17話 アリエッタの苦悩
礼のジムとの練習は約二ヶ月続いていた。新緑の季節を過ぎて、いよいよ夏本番になろうかと言う時期にさしかかっていた。
ネマイラ周辺の気候は日本の四季に非常に近かった。しかし決定的に違う点は6月、9月の雨季がない事だ。日本であれば6月から7月にかけて梅雨の時期があり、それが明けると一気に気温が高くなるが、ネマイラ周辺では5月の中旬から7月にかけて少しづつ気温が高くなっていく。
礼の剣術も少しづつではあるが上達していた。元からそれなりに形にはなっていた事もあり、伸び代は当初ジムが予測していたほどではなかったが、一つ一つの動きに無駄がなくなる事で当初見せていた小さな隙もほとんど見せなくなっていた。身を守るための剣術を身に着けるという目標には、とりあえず到達したと言ってもよかった。
「アリィおねーちゃん、おやつー」
「おやつー」
礼もなぜここまで懐かれたかよくわからないが、レナ、カイル姉弟にはこの数ヶ月で随分と懐かれていた。剣術の練習が休みの時は必ずと言っていいほど、エメラの家まで来て礼におやつをねだるのだ。分別があるのか無いのか礼には判断ができないが、エメラだけの時には決して来ない。そうかといってエメラを苦手としているわけでもなく、子ども特有の気まぐれなのか、子どもなりに気を使っているのか必ず礼とエメラが揃っている時だけだ。滅多に無いが、逆にエメラがいない時もこなかったりする。当然おやつが準備されていないと思っているからだろう。
「はいはい、エメラお姉ちゃんに聞いてみようか。今日のおやつはなんだろなー」
「「なんだろなー♪」」
姉弟は嬉しそうに礼の後を付いていく。三人が家の中に入るとエメラも状況を察したのか、準備を始めながら三人を迎え入れる。
「レナちゃん、カイル君、いらっしゃい」
「「エメおねーちゃん、こんにちはー」」
「今日はベリーのシャーベットだよ」
エメラが取り出したのはピンク色をした牛乳のようなもので、とてもシャーベットには見えない。それをエメラは礼に渡す。
「アリィ、仕上げよろしくね~」
「はーい、了解」
礼は軽く答えると、繊細なものを扱うかのように慎重に意識を集中させる。すると液状だったものがすこしづつ固まっていき、やがては完全な固形物に変化する。その変化にレナは「うわぁ」と声を上げて目を輝かせる。その変化を見届けたエメラは礼から凍ったものを受け取り、大き目の匙を入れるとすんなりと入る。
「アリィ、かなり制御上手になったね。堅さバッチリよ」
「うん、これだけだけどね…」
単純に凍らせるだけであれば、大して制御する必要は無い。しかし凍らせて食べるものとなると、温度に気を付けなければ、低すぎると堅すぎるし、高いと凍らない。その加減が難しく、最初の頃は堅すぎて食べられなくなる事が多く、礼は子ども達の残念そうな表情を見せられる羽目になった。子ども二人のおやつにシャーベットが出るたびに失敗できない奇妙な緊張感の中で練習したおかげで、食べ頃のシャーベットを作るのだけは上手くなってしまった礼だった。実際には別のおやつが用意されていて子ども達の期待を完全に裏切った事はないのだが。相変わらずそれ以外の制御はシャーベットのように上手くはいかないが、まったく収穫が無かったかと言うとそんな事は無く、感覚として掴むのには一役買っていた。礼の魔力制御も、もうあと一歩といったところだろう。
エメラは出来上がったばかりのシャーベットを小さな器に移して小分けし、早くもテーブルについているレナとカイルの前に出してあげる。
「さぁ、どうぞ」
「うわぁ…エメおねーちゃん、ありがとー。いただきます♪」
「いただきます♪」
レナとカイルは嬉しそうにしながら、一口シャーベットを口に運ぶと「おいしい!」と一言言って、その後は食べる事に集中する。その微笑ましく様子を礼とエメラは眺める。
