兄は変貌の途中(4)
それからしばらくして、成瀬結城という人間は以前の彼を知る者が見たら確実に驚くと言えるほどの変化を見せていた。
まず一つ言えるのは二階堂るみという女子の存在。
結城は事あるごとにるみと会話を行うようになる所にまで到達する様になっていた。
それだけでなくさらに特筆するべき点として挙げられるのはそれに対して周囲が何かしら言う事もないという事である。
成瀬結城が二階堂るみと話しているという光景そのもの当たり前の光景として教室内に形成されている。
結城が人と話していることに対する違和感はあってもるみと話していることに対する違和感はないという認識が作られ始め、それは必然的に結城とるみがお互いに他人以上の感情を抱いているという雰囲気を誰が言い出すこともなく周囲に認知され始めている事を指し示しているのであった。
結城の日常という物は着実に変貌の一途を辿りながら時間は進んでいき結城が妹と共に生活する様になってから約二ヵ月半となる七月半ば頃。
来週からは夏休みが始まるという長期休み前の最後の日曜日。
とうとう結城は学校以外の時間、つまりは休日の時間をるみと過ごすという約束を取り付ける事に成功していた。
そしてその大勝負の当日の朝。
――これでいいか?
『違う』
――これは?
『違う』
――これは!
『違うって!』
結城は気合十分で当日を迎える事となったのだが、肝心の当日になってから結城と結華の言い争いが勃発しているのであった。
――なんでだよ! これいいじゃん!
『ダメだって! お兄ちゃんはその一式だけでいいの! それが一番かっこいい!』
今まで散々仲の良かった兄妹であったが何故か今日に限ってはお互いの意見の食い違いが度々起こり、結城も結華も反発精神全開の様相を表していた。
――たかがベルトだけじゃん、何が悪いんだよ?
『そのワンポイントでイメージが崩れてるんだって!』
――そうかぁ?
そう言いながら結城は既に装着している茶色のベルトを外し代わりに個人的に良いと思った黒のベルトに付け替えてもう一度鏡に映った自分を見てみる。
「(別にいいと思うけどな……)」
結城自身にとって今の自分の姿に最低限の自信は持つ事が出来ている。
だが同じ視界を持っているはずの妹にはいまいちらしい。
『だから同色でまとめた方が良いって……黒過ぎで目立ちすぎだし……』
――なにがそんなにダメなんだよ。
先ほどから繰り返して口にしている言葉を結城は再び口にする。
現在時刻は午前八時半、るみとは午前十一時の約束となっているので時間としてはまだまだ余裕があると言って大丈夫である。
だがこのやり取りだけですでに数十分近くかかっているとなると流石の結城であっても文句の一つも出始めるというものであった。
このレベルでやっていると本当に何時まで経っても話が進まない、さっさとどっちかが折れなければ本当に延々と続きそうな状態である。
――なんでそんなにむきになってんだよ。
言い返しても同じようなやり取りしか発生していないので業を煮やした結城は率直に結華に理由を尋ねるべくそう聞く。
『…………』
だがいつもならばすぐに返してくるはずの結華の声が何故か帰ってこない。
――どうした?
『いいよ、お兄ちゃんので』
するといきなり結華の方が折れた。
――おい、急にどうした?
さっきまでお互いに相手をねじ伏せんばかりの勢いで話していたのにいきなり大人しくされてしまい結城は逆に動揺してしまう。
だが結華はその質問には答えなかった。
『お兄ちゃん変わったね』
代わりにぽつりと呟くようにそう言うとそのまま黙ってしまった。
――おい、結華?
突然の結華の変化を心配した結城が話しかけるがそこから結華は全く返してくれなくなってしまう。
結局結城は若干不安に思いつつも自分が良いと思ったほうのベルトを取ってズボンへそれを通す。
さきほどまであれほどこれが良いと自信を持って結華と討論をしていた結城であったが結華が押し黙った途端に急に自身が無くなってきてしまう。
――これでいいよな?
