#2 Aランクモンスター
「――で、こちらがルクレシアさんからご提示いただいた、店舗兼住居の条件をまとめた整理表になります」
週が明け、月曜日の午前10時。
CITA(中央異世界管理局)第4課の相談ブースで、相模原 蓮はノートパソコンの画面を操作しながら、向かいに座るルクレシアへと資料を差し出した。
ルクレシアは、先週渡された分厚い『食品衛生責任者テキスト』を大事そうに腕に抱えている。その目元には、ほんのりとクマが浮かんでいた。
「相模原殿……! 報告がある! 週末、睡眠時間を削ってあの『魔導書』を走破したぞ! 『交差汚染の防止』『二次汚染を防ぐための手洗いの手順』『黄色ブドウ球菌の熱耐性』……すべて頭に叩き込んだ!」
「素晴らしい集中力ですね、ルクレシアサン。……ですが、まずは目の前の条件の整理から進めましょう」
蓮が示した画面には、ルクレシアの希望条件が箇条書きにされていた。
予算:エルドリアの金貨(現在、CITA両替所にて日本円に換金申請中)約700万円
希望エリア:優しい人たちが多い所だと嬉しいな...(ルクレシア談)
希望用途:1階がカフェ店舗、2階がルクレシア自身の居住スペース
特殊希望:甲冑を着たままでもゆったり過ごせる天井高と、重量に耐えられる床の耐荷重
「……最後の条件が、地味に難易度を上げていますね」
蓮は苦笑いしながら缶コーヒーをあおった。
「日本の一般的な賃貸店舗は、床の耐荷重が1平方メートルあたり300〜500キロ程度で設計されていることが多いんです。ルクレシアさん単体なら問題ありませんが、甲冑を着た大型の異世界人のお客様が複数人集まったり、重量のある業務用厨房機器を搬入したりすると、補強工事が必要になる可能性があります」
「むっ……! 異世界の民の頑丈な体躯が、この国の建造物に負担をかけるというのか……」
「ええ。それに、異世界人が日本で不動産賃貸契約を結ぶには、越えなければならない『保証』の壁があります。日本には『家賃保証会社』という仕組みがありますが、異世界出身者で日本での信用実績がない場合、審査が厳しくなりがちなんです」
「信……用……? 私はエルドリア王国騎士団の誇りにかけて、家賃を滞納するなどという不義理は絶対にせんぞ!」
「気持ちは分かりますが、不動産会社やオーナーが見るのは『口座残高と定額の収入証明』なんです。……ですが、安心してください。CITAでは『異世界人起業支援・身元保証制度』を用意しています。CITAが間に入ることで、審査のハードルを大幅に下げることができますから」
ルクレシアはほっと胸を撫で下ろした。
「か、かたじけない……! 国土が違えば、信用を証明する方法もこれほど違うものなのだな」
「そういうことです。……では、条件に合いそうな『異世界人ウェルカム物件』をいくつかピックアップしましたので、午後の時間を活用して現地へ内見に行きましょう」
「ナイケン……! 実物の店舗を検分するということだな! 承知した!」
午後2時。駅から徒歩10分ほどの、少し静かな裏通り。
蓮、ルクレシア、そして見学に同行したリリアの3人は、レトロな赤レンガ造りの2階建て物件の前に立っていた。元は老舗の喫茶店だったらしく、どこか懐かしい木製のドアと出窓が残っている。
「おお……! なんと味わい深い佇まいだ! ここなら、人間もエルドリアの民もゆったりとくやめそうだぞ!」
ルクレシアが興奮気味に声を弾ませる。
同行しているCITA提携の不動産会社担当者――メガネをかけた親切そうなドワーフの男性、ダンカンが鍵を取り出しながら笑った。
「ルクレシアさん、お目が高い。ここは前オーナーが半年前まで喫茶店を経営していた『居抜き物件』です。厨房設備の一部や給排水管がそのまま残っているので、初期費用をかなり抑えられますよ。床もドワーフの手で補強工事済みです」
「居抜き……! なんと素晴らしいシステムだ!」
「さあ、中へどうぞ」
ダンカンが鍵を開け、扉を押した。
中は少しホコリっぽいものの、立派なカウンター席とテーブル席の配置が残っており、奥にはそれなりの広さを持つ厨房スペースが見えた。
「すごいですね、蓮さん! カウンターの高さも、人間の標準サイズと異世界人の高身長サイズでグラデーションになってますよ!」
リリアが店内をパタパタと歩き回りながら歓声をあげる。
「ああ。これなら保健所の『食品衛生責任者』基準の設備改修も最低限で済みそうだ。シンクの数もふたつ以上あるし、手洗い場の肘操作式蛇口への変更も簡単に行えるな」
蓮はメモを取りながら厨房の各所を細かくチェックしていく。
その時だった。
