兄は変貌の途中(3)
「それじゃあ、始めて行きましょうか」
そう言うと手招きで鏡の前の方の椅子座る様に結城に促す、そこに座った所で定番の言葉を聞かれた。
「それで、今日はどんな感じにするのかな?」
「えっと……」
もちろんそんな事を言われたところで結城には全く分からない、というわけでいつものように妹に聞くことにした。
――おい、なんて言えば良いんだ?
そう聞けば妹は速攻で答えてくれる。
『自分らしい感じってところかな?』
なんだそりゃ、と思った結城だが代わりに返せるような言葉も持ち合わせておらずその通りに口にすることにする。
「えっと……なんていうか、自分らしい? みたいな感じで……」
そう言うと鏡に映ったユージさんの顔がにっこりとほほ笑んだ。
「結華ちゃんにそっくりね、あの子もいつもそう言ってたわ」
「(そりゃまぁ本人が言ってるようなもんだし)」
結城が内心でそうつっこむ中、ユージさんは椅子に座る結城の首にタオルやらを巻き真面目る。
ふんふんと鼻歌を口ずさみながら如何にも楽しそうな感じが伝わって来る、そしてそのままの空気でユージさんは言った。
「ところでユカちゃんは元気?」
「ぁ……」
聞かれてしまった。
いつも脳内に妹の声がする物だからその事実を何処か考えないようにしていたのかそれとも本当に忘れていたのか。
結城はその当たり前の質問に対して全く想定していなかったのだった。
『別に事実を言えば良いじゃん』
結城が固まる中、脳内ではあっさりと妹のにそういわれた結城は真実を口にする。
「あいつは、妹は……交通事故で……亡くなりました」
すると空気が一瞬だけ固まったようになり、場にはほんの少しの沈黙が漂う。
だがその沈黙をすぐに取り払うかのようにユージさんは言う。
「そっか……ごめんね」
「いえ……」
謝るような事を言うユージさんだが別にそれはただの事実である、何をしたところで変わるわけでもない。
「そっか、ユカちゃんが……」
正面の鏡に映っているユージさんの表情は大きく変化しているようには見えない、だがきっとその内側では少なからずショックを受けている、結城はそう感じていた。
だが次に口にしたユージさんの言葉と共に場は突如として騒がしくなる。
「ユカちゃんここに来るとお兄ちゃんの事ばっかり話してたのよ?」
「そうなんですか?」
『ぅあああっ! 聞くなっ!』
ユージさんが懐かしむように言ったその言葉に結城が聞き返すと同時に脳内で妹の大声が響く。
だがいくら結華が大声で叫んだところでその声は結城の内側までしか届かないのでどうなるわけもない。
「ちなみにどんな事言ってたんですか?」
『あああ~! やめてっ!』
自分の知らないところで妹はどんな事を言っていたのか、気になった結城は結華の懇願を他所に興味津々で聞き始める。
「それじゃ、カットしながらお話してあげるわね~」
「はい、お願いします」
そして結城はユージさんに色々な事を聞かせて貰う事となった。
その後ろでは妹が悶えたり唸るような声を上げ続けていたがあくまでも脳内に響いてくるだけだったのでユージさんの語る言葉はしっかりと結城の耳に届いているのであった。
「俺の話をよく聞いてくれましたし、なんでも気兼ねなく話せる関係だったと思ってます」
「そっか~ユカちゃんも幸せ者だったわね……」
『……ぅぅ』
「俺はあいつの事は好きでしたよ」
「あらま」
『……す、すきって……そ、そんにゃ事……』
そんなこんなで時間が経って。
結城とユージさんはすっかり結華についての話で意気投合していた、それを聞かされていた妹は最初は大声で妨害したりをしていた。
だが疲れたのかあきらめたのか今はぱったりと鳴りを潜めている、時折小声で呻くような声が聞こえて来るので聞こえてはいるようではあったが。
「はい、こんな感じで如何でしょうか?」
そんな話に花を咲かせている間にカットは終了し、ユージさんは二面鏡を使ってセットの様子を結城に見せる。
別に大きく変わったようには見えない、というのが結城の第一印象であった。
――おーい、どうだ?
