妹は兄の中(6)
黒板に書いた英語の羅列を教師が淡々と説明していく。
真面目に聞いている者、明らかに寝ている者、机の下でスマホをいじっている者などクラスメイト達はそれぞれのやり方で授業時間を過ごしている。
結城はそれなりに素行のいい生徒として生活はしているので授業中は暇だろうがなんだろうが居眠りはせずに真面目に前を向いて淡々と板書だけは欠かさずに行っていく。
だがやはり暇と言えるのは間違いない、結城の思考にも微妙に眠気がちらつき始めた。
そんな時、結華が話しかけてくる。
『お兄ちゃんって勉強出来る方なの?』
話しかけるとは言ったが今の眠気を覚ますにはいいかもしれない、そう思った結城は妹の話しに付き合う事にする。
――別にそうでもないと思うが。
『そんなに難しくないんだね、高校の授業って言っても』
――そりゃそうだろ。
この高校は普通科の高校だし別に特別な授業的な事は何もしていない、普通に勉強をして普通にテスト対策をすれば十分な成績は取れるだろう。
『にしてはさっきから視界が移りまくってるけど?』
――…………。
などと偉そうなことは言った物の結城は英語がとんでもなく苦手であった。
分かる人間に言わせると英語なんて状況に合わせて単語を並べていくパズルみたいなものと言い始めるらしいが残念ながら結城にはそんな領域は全く理解できない。
中学時代に「友達同士でペアになって読み合わせをしましょう」などと言う授業が行われた結果、結城は英語の授業そのものに対する嫌悪感が発生してしまった。
ペアと聞くとよくある組む相手がいなかった、という事が想像されるかもしれないが結城の場合はペアを作る事に置いては一切手間取ることはなかった。
理由は結城の元には常にいじめの主犯格たる男子がやってくるから。
ほぼ毎日ある英語の時間の度に結城の元へは結城に対して様々な嫌がらせをしてくる男子が真っ先にやって来る。
結城にとっては英語の授業とはこれ以上ないいじめを受ける時間でしかなくなり当然そんな状態では基本的な知識も付くわけもない。
その結果、英語力における基本的な部分の固めをしっかりと行わなかった状態となり英語というものはさっぱり訳の分からない異次元空間と化してしまった。
それをいちいち説明するのは面倒なので結城は結華に英語だけは超苦手である、という事だけ伝える。
『それにしてもこれはひどすぎるんじゃない……』
それを聞いた上で結華がそう言ってくる。
ちなみに今は教師の指示に従って教科書の端っこの方にある問題を解いているところであった。
問題としては空欄に入る単語を書けと言ったもの。
そして結華のその言い方には馬鹿にするを通り越してもはや哀れとも入れるような感情が含まれていると結城は直感で感じた。
――これか?
その上で結城は既に答えを書いた問一の問題を持っていたシャーペンで指し示す。
『 【I am play tennis.】 って本気……?』
表情はもちろん見えないがおそらく信じられないような顔で結華が言う。
ちなみに生前の妹は勉強はとんでもなく出来る人間であり、その上素行も良く友人関係も良いと言う完璧に近い人間だった。
そんな人間からすれば結城の英語の不出来具合は哀れにも見えてしまうだろう、その自覚があった結城は結華の言葉に従って答える。
――やっぱ、間違ってるよな?
『やっぱなんてレベルじゃないよ! お兄ちゃんこれ何が悪いか分かってないの!?』
結城が書いた文章に対して結華が苦言を呈するが恥ずかしい話、結城は具体的にどこがどう悪いのか説明しろと言われれば出来ないと言うしかなかった。
結城の英語力なんてものはそんなレベルにまで落ちぶれているのだ。
――ちなみにどこが違うんだ?
『動詞が二個あるじゃん!』
――動詞って「play」のことか?
『そうだよ! あとBe動詞も!』
――ビー動詞ってなんだ?
