りつけ優しく戻してくれたと。
目が覚めた時、世界は暗闇になっていた。両目の視力を失ってしまった。でも、それを当たり前だと受け入れたらしい。自分は家族を殺し、自分を殺そうとした。その罰がこれであると納得したと。
ネリストの毒によって失った視力は回復薬では治らない。上級回復薬は試されなかったらしいが、医者が飲ませた中級回復薬では治らなかったとの事だ。
アキリシカさん程の腕があれば上級回復薬くらい直ぐに買えるだろうけど、それをする事はなかった。
上級回復薬で治るか分からないのに勿体ない。なんて言っていたけれど、多分アキリシカさんは自分に与えられた罰を納得して受け入れているのだと思う。
そして目が見えなくなった事で、逆に人の些細な心の動きや感情を読み取れる様になったらしい。
つまり、アキリシカさんには嘘は通用しないという事。ニャルイさんはそれで良く叱られている。
私はその話を聞いた後、自分の話をした。アキリシカさんとは似ても似つかないものだけど、私が知って欲しかったのはマコト様という存在の事だった。
どれだけ悲しい事があっても、どれだけ自分を憎んでも、その全てを受け入れて包み込んでくれる人がいる事を知って欲しかった。
「……少し羨ましい…のかもしれませんね。」
「アキリシカさんもマコト様に会えば、きっと何か感じるものがあると思います。」
「そぉですね……機会があれば是非お会いしたいですね。」
「はい!!」
アキリシカさんは姉が守ってくれた自分の命と技を誰かに託したいと常々思っていたらしい。私が来てくれて幸せだと言ってくれた事の裏に、これ程の思いがあった事を知って私は身を引き締めた。
そんな話をしてから三ヶ月が過ぎたある日のこと。
私はいつもの様に家の裏手に行き、日課をこなそうとしていた。
「今日はいい天気。」
頬に当たる日の暑さを感じる。
微かな風が吹き抜け地面に生えている草がカサカサと音を立てる。
その時、私には確かに見えた。
木にぶら下がる板の位置が。
「え?!」
自分で自分に驚いていた。なんでか分からなかった。暫くその場で固まってしまった程。
でも心を落ち着けると、その理由が分かった。
吹き抜ける風、僅かな温度の違い、音の反響…その全てを体で感じると目で見ていないのにそこにある物が見えているかのように鮮明に、手に取る様に見えた。
これが、目を使わずに見る。という事。
あまりの衝撃に私は言葉を失った。感じられる範囲であればどこまで遠くてもそこに何があり、どぉ動いているか分かる。
私はゆっくりと足を動かしてぶら下がる板を避ける。
離れた位置から矢を放つと全て板に命中する。
「……やりましたね。」
「アキリシカさん!!」
あまりの感動にアキリシカさんに飛びつく様に抱き着いてしまった。
「ふふふ。」
「凄いです!こんなの初めてです!」
「それこそが、私の教える星龍弓術の基礎。心眼です。」
「心眼…」
「これが出来なければ私の弓術は使えません。
まさか半年で会得してしまうとは思っていませんでしたが。」
「そぉなのですか?」
「身につかない人もいるくらいですからね。
リーシャさんはエルフの方なので感受性が高いのでしょうか?」
「分かりませんが…とにかく凄いです!」
「ふふふ。良かったですね。」
「はい!」
「それでは本格的に弓術の鍛錬に入りましょう。」
「はい!!」
それからはアキリシカさんに弓術を教わりながら弓の何たるかを叩き込まれた。
時に厳しく、時に優しく教えてくれるアキリシカさんの弓術は全てが新しく、そして完成された物だった。
アキリシカさんはまだまだ発展の余地がある。とは言っているものの恐ろしく次元の高い弓術である事に変わりは無かった。
それこそ弦を引く動作や姿勢に至るまでアキリシカさんに叩きこまれる。
もちろん目隠しをしたまま。
あまりに高いレベルの弓術に私は悪戦苦闘を繰り返し、やっとの思いで吸収出来た時には既にマコト様と別れた時と同じ季節になっていた。
「それでは行きますよ。」
「はい!お願いします!」
アキリシカさんが矢に手を伸ばす気配を感じる。それに合わせて私も矢に手を伸ばす。
キンッ!
