9話 スイとチチェク
あたしの出自を知ってから三年の時が流れて、ペタロステゲの廃都は以前と比べて別物になっていた。
成長を重ね掛けした世界樹は、枯れることなく青々とした葉を茂らせて、夏ごろになると果実を実らせる。
以前の小さい果実と比べて大きく成長し、味も心地よい甘さになっていた。例えるならさっぱりとした桃だろうかね。
それから、廃都を覆うよう円状に世界樹を配置していき、浄化の力の効果を広げてみたところ、廃都内は自然豊かな土地に変化していった。
今まで芽吹かなかった種もいくつかが育てられるようになり、あたしとチチェクの食生活は豊かなものとなっている。
……朽ちた世界樹の残骸を片付けるのは、甚く大変だったけど、あれはあたしのせいだから仕方ない。
…その食生活の影響かは知らないけども、チチェクはだいぶ成長した。
綺麗な女性、といった風貌だ。
「スイ〜、ただいま!」
「おかえり」
背は高く、女性らしさのある身体の曲線。特に変わったのは顔立ちだろうか。
前は幼さの混じる顔立ちだったんだが、少し引き締まりつつも、甘い色香を放つようになっている。
この顔は…目の毒だよ。すぐにあたしの顔が赤くなっちまう。
変化といえば、あたしの内面もだろうか。
チチェクの猛烈なアピールを食らい続けて、あたしもチチェクを受け入れ始めている。…まあ、好きなんだろうね。あたしもさ。
ちなみに外見は何も変わっていない。細っこいままだ。
「今日は何を獲ってきたんだい?」
「鳥と魚なのだわ。穢鬼化していない動物の数がとっても多くなってきたし、もう浄化は十分なんじゃない?」
「そうだね。ここまで自然豊かになっちまえば、大介やマクランティアも満足だろうよ」
最初は穢鬼化した鳥が巣を作った。
そこから穢鬼化したウサギやらネズミやらが現れ始めて、あたしたちは食害を受けないための倉庫づくりに勤しんだのが懐かしい。
この三年間は、気の休まることの少ない、非常に忙しい日々で、とても充実した日々だったよ。
「ねぇスイ、忘れてることがあると思うのだけど?」
「ないよ」
「ないことないわ」
チチェクは帰ってくると毎度……接吻を要求してくる。
飽きられても困るから、たまにしか応じてやらないが、今日はしてやるか。
「んっ」
「今日は優しいスイなのだわ」
「飽きもせずに、まったく」
「朝昼晩としたいくらい」
「唇がふやけちまうよ…」
チチェクに頭を下げさせてから、あたしはちょっとした意地悪を思いつく。
唇を待ち構えているチチェクは目を瞑っているから、そこを避けて額と角に接吻をしてやった。
「ねぇー…それは違うと思うのだけど」
「別にそっちにしてやるなんて言ってないだろう」
「じゃあ私から!」
「ダメだダメ!チチェクに飽きられたら、あたしはどうなっちまうんだよ、節度を守りな!」
「…飽きる?」
「毎日毎日、ちゅっちゅしてたら飽きるかもしれないだろ。…そしたらあたしが困るんだ」
「へぇ〜〜。じゃあ今日はこれでいいのだわ」
にまにまと笑みを浮かべるチチェクは気に入らないが、飽きられたら困るという言葉は本心に違いない。…しょうもない嘘をついて悲しませるようなことは避けたい。
好きだのなんだのの前に、あたしはチチェクが大事なんだ。
「話が戻るのだけど、もう浄化とかは一旦終わりでいい?」
「いいだろう。約束は果たしてやった。なんの説明もなしに巻き込まれたんだ、これ以上してやる謂れはないよ」
「だいぶ大自然よね」
「ああ、大自然だよ」
小鳥の囀り、虫の声。
三年前には聞こえなかった音だ。
廃屋なんかはそのままだが、いずれ自然の方でそれらを分解してくれるだろう。
大介の書き残した『世界樹の地を緑豊かな都』というのは達成しているはずだ。人の住む都じゃなくて、動植物のための都だけども。
「じゃあこれからは、アステルウォードのために頑張るのだわ」
「マクランティアの縁者であることは隠すんだろ?あたしのスキル頼りでできるものなのかね?」
「そういうのはチェリク家の皆に丸投げして、私とスイはラブラブで幸せな毎日を過ごすの。特に何もしないで、ゆっくり過ごす日々があってもいいと思うし」
