#1 カフェを開きたいんだ!
東京湾岸エリアの一角。灰色の海を見下ろす臨海副都心に、その圧倒的な存在感を誇る建造物はそびえ立っていた。
『中央異世界管理局(Central Isekai Transportation Administration・通称CITA)』。
地球の日本と、異世界「アークレシア」を結ぶ唯一の超巨大空間歪曲施設――『第一種恒久ゲート』をその体内に抱く、国家の要塞都市だ。
大接続から20年。かつて世界を揺るがした世紀の大事件も、今や日常の風景へと溶け込んでいる。 ガラス張りの吹抜けになっているCITAの巨大なメインロビーには、今日も様々な人種が歩いていた。
ビジネススーツを着こなすドワーフの技師集団。最新のスマートフォンでSNSをチェックするエルフの若者。背中に大きな背負子を担いだトロールの行商人。そして、観光旅行や出稼ぎ目的で渡航手続きに並ぶ人間たち。
天井のスピーカーからは、日本語とアークレシア共通語のアナウンスが途切れなく流れ続けている。
『――番号札4012番、エルドリア王国出身の渡航者様。5番の「就労ビザ・資格変更手続き」窓口へお越しください』
ロビーの喧騒から少し離れた一角。行政手続きの案内や生活相談を請け負う『異世界人生活サポート窓口』のデスクで、相模原 蓮は深く長い溜め息をついていた。
「……はあ」
蓮はネクタイを少し緩め、デスクに置かれた冷めた缶コーヒーに口をつける。彼の前には、厚さ数センチはあろうかという書類の山が積まれていた。
「また差し戻しか……。『ドワーフ族の伝統鍛冶屋に対する都市型消防法および建築基準法の適用例外申請』。CITA法務部も、もう少し現場の状況を考慮してくれればいいのに」
「蓮さん、溜め息をつくと幸せが逃げちゃいますよ? エルドリアの伝承では『幸せの精霊が部屋から出ていく』って言われていますけど」
向かいのデスクから、鈴を転がすような澄んだ声が届いた。 声をかけたのは、この窓口で蓮の助手兼通訳として働くハーフエルフの少女、リリアだ。彼女は先端が僅かに尖った耳をピクピクと揺らしながら、キーボードを高速打鍵している。
「逃げる精霊もいないさ、こんなビルだらけの場所ではね……それよりリリア、埼玉の建設現場で働き始めたオーク族の労働者たちの、社会保険加入手続きの進捗はどうだ?」
「バッチリ完了してます! 彼ら、『日本の重機は素晴らしいが、手作業のほうが細かい力加減ができてとても助かっている』って言って、現場監督さんから大絶賛されているんですよ。先週の給与明細から厚生年金と健康保険もしっかり控除するように手配済みです」
「助かるよ。感謝する。世間は『魔法と冒険の浪漫』なんてテレビで呑気に特集しているが、現実にここの窓口で待っているのは、異世界人の問題や面倒臭い手続きだからな……」
異世界と繋がって20年。異世界「アークレシア」からの渡航者は増加の一途をたどっている。日本の文化や技術に惹かれ、この地で定住や起業を望む異世界人も少なくない。しかし、法治国家である日本で生活するためには、避けて通れない大量の手続きが存在するのだ。
その時、サポート窓口のカウンターが、重厚な金属音とともに揺れた。
「――ここが異世界の民の志を助けるという場所であるか!」
腹の底から響くような堂々たる声が、静かな窓口エリアに響き渡った。
蓮が書類から目を上げると、そこには身の丈2メートルに迫るような、圧倒的な存在感を放つ人物が立っていた。 光沢を放つ銀色の全身甲冑。腰には美しく装飾された細身の剣。兜を外した頭部からは、輝くような金髪と、強い意志を秘めた碧眼の美しい女性の顔が覗いている。
ただし、その甲冑の胸元には、CITAの規定に基づいた「非戦闘用エンチャント済み・魔力抑制タグ」がしっかりと装着されていた。