矢が私とアキリシカさんの間でぶつかり高い音を奏でる。
キンキンキンッ!
アキリシカさんの放った矢を全て撃ち落としていく。
「…………」
「………凄いですね。一年で全てを体得するなんて信じられません。」
「では?!」
「はい。私に出来るのはここまでの様ですね。」
「アキリシカさん…」
私は思わず涙を流してしまっていた。
あまりの嬉しさに、あまりの感謝に私は涙を流しながらアキリシカさんに抱き着いていた。
「よく頑張りました。私も後継者が出来て嬉しく思いますよ。」
「ふぇー!ありがとうございましたー!」
「ふふふ。」
優しく背中を撫でてくれるアキリシカさんの手はマコト様と同じ暖かさを持っていた。
「ありがとうございました!」
「いえいえ。気をつけて下さいね。」
「はい!」
一年もの間お世話になったアキリシカさんの家を出る事にした。星龍弓術を納めた証として貰った花の紋章が入った矢筒を背中に背負って。
紋章の花はいつもアキリシカさんの庭に咲いている花と同じもの。その花の名前はアキリス。
その蕾が今にも開こうとしているところを見ながら私はアキリシカさんの家を後にした。
私の個人的な目標はアキリシカさんに教わった星龍弓術を身に付ける事。そしてもう一つの目標はAランクモンスターを単独で討伐する事。
マコト様と会ったときには単独でAランクモンスターに挑む事になるなんて考えてもいなかった。
私は奴隷で特にこれと言った特技は無かった。本当にただ弓を射る事が出来るだけ。それなのにこんなにも凄い弓を作って頂けて、加えて奴隷としてでは無く、仲間として扱って下さった。
ガイストルでの晩餐会の後、マコト様は私の所へと来て少しだけ話をして下さった。
私はガイストルの一件で自分のしてきた過去の事を悔い、落ち込んで一人会場の外で星を眺めていた。
「リーシャ。」
「マコト様…主役がこんな所に出てきても大丈夫なのですか?」
「少し風に当たりたくてな。それにしても星が綺麗だな。」
「はい…」
「……」
「………」
「なぁ。リーシャ。」
「はい?」
「リーシャが今までしてきた事とか色々とあると思うけどさ。」
「…」
「それを俺達が全部取り除いてやる事なんて出来ないし分かってやるなんて傲慢は言わない。」
「……」
「でも、俺にはやっぱりリーシャが必要だと思うんだよな。」
「私が必要…ですか…?」
「あぁ。理由をあげたらキリがないけどさ。一番は…やっぱりなんとなく。かもな。」
「なんとなく…」
「人を好きになったり大切に思う理由なんてなんとなく。だったりしないか?
確かに理由もあるとは思うけどさ。それを突き詰めていくとなんとなく好きだから。なんとなく大切だと思うから。だったりさ。」
「そぉかもしれませんね…」
「だからさ。リーシャ。別に落ち込んでも良いし悩んでも良いからさ。俺達とずっと一緒に居てくれないか?」
「………はい。」
「ありがとな。」
そぉ言って私の頭に手を乗せるマコト様の顔を見て私はなんとなく理解した。
色々な事があったし私自身が私自身を許せないと思える事をしてしまったのかもしれない。それでもマコト様が私の事を許してくれている限り、私はここに居ていいと。
何度助けられれば私は学ぶのだろうかと恥ずかしくなってくる。
でも、もぉ迷わない。マコト様に一生着いていき、そして私の一生を掛けて恩返しする事を。どんな過去を持っていても、私を許してくれるマコト様にこの先の私の人生全てを捧げると誓った。
そしてマコト様は私達が強くなる事を望んだ。ならば強くなるか死ぬしか私の前に道は無い。
龍脈山の森の中で目を閉じる。
木々を避けて通り行く風、まだ冷たさの残る地面の上を走る小動物、少し離れた枝の上で私の事を注意深く見ている小さな鳥。その全てを感じる。
この森には本当に多くのモンスターが生息している事を初めて知った。
そして、山に最も近い位置に居る存在を明確に感じ取る。
冷たい冷気を纏う大きな鳥。氷鳥。
私は氷鳥の元へと向かって森を進んでいく。
私の射程範囲内に入った。二百メートルは離れている。氷鳥はまだ私の存在にすら気が付いていない。
そしてもう一度瞼を閉じる。
心眼。その効果は目を閉じたままいろいろな物を見る力。
魔力を少しも使わずにこんな事が出来るなんて、ケン様の事を言えないな…
氷鳥から感じる気配。その中に混ざって伝わってくるのは、どの部分の防御が薄いのか、どの部分の魔力が薄いのか…
心眼は目に見える物を捉えるのでは無く、目に見えないものから得られる情報を元にしている。つまり魔力や魔法もその一つ。物質の弱点や魔法の弱点をハッキリと認識できる。
例えばシールド魔法を使ったとしても、そのシールドは全てが均一にはならない。より均一に近付ける事は可能だけど、完全な均一には決してならない。そしてそれは物質もまた同じ。
薄い部分や濃い部分が必ず存在する。その薄い部分を的確に認識する力。それが心眼の本当の力。
とはいえ、その薄い部分というのは矢に対して考えると針の先程の小さな点でしかない。そこを射抜く為にはそれだけの修練と腕、そして勘が必要になる。
それを私はこの一年間磨いてきた。
弓に矢を番える。キリキリと耳元で弦が鳴る。
キュンという矢が放たれた時特有の音が耳に残る。
これ程離れた位置にいる相手に有効打を与える事が出来るのか?