『あ~……うん……良いんじゃない……』
黙りこくっていた結華だったが結城が声を掛けるとそれなりに反応は見せた、とはいってもその声は打ちのめされたかのようなものであったが。
「はーい、お疲れ様」
ちなみに価格は五千八百円だった、結城の金銭感覚からすればどう見ても高いようにしか思えないのだがあとで妹に何か言われるのも面倒なのでとりあえず美容院価格という事で納得はしておいた。
「さて、それじゃ頑張ってね?」
支払いを終え、店から出ようとした結城に向かってユージさんはそう声を掛けた。
「……何をですか?」
結城は結華に言われてここに来てそれについての話をずっとしていたのだがその理由、要するに好きな女子の為に見た目を整える為に来たなんて小恥ずかしいことは一度も口にしていない。
「女の子の為に来たんでしょ?」
「なっ……」
「あ、やっぱり?」
一度も口にしていないはずその事実をユージさんには一瞬で見抜かれていた。
「結城くんは十分イケメンの部類だと思うわ、頑張ってね、きっとうまくいくわよ?」
ユージさんはそう言って結城の健闘を祈るような言葉を掛ける。
「……じゃあ、そろそろ」
それに対して何と答えたものか迷った結城は一言そう言って受け止めるだけにしておいた。
「は~い、またきてね~」
ユージさんのきゃぴきゃぴした見送りを背後に結城は店を後にした。
階段を下りている最中、来た時の警戒心はどこへいったのやら心がすっきりとしたような感覚を結城は感じていた。
結城とユージさんは初めて会った者同士であったが共通の話題、結華の事について共に話すことが出来た。
結城にとっては自分という存在を唯一認めてくれていた存在のすばらしさを他人と分かち合うことが出来るという事は何よりも嬉しい事であったのだ。
そんな今までにないような感覚のまま帰路に着いた結城であったが、帰り道では結華と面白おかしいような会話を繰り広げる事となった。
――お前、結構俺の事話してくれてたんだな。
『うるさいうるさ~い! 忘れて! 早く!』
脳内で再び妹が騒ぎ始めるがそんな事をしたところでどうなるわけもない。
――無茶言うな。
『おおお、お兄ちゃんだって私の事すすすすきとか言って……』
――いや、俺お前のこと結構好きだぞ?
家族として。
『んなっ、なななっ……』
結城の唯一の安らぎとも言えた妹の存在を嫌う訳がない、そう言う意味での返答だったのだが二人の間では捉え方に微妙な違いがあるのは明白であった。
お互いに相手の考えには気が付いていないようではあったが。
「さて、どうすっかな」
そんなこんなで結城は脇道を戻って言ってようやく最初の駅前の大通りにまでたどり着いた。
時間的にはちょうど昼頃という事もあって来た時よりもさらに人通りが増えているのが目に見えて分かる。
――昼飯は何がいいんだ? お前の好きなのでいいぞ。
妹をおちょくるような事をしてしまった詫びとして結城はそのぐらいはしようと思い立ち、妹に呼びかける。
『お……ちゃ……わたし……と……す……』
だが結華は小声でぼそぼそと何かを呟いているのは聞こえたが何を言っているのかはいまいち聞き取れなかった。
――おーい? どうした?
『え? あっえっと、ほんとになんでもいいの?』
結城が聞き返すとようやくはっきりと返してくる。
なんでもいい、と言った以上男らしく「当然だ」なとど返したい結城であったが現実はそうそう都合よくはいかない。
――いや、もちろん俺の金で済む範囲でな……。
『いや、私のへそくりがまだまだあるじゃない』
先ほどの散髪代を考えても妹のへそくりはまだ一万五千円ほど残っている、だが結城はそれを使う気はなかった。
――これはまぁ、何かあった時に使うようにする、俺だって全く金がないわけじゃないからそっちから「俺が」出すよ。
『変な所で辻褄合わせようとするんだから……』
そんな結城の提案に結華は呆れたような態度を取った。
結華としては呆れているようだが結城としてはこんな状態でもしっかりと生きていた時と同じような関係を保っていたい、そんな理由からそうする事を決めたのだった。
妹は死んでいるんだから残っているへそくりも勝手に全部使っていい、そんな理由を根拠として妹の所持金を使うという行為を結城はなんとなくしたいとは思えなかったから。
――で? 何がいいんだ?
『それじゃ……パスタとか?』
――はいよ。
そしてほんの少しだが変貌しつつある兄とその中にいる妹は寄り添ったまま繁華街の中央の方へと歩き始めるのだった。