「自堕落な生活なんてあたしが許すわけないだろ」
「じゃあ何をするの?」
「アステルウォードでってことなら、お菓子を作りたいね。……店をやるのも悪くないけど、あれは大変だから追々考えるとして、あたしの好きだった菓子をチチェクと作るんだよ」
「いいのだわ!」
「それじゃああと一年、刑期を全うしないとね」
「ええ!」
あたしはチチェクの頬を撫でてから、今までの作業に向き直る。
「ところで…ここ最近は何を作ってるの?なんか麦を発芽させたと思ったら砕いたり、お芋をたくさん煮てみたり、料理とは別みたいだし」
「あま〜いお菓子だよ。芋パンよりも本格的なね」
「作れるの?!」
「分からない…っていうのが本音だね。…このスキルが不便すぎるんだよ」
あたしは、『怠け屋の料理辞典』のスキルを使って本を取り出す。
これは知りたいと思った料理や、手に持った材料の料理のレシピを教えてくれるんだが、細かな工程や分量なんかの一切を省きやがる。
とんでもなくずくなしな本だ。
「もぉ、『適量』『適度に』『いい感じに』『美味しくなるように』ってなんだい」
「でもスイって、試行錯誤が好きだし相性はいいと思うのだけど」
「それはそれだよ」
「完成を楽しみにしているのだわ」
―――
あたしとチチェクは、一日の終わりに身体を拭きあう。
製塩場なら湯船に浸かることができるんだが、こっちじゃそうもいかない。
自分の身体は自分で拭く方がいいんだが、妙にチチェクが拭き合いたがる。
…まあ、最近のチチェクは肉欲的なところがあるし、そういうことなんだろうが。
基本的な場所は自分で拭き、手の届きにくい背中だけをチチェクに任せて、あたしは今日の失敗を記して、次に活かす。
前世なら…と思うのは、もう良くないね。
ただ、安価で容易に手に入れられたものだからといって、ここで簡単に手に入るわけではないということで。
自作するには試行錯誤が必要だ。
「熱心なのだわ」
「そりゃ熱心だよ。ご馳走が目の前にはあるようなもんだからね」
「そんなに美味しいものなの?」
「んー、ちと物足りない味わいかもしれないよ」
「そうなの?」
「そうなの。まあでも、あたしにとっちゃ懐かしい味なんだよ」
こういうことを打ち明けられるのは、今後チチェクだけになる。それも、なるべく人前では話さないようにしなくちゃいけない。
だから、気軽に作ったり話したりできる今のうちに、前世で慣れ親しんだ味を、チチェクにも食べさせたいんだ。
あたしが真面目に何かを考えている時は、チチェクもふざけないで寄り添ってくれる。
なんだかんだ、あたしをよく見てて、空気を読んでくれているんだろうね。
「終わったわ」
「それじゃ交代だ」
あたしは湯に布を浸けてから、チチェクの背中を拭いていく。
「ねえスイ」
「なんだい」
「私の首の後ろと、尻尾の付け根を触ってもいいのだわ」
「前に嫌がったろ」
「あの時も嫌がってはないの。ただ心の準備ができていなかっただけで」
「なんか、良くない言い方だね。真実を隠しているんじゃないのかい?」
チチェクは身体をもじもじと、色っぽくくねってから話し始める。
「そこはね、将来を約束したパートナーに触ってもらう場所なの。だからそろそろいいかなって」
「相変わらずの色ボケっぷりだね」
「ひどいのだわ」
「ひどくない」
「でも最近のスイは、満更でもないって様子に見えるのだけど」
「…なにが」
「私のこと、しっかりと好きになっているのだわ」
「……。」
まあ隠しようがないか。
「スイは、そういう感情を口にするのが得意じゃないみたいだから、ちょっと触るだけでも私は嬉しいの。…だめ?」
「……。」
鏡がなくても、あたしの顔が真っ赤なのが分かる。
別にバレていないなんて思っちゃいないが、直接言われてしまうと、逃げ場がなくなる。
ドクドクと鳴り止まない心臓に文句を言いたくなりながら、あたしはチチェクの首裏に生える体毛に、手を沈めて絡める。
「スイ…!」
「あたしゃね、チチェクのことが好きだよ。毎日毎日飽きもせずに好き好き言ってきて、それでいて飽きる素振りもない。