答えは…出来る。
それ程までに心眼で見る弱点というのは脆い部分だから。
矢は放物線を描いて森の木々の間を一直線に飛んでいく。星龍弓術。一矢滅龍。
たったの一矢で龍をも滅ぼす一撃を与える弓術。星龍弓術の基礎中の基礎の技。
硬い氷で覆われた氷鳥の首元へと飛んでいく矢に気付けるわけもなく、氷鳥はその矢を無防備に受ける。
体に纏った硬い氷の鎧。その弱点を寸分違わず撃ち抜く。パキッという氷の割れた様な微かな音が聞こえると、氷鳥の体がグラりと揺れその場に倒れ込む。
近付いていき氷鳥の傍に立つ。どぉやら即死だったらしい。
ニャルイさんの仇、とまでは言わないけどニャルイさんの妹さんを思い少しだけ黙祷を捧げる。
「マコト様。」
目を開き私は自身の成長を感じながらマコト様のいらっしゃる方へと足を向けた。
マコト様と離れ森を抜けると大きな街が見える。デュトブロスの首都ズァンリ。最初はそこにいるキーカさんの元に向かおうかと思ったけれど、それは止めた。
キーカさんの技は剣術であり、私の使う隠密術とは全く異なるものだから。
私はズァンリを避けて北東へと向かう。
昔ズァンリに来た時も暫くこの辺りで留まって行動していた。その時に出会った人の元を目指して地面を蹴る。
ズァンリの北東には大峡谷イスノルブがある。龍脈山から伸びる峡谷で底が見えない程に深い。この峡谷を横断する様に太い木の根が幾多も張り巡らされている。
その構造上飛行型のモンスターが好んで巣を作る場所で、危険な区域として人は寄り付かない。
しかし、知る人は少ないが、この大峡谷の底にはある人が住んでいる。
ヌロト。それがその人の名前。
ヌロトは世界屈指のアサシンとして知られる人の一人でありながらどこにも属さず傭兵の様な生活をしている。
その素顔は誰も知らず、悪鬼として知られるヌロトを模した仮面を常に被っていることからそぉ呼ばれるようになったらしい。
なんで私がその人の居場所を知っているかと言うと、昔この街に来た時に仲良くなったから。
数年前、この街に滞在していた時の事だった。マコト様が武器の作成に使うある素材を探していて出会った。
私一人でマコト様が必要とする素材のうちの一つを探しに龍脈山手前の森に入り、その素材を持ったモンスターを探していると、全く違うモンスターに襲われた。
そいつの名前はドランクフロッグ。1メートルはあるでっかい蛙。
白い体に緑色の斑点を持ち、口から強力なアルコールを吹き出しそれを爆発させることによって攻撃する。長い舌も厄介だけど、群れると更に厄介。
ただ防御力はそれ程高くないのでランクはCのモンスター。
兄様と姉様に鍛えられてきたし闇魔法も駆使すればそれ程難しい相手でもないのでさっさと片付ける。全部で五匹は倒せた。
このモンスターは酒の材料にもなるし身も美味しいから食用として重宝されている、出来る限りは持って帰りたい所だけど全部は流石に無理だなぁ。と思っていると真後ろから声が聞こえる。
「おぉ。こりゃ美味そうだな。」
背筋がゾクリとした。
兄様以外の人にここまで接近されるまで気配すら感じられない人がいるとは思わなかった。
即座に飛んで距離を取り黒椿を構える。
オーガに似たヌロトの仮面を被り全身黒ずくめ。
なんとも怪しい相手、しかもかなり強い。私は冷や汗が止まらなかった。
もしここでこの人と戦闘したら間違いなく私が死ぬと感じたから。
でもそんな事にはならなかった。
「お、おぉ。すまん。接近し過ぎたな…」
「……」
「別に何かしようってんじゃないからそんな危ない物はしまってくれないか?」
「…」
少し間を置いて黒髪を鞘に戻す。もちろん警戒は解かないけれど、ここで戦闘になって死にたくは無かった。
「いやー。それにしても大漁だな!羨ましい!」
「……ドランクフロッグのこと?」
「おぉ!こいつらってあまり見かけないからよ!
