表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【短編集】白紙の地図  作者: 吾妻巧
1時間SS
18/19

[風邪っぴき]季節の変わり目

 視界が揺れる。まるで陽炎のようだ、なんて思った。

 熱に浮かされた脳みそは、決壊したダムめいて止め処なく思考を流していく。

 足取りはふらついて、まっすぐ歩くことさえままならない。傍から見れば千鳥足だ。

 口元から鼻の上までを覆う大きなマスクは、呼吸を妨げて息苦しさを与えてくる。思わずぐしゃぐしゃにして放り投げたくなるが、自分の状況を鑑みれば、それは憚られる。

 しかし衝動を堪えたところで、次に襲ってきたのは別の生理的な衝動だった。喉を強く刺激する咳が吐き出される。一通り咳き込み終わって、鼻をすする。

 要するに、風邪を引いていた。

 季節の変わり目には風邪を引きやすい、と云うが、それは疑う余地もなく、通例となって自分の身に降りかかっている。今回のこれもその一つだ。周囲を見れば、どこか暖かな空気と、景色を彩る桜の花びらが舞っている。こんな小春日和でも、昨日や明日が同じだとは限らないのがこの時期なのだ。三寒四温は例外ではなく、更に加えて言えば、前日後日の限りなく、朝晩の冷え込みも加わるので、体調を崩すのは仕方ないともいえる。

「……」

 とは言え、そんなことは言い訳なんだと分かっていた。

 鼻をすすりつつ、揺らぐ風景の中、俺は通い慣れた高校へと足を進めた。


「よ。風邪ひいたのか。おいおい、移すなよ」

 教室に入るなり、話しかけてきた友人に手を掲げて応える。声を出すのは躊躇われた。

「ばっかだなぁ。この時期は風邪を引きやすいんだぜ。季節に体を合わせていかないとな。変わっていくことに対応する。大事」

 別の友人がそんなことを言ってくる。俺は苦い目線だけで答える。

「って、病人なんだから労わってあげようよ。ね。顔色悪いみたいだけど、大丈夫? 具合悪かったら保健室行った方がいいよ」

 やってきたクラスメイトの女子(そこそこ仲の良かった)に声を掛けられる。俺は、大丈夫だよ、と小さく呟いた。

 ややあって、始業のベルが鳴った。鐘の音は頭の中でずっと響いていた。

 

 次の日も、俺の視界は同じだった。揺らいで、定まらない。マスクは息苦しさを相変わらず与えてくる。

 通い慣れた通学路を進み、自分の教室へ。

「なんだ。まだ治ってないのかよ。早く治せよ」

 教室に入るなり、話しかけてきた友人に手を掲げて応える。

「本当に大丈夫? 結構長引くようだったら、学校休んででも病院に行った方がいいよ……?」

 やってきたクラスメイトの女子(そこそこ仲の良かった)に声を掛けられる。俺は、大丈夫だよ、と小さく呟いた。

 ややあって、始業のベルが鳴った。鐘の音は頭の中でずっと響いていた。


 その次の日も、視界が落ち着くことは無かった。地に足がついてないように、ふわふわとしていた。それでも、逆にマスクにはすっかり慣れてしまっていた。それだけが幸いだった。

 通い慣れた通学路を進み、自分の教室へ。

「……全然良くなってないみたいだけど」

 やってきたクラスメイトの女子(そこそこ仲の良かった)に声を掛けられる。俺は、大丈夫だよ、と小さく呟いた。

 ややあって、始業のベルが鳴った。鐘の音は頭の中でずっと響いていた。

 決して、消えることはなかった。


 その日、俺は突然意識を失った。


 目が覚めて、最初に気が付いたことは、視界が驚くほどクリアになっていることだった。

 喉の奥の違和感も、鼻を押さえつける息苦しさも、綺麗さっぱり無くなっていた。

 だから、いつも通り、通い慣れた通学路を進み、自分の教室に行った。

 これまで揺れていた視界は、すっかり透明になっていた。だから、それはそのままの姿で目に入った。

 がらんとした教室。机や椅子だけが、整然と並んでいるだけの光景。そこに、見知った顔はいない。

 しばらくして、始業のベルが、変わらずに同じ時刻を知らせる。だけど、何も始まらない。

「…………」

 もう、終わったんだと、すっかり冷静さを取り戻した思考は告げてくる。

 時計の針は、かちり、かちり、と進み続けている。

 八時十五分。八時二十分。八時二十五分。八時三十分。

 SHRの時間が終わり、一時間目の始業のベルが鳴る。それぞれを聞き取ることは出来た。でも、景色は何も変わらなかった。

「…………」

 否応なしに目に付く、窓の外を見てしまう。目を奪われるほどの、桜の花がそこにあった。

 続けて、視線は教室の前と、後ろへ。そこには、真っ黒の黒板がある。だけど、今日は、真っ黒じゃない。その一面には、様々な色のチョークで、びっしりと文字が書かれていた。

「さようなら」「また会おうぜ」「ずっと忘れない」「俺達はずっと友達だ」「○○先生大好き」「←これ書いたの誰?」「3年7組一同」「熱血」「大学に行っても遊ぼうね」「成人式で飲み会!」


「卒業おめでとう」


 視界が揺らいだ。もう風邪は治ったはずなのに、それでも、視界は歪んでいく。

 ああ、もう終わったんだな、と。

 無駄だったんだな、と。

 迷惑を掛けるかもしれない、と。

 それでも最後まで、と。

 残りわずかな時間を、と。

 そう願った事が最後に届かなかったのだ、と。

 窓の外には、春を告げる桜の花びらが風に舞っている。

 歪んだ視界には、それは全てを覆い尽くす桜色の壁のように見えた。そして、そうだったらいいのに、と思った。

「……なんで、こんな時に風邪なんか引いたんだよ」

 誰もいない教室に、自分の声だけが響く。

「……なんで、すっかり終わってから、治るんだよ」

 風がさあと吹いた。桜の花びらが散っていく。

「……こんなことなら、ずっと寝ていたかった。始めから倒れていたかった」

 もう終わってしまったのだ。最後の数日が、消えてしまったのだ。時計が同じ方向にしか進まないように、時間は前にしか進まない。決して戻らない。無かったことにはならない。

 卒業式を前に、風邪を引いたことも。そして、倒れている間に、卒業式が終わったことも。

 一時間目終了のベルが鳴った。嫌という程に聞き慣れたそれは、かつての景色を思い浮かばせる。

 それが、とてつもなく悲しくて、それ以上はそこにいることが出来なかった。椅子を蹴飛ばし、かばんをひったくる様に取って、教室を出た。

「――って!?」

「……え?」

 そこで、見知った顔がいた。

「あ、やっぱりいたぜ」

「良かった良かった。家に電話したら、元気になったから学校に行ったって聞いてさ」

「ん。顔色もいいみたいだね。もう、無茶したら駄目だよ」

 友人たちの姿に言葉を失う。もう、ここに居るはずはないのに。

「よし、風邪っぴきの遅刻野郎がやっときたところで」

「ん。卒業式の続き、初めよっか」

 そうして、風邪はもう治ったはずなのに、俺の視界はもう一度歪んでいった。



fin (季節の変わり目にはご注意を)

1時間SS お題『風邪っぴき』

執筆:2013年

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