なんというか、いつか捨てられちゃうんじゃないかっていう不安さえも取っ払っちゃう、あんたがね!」
「私がスイのことを捨てるわけないのだわ」
「それでもあたしは女で、チチェクも女。……あんたが、ここに来る原因となった一件で男をよく思ってないのは知ってるけど、それは鱗人族っていう種族のことだろ。
…同族で良い男が現れたらっていう不安があるんだよ」
あたしはチチェクに不安をぶちまける。
こんな言い方をしたら愛想を尽かされちまいそうだけど、それでも言わずにはいられなかった。
「私の牙、いる?」
「え?」
「あんまり女同士でやることじゃないんだけど、牙を一本引き抜いて、永遠を誓い合う相手に贈るの。相手のためなら、牙を抜いてもいいっていう覚悟なんだって」
「…歯抜けのチチェクなんて見たくないからやめとくれ」
「わかったのだわ」
「チチェクのせいで人の温もりを知っちまったんだ。…よろしく頼むよ、本当にさ」
「拾ったのはスイなんだけどね」
「うるさいよ」
「ちょっと、急に動かさないでよ!あははっ!」
あたしは首の裏の体毛をくすぐり、意趣返しをする。
「あたしを本気にさせたんだから、覚悟しとくんだよ」
「え!?じゃあ今晩は…。あ痛っ!いたた、痛いよスイ!」
チチェクの後頭部を軽く引っ叩き、いっぱいの力で背中を拭いてやった。
―――
私チチェクは、すやすやと眠るスイを眺めている。
あいも変わらずスイの就寝は早く、朝も早い。
この四年で私の就寝時刻も早くなったのだけれど、この無防備なスイを眺める時間を、とても大切にしている。
スイは、私に捨てられることを不安がっていたけれど、それは私も同じなのだわ。
アステルウォードに戻ったら、私よりもいい花人族を見つけてしまうかもしれない。そんな不安がいつもよぎる。
けれどスイは、そんな薄情じゃないだろうし、他に良い人がいたからってすぐに離れていくような雰囲気もない。
それに今日、私のこと好きだと言ってくれたし、首の裏の毛も触ってもらえた。
私は幸せ者なのだわ。
でもちょっと、スイの歩みを急かしちゃった気がするから、そこは反省しないといけない。
これからはゆっくりと、スイの歩みに合わせて、一緒に歩こう。
「スイ、好きよ」
「……。」
眠っているので返事はない。
スイの髪に咲いている茉莉花の花からは、甘く爽やかな芳香が漂ってきて、私に安心と安らぎを与えてくれる。
どうせ起きないし、今日も甘えちゃおう!
私はスイの腕を持ち上げてから懐に入り込み、腕の中で縮こまる。
全身でスイを感じられる至福の時間。
止め処なく溢れるスイへの気持ちを胸に、私は眠りに就く。
―――
あたしスイは、二種類のお菓子を作り、それらを机に並べてからチチェクを呼んだ。
「お菓子!」
「あるよ」
「おぉ!これはなんてお菓子なの?」
「かりんとう…のような何かと、水飴だよ」
「両方知らないのだわ」
水飴は『怠け屋の料理辞典』にも記されていたんだけど、一般的じゃない、もしくはチチェクが知らない。
加えて、あたしの全く知らない料理も並んでいた。
何をどれだけ網羅しているのかは知らないけども、気をつけないといけないスキルってことだね。
「かりんとうっていうのは、小麦の生地をカラッとサクッと揚げて、甘い飴で衣を作ってやるお菓子だよ。
…ただ、材料のほとんどが揃ってないから、小さく揚げたパンに水飴を煮込んだ蜜を纏っただけなんだけどね」
「よく分からないけど美味しそうね!」
「食べようか」
「いただきます」
「召し上がれ」
かりんとうもどきは、表面の蜜が少しベチャッとして、パンの方がモサッとしている微妙な仕上がりだが、それでもほんのりと面影だけが残っているような味わいだ。
貴重な油を使ってまで作るほどのものじゃなかったが、それでもお菓子を食べられたという達成感が胸に込み上げてくる。
「悪くないのだわ。これがスイの故郷のお菓子なの?」
「これの何倍も美味しかったよ。…これがここでの限界だろうね」
「あむっ。でも、この素朴な味わいも好きなのだわ。かりんとうじゃなくても、これを元に改良するのもいいと思う」