それが五匹もいるってなると羨ましいだろ!」
「……欲しければ何匹かあげる。」
「本当か?!」
「…うん。全部は持って帰れないから。」
「良いのか?!くぁー!こいつはラッキーだな!」
「一人で食べるの?」
「いやいや!食うのも悪くは無いがこいつは酒にするんだ!こいつで作った酒は美味いからなぁ!」
「飲んだくれ?」
「え?………ぶははは!ちげぇねぇな!」
腹を抱えて笑うその人は微塵も私を警戒していなかった。
「お前面白い奴だな!酒作ったら飲みに来いよ!」
「??」
「俺はヌロトって呼ばれてる。イスノルブ大峡谷の下に住んでるから来いよ!」
「あそこの下に?」
「一応アサシンとして傭兵みたいな事しててな。そんな仕事の話はどぉでもいいからよ!なっ?!」
「……分かった。また行く。」
「ぶははは!よーし!そんじゃ有難く貰ってく!」
そぉ言って軽々とドランクフロッグを持ち上げて去って行くヌロト。
その時の約束通り時を見て私は大峡谷に向かった。
峡谷の淵へと辿り着き、下を見ると太い木の根が幾つも横断していてその所々に飛行型モンスターのものと思われる巣が見える。
中にはワイバーンの巣らしきものも見える。ワイバーンを一人で討伐するのは難しいし、他のモンスターにも見つからない様にしないとこの足場の悪い場所では不利過ぎる。
私は慎重に辺りを確認しながら下へと根を伝って降りていく。根を幾つか降りた所で上からの光がほとんど届かなくなり周辺の様子がほとんど分からなくなる。
それでもまだまだ底へは辿り着けそうに無い。
横断している木の根も少し湿っていて滑りやすくなっている。
これ以上は難しいと思っていると下からヌロトが上がってくる所が見えた。
「おぉ!来たか!誰かの気配がしたから上がってきたが丁度よかったな!」
この一番下。底から私の気配を察知した?
そんな事が出来るのだろうか…しかもこの人足音が一切しない…
ヌロトに着いて下まで降りると荒屋が見える。木の板を不格好に繋ぎ止めただけの家と呼ぶには質素なもの。
僅かな光が、継ぎ接ぎの隙間から漏れ出している。
「よーし!入れ入れ!」
中に入ると酒の匂いが充満し、いるだけで酔いそう。
「ぶははは!まさか本当にここまで降りてこられる奴がいたとはなぁ!」
「え?」
「普通はこんな所まで降りてこられる奴はいないんだよ!俺に着いて来たとしてもな!