礼も元々子どもは好きだった。歳の離れた従兄妹の面倒を見たこともあったし、近所の小さい子ども達もにも「よく遊んでくれるお兄さん」という認識を持たれる程度には接点があり、頼まれたわけではないが面倒を見ることが多かった。近所とのコミュニティが形成されやすい田舎ならではということもあったが、そういった環境にいたため、レナ・カイル姉弟の扱いも鳴れたものだった。
礼はこの状況を自分の子どもができたら、そんな事を想像した。
少し前、日本にいた頃だったら礼は自分は父親だと仮定しただろう。しかし、身体が女性になってしまった現状で、身体がそのままだった場合は母親になる。男性と結婚して自分が子どもを産まなければならない。礼としては男性と結婚はおろか恋愛すら真っ平御免だ。種だけもらってくるという手段もあるが、その場合でも地球のように医学の発達していないアリスフィアではその為の行為は避けて通れない。今のところ、男性に抱かれる自分の姿を想像もしたくない礼にはハードルが高すぎだった。
少し気分が暗くなったところで礼は考えるのをやめた。現状抱えている問題から目を背ける行為だとしても、今はまだ考えたくなかった。
「アリィおねーちゃん、どこかいたいのー?」
暗い気分になってしまった事でしかめっ面になっていた礼は、レナに心配されてしまった。しかし、しかめっ面になっていた事に気付いていなかった礼は、レナのこの言葉にハッとして慌てて表情を作る。
「ん?なんでもないよ。全然大丈夫」
礼の笑顔は繕った笑顔だったが、レナはその言葉で安心したようだった。しかし、子どものレナはともかく四六時中一緒にいるエメラには通用しなかった。その場で問い詰めるような行為には出なかったものの少し複雑な感情を含んだ表情を見せていた。
「アリィおねーちゃん、あそぼ!」
いつの間にかおやつのシャーベットを平らげていたカイルは、今度はお遊戯がご所望のようで礼の腕を引っ張る。おやつを食べた後、礼が二人の面倒を見るのは恒例で、この日もそのパターンにようだ。
「あ、カイルずるい。あたしもあそぶの!」
「はいはい、僕は逃げないからレナちゃんはゆっくりおやつ食べてていいからね」
「うん!」
その後、礼は日が沈む頃になるまでレナ、カイル姉弟の面倒をみて、家まで送り届ける。二人の両親にはいつも感謝されっきりだが、礼としてもエメラに養ってもらっているようなもので、少しは誰かの役に立ちたい思いもあり感謝されるような大層な事をしているつもりもない。
剣と魔法制御の練習を続けつつ、近所の子どもの面倒も見て、エメラと一緒にゆっくりとした生活を送る。そんな生活に礼は地球の知り合いと会えない事と、身体が女性になっている事を除けば概ね満足していた。
しかし礼の認識に与えるマイナスの感情は大きい。地球にはない魔法が使えたり、生活そのものが新鮮だったりとプラスの要因と相殺される事なく、それぞれが別ベクトルで存在してしまっているから性質が悪かった。両親や友人と会えない寂しさはエメラやジム夫妻ら暖かく迎えてくれた人達が、ある程度は紛らわせてくれた。しかし、性別が変わった事はどうしようもない。下手に身体が女性であるせいでエメラが男性相手であればしないであろう態度を取る事があり、その度に悶々とした気分を消化しなければならなかった。
さらには、エメラには元男であるという事を打ち明けていない。その事を隠すつもりはなかったが、結果的に打ち明ける機会もなく、打ち明けられないまま時間が経ってしまった事により話しづらい今の現状が出来上がってしまった。
"打ち明けて嫌われてしまったら"
エメラ以外に身寄りのない礼としては怖すぎる想像だ。それだけでなく、エメラの信頼を失うという点も、一緒に過ごしたのは数ヶ月ではあるが、礼としては既に十分怖い想像だった。
礼はそんな普通の人はぶつからないであろう悩みを抱えつつも、トータルとしては日本で生活する以上にゆったりとしていて穏やかな日々を過ごせているという自覚があった。そして、それが良い事なのか悪い事なのかと問われれば良い事であると答えるだろう。
そんな穏やかで平和な日々は唐突に終わりを告げる。




