6話 旅と塩 前編
パンを初めて焼いてからしばらく経った。
その間に、良さげな豆を見つけて育てたり、いくつかの野菜を成長させることができた。
加えて、チチェクの狩りも安定しているから、あるい程度は栄養素の確保ができるようになっている。
なにがどれだけあって、足りないものがなんなのかは、わからないが。
しかし、花人族の身体ってのは便利なもんだね。
日光と水分と少量の食事さえあれば事足りる。
植物みたいにお日様から栄養をもらってるんかね。
「…。」
そんな折にふと疑問を覚えた。
あたしは植物に近いんだから、『気分屋の植物辞典』で調べられるんじゃないか、と。
右手に植物辞典を出して、左手で自身に触れてみると、ページがめくられる。
『 花人族
起源が定かでない種族の一つ。
他の生き物と比べて個体差が激しく、身体に宿す花や生活様式が、個体ごとに大きく異なるのが特徴的。 』
チチェクから教えてもらったこととほぼ同じ内容だ。
分類的には植物の一種ということだね。
植物辞典を閉じようとした時、ページが再びめくられる。
『 スイ
“世界樹の花人族”マクランティアの遺した一縷の望みであり、汚染により変質した花人族。
ただ、希望の種は芽■くことなく■わるはずだっ■。
しかし■■■■が成■したようで、異界から■■の■を■着させ■■とで、半■■以上の■を経■、現■の形■な―――――』
ところどころから塗りつぶされているかと思ったら、ページそのものが真っ黒になって何も見えなくなっちまった。
汚染で変質しちまってることくらいしか分からないし、あたしの誕生にはマクランティアという花人族が関わっているみたいだね。
偉大な花人族。あたしにとっちゃこっちでの母親のような存在なのかもしれないけど、産まれるよりもずっと昔にホトケさんになっているから、顔を拝むことも叶わない。
ただまあ、この土地をどうにかしたかったというのは伝わってくるし、あたしもそれに協力してやる。
せめてあの世では穏やかに暮らしててほしいものだね。
「なんまんだぶ、なんまんだぶ」
「なにそれ?」
「チチェク、いたのかい」
「帰ってきたところよ」
チチェクはいくつかの品を抱えており、散策ついでに何かを拾ってきてくれたんだろう。
「先代様とやらの冥福を祈ってたんだよ」
「へぇ〜。面識はあるの?」
「ないよ。あたしは最近産まれたばっかなんだよ?」
「そうなの?それなのに、ここの浄化に熱を注いでるの?」
「言ったろ。産まれたばかりのあたしを面倒見てくれたやつがいるってね。…数日程度の付き合いだけど、託された願いに力を貸してやるには十分なもんさ」
「ふぅん。で、何歳?」
「一回、チチェクみたいに眠っていた時間があるんだけど、それを除くと二歳かね?」
「赤ちゃんみたいなものじゃない!私もお世話してあげるのだわ」
「火起こしや散策、狩りをしてくれるだけでも十分なお世話さ。助かってるよ」
「そ、そう?えへへ、毎日の食事とか、朝に起こしてくれてありがとね、スイ」
「ああ、どういたしまして。おあいこさんだね」
笑みを浮かべるチチェクに、こっちからも笑みを送ってやりながら、あたしは疑問を口にする。
「ところで花人族ってのはどれくらい生きるもんなんだい?二年そこらでここまで大きくなっちまったんだから、やっぱ犬猫みたいな寿命なのかね?」
「う〜ん…花人族って個人ごとで様子が大きく異なるから、どれくらいって聞かれると分からないのだわ。それこそ、世界樹の花人族マクランティアは数百年も生きていたって言われてるし」
「そうなのかい。チチェクたち牙人族は?」
「こっちは系統ごとにちょっとだけ差があるけど、狸系は一〇〇年くらいね。一三〇歳くらいまで生きてた方もいるのだわ」
「そりゃ長生きだねぇ」
なんて話をしながらあたしの作業を終えると、チチェクは自慢気な表情で一つの品を机に置いた。
「これを見るのだわ」
「ばっちい紙だね?」
「ただの紙じゃないのだわ!色々と見て回ったら、お役人の詰めていたっぽい場所があってね、そこから地図を見つけてきたの」
「おぉ、地図かい。それは便利そうじゃないか」
「ふふん。周辺の地形が分かるのだわ」
広げられた地図は、あたしの思い描いていた住宅地図や旅行用の地図とは違っていて、世界樹を中心とした周辺地域を記したものとなっている。