ドランクフロッグを五匹相手にして無傷で仕留めてたからお前ならなんとか降りてこられるかと思ってたがやっぱり降りられたな!」
「試したの?」
「まぁそぉ怒るな!酒を振る舞いたかったのは本当なんだから!」
そぉ言ってヌロトはマントと仮面を外した。ボサボサの黒髪に黒い瞳。無精髭を生やした人種の男。それがヌロトの正体だった。
ヌロトの話はなんとなく聞いていたから素顔を晒した事に正直驚いた。
「顔…良いの?」
「友達と酒を飲むのに仮面はいらんだろ!」
「……そっか。」
そぉしてヌロトと酒を酌み交わし私とヌロトは友達となった。
「また来いよー!」
翌日ヌロトに送ってもらい外へと出た私はマコト様の元へと戻った。
これが私とヌロトとの出会い。
つまり私はこの世界で唯一ヌロトの素顔を知る存在。という事になる。
そんなヌロトの元へと向かう理由は一つだけ。
彼からアサシンとしての技術を学ぶ事。
数年振りに訪れたイスノルブ大峡谷は昔のまま何も変わっていなかった。
私は昔と同じ様に下へと向かって降りていく。周辺が暗くなるが構わず降りる。
そして全体の八割程降りた所で昔と同じ様にヌロトが上がってきた。
「お前…プリネラか?!」
「ヌロト!久しぶり!」
「ぶははは!こりゃ嬉しい再会だな!」
一段下の木の根から声を発するヌロトも昔と変わらない姿。
「昔より気配を隠すの上手くなりやがって!」
「私も遊んでたわけじゃないから。」
「ぶははは!言いやがる!とりあえず酒飲むぞ!」
「相変わらずの飲んだくれジジイ。」
「ぶははは!うるせぇ!来い!」
私はヌロトに着いて下へと降りる。
そして何も変わっていない荒屋の中に入ると直ぐにヌロトが酒を持ってくる。仮面は外している。
再会を祝う酒を酌み交わした所でヌロトが口を開く。
「そんで?どぉしたんだ?」
「実は頼み事があってきた。」
「頼み事?」
「私にアサシンとしての技術を学ばせて欲しい。」
「……ほぉ?こんな飲んだくれジジイに教えを乞うのか?」
「ヌロトの強さは分かってる。」
「……ふむ。」
無精髭を触りながら考えるヌロト。
「まぁ友達からの頼みじゃ断れねぇな。」
「本当?!」
「あぁ良いぜ。」
「頼んでる私が言うのもなんだけど…そんな簡単に教えても良いの?」
「実は俺もそろそろこの生活に限界を感じてたんだ。」
「限界?」
「俺も歳だからな。そろそろ引退を考えてたんだよ。金はそこそこあるし老後の人生を普通に送ろうかと思ってな。」
「まだまだ元気に見えるけど?」
「今はな。だがもぉ数年もしないうちに今の様には動けなくなっちまう事くらい自分でよくわかってるからな。
俺の技ってのは世の中にしてみれば良いもんじゃない。というか悪いもんだからな。本当は墓場まで持って行こうと思ってたんだが…
プリネラになら教えてやっても良いかもしれないな。」
「なんで?」
「素質があるってのはもちろんの事だが…プリネラなら間違った使い方はしないと思ってな。」
「人殺しの技に良いも悪いも無いんじゃ?」
「あるさ。プリネラは人を殺すときに愉悦を感じた事って無いだろ?」
「無いよ。そんなの。私はマコト様の為にそぉしてるだけで別に人殺しが好きなわけじゃ無いから。」
「そこだよそこ。裏側の世界にいる奴らってのはな、ほとんどが人殺しに対して愉悦を感じるってのが普通なんだよ。」
「そぉなの?」
「じゃなきゃこの業界では生きていけないからな。」
「ヌロトも?」
「いいや。俺は違う。
だから俺に似た感覚を持つプリネラになら良いかと思ってな。
愉悦を感じる様な奴らってのはいつか必ず技を無闇に使いたくなるもんだ。最初は金のためだったり命令だったりしてたのが、いつしか人殺しそのものが目的になっちまう。」
「うげぇ。」
「うげぇ。だよな。
そんな間違った使い方をする奴には俺の技術を教えるなんて真っ平御免だ。」
「なんとなく分かった。」
「ぶははは!こんだけ話してなんとなくかよ!笑わせるぜ!
だからプリネラには教えてやっても良いかと思えるだな!