自分の自信のなさをふがいなく思いつつも独り言の様に、それでも妹に話しかけるという意思は持ったまま結城はそう脳内で呟いた
もちろん、その呟きにも妹が答えることはなかった。
そして午前十時半、約束の時間三十分前。
結城は少し早め、と言うにもまだ早いぐらいの時間に集合場所である繁華街駅前へとたどり着いていた。
「(まぁ……まだ来てないよな……)」
待ち合わせの場所に設置されている如何にもな銅像の下に立っていた結城は周囲を流れていく人の流れを眺めながら一人そんな事を考える。
日曜日ともなれば先日の美容院に行った時と比べ、人の流れは密度も早さも段違いに増加している。
そんな中にはちらほらと男女のペアが「おまたせー」「待った?」「今来たところだよー」などと言ったやり取りをしているであろう光景が見えた。
「(ほんとにやってる人なんているのかねぇ……)」
もちろん離れている結城にはその二人の間でどんな言葉が交わされているのかなんてことは知る由もない、だが表情から見ても本気でそんな事をやっているようには見えないように思える。
ああいう事をやるのは物語の中のイケメンと美女だけでありそんな事を現実でやっている人間がとても言えるとは思えない。
と、そんな事を考えている結城であったが何となく期待感があったせいで三十分も前に到着している自分の状況を冷静に見て哀愁に浸ったりもするのであった。
「(なーにやってんだ、俺は……そんな現実と空想の違いも分からないようなことを……)」
「結城くん」
「……え?」
そんな行動の不一致をしている自分自身に苦言を呈していると、突然背後から声を掛けられた。
そして結城はその呼ばれた方へと自然に顔を向ける、すると――。
「えいっ」
振り向いた結城の頬にるみの細い指が突き刺さる
「んぐ……」
これはいわゆるあれである、肩を叩かれたり声を掛けられてその方へとを振り向くと指があってほっぺたに指が刺さると言うあれである。
小学校の頃の結城も主におちょくりという意味でしょっちゅうされたものであった。
おかげで小六の頃のになると結城は叩かれたり声を掛けられたりするときはほぼ確実にやられるという事が本能的に察せる様になっており、やられた瞬間に逆側に振り向いて後ろを向くと言う反射に逆らうような動きをマスターしていたものであった。
だがそんなおちょくりは中学に入ると同時にぴったりと止み、反射は元通りになっていた上に完全に油断していた事もあって小学校時代に最も嫌っていたその行為を見事に食らってしまった。
「ふふっ引っかかった」
だがそんな古傷の記憶すら彼方へと吹き飛ばし、過去のものとしてくれると思えるほどに結城の感情は高ぶっていた。
目の前のるみの姿は正直に言おうが言わまいが、可愛いとしか言いようがなかった。
学校の制服のきちっとした雰囲気の中でも隠し切れないふわふわとしたイメージが包み隠さず現れており、ふわふわ率がカットされることなく百パーセントに近い数値で目の前に広がっている。
白を基調としたワンピースの上にもう一枚羽織っているというシンプルなものであるにも関わらずその全体の印象は完璧と言えるほどだった。
余計な装飾すらも必要としない完全な自然のままのるみとしての良さが引き立っている。
「(いや……ていうかめっちゃ可愛い……)」
結華に言われて面倒ながらも読まされたファッション雑誌類を読んだ甲斐は間違いなくあった、あの雑誌に載っていたモデルなんかより絶対に可愛い、それは確実に断言出来た。
「さて、じゃあそろそろ行こうか?」
結城がるみの姿に見とれているうちにるみがそう言う。
「あ、うんそれじゃあ……」
るみの言葉で気を取り戻した結城は用意していたプランを頭の中で思い出しながら自分なりの説明を加えつつ外に出していく。
『お兄ちゃん、デートの予定はしっかり立てるように』
先日妹に言われたその言葉の重大性が頭の中で駆け巡っている。
昔はデートのたびにいちいち予定を立てるとか面倒、と反抗した物だが今となってはそれがどれほどまでに重要な事だったのか理解できる。
好きな人と出かけるのにプランを作るのは必要だからじゃない、絶対だ。
自分でも何を言ってるのかよく分からなくなってきたような気もするが結城にとってはそういう感じがしていた。
目の前に自分の好きな人がいてしかもその人が自分の想像していた以上に可愛くて素晴らしくて愛おしい、そんなことになったら楽しい時間を過ごして欲しいと思うのは当たり前だ。
この瞬間の為だけでも立てるその苦労に見合うだけの価値があると確信できる。
結城は今からこの人に楽しい時間を過ごしてほしい、心からそう思うならばその苦労は出来るに決まってる。
ようやくその事に気が付きながら結城は人生初めてのデートを開始するのだった。




