4、大人びた
11月に入ったある日。
授業が終わった香緒里はA組の教室へ向かった。
教室を覗くと秀人は佐倉時行と話していた。
「吉崎?珍しいな、こっち来るの。秀人か?」
入口に一番近い席に座る悠が香緒里に気が付き声を掛けてきた。
「うん、ちょっと勉強前に秀人に用があったんだけど……。」
ホームルーム後のざわざわした教室の中だと普通に香緒里が呼び掛けても届かなさそうである。
かと言って他クラスで大きな声を出せるタイプでもない。
「秀人〜〜吉崎来てるぞー。」
察した悠が香緒里に代わって秀人に声を掛けてくれる。
秀人は香緒里の方を見、荷物を持って入口まで来る。
「珍しいな、早くホームルーム終わったのか?」
いつもは秀人がC組まで迎えに来て、一緒に寮まで帰っている。
今日は確かにC組の方が早くホームルームが終わった。
教室で待っていても良かったのだが、今日はなんとなく行ってみようと思ったのだ。
「まぁ、早く終わったんだけど……。ちょっと話、というか相談があって。」
「そっか、わかった。」
「えーなにー?告白ー?」
「いや今更かよ。」
秀人の後ろにくっついてきた時行がそう言って二人を見、悠は突っ込んだ。
「トッキーは相変わらず元気そうね。」
「まぁねー。でもそろそろ楽しいことしたくなるよねー勉強ばっかりだとさすがに飽きてくる。」
イベント大好き人間には受験期はつまらなくはあるのだろう。
とはいえ勉強が嫌いだったり苦手だったりすることはなく、むしろ得意ではある。
「かおりん志望大決まった?」
「うん、一応第一志望はR大にしようかなって。」
「おー俺もそこ受けるよー。第一志望はM大だけど。」
香緒里と時行が話している脇で、秀人は悠に「昨日テストしたとこもう一度やり直して待ってろ。」と声を掛けている。
お互い話が済んだところで二人は教室を出る。
話の内容的に、あまり人に聞かれたくないので何処に行こうか迷った末、屋上に出る階段の踊り場まで来た。
さすがに今は屋上に出ることは出来ない。
「それで、何かあったのか?」
「んーどこから話そうかな……。」
秀人に聞かれた香緒里は少し考えながら階段の一番上の段に腰を掛ける。
秀人もその隣に座った。
「あのね……高校卒業したら、一人暮らししようかな、って思ったの。」
「一人暮らし?」
「うん。第一志望でも第二志望でも、横浜の家からは全然通えるんだけど、そういうことじゃなくてね……。」
香緒里の第一志望まで、自宅から一時間ほどあれば辿り着く。
通学時間だけで見れば一人暮らしをする必要は全くないはずである。
そういうことでないならば……
「…義之さんと恵さんのことか?」
辿り着いた結論を口にすると、香緒里はちょっと笑った。
「やっぱり、秀人は鋭いねぇ。夏に、もしかしたらお父さんと恵さん、付き合ってるかもしれないって言ったでしょ?やっぱりそうみたいなんだよね。」
その言い方だと本人たちから直接聞いたわけではなさそうだ。
勘が確信に変わった、ということなのだろう。
「ただ、私が受験生っていうのもあるのか、気を遣って……というか遠慮して、その話はしてこないんだけどね。多分、確実。」
「なるほどな……。それで、一人暮らしか。」
全部を言っていないのに秀人はそう納得した。
香緒里が言いたいこと、考えていることは大体見通されてしまう。
「香緒里が家にいることで、進展しないんじゃないかってことだろ?」
「うん。お父さんも………それに、恵さんも。私のせいでタイミング失っちゃダメだと思うんだよね。」
ほんと、お人好しだよなと秀人は思う。
それでも香緒里がそれでいいと言うならば、力になりたいと思う。
「横浜の家も、長期休暇にちょっと帰るくらいだったから実質半年も過ごしてないから、そこまで思い入れがあるわけじゃないしね。」
前の家ももうないしねーと香緒里は続ける。
いい思い出は少ない家ではあったが、あちらは生まれた時から住んでいた。
見つめる秀人を見返して、香緒里はちょっぴり笑う。
「大丈夫、少なくとも秀人よりは一人暮らし向いていると思うよ?」
「いや、そりゃまぁそうだろうけど……。」
秀人の苦手分野は圧倒的に片付け。
部屋ですら汚いのだから一人暮らしをしたらなかなか悲惨なことになりそうである。
「……無理はしてないよ。そりゃ、寂しくないって言ったら嘘にはなるけど……大丈夫。
この話ね、最初に秀人に聞いて欲しかったんだ。」
「そっか。」
「でね、今度の日曜日に、お父さんに話に行こうと思って。恵さんも呼んでる。それで……」
香緒里は一度言葉を区切り、秀人を見た。
「一緒に来て欲しいな、って。あ、でも話すのは私一人でするから、駅とかで待っててもらうことになっちゃうんだけど……。来てくれる……?」