よっしゃ!そんじゃ早速始めるぞ!」
「今から?」
「おぅよ!教える事はたんまり有りそうだからな!」
「むっ。直ぐに覚えて追い抜いてやる。」
「ぶははは!その意気だ!」
「それで?なにするの?」
「そぉだな…とりあえずこの大峡谷を自由に行き来出来るようにするか。」
「自由に?」
「このイスノルブ大峡谷ってのはな、龍脈山に近付けば近付く程強いモンスターがいるんだよ。この辺は静かなもんだ。」
「そぉなんだ…」
「強いモンスターってのは気配の察知能力も高い。そいつらに気付かれないように龍脈山の麓まで続くこの大峡谷を走破してみろ。」
「走破…」
「奥に行けば行くほど姑息で鋭い感覚を持ったモンスターが出てくる。気をつけねぇと瞬殺されるぞ。」
「……分かった…」
「走破出来るまではここを拠点にしていいから好きに使え。」
ヌロトはそぉ言ってぐいっと酒を飲み込む。ここから動く気は無いらしい。
教えると言うには放任過ぎる気もするけど付きっきりで見られるより私には合ってる。
荒屋を出て真っ暗な大峡谷を見る。
暗闇は私にとって強い味方でもあるけど、相手がモンスターである場合逆に弱点となる場合もある。それをいかに掻い潜っていくか…
私は木の根に飛び乗ってずっと先まで続く大峡谷を進み始めた。
ハッキリ言ってしまうと最初はほとんど進めなかった。少し先に進むと巣にいた飛行型のモンスターに見つかり、寄るなと言わんばかりに攻撃される。
不安定な足場では実力の半分も出せず、木の根から落とされ、危うく全身の骨を折るところだった。
正直なところ、もっと簡単に進めると思っていた。いつもモンスターから隠れ襲われずにいる事が出来ていたし、自信もそれなりにあったから。
しかし数日間、全く前へと進めない事で気が付いた。
それはモンスターが私の事に気が付いても無視していたり、関わろうとしないからだと。
事ここに至っては、自分達の巣があり、最も見知った場所。外敵になり得るものが近寄れば全力で阻止するし見て見ぬふりは絶対にしない。
別にここにいるモンスターが特別好戦的な訳ではない。
むしろこんな所に巣を作っている種というのは臆病な性格のモンスターが多い。他の外敵が近寄り難い場所に作っているのだから。
しかし、気配を察知する能力というのは基本的に臆病な性格のモンスターの方が高い。常に気を張り微かな変化にさえ敏感に反応する。
私はその事に気がついてから初めて自分の隠密能力の低さを実感した。
だからといって諦めるという選択肢は絶対に有り得ない。
私は何度見つかろうと、何度追い返されようとしつこく繰り返し挑戦し続けた。
気配を消すには色々なコツがある。例えば足音を消す為には膝や腰などの関節を柔軟に使い衝撃を上手く殺したり、細く長く息をしたり。
アサシンにとっては至極当然の技術だけど、私はその技術を再度磨き上げる必要があった。
気配を消す事が出来たとしても、まだまだ課題は山積みだった。
単純に木の根を伝って降りてくる時とは違い、奥へ進む為には上に、横に、下にと伝っていく必要がある。
湿り気を帯びた木の根は滑りやすく、気を引き締めていても私の行く手を阻んだ。
何度も試行錯誤を繰り返しているうちに少しずつ前には進めるけど、進めば更に感知能力の高いモンスターが現れる。
そしてまた気配を殺す為に試行錯誤する。
それをひたすらに繰り返していく。最初は全く進めなかったけど、少しずつ進める距離が伸びていく。
三ヶ月が過ぎようとしていた頃、私はやっと全長の半分に到達出来るようになっていた。
そしてこの大峡谷行進の表情はこの半分を過ぎた所でガラリと変わる事になる。
今まではどちらかと言えば捕食される側のモンスター達が相手であったものが、そこからは捕食する側のモンスター達の領域となった。
今までのモンスターは追い返すだけだったモンスターの動きが、捕食する為の狩りへと変わる。
慎重な捕食される側のモンスターを狩る為に自然界で磨き上げられた気配察知能力や、気配遮断能力。
狡猾で獰猛な捕食者達の中を進むのは今までの行進とは比じゃない危険と緊張感を持っていた。
薄暗い闇の中、自分の呼吸音がやけに大きく感じる。
聞かれていないか…本当は既に闇の中から私の喉を掻き切る為に爪を研いでいるのではないか…
