真実は兄妹の仲(1)
――その時である。
「危ないっ!」
突如、結城の隣にいた人がそう叫んだ。
結城はその内容よりも耳元で大声が聞こえてきたという事に驚い体を一瞬強張らせ、踏み出していた歩みを止めてしまう。
反射的に向けた頭が声のした方へと向けられると視界には叫んだ本人と思われるスーツを着た中年の男性の姿が見えた。
そしてその男性や周囲の人々が道路の方へと指をさしたり口々に何かを言っているという事も結城の目と耳が捉える。
そして再び正面へと顔を向けた時、結城はしっかりとその光景を捉える事となる。
信号は青へと変わり人々が横断歩道を渡り始めていたであろう場所へと全くスピードを落とす気配も見せない車がそのまま直進して来ている。
恐らくは隣の中年男性の声でその事態に気が付いた人、自分の目で見て気が付いた人、周囲の声を聞いて気が付いた人、それぞれの反応はの仕方は違っていたがその場にいた全ての人が「車が自分たちの方へ突っ込んで来る」という事を即座に理解し行動に移っている様子を結城は見た。
横断歩道を渡っていた人たちは蜘蛛の子を散らすように散らばってとにかくその車の進行方向から逃れようとする。
だが車は一体何をしているのか一向にスピードを緩めようする気配はない。
路肩でその光景を見つめる結城は何もできない、気が付いた所で何かが出来るわけもなくただその光景を見守る事しか出来ない。
十秒にも満たない短い時の中でありながら結城はその光景を眺め続け、そしてその中にるみの姿を捉えた瞬間、結城の視線はそこにくぎ付けになる。
るみの方も向かってくる車には気が付き、何とかその車を避けようとする。
その体の動きから見るかぎり大丈夫、なんとかギリギリ避けられる、そう結城が思った時。
運転手は何を思ったのか車の向きを変えた、その方向には避けようとしているるみが――。
おい、何やってんだよ。
なんでそっちへ行く。
そっちに行ったら――。
結城の思考はただひたすらに状況だけを鮮明に記録していく、まるで時間が止まったかのように思える感覚の中、避けようとするるみを逃がさないとばかりにその方向へ向かう車と驚きと恐怖が入り交じったかのようなるみの横顔が視界に映る。
そしてその直後――物体がひしゃげるような音と悲鳴がほとんど同時にその場に響き渡った。
物体がひしゃげる音はハンドルを切って歩道へと突っ込んだ車がビルの壁へと突っ込んだ音であった。
悲鳴はその光景を目撃した周囲の人間がの物、突っ込んだ場所の周囲には人が集まっており大小さまざまな声が現場では飛び交っている。
そして横断歩道の真ん中から少し外れたあたりには避けようとして足がもつれ、地面に座り込むような体勢のままのるみがいる。
るみが避けようとしたと同時に車も同じ方向へと確かにハンドルは切られたが方向転換が急だったため車はるみのすぐ隣をすり抜けて通過していったのだ。
そのためるみは幸いにも接触すらすることなく全くの無傷であった。
「よ、よかった……」
道路の真ん中で無傷で座り込んでいるるみの姿を見た結城は心から安堵の声を漏らす。
その光景の一部始終をこの目で見てしまったのだ、もし目の前で自分の思う人が交通事故に遭うといった光景が起きていたら……。
「るみ……!」
とにかく無事でよかった、そう声を掛けようと結城が止まっていた足を踏みだしてるみの元へと行こうとした時。
――それは起きた。
「うっ……」
一歩足を踏み出したと同時に、突然結城の全身から不快な感覚が湧き上がりさらには吐き気のようなものをまで感じ始めたのだ。
「なんだ、急に……」
ついさっきまで何ともなかったはずなのにいきなり起きたその感覚に結城は立っていることが出来ずに地面に膝を付いてしまう。
周囲の人々は突っ込んだ車の周囲へと目を奪われており、そんな結城の状態には全く気が付く様子がない。
「……うぅ、ぐっ……」
地面に完全に座り込む体勢となった結城だが一向に体から発せられる不快感は収まる気配を見せない、むしろどんどんとその存在感を増して結城の体を包み込むかと思えるほどであった。
一体何が起きているのか、結城がそう思った瞬間久しぶりに脳内へとあの声が聞こえてくる。
だがそれは結城が今まで一度も聞いたことがない声だった。
『……許せない』
低く短い声。
怒りでも悲しみでもない、それでいながら声を聞いただけでマイナスの感情が含まれていると確信できる妹の声。
『……ドウシテ』
『ナンデナンデナンデナンデナンデ』
次第にその声は結城の脳内を埋め尽くさんばかりに増幅しさらにその一つ一つが反響する。
その言葉の嵐は結城の感情まで覆いつくさんとするほど。
――ぉぃ……結華……ゆ、か……
頭痛と吐き気まで感じ始めた結城は倒れこみたくなりそうな思考の中で結華に向かって呼びかける。
『オニイチャンオニイチャンオニイチャン……』
「ぅ、ぁぁぁっ……」
だが返答は得られず代わりに周囲の音すらも塗りつぶさんばかりの勢いの結華の声だけが結城の脳内を埋め尽くした。
そしてついに結城は道端へと完全に倒れこんでしまう。
「ゆうきく……どうし……しっ…か……て………!」
妹の声だけが脳内に響き渡る中、微かにるみの声が聞こえたような気がしたがその返事をすることも出来ず結城は意識を失った。




