18話 深夜の襲撃
それが起こったのは秋も深まり、木々から赤や黄に色付いた葉がこぼれ始めるような時期だった。
誰もが寝静まって人の発する音が一切消えている時間帯、突如として一軒の家が燃え上がった。それだけであれば、火の不始末による火事で済ませられるところだったが、続けて二軒、三軒と燃え上がり始める。
その異変に最初に気付いたのは、他の誰でもない礼だった。
その日、礼は奇妙な胸騒ぎを覚えて目が覚めると、その後眠れずにいた。まったく眠気が訪れる気配がなく、ベッドの中で何回目かの寝返りを打った後、もそもそとベッドから抜け出す。幸か不幸か、その日エメラの乱入はなく、起こしてしまう心配はなかった。
「ダメだ、寝れない。少し散歩してこよ」
礼は誰に言うでもなく一人呟いて手早く着替えて外に出た。この時期の夜ともなるとそれなりに冷え込むが、時期に見合った厚着をしていたため、そこまで寒さを感じることはなかった。人工物の音のしない静かな夜の中、弱い風が優しく木々を揺らす音だけが鳴り響く。
礼は昔から音の少ない深夜に外に出ると、説明のつかない胸の高まりを感じる事が多かった。その日も例に漏れず、奇妙な興奮を覚えながら見覚えのある道を歩いていった。
現代の地球のように夜であっても煌々と明かりがついているなどという事はなく、魔法で光を出して歩かなければまったく周囲を窺うことができない。その日は新月で月が出ていなかった事もあり、輪をかけて暗く、礼も魔法で光を出して周囲を照らしながら歩いていった。
そんな中、火が上がったのを見つけたのは必然だった。最初は何もない所から火が上がっているように見えた。しかし、魔法以外でそんな現象が起こるわけもなく、実際にその火が二箇所、三箇所と増えていった。
礼が火事だと気付くのに大して時間はかからなかった。急いで走っていき、慌てて魔法で水を出し消化にあたるが、周囲に次々と火の上がる家が増えていった。不自然な火事の続出に人為的なものを感じた礼が周囲を見渡すと、次々と火の塊が飛来してくるのを確認した。広範囲に障壁を張りその魔法を防ぐが、発生源がわからない限りいつまでもつかわからない。
「連続放火魔がいますよー!!誰か助けてください!!」
自分一人では対処できないと判断し、礼は障壁を維持しつつできる限り水を燃えている家にかけ消化しながら大声で助けを呼んだ。
礼の声に気付いたのか、はたまた煙で気付いたのか、近くの数人が家から飛び出してきて絶句する。既に燃えてしまっている家が六軒ほどあったが、礼の対処が早かったおかげで住んでいる人が焼けてしまうような被害まではいっていなかった。
「俺は燃えた家の住人を確認してくる!」
飛び出した数人の内の一人が、燃えている家に慌てて飛び込んでいった。
「こりゃ、放火なんかじゃない、敵襲だ!自警団に連絡してこないと!」
別の一人はそう叫んで自警団の事務所のある方向へ走っていった。
そうこうしていると、魔法による火球攻撃が止まる。この時点で攻撃がとまると考えるほど礼もバカではなかったが、ほぼ間を空けずに黒装束の敵兵が街の中に雪崩込んできたのを見た時は足が竦んでしまった。
敵兵は礼を含めた表に出ている者たちには目もくれず、まだ火の付いていなかった家の中に次々と進入していった。寝込みを襲うつもりのようだった。
その事実を見て、礼はすぐにエメラをはじめとした知り合いの安否が気になった。
「ここはお願いします!」
「わ、わかった!」
本来は目の前で起こっている事実から潰していくべきなのだろうが、身近な人にこの場を任せて、礼はその場から急いで引き返した。
礼がエメラの家に着くと、既にエメラは家から飛び出しており、顔を真っ青にして切羽詰った様子で周囲をキョロキョロを見回していた。
「エメラ!」
礼が声をかけると、弾かれた様に礼の方を向きその姿を確認する。するとすぐに走り出して礼に抱きついた。
「アリィ、いなくなったから心配したのよ、もう…」
「ごめん…。でも今はそれどころじゃないんだ。敵兵が寝込みを襲ってるっぽいんだよ」
「それって…!」
「うん、だからエメラはジムさんとこ、僕はレナちゃんとこを手分けして確認しよう!」
「わかった!でも無理しちゃダメだからね!」