そんな考えが終始頭の中を支配する。一歩を踏み出す事がこれ程怖いものだとは……
半分に到達するまでは小動物やモンスターの出す音がそれなりに聞こえていたのに対して、こちら側では物音が何一つしない。
意を決して足を踏み出すまでかなりの時間が必要だった。
決意を固めて足を踏み出す、ここまで身に付けたものを全て使う。
それでも足りなかった。
私が足を踏み出した瞬間に頭の後ろを通り過ぎる鋭い何か。驚きのあまり大声を出してしまう所だった。
目の前を通り過ぎたのは大きな鎌。
闇の中でその本領を発揮するBランクのモンスター、シャドウランナーの腕だった。
僅かにタイミングがズレた攻撃は私を傷付けることは無かったが、その存在に全く気が付けなかった。
最初からそこにいたのか、静かに近寄ってきたのかさえ私には分からなかった。
マコト様達といる時はあれ程容易い相手に感じるモンスターでも、一人この足場の悪い暗闇で出会うとこれ程驚異に感じるなんて…
踵を返して即座にその場を離脱しようとした私をシャドウランナーの気配が追ってくる。
今までとは違い私を殺す為に追ってくる。冷や汗が止まらなかった。
いつ背中から切りつけられてもおかしくない。全力で足に力を込めて次々と木の根を飛び渡る。
どれだけ逃げたか…いつの間にかシャドウランナーの気配は完全に消えていた。
なんとか逃げきれたが、こんな奇跡は二度と起きない。シャドウランナーの最初の一撃が外れたのは私の動き出しとシャドウランナーの攻撃のタイミングが奇跡的に噛み合いズレただけの事。
もしあの時一歩を踏み出す事を躊躇っていれば私は既に死んでいた。
死ぬ事自体が怖い訳では無い。ただマコト様に失望される事が怖かった。
マコト様は私の事を信用し、異界の女性アサシンにのみ与えられる名前、くノ一という名前で呼んでくれた。
あの地下牢で過ごし、最愛の友を手に掛け、ただ死んでいなかっただけの私に意味を与えてくれた。
私にとって、その事が唯一この世に生きている意味だった。
私の存在理由であるマコト様が私に失望する。そんな未来が来たら私は多分耐える事が出来ない。だから私は必死に強くなろうとし、死から逃げている。
「もっと……もっとだ……」
今の私にはまだ遠い龍脈山を大峡谷の中から眺め拳を握り締める。
初めての捕食者との遭遇によって打ちのめされた私が荒屋に戻るとヌロトが直ぐに話しかけて来た。
「お?半分まで行ったのか?」
「……なんで?」
「落ち込んでるからな。」
「……うん。」
「あいつらはモンスターだからな。生まれた時から狩りの名人みたいなもんだ。」
「あれじゃ先に進めない…」
「だろうな。」
「……」
「………ったく。しょうがねぇ。ヒントをやるよ。」
「ヒント?」
「プリネラはまだ捕食される側だ。あいつらと同じ様に捕食する側になれ。」
「捕食する側…?」
「以上!」
そぉ言ってまた酒を飲むヌロト。
何を言っているのか分からなかったけど…とにかく今出来ることはそれ程多くない。
私はそれから休むこと無く大峡谷を行き来する。すると手も足も出ない状況から少しずつ捕食者側の動きを学ぶ事が出来た。
捕食される側と大きく違うことは、気配遮断能力の高さと、確実に一撃で相手を屠る何かを持っている事だった。
モンスターによって気配を消す方法は違う。姿そのものもを不可視化したり、壁や木の根に擬態したり、闇に紛れて魔法を使ったり。中には敢えて光を使い獲物を誘い込む事で捕食するものもいた。
気配を消す方法は沢山あるけれど、相手を確実に屠る方法はどのモンスターも全て同じだった。
相手の急所を確実に貫く。それだけだった。
もちろん自分の持つ武器や特性によって捕食する相手は違うが、魔法であろうと物理的な攻撃であろうと、狙っているのは相手の急所。
生物である以上は急所というのは大体位置が決まっている。そこを一撃で貫く。
私は一ヶ月を掛けて捕食者達の行動をひたすら観察し続けた。
そして気がついた事や思いついた事を繰り返し検証し、身に付けていく。
そぉしていくと次第に私自身の気配遮断能力と一撃で屠る能力が高まっていくのを感じる。
それがある程度まで高められた時、ヌロトの言っていた事の意味を正しく理解した。
これが捕食する側の動き。つまり捕食者としての能力。
それから私はもう一度大峡谷を進み始めた。