遠慮がちに言う香緒里に秀人は優しく微笑む。
「当たり前だろ。」
「…ありがとう。」
上手く話せるか、伝えられるか分からない。
それでも自分の気持ちをしっかり父に伝えたい。
伝わるだろうか。
不安がないわけでない。
親元を離れることは寮で経験してるとはいえ、一人暮らしはまた違う。
家族の形が変わってしまうことへの不安も、ある。
それでも……と思うのだ。
そんな香緒里の内心を見透かしたのだろう。
隣に座る秀人は香緒里を抱き寄せる。
「秀人……?」
「俺も、雪音たちもいる。」
「うん……わかってる。私の居場所はちゃんとある。」
だから大丈夫だと思えるのだ。
前に進もうと思える。
秀人の目を見て微笑むと、コツンと額をくっつけられる。
「困ったら絶対言って。」
「わかった、ありがとう。」
少し声のトーンを落とし、柔らかく言ったその秀人の言葉に胸の奥が温かくなる。
きっと、大丈夫。
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週末。
香緒里と秀人は電車を乗り継いで香緒里の自宅のある横浜市までやってきた。
「本当にここまででいいのか?」
「うん、もうすぐそこだし、大丈夫。」
駅前で分かれようとする香緒里に、秀人は聞いた。
確かに駅から見えるところにマンションはある。
どちらかと言えば心理的な心配をしているのだが……。
「待たせちゃうかもしれないけど……。」
「気にするな。終わったら連絡して。」
「うん、わかった。じゃあ行ってくるね。」
「行ってらっしゃい。」
別れ際に秀人の手をギュッと握ると、空いた方の手で頭を撫でられる。
そうして手を振って分かれた。
秀人と分かれた香緒里は自宅へと足を向ける。
少し緊張はしている。
反対されないだろうかとか。
心配はきっとされるだろうな、とか。
色々考えてしまう。
いや、今考えてももう仕方ないよね……。
気持ちを振り払うように、インターホンを押した。
家に入ると既に恵は来ていた。
「久しぶりね、香緒里ちゃん。」
「久しぶり。」
恵に会うのはインターハイぶりだ。
義之には夏休み中に帰省した際に会っている。
義之は温かい紅茶を入れた後、香緒里と恵が座るダイニングテーブルにつく。
「それで……改まって話ってなんだい?受験のことか?」
「私まで、っていうのがよく分かってないんだけど……。」
受ける学部の方向性は夏休みの際に伝えている。
確かに受けたい大学の話はまだしっかり伝えていない。
「えーと、とりあえず……第一志望はR大学の心理学部にしようと思ってる。」
「そうか。」
「でね。本題なんだけど……。私、高校卒業したら一人暮らしがしたいの。」
「一人暮らし……!?」
切り出すと予想通り義之は面食らった顔をする。
隣に座る恵も驚いた表情をしている。
「いや、R大ならここから問題なく通えるだろう……?」
「うん、わかってる。」
「じゃあ何で……??ここに帰りたく、ない、とか?」
「ううん、そういうことでもないの。」
困惑している義之に香緒里は更に切り出す。
「その前にね、一つ確認なんだけど……。お父さんと恵さん、付き合ってるよね?」
香緒里の言葉に二人は固まった。
「どうしてそれを……。」
「わかるよ。親子だもん。親の変化くらい、分かる。」
義之も恵も親と捉えているような香緒里の言い方に、恵は胸が詰まる。
「もし、二人が結婚して一緒に住むってなった時に、私が家にいたらやりづらいでしょう?というか、私が社会人になって自立して家を出るまで……結婚するつもり、なかったでしょ?」
二人は更に驚く。
そこまで見抜かれているとは思わなかった。
「いや、それでも香緒里が家を出ることはないだろ……?」
「私がいることで二人が遠慮するのが嫌なの。私は、恵さんにちゃんと幸せになって欲しいし、お父さんにも幸せになって欲しい。」
「結婚は、急がなくてもいいんだ。」
「本当に?恵さんのこと、考えてる?結婚が遅くなって後悔することもあるんじゃないの?」
「それは……お前が気にすることじゃない。」
詰める香緒里に、義之は静かに言う。
二人の間に沈黙が流れる。
香緒里は、同年代の子供に比べて大人びていた考え方をしていることは、義之は以前から気が付いていた。
そしてそうなってしまったのは自分たちのせいだろうということも。
無理をさせてしまっているのではないかという思いが巡る。
「私はね、香緒里ちゃん。香緒里ちゃんとも家族に、なりたいと思ってるのよ?」
沈黙の中、恵は口を開く。
香緒里の視線が少し揺れた。
