兄は変貌の途中(1)
『お兄ちゃんそろそろ、見た目を直しにかかろっか』
ある休日、朝飯を食べた後部屋で寝転がって漫画でも読もうかと自室にいった所で妹がそんな事を言い出した。
そして毎度の如くそんな事をいきなり言われたところでやる気になるわけがない結城であったが、毎度の如く話だけは聞き始める。
――どういう意味だそりゃ。
『もちろん見た目に無頓着なお兄ちゃんなんだからせめて髪型ぐらいは……』
――断るに決まってるだろ。
結城はファッションだの髪型だのと言った部分には全く興味が沸いてこない上にやる気にもなったことがない。
そもそも結城にとって髪型を整えるという事を聞くとなんか髪をはさむスティックみたいな奴とか使え、みたいなイメージが自動的に湧いてきてしまう。
そんな事やりたくないと結城の心の奥底が訴えてきている。
『お兄ちゃんその髪でいいと思ってるの?』
――うるせぇ、別に良いだろ。
結城の髪は微妙に天然パーマと言った感じである。
天然パーマと言っても増えるワカメとかいうあだ名が付けられるようなレベルのものではなく前髪の端の方だけにくせ毛が発生していると言う口で説明しにくい感じの髪型となっているのである。
いわゆるかっこいい髪型とはかけ離れているが別に結城はこの髪型が嫌いなわけではない。
幸い髪型でいじめを受けたことはなかったので結城の中では数少ない自分の利点みたいなイメージが定着しているのである。
だがそんな結城の考えとはまた違う方向で結華の考えは飛来する。
『何も髪型を変えろとまでは言わないよ』
――違うのか?
どうやらまたしても妹の戦術理論が発動するらしい、何となく期待のかかる道筋となり始めている結城としては無意識にその方向へと思考が移っていく。
『前なんて言った?』
――そりゃ、俺らしさを出せとかなんとか。
『そう、だから今の利点を最低限引き出す方法を模索するって感じ?』
――ふーん。
何となくの生返事をしつつも結城は内心で自分なりにどうすればいいのかを模索し始める程度には確実に自分から変えようと言う考えが出始めていた。
そんな思考になりつつある結城であったが次の結華の言葉でその考えは瞬く間にしぼんでいくこととなる。
『という訳でお兄ちゃん、美容院行こう』
――マジかよ。
結城は今まで美容だの何だのと言った物に対して関わったことなんてないが全くやりたくないと心の奥底から断言していたわけではない、それにも多々理由という物は存在する。
――ていうか、金ないぞ
その最大の理由としてそれに先立つ物が圧倒的に不足しているという事があった。
『いやいや、少しぐらい取ってあったりするでしょ』
結城の訴えを聞いた結華は怪訝そうな声でそう言うが親からのお小遣いだけで乗り切っているアルバイトもしていない男子高校生の所持金なんてたかが知れたものだ。
――ちなみにいくらぐらい必要なんだ?
『最低でも五千円かな?』
――…………。
それを聞いた結城は無理だ、と確信する。
するとその無言から兄の懐具合を察した結華はやれやれといった具合に言った。
『もうしょうがないなぁ……お兄ちゃん、私の部屋に行って』
――え?
『ほら、早く』
困惑しながらも結華にそう急かされながら結城は部屋を出て、妹の部屋へと向かい始める。
妹、結華の部屋は結城の部屋の隣に位置しており窓の位置や物置の位置などの間取りもちょうど左右対称となっていると聞いたことがある。
自室を出た結城はすぐ右側にある妹の部屋の前に立った。
――入っていいのか?
ドアノブに手を掛けたところで何となく躊躇してしまった結城は念のため部屋の前でもう一度結華に確認をする。
『別に良いって、入って入って』
そんな結城とは対照的に結華の態度はあっさりとしたものである。
妹の部屋はもともと家には付いておらず自分の部屋が欲しいと妹が言ったために溺愛していた親父が増築した物だ。
親父が何を考えていたのかは分からないが仕事の都合でなかなか家に帰れない自分のせめてもの心遣いとかだったのだろうか。
妹が部屋を使い始めたのは妹が中学に上がり始めた頃だったので、この部屋はまだまだ新しく妹が生きていたころには一度も入ったことがない。
自分の部屋を持ってからも結華は結城の部屋に来たりしたことは何度もあったのだが。
というわけで結城は今、初めて妹の部屋に入ることになる。
――入るぞ。
『はい、どうぞ』
もう一度そう言ってから結城は結華の部屋の扉を開いた。
室内は前に聞いた通り結城の部屋とはちょうど鏡合わせになっているかのように壁を隔てて左右対称となっていた。
それは窓の位置だけでなく机や本棚、ベッドの位置に至るまでまるっきり結城の部屋と対象になっていたのだ。
「電気付けるか……」
そう独り言を呟きながらドアの横にあるスイッチを押すと室内が明るくなる。
明るくなった室内はまるで今でも誰かが使っていると思えてしまうほどに家具などが一通りそろっている。
『あれ、変わってないんだね』
そんな室内の様子を見た妹は不思議そうな声を上げる。
まぁそう思うのも当然である、妹が亡くなってからそれなりに時間は経っている、それにも関わらず室内はまるでそのままのような状態なのだから。
――お袋が、掃除してるんだ。
『お母さんが?』
結城はそうとだけ言った、その裏にある感情も説明した方が良いのかもしれないが上手く言葉にすることが出来そうにない。
『なんで? こんないい部屋このままにしておくのもったいなくない?』
――いや、まぁそうなんだけどさ。
片付けると一言に行っても色々なものがあるためどこから手を付けたらいいのか判断しかねると言う建前で現状維持に努めている。
流石にベッドのシーツなんかは片づけてあるが物置の中にある衣服、本棚においてある妹の趣味らしき小類、机に置いてある教科書類などは妹がいない現在恐らく誰も使わない状態にも関わらず依然と変わらないような状態で鎮座している。
それらは誰も使わないゴミ、と言ってしまってもいいのかもしれないが結城としても流石にそれはちょっと違うような気がしてならない。
――それで? 何が必要なんだ?
