010 悪あがき
森で真価を発揮する魔物なんて、魔猿以外に居ない。長い手足で森を縦横無尽に動き回る。割と小柄な猿。
明確に違うのは、齧歯類のような長くて鋭く固い前歯。首を丸ごと齧り取られたなんて話も聞く。
少し広めの場所で待ち、突っ込んできたところをカウンター。それが最善策だろう。
だが、本当にある程度操作できるなら、任意のタイミングで突っ込める。俺の動きを見てから。
…いいや。それどころじゃないだろう。時間をかければかけるほど、森の奥まで逃げられる。森の奥深くまで行くこと、森での滞在時間が増えることそのものが一番危険なんだ。
森の中へ突撃。決断まで、4秒程度だろうか。とんでもないタイムロスだ。
だが、見失うほどの距離ではない。それに、人質ありじゃあさぞ逃げづらいだろう。追いつくのも時間の問題だ。
後ろから、ゥキャッアと鳴き声。つい剣を構えてその声の方へ向いてしまう。
何かが、顔に直撃して破裂した。鳥の卵だろうか、中身をくり抜き、目潰し用の粉を詰め込んだ。そんなところか。
しゃがみ込み、両手を地面につける。音で方向を察知し、タイミングは完全に勘で、上向きに吹く風の遮断板を作り上げた。
突っ込んで来たのか、猿はおそらく打ち上がった。風の音と、鳴き声で判断した。
目は純水魔術で軽く洗った。風魔法を高めに出力していたのもあって、真上に飛んでいたらしい猿がこのタイミングで落ちてくる。
世界のことわりに逆らえず、自由落下してきたそいつを剣で切り裂いた。
魔族の姿はすっかり見えなくなってしまった。だが、走り去る音はかすかに聞こえる。方向さえ分かれば、まだギリギリ追いつける。
血で重くなった剣を、右手で構える。こちらに近づいてくる音が少し恐怖心を煽るが、ここに留まるわけにはいかない。
どんどん呼吸が荒くなっていく。索敵と追跡、両方のために音が必要なのに、息の音しか聞こえない。
少しだけ呼吸を整えるか? 方角は分かってる。…いや、潜伏されたら発見できなくなる。
…いた。ギリギリ見えたぞ、あの魔族。まだ、天は味方をしてくれてる。
木の上から、魔猿が地面へ鋭く飛び込んだ。その道中に俺がいた。
右足の先から風の刃を生成。背を向け距離を取ろうとするそいつを、無理やり突き刺した。
地面に落ちた剣を、拾い上げた。
「さて、お嬢さん。具合はどうかな? まぁ最悪の気分だろうな。ところで、そろそろ壊れてくれると助かるんだけど」
思ったよりも、ずっと粘っている。…まずいな、操った魔猿は一体だけだ。そいつがさっさとやられてくれたおかげでこの子に集中できたが、流石に時間をかけすぎてる。
当の本人は泣く気力はとうの昔に尽きたのか、呻き声だけが口から漏れる。しぶとい奴だ。
ガサガサと草木を掻き分ける音。とうとう、追いつかれた。
「よぉ。やっと追いついたぜ」
右腕が、なくなっていた。
どうやら、そこらの魔猿にやられたようだ。視界の通りが悪い夜の森で、よくぞそれだけの被害で済ませたな。騎士様。
治療魔術で無理やり傷口を塞ぎ、流血を最低限に抑えた。そんなところか。
だいぶ削れてはいるが、戦力差はその程度じゃ埋まらない。
俺自身に戦闘能力はない。魔物の操作には、この女にかけている精神負荷を取っ払わなくてはならない。
問題は、こいつは魔法を解いたらすぐさまこっちを攻撃してくるだろうということ。意識を刈り取る技はしばらく使えない。逃げる肉体体力もない。魔素を扱う魔法体力もほとんどない。
「一か八か、という奴だな」
試すのは、軽い身体操作。壊れてない奴相手ではものすごく短い時間しか動かせない。
「やつの右腕を見ろ。血で汚れた服を見ろ」
精神負荷を一瞬だけ解いて、それだけ見せて再びかけ直す。鮮度の高い情報と俺の力を組み合わせれば、とどめになりうる。