「……予約のお名前を伺っても?」
「エルドリア王国第3騎士団長、ルクレシア・フォン・アルベルトである!」
ルクレシアは胸を張り、名乗りを上げた。その威風堂々とした立ち振る舞いに、周囲の申請者たちが思わず振り返る。
「……あ、はい。ルクレシア様ですね。14時からの『起業・店舗開設初期相談』でお伺いしております。……あちらの相談ブースへどうぞ。あと、CITA内での大きな声での名乗りは、他の申請者様のご迷惑になりますので、できれば少しお控えいただけますと幸いです」
「む……っ、無礼を許せ。少々張り切りすぎてしまってな……」
先ほどまでの威厳はどこへやら、ルクレシアはすっと肩を落とし、申し訳なさそうに身を小さくした。甲冑がガチャガチャと寂しげな音を立てる。
相談用のパーティションで仕切られたブースに入ると、リリアが手際よくハーブティーを3つ用意した。
「どうぞ、ルクレシアさん。エルドリアの『月光草』をベースにしたお茶です。心を落ち着かせる効果があるんですよ」
「うむ、かたじけない……」
ルクレシアは丁寧にカップを受け取ると、ゴクリと一口飲み、長いため息をついた。そして、真剣な眼差しで正面に座る蓮を見つめた。
「相模原殿。単刀直入に言おう。私に……私に『日本国内でカフェを開業する許可』を取得する手助けをしてほしいのだ!」
「カフェ、ですか」
蓮はノートパソコンの画面を開き、手元のメモ帳にペンを走らせた。
「ええ。ですが、ルクレシアさんはエルドリア王国の現役の騎士団長ですよね? どのような経緯で日本でカフェを開くという結論に至ったのですか?」
問われたルクレシアは、まるで少年が宝物について語るかのように、目をキラキラと輝かせ始めた。
「大接続から20年。私は王国と日本の外交防衛協力の公務で、何度もこの『日本』の地を踏んだ。そして……出会ってしまったのだ。この国の『パンケーキ』と『タピオカミルクティー』という、悪魔の如き魅惑の甘味に!」
「……はあ」
「我が故郷エルドリアでの甘味といえば、乾燥させた果実か、ごく一部の貴族が嗜む蜂蜜が入った菓子程度! だが、日本の甘味はどうだ!? あの雲のごとくふわふわとした生地! 口に入れた瞬間に溶けるホイップクリーム! そして、あの不思議なモチモチとした食感の黒い粒……! 衝撃だった! 私は、思わず心が震えるほどの感動を覚えたのだ!」
熱弁を振るうルクレシアの迫力に、蓮は思わず引き気味になる。
「私は決意した。過酷な魔物との戦いに明け暮れる騎士団長を辞し、第二の人生をこの日本で捧げると! 人間とエルドリアの民が分け隔てなく集い、あの至高の甘味を楽しめる憩いの場――『カフェ・アルベルト』を設立したいのだ!」
「……志は素晴らしいと思います」
蓮は一度言葉を切り、手元の資料をめくった。
「ですが、ルクレシアさん。日本の法律において、ただ『美味しいお店を作りたい』という情熱だけでは、営業することはできません」
「何……? どういうことだ? 土地を借り、材料を揃え、料理を作って出す。それだけでは足りんというのか?」
ルクレシアが不解そうに首をかしげる。蓮は静かに人指し指を立てた。
「まず第一に、あなたが日本で経済活動を行うための『経営・管理ビザ』への在留資格変更が必要です。これには、日本国内での事業所の確保、最低500万円以上の出資、あるいは継続的な雇用計画など、厳格な条件が課されます」
「ご、500万円……!?」
「さらに、店舗を開くとなれば行政機関への各種申請と許可が必須です。特に重要なのが、保健所による『飲食店営業許可』。これを得るためには、厨房の衛生設備基準――例えば『手洗い場は消毒液が備え付けられた肘や足で操作できる構造か』『食器棚には扉がついているか』『調理場と客席は明確に区切られているか』といった細かな基準をすべてクリアしなければなりません」