結城はそんな面倒な考えを頭から放棄して床にここに来た目的を尋ねる。
『これって全然動かしてないんだよね?』
――ああ、流石に布団とかは出したけど机の中身とかはそのままだ。
『じゃあ私の机の一番下の引き出しを開けて』
――分かった。
俺は言われるままに机の引き出しの一番下を開けようとする。
「うわっ……重っ……」
予想以上に重く力を入れないと開けられない引き出しをそれなりに苦労して開けるとそこには物凄い数の本が詰まっているのが見えた。
見ると中学一年の頃の教科書などがぎっしりと詰まっている、どうやら結華は教科書類を捨てずにとっておくタイプだったらしい。
――で、これがどうしたんだ?
『一番奥にある辞書を出して』
その言葉通りに重い引き出しを最後まで引き出してその奥に詰まっていた辞書を取りだす、表紙を見るとそれは英語の辞書だった。
『中を開けてみて』
――何だってんだ……。
まさか辞書を読ませるなどと言った事をするわけないよな、などと思いつつ結城はハードケースから中身と取り出そうとする。
「ん?」
だが何故か中身が落ちてこない、ケースが歪んでいるわけでもないのにぴったりと張り付いているかのようにケースに詰まってしまっている。
vそして結城がケースをよく見るとケースと辞書の間に茶色い紙のようなものが挟まっているのが見えた。
「これって……」
結城が指を突っ込んで引っ掛かりの原因であるそれを引っ張り出した、それは結城の予想通り茶封筒であった。
――開けてみて。
手中の茶封筒を眺めると同時に聞こえてきた結華の声を聞きつつ結城はその口を開ける。
「ぉ……」
封筒の中に入っていたのは札束だった、と言っても全て千円札だったが。
――お前、これなんだよ。
『見れば分かるじゃん、わたしのへそくりだよ』
先ほど札束と言ったがそんな何センチと言えるような束ではない、所詮は中学生のお小遣い程度である。
それでも結城がそれを取り出し数えてみると全部で二十一枚入っていた、つまり二万一千円という金額になる。
中学三年生の所持金として二万一千円という数字は少なくない、むしろ大金と言っても過言ではないほどの金額だ。
『親戚の人とかに貰ったお年玉とかからちょっとずつかき集めて行って貯めたの』
家では貰ったお年玉などは全て母親に預けるという方針になっている、よって基本的に臨時収入という概念は存在しないのだがどうやら結華曰く、千円五枚貰ったら二枚をへそくりに移して母親には「三千円貰った」と申告する事で少しずつ貯めていったらしい。
そんな事を考えもしなかった結城は律儀に全てを母親へと渡しており、結果として貧困状態に陥っていたのだった。
つくづく妹の行動力の高さに結城が驚いていると、結華は言った。
『それ、あげるよ』
――何言ってんだ、お前が貯めた奴だろ。
何時から貯めていたのかは知らないが他人から貰う以外、お金を増やす手段のない中学生が千円札二十一枚をためるには少なくとも数年単位の継続は必要なはずだ。
そんなものを貰うわけにはいかない。
『だって私、もう使えないじゃん』
――そう、だけどさ。
だがその事実を口にされると結城は返す言葉が見つからない。
『お兄ちゃんに使って欲しいかな』
――……。
結局貰うことにした。
部屋を出た結城は母親に声を掛けておく、いきなり髪を切ってきて変な目を向けられても困るのでアリバイ的な意味でも連絡は欠かさない。
「お袋、髪切って来る」
「もうそんな時期? じゃあこれ」
と言って母親が渡してきたのは五千円札である。
「おつりは返してね?」
「わかってるって」
お袋はそのあたり厳しい人である。
妹の分と合わせて適当に辻褄は合わせておかないと、と結城は考えながら玄関へと向かって行く。
『よし、じゃあレッツゴー!』
―ーおー。
妹の声を背景に聞きつつ結城は家を出て、駅の方へと向かって行く。