「ははっ、それも良いね。なにかいい案はあるかい?」
「そうね…やっぱり、お砂糖は欲しいのだわ」
「まあ、そうなるわな」
色んな種を試してみたが、砂糖に繋がりそうな植物はなかった。
アステルウォードでなら買える品らしいから、向こうに行ってから色々と試させてもらおうかね。
…こうして、このペタロステゲからの旅立ちを前向きに考えられるのも、チチェクのお陰だ。
あたしはチチェクの手を取って、笑みを向ける。
女同士の関係が、アステルウォードでの世間様や、チェリク家の方々にどう思われるかは、まだ分からない。
けれど、チチェクはあたしを捨てないと言ってくれた。
好きだと、大好きだと言ってくれた。
悩みも壁も山ほどあるけれど、こうして手を繋いでいれば、それらを乗り越えてゆけるのかもしれない。
「それでこっちは水飴っていってね、そのまま舐めてもいいし、練ることで練り飴ってのにもなる。ちと手間だけど、あたしは練り飴の方が好みだね」
「ねえスイ。手を握ってきたのに、お菓子の説明をするの?」
「そりゃあ、お菓子を食べてもらうために呼んだんだから、当然じゃないかい?」
チチェクはわざとらしく眉をひそめてから、その表情を崩した。
「食べさせてほしいのだわ」
「子供みたいだね」
「むっ!…あーー」
大きく開けられた口には、二本の牙が並んでいる。
こんな小ぶりで可愛らしい牙を引っこ抜こうと言うなんて、チチェクはあたしに対する覚悟が決まりすぎているんじゃないかね?
あたしは水飴を練って練り飴にし、チチェクの口に放り込んでやった。
「ん〜。この素朴な味わい、結構好きかも。ちょっとしたおやつにいいのだわ」
あたしも練り飴を食べると、幼い頃に両親と縁日に行ったことを思い出す。
今思うと、あれはいい商売だったんだね。
ただやっぱり、この素朴な甘さはよく馴染む。
手間暇かかったけど、料理辞典には感謝してやらないとね。
「美味しい」
「美味しいのだわ」
―――
チチェクがあたしの許にやってきて五年が経った。
生き残っている以上、チチェクの罰を全うしたこととなる。
だからあたしたちは、今日ペタロステゲの廃都を去る。
もしかしたら再び来ることはあるかもしれないが、それでも離れてしまうことには変わりはない。
大介と出会うことから始まったペタロステゲの思い出は…たくさんある。出自に関する苦いものも。
チチェクと出会ってから回り始めた歯車は、こうして廃都の浄化を終えて緑豊かな土地に還し、一つの完成形へと至ったんだ。
未練はない。
…ただ、アステルウォードでチチェクが酷い目に遭うようなら、こっちに連れ去っちまおう。
まだ、廃都の周辺は汚染が残っていて、あたしたちのような穢鬼以外は生活もできないんだ。
いい防壁になるさ。
それじゃあね。前世のあたしともここでお別れだ。
あたしは花人族のスイで、チチェクの…伴侶、みたいなものだ。
「チチェク」
荷物を背負ったチチェクに、少しばかり頭を下げるよう手振りをしてから、唇同士を合わせる。
「行こうかね」
「ええ、アステルウォードに向かうのだわ!」
あたしたちの旅路の先には、あたしの知らない国があって、知らない人々がいる。
知らないお菓子や料理を知れるという楽しみもあるけども、緊張がちっとばかし勝っている。
あたしたちの明日はどっちかねぇ。
「ところでチチェク、あたしたちは穢鬼化しているんだけども、これは大丈夫なのかい?とんぼ返りなんて嫌だよ?」
「…あー…」
「え?」
「まあ、何とかなると思うのだわ」
「えぇ…」
「だって、穢鬼化した人なんて見たことないもの!」
「破茶滅茶に大切なことを、あたしたちは一度も考えずに五年を過ごしていたってことかい。二人揃って馬鹿たれだね」
「お揃いなのだわ」
「お揃いなのは角だけにしとくれ」
不安の種が一つ増えてしまったが、まあいいか。
誤字脱字がありましたらご報告いただけると助かります。
これで一旦完結です。もしかしたら続きを書くかもしれませんが、その時はまた触れていただけると嬉しいです。
それではご高覧ありがとうございました!