「わかってるよ!」
エメラと礼はそこまで話をすると同時に走り出した。
礼がレナ・カイル姉弟の家に着くと玄関の扉が開いていた。それを見た礼はお腹の奥の方が一気にクールダウンしたような感覚を覚える。しかし、まだ侵入したばかりの可能性もあり、呆けているわけにはいかない。一瞬止まった足を即時に動かして家の中に入っていく。
まず確認したのはレナとカイルの寝室だ。そこの扉は開いておらず、敵兵がそこまで侵入した形跡もない。少し安心した礼だったが、念のため扉を開けて確認すると二人はこんな騒ぎの中でも穏やかな寝顔を見せていた事に心底安心する。
確認もそこそこに、次に両親の寝室に向かうと、ちょうど音を立てずに扉を開こうとしている黒装束の敵兵の姿を見つけた。親しい知り合いの命を刈り取ろうと夜の闇に紛れて忍び込んだこの敵兵に、礼はマグマのような滾る激しい怒りを感じた。それは怒りを通り越して憎しみと言ってもよかった。
「ぶっ殺してやる…」
礼は無意識に敵兵に対して一言呟くと、敵兵も礼に気付く。すると敵兵は戦闘体制を取る事無く逃げていった。礼も後を追ったが、窓から外に逃げていったため、そこで追うのを断念してレナ達一家の保護を優先することにした。
「…何があったんだ?」
この騒ぎで父親が起きてきた。
「クレストさん、無事でよかったです。実は寝首かかれそうになってたんですよ」
「本当か!?うちの子達は!?」
「二人とも無事です。先に確認しましたから」
「…そうか。一家そろって君に命を救われたのだな。感謝してもし切れないよ」
「安心するのはまだ早いです。街の中にかなりの数の敵が侵入してます。十分警戒してくださいね」
「わかった。本当にありがとう」
お礼の言葉を受け取るのもそこそこに、礼はレナ一家の家を後にする。
その後、ジム夫妻の無事を確認したエメラと合流すると、ジム夫妻も加えた四人でエメラの家の近所から少しづつ安否を確認していった。
空が少し明るさを取り戻す頃合になると、侵入した敵兵は撤退するかその場で殺されるかで街の中で大っぴらに活動する者はいなくなった。さらに、ネマイラ全体としての被害状況もある程度把握されつつあった。
当然のことながら、宵闇に紛れての襲撃という事もあり被害者ゼロという事はなく、決して少なくない数の人々が犠牲になっていたがわかってきた。いかに強力な魔力を持つ魔族といえども、障壁の展開ができない寝込みを襲われてはひとたまりもなかったのだ。
しかし、いち早く礼が気付いて消火し、障壁を張ることで火事になる家を減らした事、それから大声を出して危機を知らせて迅速に対応が取れた事は、その被害を大幅に減らすのに貢献をしたのも事実だった。
まず、ほぼ街が無防備な状態だった事に一番の問題があり、この事件は、ネマイラの人々に新たな危機感を植え付ける大きな切欠となった。
礼の親しい人達は全員無事だった。特にパン屋のフリッドは「逆に撃退してやったぜ!」と得意顔を見せていた。
しかし、礼にとって接点のあった人達が無事であっても、その人達からはどこどこの誰々が間に合わなかったといった話がちらほら聞こえてくるあたり、少なくない被害を物語っていた。
進入した敵兵で返り討ちにあった者を調べた結果、敵は人間族であることがわかったが、どこの国からの侵攻かはわからずじまいだった。大抵の人はイルダイン公国の再侵攻だろうと言っているが、それを裏付ける証拠は何一つ出てきていないのが現状だ。
人間族の侵攻が、夜襲一回で終わりだと考えていない自警団上層部の動きは早かった。安否確認が一段落すると、即座に団員を招集して街の入り口や外壁が弱い部分にメンバーを張り付けた。
当然そうなると今まで高い給金をもらっていたエメラも駆り出され、最初に夜襲が発生した西門の警護にあたる事になった。芋づる式に礼もエメラに付き合うように同じ警護にあたる事になったのは言うまでもない。
夜襲のあった次の日の午後、礼は西門警護という名目で近くの待機所にいた。その中には数十人が暇を持て余していて、礼も例外なく手持ち無沙汰となっていた。エメラだけは一部の代表者の集まりに招集がかかっていて、この場にはいない。そんな事もあり、礼としては慣れない場所に知らない人だらけというなんとも落ち着かない時間を過ごしていた。
