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#13 決着

エルドリア大森林の深淵なる森の最奥、光すらも拒絶するような重い闇の中で、世界そのものが揺らいでいた。

轟音。地鳴り。そして、あらゆる物質を圧壊させるような凄まじい衝撃波が、幾重もの巨木を根元からへし折っていく。 そこには千節の災厄――あの忌まわしきフンデル•バインに対し、人型のナニカが対峙していた。

戦いは、すでに三日三晩に及び続けていた。

全長数十メートルに及ぶ漆黒のムカデが、大地を砕きながら狂乱の如く暴れ回る。その無数の節足が振るわれるたびに大気が裂け、地面には深々とした大穴が穿たれた。 だが、その圧倒的な巨体の周囲を翻弄するように、一筋の影が縦横無尽に駆け抜けていた。

ムカデの巨躯のうねり、周囲に林立する巨木の樹皮、剥き出しの岩肌を極限の跳躍で蹴り飛ばし、重力を無視したかのような超絶的動きで死地を縫うように疾走している。

激しい戦闘の余波で飛び散る青黒い体液と、黄色く濁った強酸の唾液が周囲の植物を瞬時に溶かしていく。 そのただ中で、人型のナニカが殺意を湛えた紅い複眼をぎょろりと光らせていた。

あれから、十年の歳月が流れていた。

かつては泥を這いずり回る犬ほどの大きさの芋虫だったそれは、気の遠くなるような捕食と変異の果てに、完全にその姿かたちを変貌させていた。 現在の体高はおよそ二メートル半。胴体はより洗練され、かつての這いずり回る虫としての面影は、その強靭な四肢と背中に重なる黒鋼の甲殻にかろうじて残るのみとなっていた。最大の特徴は、発達した二対の腕であった。第一の腕は獲物を引き裂く鋭利なブレードがついた腕へと変化し、第二の腕は人間のような五指を備えつつも、丸太のように太く、甲殻に覆われた硬質な拳を形作っている。

全身を禍々しくも美しい黄金色の甲殻で完全に武装したその姿は、さながら騎士そのものだった。

十年前、森の境界で自分に温もりと食料を与えてくれた人間の少女。その小さな恩義を、この異形の脳髄は十年の長きにわたって一度たりとも忘れていなかった。 少女が成長する過程で、この虫人は幾度となく彼女の暮らす村の近くへと姿を現し、狩った凶悪な魔物の素材や、森の奥でしか採れない甘い果実をそっと置いていくという礼を重ねてきた。言葉はなくとも、いつしか二人の間には、魔物と人間という垣根を越えた奇妙な絆が築かれていた。

そして今、この森の絶対的な覇者である巨大ムカデを討ち果たすことが、この十年を生き抜いた虫人にとっての、過去への決別であった。

「ギィイイイイイイイ――ッ!!」

怒号とも悲鳴ともつかない凄まじい気声を上げ、巨大ムカデが最後の反撃に出た。 巨体をこれでもかとばかりに天空へ高く持ち上げ、幾重もの節を軋ませながら、あり得ないほどの勢いで頭部を真下へと急降下させてくる。

それは、まさに隕石のようだった。 直撃すれば、周囲一帯の地形ごとこの虫人の肉体は押し潰されるだろう。

人型の異形――かつての幼虫は、その巨大な影の下で一歩も引かなかった。

逃走という選択肢は、存在しない。 全身の筋肉と、十年の歳月を経て蓄積されたエネルギーが、四肢の甲殻の内部で沸騰するように高まっていく。脈打つ心臓が、ドクン、ドクンと凄まじい音を立てて体内の血流を加速させた。

「……ッ!」

踏み込む。 大地が砕け、足元から放射状に無数の亀裂が走った。虫人は全身の全力をその右の拳一点へと極限まで収束させ、重力に逆らうように、落下してくる隕石のような巨大ムカデの頭部へと真っ向から飛び込んだ。


空中で、人類の歴史の枠外にある二つの魔物が激突した。 避けられない衝突の瞬間、周囲の空気が圧縮されて爆発的な衝撃波が四散し、木々の葉がすべて一瞬で吹き飛んだ。

虫人の硬質な拳が、巨大ムカデの無数の単眼が並ぶ中心部を、真正面から正確無比に捉えた。

ガァァァァンッ!!

金属と岩盤が同時に砕け散るような、耳をつんざく破壊音がエルドリア大森林を揺るがした。 虫人の拳は、装甲ごと巨大ムカデの硬い頭蓋の内部へと深く、深くめり込んでいく。強大な衝撃はムカデの脳髄を一瞬にして粉砕し、その巨体の勢いを完全に停止させた。

ほんの一瞬の静寂。 次の瞬間、巨大ムカデの全身の節が内側からの圧力で次々と爆ぜ、黒い体液の豪雨が森の地面を赤黒く染め上げた。森の主と呼ばれた怪物は、痙攣を二度、三度と繰り返した後に、ドサリと巨大な山脈のように地に伏し、動かなくなった。

勝者となった虫人は、ボロボロに傷ついた甲殻の隙間から荒い呼吸をしながら、静かに着地した。 その眼には、確かな意志の光が宿っていた。

戦いの喧騒が嘘のように静まり返った深夜の森。 その境界、十年前に出会った場所から少し離れた開けた丘陵で、一人の女が待っていた。

もう幼い子供ではない。年は十八歳になっていた。 彼女は村の片隅で懸命に魔法を学び、幾多の試練を乗り越えて、外の世界へ旅立つための準備を整えていた。身に纏うのは旅装束、そして腰には小さな杖と魔導書の入った鞄が提げられている。

ガサリ、と草木が揺れた。 闇の中から、十年前とは比べ物にならないほど洗練され、しかしあの頃と同じように圧倒的な存在感を放つ虫人が姿を現した。全身のあちこちに先の戦いでついた新しい傷痕が刻まれているが、その佇まいはまさに歴戦の騎士のようだった。

少女は、傷ついた虫人の姿を見ると、少し心配そうな、しかしどこか誇らしげな笑みを浮かべて駆け寄った。

「……やっぱり、戦ってたんだね。すっごい音がしてたから心配したよ」

少女は慣れた手つきで懐から布を取り出し、虫人の硬質な腕に付着した泥や黒い体液を優しく拭き取ろうとした。虫人は、人間にとっては刃物のように危険な自らの刃や拳をピタリと動かさず、少女の小さな手が触れるに任せていた。

少女は、少しだけ緊張した面持ちで、しかし決意に満ちた瞳で虫人の眼を見上げた。

ねえ……ずっと言いたかったんだ。

少女の声は、静かな夜の森によく通った。

私ね、この村が大好き。みんな優しくしてくれたし、ここで育ったことを後悔したことは一度もないの。だけど……それでも、この世界の本当の姿を見てみたいんだ。もっと広い空の下で、知らない土地を歩いて、自分の目でいろんなものを見てみたいって、ずっと思ってたの。

少女は両手をぎゅっと握りしめ、まっすぐに虫人を見つめた。

一週間後、私の十八歳の誕生日に、この村を出るつもり。冒険者になって、遠くの街まで旅立つの。 だから……その……世界を見て回る旅に、一緒に来ない?

言葉を持たない虫人は、少女のその言葉を、しっかりと受け止め、虫人は低く唸るような、しかしどこか穏やかな気門の音を響かせると、巨大な人型の躯体をわずかに頷かせるように傾けた。

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