ルクレシアが、ふと2階へ続く木製階段を見上げ、その場でピタリと動きを止めた。
「……相模原殿」
ルクレシアの声のトーンが変わり、鋭い騎士のそれに戻っていた。
「……上から、気配がする」
「え?」
「足音ではない。だが……息をのむほど密度の高い魔力の揺らぎだ。何者かが2階に潜んでいる」
蓮とダンカンが顔を見合わせる。ダンカンは慌てて首を振った。
「おかしいですね……今日の内見はうちの会社だけのはずです。2階は空き部屋で、鍵は閉まっていたはずですが……」
「リリア、ダンカンさんの後ろへ」
蓮は冷静に指示を出しながら、胸元のCITA執行官バッジに手を当てた。
「ルクレシアさん、もし不法侵入者や魔物がいたとしても、自分から攻撃は仕掛けないでください。日本の刑法において、正当防衛が認められるのは『現在の不当な侵害』に対する必要最小限の防衛に限られます。こちらから危害を加えれば、不法侵入ではなく『傷害罪』や『鳥獣保護管理法違反』を問われるのはこちらになります」
「むっ……! だが相手が脅威であれば――」
「僕が『CITAの権限で立ち入り調査』を行います。あなたは僕の護衛としてついてきてください。相手が明確に襲いかかってきた場合のみ、最小限の力で制圧してください。いいですね?」
ルクレシアは不承不承ながらも深く頷いた。
「……承知した。相模原殿に従おう」
蓮を先頭に、ギシギシと音を立てる木製階段をゆっくりと上がっていく。 2階のドアは、鍵穴の周囲が不自然に歪んでいた。
蓮が慎重にドアを押し開ける。
そこは、がらんとした和室の空間だった。 夕暮れの光が差し込む畳の真ん中で、何かが丸くなっていた。
それは、漆黒の毛並みに紫色の優美な紋様が浮かび上がる、一見すると大きな「猫」だった。 しかし、その背中には小さな羽のような意匠の毛並みがあり、額には蒼く輝く小さな結晶が埋め込まれている。
「な……ッ!?」
ルクレシアが息をのんだ。その全身の毛髪が逆立つほどの緊張感が走る。
「みんな、下がれ!刺激しないように一旦外に出るんだ」
「わ、わかりました」
「あの動物がなんなのか知ってるんですか?ルクレシアさん」
「あれは……あれは『フェリス・レグナ』だ」
「フェリス……レグナ?」
「エルドリアの深遠の森に生息する、Aランク指定モンスターだ。優美な姿とは裏腹に、極めて凶暴かつ強大な魔力を持ち、我が国の騎士団でさえ数多の犠牲を出して敬遠してきたモンスター……! 通常は家一軒ほどの巨体を誇るはずだが、なぜこんな場所に……!?」
「……お腹が空いてるみたいですね」
リリアがひょっこり顔を覗かせ、ぽつりと言った。
見れば、そのフェリス・レグナは普通の野良猫より二回りほど大きい程度のサイズに縮んでいた。 フェリス・レグナは体内の保有魔力量によって体のサイズが変化する種族だとルクレシアさんが言っていた。どうやら異世界からゲートを潜り抜け、この空き家に迷い込んだものの、地球には魔力が乏しく、食べ物も得られずに飢えと魔力欠乏で限界まで弱り切って小さくなってしまったらしい。
「グゥ……キュ〜……」
かつて騎士団を恐怖に陥れたというAランクモンスターは、力なく耳を伏せ、お腹を鳴らしながら衰弱した瞳でこちらを見上げていた。
「おお、なんということだ……。異世界で脅威と恐れられた猛獣が、このような惨めな姿に……」
ルクレシアの瞳に、騎士としての警戒ではなく、深い同情の光が宿った。 彼女は自分の鞄をごそごそと探ると、ラップに包まれた小さな包みを取り出した。
「相模原殿……これをあててみてもよいか? 今日、講習の合間に試作してきた私のパンケーキだ」
「えっ? いや、異世界の危険生物に安易に食べ物を与えるのは外来生物法や危険動物の飼育規制的に……」
蓮の制止をよそに、ルクレシアは膝をつき、恐る恐るパンケーキを手のひらに載せて差し出した。
「おいで……怖くはないぞ。お腹が空いているのだろう? 不格好だが、甘くて美味しいぞ」
小さくなったフェリス・レグナは、ぴくっと鼻を動かした。 ふわっと漂う小麦粉とバター、そしてかすかな甘い香り。 猫型モンスターは慎重に立ち上がると、フラフラとした足取りでルクレシアの手元に近づき、ペロリとパンケーキを舐めた。
次の瞬間――
「――ニャァァァン!!」
フェリス・レグナの目がカッと見開かれた! ものすごい速度でルクレシアの手からパンケーキを奪い取ると、ハグハグと一瞬で平らげてしまったのだ。
「おお! 食べたぞ!」
パンケーキを飲み込んだ瞬間、フェリス・レグナの額の結晶がほんのりと蒼く光を取り戻した。 そして、ルクレシアの甲冑の脚に「ゴロゴロゴロゴロ……」と、地鳴りのような重低音を響かせながら、これでもかと頭を擦り付け始めたのだ。すっかり骨抜きにされている。