チチェクのいう旧世界樹域は、ペタロステゲという地名らしい。
「このアステルウォードっていう端っこに書かれてる土地は?」
「私たち古星族の国よ」
「じゃあ反対側にあるオルタイミアってのが」
「憎ったらしい純人族の国ね」
「…。」
なんでそこまで争ってるのかは、今は聞かなくっていいか。
水を差しちまう。
「ペタロステゲって土地は、全部が汚染されてるのかい?」
「流石にそれはないと思うわ?…汚染は確かに拡がっているけど、わざわざ僻地で戦わないのだわ。汚染は戦争の影響なのだから」
「そういうものかい」
「そういうものなの。それでね、私なりに良い場所を見繕ったのよ」
「どこだい?」
チチェクは自慢気な表情で山を指した。
「ここはハロスウェル、塩の湧き出る泉よ」
「塩の湧き出る泉?」
「ええ、そうよ。…えっと、ちょっと待ってて」
「??」
チチェクは後ろを向いて、何かを確認している。
「ふん。ここはね、塩泉っていう塩分を多く含んだ温泉が湧き出る場所みたいでね、戦前には塩の採取が行われてたみたいなの。そして温泉には、疲労回復とぉ………。えーっと…まぁ…なんか色々と効能があるみたいなのだわ!」
「そうかい。よく見つけてきてくれたね」
「ふふん、私にかかれば朝飯前なのだわ!…それでどう?行ってみない?」
「いいけども、これってどれくらい距離があるんだろうね?」
「さあ?私はこの辺りから刑を執行されたけど、どういう道順で走ったかは分からないからなんとも言えないのだわ」
「縮尺が合ってるかも分からないからね」
「行くのは…難しい?」
「難しくはあるけど、塩は必要だから行かなくっちゃね。チチェクの刑期は五年なんだ、生きて親元に帰れるんだから、しっかりとした食事をして、健康に生きてもらわんと。くくっ、医食同源ってやつだ」
「スイ…」
「それじゃあ旅に出るだけの保存食が必要だね」
遠征でしっかりとした食事を取るのは難しい。
だけどあたしなら、種を運搬すれば現地で成長させて確保ができる。
そうなれば、あとはそれらを活かして調理をできる道具を運べばいいか。
流石に窯は運べないし、パンは作り溜めて運ぶ必要があるけどね。
「よし、チチェク。準備を始めるよ」
「わかったのだわ!」
―――
数日をかけた準備を終えて、あたしたちはハロスウェル方面に向けて出立する。
「準備段階で思っていたけど、食料の多くを種で運搬できるのは便利よね」
「あたしもそう思うよ。よい…しょっと、おぉっとっと」
「大丈夫?」
「あたしはあんまり力がなくってね」
「もうちょっと私が持つのだわ」
「助かるよ。…なんでもかんでも『花人の指』に任せ過ぎかね、はぁー…」
ため息を吐き出したあたしは、花人の指の種を一つ零してから成長スキルを使い、植物辞典で確認する。
『 花人の指
大昔、とある花人族が生み出した蔓の植物。すごく便利!
うにょうにょで可愛いと思わない? 』
前は『硬すぎて食用にできない』って書いてあったことを思い出すと、やはり植物辞典の内容は変わっている。
その時次第で内容が変わるって意味で、気分屋の植物辞典なんだろうね。
「それじゃあ出発だけど、廃都から離れると穢鬼化した野生動物が姿を見せるようになるのだわ。…そのぉ、スイには指どころか爪の一本も触れさせないよう全力で守るけど、一応のこと離れすぎないでほしいわ」
「戦いはチチェクに任せるよ。…すまないね」
「いいの。私がスイを守りたいのだから」
チチェクはあたしの手を握り、真摯な瞳を向けてくる。
この子は褒められるのが好きな性分なのか、あたしからの期待を自身の肩に乗せたがる。
だからあたしは、その期待に応えるよう言葉を紡いでやる。
「チチェク、あんたのことはこの世で一番信頼している。だから、怪我をしないようにあたしを守ってくれな」
「うん!」
眩しい笑顔が返ってくる。
チチェクのことは好ましいし、とても愛らしいと感じる。
やっぱり一人っきりじゃないってのは、嬉しいもんだね。
「出発だよ」
「出発なのだわ!」
―――
ハロスウェル方面に向かう最中、チチェクは木の棒を使って野生動物を追い払っていた。
不思議なことに、チチェクが群れの一匹を蹴散らすと、群れ全体が恐れをなして逃げていく。
群れのボスなんかを的確に殴っているのかね?