「そ、そんなことが……!?」
ルクレシアの顔から少しずつ余裕が消えていく。
「それだけではありません。防火設備を設置し、消防署への『防火対象物使用開始届』。深夜にお酒を提供するなら警察署への届け出。さらに、あなた自身が講習を受けて『食品衛生責任者』の資格を取得する必要があります」
蓮はデスクの上に、厚生労働省と東京都が発行している『外国人起業家のための飲食店経営・営業許可ガイドブック』という厚さ5センチほどのテキストを、ドカンと置いた。
「くっ……! これは何だ……!? 魔導書か……!?」
ルクレシアは青ざめた顔でテキストを見つめた。
「これは日本の行政ルールという名の本です。この現代日本において自分の夢を守り、お客様に安全な食を提供するためには『法と規則を守る能力』が必要なんですよ」
ルクレシアは絶句し、自分手を見つめた。 これまで数々の魔物を倒し、部下を率いてきたその手は、いまや一冊の本を前にして微かに震えている。
「私には……無理なのだろうか。剣しか知らぬ私には、あの素晴らしいパンケーキの店を開く資格すらないというのか……」
落胆し、肩を落とす元騎士団長。 その姿を見て、蓮は少し表情を緩め、温かいハーブティーを一口飲んだ。
「誰も『無理だ』とは言っていませんよ、ルクレシアさん」
「……え?」
「あなたはエルドリアでの輝かしい地位を捨ててまで、この日本で新しい夢に挑戦しようとしている。そして、CITAの窓口に正当な手続きを踏むためにやってきた。その決意があるなら、僕らCITA第4課は全力であなたをサポートします」
蓮はペンを持ち直し、新しい申請用紙を引き寄せた。
「まずは第一歩です。来週、CITAが主催する『異世界渡航者のための食品衛生講習会』があります。そこで食品衛生責任者の資格取得を目指しましょう。同時に、保健所の基準を満たしそうな店舗物件のリストアップを始めます」
「相模原殿……!」
「ただし」と蓮はニヤリと笑った。「このテキスト、次回の相談日までに最後まで完璧にしっかり読んでおいてくださいね。騎士団長なら、これくらいの解読、余裕ですよね?」
ルクレシアは一瞬固まったが、すぐに背筋をピンと伸ばし、力強く胸を叩いた。甲冑が『ゴッ』と重い音を立てる。
「……承知した! どんな強大な魔物も、私の覚悟をくじくことはできん! この試練、必ずや突破してみせる!」
「ふふ、ルクレシアさん、ファイトです!」 隣でリリアが嬉しそうに手を叩いた。「あ、合格したら、ルクレシアさんのパンケーキ、食べさせてさせてくださいね!」
「もちろんだとも! 最高の味を約束しよう!」
数時間後。相談を終えたルクレシアは、CITAから渡された分厚いテキストと申請書類の山を大切そうに抱え、CITAの巨大な自動ドアをくぐって外へと出て行った。
夕日が東京湾の海面を赤く染めている。 遠くに見える高層ビル群の合間を、異世界の竜騎士が操る小型の輸送竜と、日本のヘリコプターが交差するように飛んでいく。
蓮は窓の外の風景を眺めながら、残った缶コーヒーを飲み干した。
「……さてと。次はドワーフの鍛冶屋の消防法特例の書類作成か。今日も残業決定だな」
「蓮さん、お疲れ様です! あ、ルクレシアさんからお礼にと、自作のタピオカミルクティーを置いていってくれましたよ!」
リリアがデスクの上に、ストローの刺さったカップを置いた。
蓮はそれを受け取り、ストローから一口吸い込む。紅茶の甘みと、モチモチとしたタピオカの食感が口いっぱいに広がった。
「……確かに、これは美味いな」
異世界と繋がって20年。 魔法と現代技術、そして異なる文化が混ざり合うこの都市で。 行政書士や管理局職員たちは、今日も書類と法律を武器に、誰かの小さな夢を支え続けている。




