#6 ヴェーゼの相談
「……さて、ヴェーゼさん。現実逃避しても帳簿の数字は勝手に合いませんよ。この減価償却費の計算、もう一度やり直しです」
中央異世界管理局(CITA)の相談ブース。 山積みの領収書とパソコンの画面を睨みつけながら、相模原 蓮が容赦なく指摘を入れる。
その向かいでは、高級スリーピーススーツを着こなしたエルフのCEO・ヴェーゼが、すっかりやつれた顔で青いインクの万年筆を握りしめていた。優雅な美貌は見る影もなく、目の下にはうっすらとクマが浮かんでいる。
「うう……まさか、人間の創り出した複式簿記というシステムが、これほどの難解な魔陣だとは……。我が故郷エルドリアの高等魔術よりも難解ではないか……」
「ビジネスにおける数字の整合性は、法治国家の信頼の基盤ですからね」 隣のデスクでキーボードを叩いていたハーフエルフのリリアが、苦笑いしながらフォローを入れる。
「それにしても、ヴェーゼさんの会社アルカナ・ロジスティクスは、エルドリア本国と日本の間でかなりの規模の魔導素材をやり取りしているんですよね。なぜ、ここまで経理がグジャグジャになっていたんですか?」
蓮が問いかけると、ヴェーゼはペンを止め、ふっと表情を引き締めた。
「……実はな、相模原殿。我が社が最近扱っている特級魔導鉱石の流通量について、本国のエルドリア国参議院から不審な監査が入っているのだ」
「監査、ですか?」
「うむ。エルドリア側でも、近年は現代日本の経済ルールを導入しようと急ピッチで進めている。だが、本国の古い官僚どもは日本との貿易における魔導資源の流出量が多すぎると難色を示していてね。私に対して、今度本国へ戻って正式な査問会に出頭するよう、厳重な通達が届いているのだ」
ヴェーゼはスーツの内ポケットから、銀色の魔導封蝋が押された一通の公文書を取り出し、デスクの上に置いた。
そこには、エルドリア王立参議院の紋章とともに、こう記されていた。 『――第一種恒久ゲートを通じた資本・資源移動に関する臨時査問および、現地下稽古(現地視察)の実施について』
蓮はその文書を手に取り、じっと文字を追いかけた。 (エルドリア本国での査問会か……。確かに、大接続から20年が経って、両世界の経済連携は進んでいるが、向こうの保守派にとっては、日本の法や資本主義に飲み込まれていく現状が面白くないってことか)
蓮はふと、ヴェーゼを見た。
「ヴェーゼさん。この査問会、下手をするとあなたの会社の日本法人としての営業許可や、輸入ライセンスが取り消されかねない厄介な案件じゃないですか」
「お察しの通りだ……。向こうの古臭い貴族や元老院議員どもは、地球の税法や会計監査の仕組みを理解しようともせず、ただ資源が搾取されているという偏見だけで私を糾弾しようとしている。私一人では、彼らの論理の壁を突破し、日本との貿易の正当性を証明しきれん」
ヴェーゼは深く息をつき、まっすぐに蓮を見つめた。
「相模原殿。あなたに頼みがある。我が社の財務顧問、および日本行政法・国際貿易の特別代理人として、私と一緒にエルドリア本国へ同行してはくれないか?」
「――は?」
蓮は思わず手を止めた。 窓口業務に追われる日々、異世界人のビザ申請、ルクレシアのカフェ開業支援。それだけでも手いっぱいの自分が、まさか「異世界本国へ出張」を頼まれるなど微塵も考えていなかったからだ。
「もちろん、CITAの特別官僚としての正式な出張命令と、多額の出向手当を用意する。あなたの持つ知識こそが、あの頑迷なエルドリアの元老院を論破する唯一の武器になるのだ!」
ヴェーゼの真剣な瞳を見て、蓮は自分の胸元に光るCITA法務特別執行官のバッジに触れた。
(……エルドリア本国か。ゲートの向こう側がどうなっているのか、名前は聞いていても、書類の向こう側の世界を自分の足で歩いたことはないな)
異世界と繋がって20年。 日本側から見る異世界は、いまや日常の一部だった。だが、その根っこであるエルドリアの政治や社会構造の核心に触れることは、行政書士としても、管理局の人間としても、見逃せない大きな転換点になるかもしれない。
「……面白そうだな」
蓮は口元にニヤリと笑みを浮かべ、ペンを置いた。
「いいですよ。あなたの決算書をこれだけメチャクチャにした責任を取る意味でも、そのエルドリア本国の査問会とやら、僕が正面から叩き潰してあげます」
「おお……! 心強い! 流石は私の見込んだ日本のリーガル・エキスパートだ!」
ヴェーゼが歓喜の声を上げる横で、リリアが目を丸くした。
「ちょ、ちょっと待ってください蓮さん! 本国出張ってことは、あの広大なエルドリアの魔力環境に適応するための予防接種とか、現地での移動許可とか、手続きの山がすごいことになりますよ!?」
「わかってるよ、リリア。……さて、ヴェーゼさんの決算修正を終わらせたら、次は僕自身の異世界出張・渡航申請書の作成をしなきゃいけないな」
山積みの書類の山を見つめながら、蓮は盛大に溜息をついた。