ひと仕事終えて戻ってきたチチェクに、あたしは疑問を投げかける。
「なんで木の棒なんだい?削って木刀にしたり、ちとボロかったけど剣も拾ってたろ?」
そう、チチェクは木の棒の持ち手に布を巻いたものを、得物として戦っている。
無益な殺生をしないためかと思っていたが、食い下がらない群れ相手の場合は半壊するくらいには痛めつけたり、場合によっては撲殺もしていた。
「私は剣のスキルを持ってるの。だから剣を握れば、今より数段強くなれるのだけど、まだその時ではないのだわ」
「自分を戒めているのかい?」
「そういうことではないの。ただ…剣は殺しの道具だから、体よく痛めつけるのが難しいのよ」
「木の剣でも?」
「ええ、野犬程度なら木剣で断ち斬れるのだわ」
チチェクが怪我なく狩猟をしてこられたのは、こういった実力の土台があったからなんだろう。
「無理はしないようにね。チチェクに何かあったら、帰れなくなっちまうんだから」
「私は強いんだから!」
「そうだね――」
狸の牙人族。
狸ってのはもっと間抜けな動物だっていう思いがあった。
前世の山ん中にいるような狸とは違うかもしれないけど、なんというか印象の大きな違いがある。
チチェクと同じ種族全員が強いのか、それともこの子が特別なのかはわからないが、心強いことは確かだ。
「――心強いよ」
―――
朽ちた世界樹を離れて四日ほど経って、あたしたちは山を登っていた。
街道だった形跡を辿りつつ山を登り始めたんだが、ついぞその形跡が消えてしまい、今はチチェクが走り回って周囲の探索をしている最中だ。
野生動物、それも野犬の群れがいる状況でひとりぼっちというのは心細く、少しばかり落ち着かない。
そわそわと周囲に聞き耳を立てていると、何かが枝を踏む音が耳に届く。
「チチェクかい?」
返事はない。
つまりは何かしらの野生動物だ。
あたしは背もたれにしていた樹を確かめ、足元に花人の指の種をばら撒いてから成長と操作を使い、自身の身体を持ち上げて樹上に乗せる。
「グルルル……」
「正真正銘の犬っころかい…」
木の根元には野犬の群れが集まり始めていた。
花人の指を操り、荷物を多重に覆って奪われないようにし、木を登ってこないように蔓を振り回す。
「しっしっ、あっち行きな!」
「ワン!ワン!」
「うひぃ…」
野犬ってのは怖い生き物だ。
あたしの若い頃……いや、国が野犬の対処に乗り出すまでは、野山で見かけることもあった。
親には『夜に外へ出るな、野犬に食われるぞ』なんて脅かされてたし、夜に遠吠えやら鳴き声が聞こえれば身がすくむ思いをしていた。
…そう、野犬はおっかない生き物なんだ。
蔓を振り回したところで逃げる様子はなく、こちらを見上げて吠えながら、ぐるぐると周囲を回っている。
情けない話だが、あたしにはどうにもできそうにない。
心臓が脈打つのを感じる。
死の恐怖にだ。
一度死んでるんだし、チチェクのことを放り出してホトケになるわけにもいかない。
だからあたしは、大きく息を吸い込んで声を上げることにした。
「チチェクー!!助けてくれー!!」
―――
私チチェクが塩泉を求めて周辺を探していると、スイのいる方向から野犬の鳴き声が聞こえる。
手がかりも見つけたし、嫌な予感もしたので踵を返すと、助けを求めるスイの声が耳に届き、それと同時に髪や尾の毛が逆立ち、考える前に足が動き出す。
私は、損な気性を心に宿している。
それは怒りというもので、抑えが効きにくいものなのだわ。
自分が悪く言われるのは、そこまで腹が立たないのだけども、大切な人を悪く言われるのは許せない。
家族、使用人として働いてくれている皆、友人。そういった人が傷付けられ、害される状況に私の怒りが昂ってしまう。
今もそうなのだ。
私はスキル『招剣』で武器を手中に収め、剣を握ったことによる『剣聖』の身体能力の向上を用いてスイの許に向かう。
お祖父様は言った。