そんな状況にあって、礼は昨夜の夜襲の事を思い出していた。どうして、昨日に限って眠れなかったのか、もし気が向かずに散歩に出かけなければどうなっていたのか、そんな事をつらつらと考えていたが、どうしても気になる事が一点あった。
それは、クレストを助けた際に礼自身が抱いた感情だった。あの時は渦巻く怒りの感情で深く考えなかったが、どこの誰ともつかないこんな輩に自分の知り合いが殺されるかもしれない、そう思った時に感じたのは怒りだけではなかった。まだ何もされていない相手に抱くには強すぎる憎しみという感情。目の前の人間族を八つ裂きにしてもまだ飽き足らない程の深い憎しみを覚えた事に、時間が経つに連れて礼は違和感を感じていた。
元々礼は感情の起伏が激しいタイプではあるものの、本気で相手に対してマイナスの感情を覚える事は少ない。当然一時的な怒りや呆れといった事を感じる事はあっても一過性のもので、長く後を引く事もなかった。そんな礼がそこまで深い憎しみといった仄暗い感情を、あの場限りといっても抱いた事に礼自身が驚きを覚えていた事も、違和感を感じる事に拍車をかけていたと言える。
「難しい顔してどうしたの?」
「あれ、エメラ…。ごめん、全然気づかなかった」
礼が考え事に耽っていた間にエメラ達代表者の打ち合わせも終わっていたようで、いつの間にか礼の隣に座っていた。
「それはいいけど、どうしたの?何かあった?」
「ううん、特に何もないよ。夜の事思い出してただけ」
エメラとしては見ず知らずの大人数の中に礼を一人残してしまった事に対して、少しの申し訳なさを感じているようだった。礼はそこまで子どもでもないし特に気にはしていないのだが、礼に対して過保護気味なエメラは心配で仕方なかったようだ。
「そっか、今日の所は当番の人たちに任せて、あたし達は家で待機になったから。昨日あんまり寝てないでしょ?帰って少し休も?」
「うん、そうだね」
実のところ、礼もそれなりに眠気を感じてはいた。深夜と言われる時間帯に目覚めてからずっと今まで起きていたのだ。眠くなるのも無理はない。そんなこともあり、今日が非番だったのは礼にとっては僥倖だった。
礼とエメラが連れ立って待機所を出て行った後、ちょっとしたざわめきが広がっていた。
「おい!あのエメラちゃん付きの娘、誰だあれ」
「数ヶ月前に湖で行き倒れてた所をエメラちゃんに助けられたって聞いたな」
「あんな綺麗な娘はじめて見たよ、俺」
「俺の嫁に欲しい!」
「青髪って事は相当な魔力持ちって事だよな」
比較的若い者は決まって、礼の容姿を褒め称えたり、少ないながらも情報を得ようと周囲への提供を求めている。しかし、その一方でそれなりの歳を重ねた者達はじっと考えるかのように複雑な表情を浮かべているのが対照的であった。
若い者たちのちょっとした騒ぎは、その後小一時間ほど続いたのだった。
ネマイラの街から少し離れた森の入り口に二人の男が立っていた。二人ともグレーのマントとフードを被っており、顔は窺い知れない。
「なぜいつもは無警戒なあ奴らがあそこまで迅速に我等に対応できたのだ…」
その男の声はしわがれていて、相応の歳である事を物語っていた。そしてその声には苛立ちを含まれていた。
「は、偶然我々の夜襲の際に西門近くにいた者がかなりの力量だったらしく、最初の火攻めも、暗殺計画もすべて邪魔されたようです」
答えた方の男の声は低くも凛とした響きがあり、そこそこ若い男のそれだった。
「奴らが深夜に出歩く事はないと調査の結果が出ていたのではなかったのか?」
不快感を隠すことなく、老齢の男はもう一人の男に問いかける。
「どうやら、イレギュラーが一匹紛れ込んでいたようです」
「ふん、それで成果は?」
「一般人五十名と戦闘要ゼロ。我が方の被害は暗殺部隊百名」
「百も失って、相手戦力喪失ゼロか。完全に失敗ではないか」
「はい。やぱり彼らに直接手を出すのは危険すぎます。本命の作戦がうまくいくのを祈るしかないでしょう」
「忌々しい奴らめ。今回は帰るぞ」
「は、仰せのままに」
そう話したのを最後に、二人は森の中へと消えていった。
 