「それは、私も……思ってる。お父さんと恵さんが結婚してくれたら、ちゃんと恵さんと家族になれるだろうな……お母さんって、呼べるだろうな、って。」
「なら……」
「でも、だからこそなの。最初から3人でずっと暮らすってなると、絶対気を使う。私も恵さんも。それで、疲れちゃう。だから、私は週末に帰るくらいでいいかなと思って。」
それは香緒里ではなく自分が週末だけ来るのではダメなのだろうか、とも恵は思ったが、こちらに向ける香緒里の目はもう揺れていない。
意思は固いのだ。
「二人には幸せになって欲しいの。」
「そこに香緒里は入っていないのか?」
「私は……入ってる、つもりではいるけど……。」
義之に言われ、香緒里は口篭る。
二人には幸せになって欲しい。
その言葉に嘘はない。
三人で幸せになれたらいいだろう。
だが、さっき言った通りそれは香緒里の心情的に難しいと思ったのだ。
「私は……大丈夫。」
「香緒里は本当に一人暮らしをしたいのか?」
「うん、したい。無理もしてるつもりもないから。」
香緒里の気持ちはもう固まっているのだろう。
子供ではなく、一人の大人になり掛けている。
自分で迷い、考え、決める。
高校生には普通難しい決断であっても。
義之にとっては大事な娘だ。
複雑な関係ではあるものの、大事な子であることには変わりない。
自立しようとしている娘を守ってあげたいと思うのは、親のエゴなのだろうか。
義之は一つ息をついた。
「……わかった、一人暮らしをしてもいい。ただ、定期的に週末には帰ってきなさい。あと無理はしないこと。」
「わかった。……わがまま言って、ごめんなさい。」
「いや……いい。」
少し寂しそうな表情をする義之に、香緒里は胸が痛んだ。
一緒に暮らしたい気持ちはもちろんある。
あるけれど、それでは無理が生じるような気がしたのだ。
その後少し話をして、香緒里は帰った。
寮の夕飯の時間もあるので元々そんなに時間はなかった。
香緒里が帰った後、義之は大きく溜息をついた。
「なんだか……いつの間にか大人になってしまったんだな。」
「ごめんなさい、私がややこしくしてしまって……。」
俯く恵に義之は少し表情を緩めた。
「いや、恵さんのせいじゃない。俺と香緒里の関係性の問題だよ。昔からの関わり方のせいで、どうしても香緒里は俺に遠慮をするんだ。……愛情は伝わってる、とは思ってるんだけどね。」
仕事ばかりであまり家におらず、上手く関係を構築出来ていなかったせいだ。
離婚して、関わり合いが増えたとはいえ、普通の親子に比べると拙いだろう。
逆に、恵という存在が入ることによって、上手く変わることが出来ればいいのだが、とも思ったが……。
「要は俺が寂しいだけなんだよ。そうなってしまったのは俺自身のせいなんだけどな。」
自分のことより周りのことを周りの幸せを優先するようないい子過ぎる子になってしまった。
寂しげな、悲しげな表情をする義之の横顔を恵は黙って見つめた。
カップの中身はすっかり冷めきってしまった。
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駅前に戻ると、香緒里から連絡を受けた秀人が先程分かれた場所で待っていた。
姿を見つけると、香緒里は小走りで駆け寄る。
「秀人!」
「おかえり、香緒里。」
「ごめんね、待たせて。」
「全然。本屋行ったり、カフェに入ってたりしたからすぐだった。」
秀人の顔を見て、ホッとしたような表情をする香緒里の頭を優しく撫でた。
手を繋いで、改札へと向かう。
「一人暮らし、してもいいって言ってもらえた。」
「そっか。」
「ちょっと……無理矢理ではあったのかもしれないし、わがままだったのかもしれないけど……。」
「でも、香緒里がたくさん考えて出した答えだろ?」
浅はかな考えで一人暮らしをしたいと言っているのではないことは、恐らく義之にも伝わっていると秀人は思う。
「うん……。ただ、これで良かったのかな、とも思ってはいて。後悔……とかではないんだけど。もっと伝え方あったかな、とか。」
「どっちを選んでも色々考えることはあるだろ。だから、選んだ方で香緒里が幸せになればいい。
子供が幸せであれば、親も嬉しいものなんじゃないか、多分。」
秀人は香緒里の顔を見ながらそう言った。
そっか……と香緒里は呟く。
「ありがとう、秀人。」
「俺は大したことしてないよ。」
「ううん。一緒にいてくれるだけで……傍にいてくれるだけで充分。」
それだけで前に進もうという勇気が湧いてくる。
微笑んだ香緒里に秀人は優しく笑いかける。
少しずつ少しずつ大人になって行く。
他の人より少しスピードは早いかもしれないけれど。