『強大な力を振るうには、その責任を果たせる立場でなくてはならない。真に自分自身が、責任を負えると思った時まで、その力は抑えておきなさい』と。
それなのに私は、一切の躊躇なく力を用いてしまった。
頭では分かっているのにも関わらず、身体が勝手に動いてしまうのだ。
これは損な気性だ。
「はぁっ!落ち着きない…チチェク・チェリク、この力は…正しく使わないといけないのだわ!」
口が動かせた。
身体の舵取りが自分に戻ってきたような感覚と共に、頭の中が沸騰するかのように熱を帯びる。
ぐつぐつと煮える頭蓋の内。その熱を冷ますかのように大きく呼吸をして、私は冷静さの一部を取り戻す。
「これで…いいのだわ」
スイを助ける。これは変わらないわ。
ただ、無闇矢鱈に力を使うのは得策じゃない。下手を打てばスイも傷ついてしまうのだわ。
けれど順序がある。燐光を放つ剣に視線を向けて、溢れ出る力を抑え込む。
これは聖剣と呼ばれる物。私の心が生み出した、世に二振りとない剣で、膨大な力を宿してしまっているのよ。
だから、抑えなさい。
剣から漏れ出る光が消えたことを確認し、私は走り出す。
剣聖の力により、走る速さは格段に上がり、流れていく景色を目で理解するのにも困らない。
必死にスイを探していくと、動く蔓とそれに噛み付いている野犬を発見できた。
地面を力強く踏み込み、穢鬼化した野犬の群れに突入し、剣の届く範囲にスイがいないことを確認してから、剣を振るった。
大切な人、スイのために。
一網打尽なのだわ。
野犬の死骸なんかに目を向けず、目を走らせてスイを探す。
流石にもう食べられちゃったなんてことはないと思いたい。無事でいて。
「あたしゃ上だよ上」
「スイっ!!」
「ありがとう、助かったよ。本当にね。ふぅー…」
「良かったぁ…」
私が聖剣を還すと同時に、スイの登った樹から異音が響く。
メキメキと、折れて裂けるような音だ。
木の幹に視線を向ければ、私の剣戟による傷が見られる。
「樹が傾いて…、お、落ちるよ、あたし!?」
「スイ、跳んで!受け止めるのだわ!!」
「ええい、ままよ!!」
スイを受け止めた瞬間、私は踏んでいたらしい蔓によって足が滑り、スイを抱きしめながら転倒して、斜面を滑り落ちた。
―――
「痛たた…」
「スイ、無事かしら?」
「多分…大丈夫だよ。チチェクは?」
「私の身体は丈夫なのだわ」
あたしスイが身体を起こすと、チチェクに馬乗りのような体勢になってしまっていた。
眼下のチチェクは、あたしを抱きしめて斜面を滑ったせいか、落ち葉やら土やらでだいぶ汚れてしまっている。
あたしが上から退こうとすると、チチェクはあたしの片腕を掴んでそれを阻む。
「……。」
なにか言いたいことでもあるのかと思い言葉を待ってみるも、口は閉ざされたまま、澄んだ黄色い瞳をあたしに向けている。
チチェクもまだ子供だ。恐怖心も相応にあるはず。
あたしは、チチェクの顔に付いた土を落とし、髪に絡まった落ち葉を払い取ってやってから笑みを向ける。
「スイぃ…」
「うわぁ、なんだい?そんな怖かったのかい?」
「スイが大切だからぁ…守れてよかったって思ってぇ…ぅぅ」
普段は明るく気丈に振る舞っているだけで、やっぱり我慢している部分はあるんだろうね。
寂しさか、甘えたさか、その感情かは分からないけど、それの決壊寸前なのかもしれない。
チチェクがあたしに求める関係がなんなのかは分からないし、それに応じられるかはわからないけど、力になってやりたい相手だと、あたしは思える。
だからあたしは、角が当たらない程度に額同士を近づけて、言葉を贈ることにした。
「ありがとうチチェク。あんたのおかげで、あたしは無事だ。あんたが守ったんだよ」
「……す…すいぃ…」
チチェクは顔を真っ赤にしたかと思ったら、手で顔を覆っちまった。
あたしはチチェクの上から離れて、滑り落ちた斜面の上を眺める。
落ち着くまで待つとするかね。
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