『…………』
結城がそう聞くと結華は全く喋らなくなってしまった。
そしてたっぷりと十秒以上の間をとって静かに言った。
『お兄ちゃん帰ったら勉強しよう、教えてあげるから』
――そうか? ありがとう。
結華の言葉はいつもの態度からは全く想像できないほどに冷静でいながら
そこには諭すように落ち着いた雰囲気が含まれていた。
そんな事もありつつ昼休み、俺はバッグから弁当を取り出していた、すると再び妹が声を上げる。
『ちなみにお兄ちゃん、それどこで食べるの?』
その声は如何にも心配そうな感じの声であった、大方何が心配かの予想は結城には付いている。
『まさか……と、と、トイレとか言わないよね……』
――心配するな、そこまで落ちぶれちゃいない。
結城がそう言うと結華は心から良かったと安堵の声を上げた。
妹の交友関係を結城はほとんど知らないが休日にもなればよくおしゃれして出かけに行ったりもしている姿はたびたび目にしている。
結華はきっと教室でも最も目立つような位置にいたに違いない。
そういう人間はホールにある椅子とかを当たり前の様に使ったり、教室の一角に集まってみんなでお昼を食べたりするんだろう。
この高校でも同じような光景は見ることが出来る、どこでも似たようなことが起きるのはこの世代ならば当然の事だ。
そんな事を考えながら弁当を取り出した結城はベランダへと移動していく。
『ベランダ出ていいんだ、なんかいい感じだね』
ベランダの方へと歩く結城の視界を見ながら結華はそう言った。
小中学校とかでは教室からベランダに出られるのに何故か出入り禁止とかいう意味の分からない決まりがあって出ることが出来ないような事もあった。
そんなことが当り前の中学生からすれば昼休み一つとっても色々と新鮮な光景と言えるのかもしれない。
だが今から結城が向かう昼休みのベランダという物は結華が想像しているようなものではないという事を知らしめることとなる。
結城はその事を確実に聞かれると予想しつつベランダへと足を踏み入れた。
「よっ」
「おう」「やぁ」「どーも」
そこにいたのは同じクラスの三人グループの山口、川崎、森の三人である。
結城はいつもこの三人と一緒に昼食を食べている、正確には一緒というのも何か違うような気もするが
全くの独りぼっちではないと言うことが周りから分かっていればそれで十分である。
「失礼……」
ベランダと言ってもそんなに広いわけでもない、そんなところに男四人が囲いあう様に座るのは不可能なので男四人でベランダの壁部分に寄りかかって全員が平行に並ぶ感じで食べている。
三人からは少し離れている感じで結城はベランダに腰かけ、食事を始める。
その間、三人組の方は会話らしきもが行われてはいるものの結城はその会話にも一切かかわる事はない。
そしてただ黙々とした食事が終わったら、スマホをいじり始める。
そしてチャイムが鳴ったら中に戻る、これがの結城の昼休みの過ごし方である。
『……お兄ちゃん』
――なんだ?
五分ほどで昼食を済ませてそこからはひたすら基本無料系のソシャゲを開き時間を潰していた結城に結華が話しかけてくる。
『えっと、友達と話したりはしないの?』
結華はいかにも不思議そうにそう言った。
どうやら結華はこの三人組の事を俺の友人だと思っているようだがそれは間違っている、この三人と結城は友達ではない。
その事を伝えると結華はますます混乱したように言葉を続けていく。
『さっきも同じような事言ってなかった……?』
――新島の事か? 確かにそうだな
『その三人は友達じゃないの?』
――いや、だって俺この三人の事よく知らないし。
結城のその説明を聞いた結華が絶句したのは言うまでもない、結華にとってそれは余りにもショックが大きい物であったのだ。
だがそれは紛れもない事実である。
結城はこの三人とどこか遊びに行ったりしたことなど一度もない、ラインの連絡先ももちろん知らないし、下手したら下の名前で言われたら顔が一致しない可能性もある。
『……いいの? それで』
――別にいいだろ、むしろ俺の方が邪魔してるようなもんだし。
搾り出したかのように言った結華の言葉に結城は至極当然とでもいった口調で返す。
この学校はクラス替えがないため三年間同じクラスメイトと一緒に過ごすことになる、よって最初の友達作りが重要なのは言うまでもない。
そんな中結城は友達作りに失敗してしまった。
大きな声では言えないが最初の一週間辺りは昼食を食べる場所も食べる人もいなかったので食べずに昼休みと同時に図書室に行っていた時期もあった。
ちなみに弁当は帰る途中や帰ってから自室で消費していた。
だが流石にそんな事も耐えられなくなったので食べている三人の姿を見て思い切って結城が
「ここ使ってもいい?」
と聞きそして「いいよ」と言われたので使っているだけだ。
最初からこのベランダを使っていたのはこの三人でありそこに結城が蚊帳の外でそこにいるだけである。
別に友達がいない者同士で傷を慰め合ったりしているわけでもないし同類で仲間意識があったりするわけでもない。
むしろ仲良く出来ている三人組の所へいきなり来た結城を快くおいてくれている三人が結城よりもずっと人間的に良い人たちであるのは間違いない。
結城は異質な存在であることは十分に理解した上で「使わせてもらっている」自覚がある。
――まぁそんなところだな。
結華のような友達と一緒なのが当たり前の生活をしている人間から見ればちょっと異質な光景が広がっているように見えるのは確かかもしれない。
説明を終えたところで結城は改めてその事を自覚した。