「な、なんだこの甘えようは……!? エルドリアの文献に書かれていた気強く決して人に懐かぬ凶暴な獣という記述は偽りだったのか……!?」
「いや、単にルクレシアさんのパンケーキが美味しすぎて、胃袋を完全に掴まれただけだと思います……」
蓮は引きつった笑顔で頭を抱えた。
「相模原殿! 私は決めたぞ! この子を我がカフェの看板猫にしようと思う!」
「……やっぱりそう言いますよね」
翌日。CITA(中央異世界管理局)の地下深く。
日常の行政手続きを行う明るい窓口フロアとは一変し、ここは重厚な警備と最新の分析機器が並ぶ『CITA生態・魔術研究部』の管理フロアだった。
「ひゃあ〜〜〜ッ!! 素晴らしい! 奇跡的ですよ相模原さん! まさか地球の低魔力環境下で完全収縮した生の『フェリス・レグナ』を拝めるなんて!!」
白衣を羽織った小柄な女性研究員――CITA研の生命管理課長である一ノ瀬舞博士が、目を爛々と輝かせながらケージの中を覗き込んでいた。
その隣では、全身に複雑な魔術文字のタトゥーを刻んだ異世界出身の魔術学者・ガザルが、羊皮紙に素早く魔力波形のメモを走らせている。
「うむ……魔力収縮比率はおよそ一対二十。地球の少魔力に適応するため、本能的に自らの存在規模を縮小させたようだな。非常に興味深いサンプルだ」
「あの……一ノ瀬先生、ガザルさん。見物に来たわけじゃないんです」
蓮が深々と溜め息をつきながら、分厚い申請書類のファイルを机に叩きつけた。
「今日はこの子の『特定外来・危険生物例外飼育許可』と、『CITA認定・魔力抑制首輪』の発行手続きに来たんです。ルクレシアさんが店で引き取ると言っていますので」
「ええっ!? 飼うの!?」 一ノ瀬博士が叫び、膝の上でレグ(と命名された猫型モンスター)を抱っこしているルクレシアを二度見した。
「ルクレシアさん、これAランクモンスターですよ!? 本来ならCITAの特別隔離区画で厳重保管されるレベルの災害級危険度なんですけど!?」
「問題ない!」ルクレシアは胸を張り、膝の上のレグを優しく撫でた。「レグは私のパンケーキを愛する心優しき獣だ。それに、カフェの店舗を脅かす悪党を払う用心棒であり、お客様を癒やす看板猫でもある!」
「ニャ〜ン」
レグはルクレシアの腕の中で気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らしている。
ガザルが偏光グラスを押し上げながら、じっとレグを観察した。
「……信じがたいな。エルドリアの深遠の森に棲むフェリス・レグナは、人に懐くことのない気高き種族のはず。それが、地球の甘味一つでここまで精神的従属を果たすとは……」
「日本のパンケーキの魔力は、Aランクモンスターの攻撃性すら無効化するということですね」と、付き添いのリリアがドヤ顔で言った。
「よし! なら条件付きで許可を出しましょう!」
一ノ瀬博士がバインダーをポンと叩いた。
「ただし、CITA研からの厳しい飼育規定がつきますよ。 第一に、CITA特製の『GPS付き抑制首輪』を常時装着すること。これで魔力が一定値以上に膨らんだ場合、自動で安全値まで魔力を吸収・蓄積します。 第二に、月に一度の『CITA定期健康診断および魔力測定』を受けることです!」
「あいわかった! その全てを完璧にこなして見せよう!」
こうして、CITA研の専門知識と蓮の速やかな法務処理により、難攻不落と思われた「Aランクモンスターの飼育許可」が異例のスピードで下りることとなった。
首元に蒼く光るスタイリッシュな安全首輪を取り付けてもらったレグは、どこか誇らしげに「ニャー」と鳴いた。
「さて、ルクレシアさん」 CITA研のフロアを後にしながら、蓮が手帳を開いた。
「ペット飼育許可と危険生物例外申請のパスは降りました。……ですが、これからまだすることがあります」
「む? まだ何かあるのか?」
「店舗周辺の『近隣住民・事業者への周知と同意書の回収』です。いくらCITAの許可が出たとはいえ、『隣のカフェにAランクモンスターがいます』と言われて喜ぶ近隣住民はいません。明日からは僕とルクレシアさんで、近隣のショップや住民の皆さん一軒一軒に挨拶回りをして、丁寧に説明と同意を取り付けていきます」
ルクレシアは一瞬身構えたが、すぐに膝の上のレグを抱き直し、凛とした笑顔を浮かべた。
「望むところだ、相模原殿! 法律の手続きも、近隣との対話も、すべてはこの街で生きるためだ! 逃げはせん!」
「ニャッ!」
気高きエルフ、ルクレシアの試練は続く...




