06 Word is all of us-1
次の日、アシュリーはグレイハウンドで帰っていった。帰り際、パメラは少し泣きながら、アシュリーを抱きしめていた。砂漠の風は、少しずつアシュリーの名残をさらっていく。一か月が経ち、二人の会話の中から少しずつアシュリーの名前が消えかけていたころ。 銅の月のパソコンに、一通のメールが届いた。
From: Ashley Parker
パメラ、ニコ、元気してるかしら?
連絡が遅れてごめんなさい。親にめちゃ怒られて、パソコン取り上げられて連絡できなかったのよ。
でもあなたたちのことを忘れた日はないわ。――固いわね。ま、とにかくお久しぶり!
実は今回メールしたのはね、ママにくっそ怒られたから。あなたたちのことを黙ってたら、何で早く言わないのって。勝手だよね、パソコン取り上げたのってあっちなのに。
まあとりあえず、パパとママがあなたたちにお礼したいんだってさ。フルーツを贈りたいって言ってるから、よかったら住所教えてくれないかな。
ところでニコ、あなたまだ囲碁を続けてる? 続けてるよね、きっと。
レイバー・デイ(※)にLAまで遊びに来ない? パサデナで囲碁の大会があるの。パシフィック・ベットが主催のやつ。
あなたならきっといいところまで行くと思うわ。
もしパメラが反対したら、賞金も出るわって言っておいて。
じゃ、いい返事待ってる。
――あなたの親愛なるアシュリーより。
「なによこれ」
パメラは笑う。笑いながら目を細めている。
ニコはにやける口元を押さえつけていた。
「ニコ、あんたとはメールでやり取りしてると思ってたわ」
「うん、一応メールは送ってる、サイトのアカウント宛にね。でもずっとログインしてなくて、変だとは思ってた」
そうなのね、と言った後、パメラは優しく続けた。
「会った時には、また遊びに来なさいって言っておいて。お湯も好きなだけ使っていいからって」
■9月3日
グレイハウンドが駅に着く前から、ニコの目はアシュリーを探している。
ユニオン駅の東口、時間通りだ。
鼻を衝く排ガスの香り。砂漠よりも暑いことが意外だった。
しばらくしてやっと、その理由がアスファルトからの照り返しだと気付く。
「ニコ、お久しぶり。会いたかったわ」
「久しぶり。髪、切ったんだね」
「え? ああ、彼にすれ違っても見つからないようにね」
髪の話をしながら、ニコはアシュリーの服を見ている。ニコは、あの時アシュリーが着ていたのは、旅行用の服だと思っていた。そのとき初めて、それが普段着だったことに気付く。
「今日はあたしが運転ね。どうぞ乗って」
ニコはシートに体重を預ける。思った以上に体が沈み込み、溺れそうになる。
アシュリーの住むシエラマドレまでは、一時間弱。夏の空気が、車内を満たす樹脂の匂いに塗りつぶされていく。
ニコは緑の木々と住宅とが交互に過ぎ去るのを眺めながら、砂漠との彩りの違いに驚いていた。
「ここがあたしの家。さ、入って」
ニコは白い壁に手を伸ばし、そっと撫でる。砂で汚れていない壁をみるのは初めてだった。
「なに? どしたの?」
「いや、なんでもないよ。おじゃまします」
ニコは慌ててごまかす。
「トイレは向こう、ベッドはこっち。あとそのドアの先がキッチンね。パメラんところよりはせまいけど」
「あ、うん、ありがと」
部屋に案内されて荷物を置くと、ニコは早くも後悔に襲われる。
駅についてからずっと感じていた異物感は、どんどん強くなるばかりだった。
自分はここにいて良いのだろうかという強迫感だけが強くある。答えは見つからない。
「お腹空いてない? 夜はペンネ作ったげるわ」
「ペンネ?」
「そ。ペンネ・アラビアータ。美味しいよ」
「あ、うん」
わかっているのかいないのか、ニコの視線は宙を泳ぐ。
「……ねえ、ニコ」
アシュリーの声が少しだけ低くなる。二人の目が交わる。
「さっきから変よ。なんか、沈んでるでしょ」
「そんなことないよ」
「あるわ。最初は緊張してるだけかと思ったけどね」
アシュリーは、二人にろくに連絡しなかったことを後悔した。
脳に焼き付いた記憶は今も鮮明だけど、アシュリーが見ていたのは、二人の生活のうちのほんの一週間に過ぎない。
「こんなんでやっていけるのかな?」銅の月を初めて訪れた日にアシュリーが抱いた疑問が、今更ながら棘となっている。
アシュリーがニコの違和感を探っていて思い出したのは、エマのこと。昔のハイスクールのころの同級生だ。気づいたらいなくなってたけど。
別にいじめられてたわけではないけれど、いつもサボテンみたいに尖ってて、一人だった。
穴が空いたスポーツウェアをずっと使ってたから、覚えてる。
「あのときは別に、まあそんな人もいるよね、って感じだったけどさ」
「何のこと?」
「何でもないわ」
つい口に出ていた。
ニコが抱いている感情の正体に気づいてしまう。ただ、それを言葉にしたくはない。
アシュリーはニコに近づき、優しく抱きしめる。
何か言わなければと思い、パメラの口調を思い出す。言葉を探して唇が動くが、結局何も浮かばない。
アシュリーが目を落とす。ニコのシャツに空いた穴に気付く。
「ねえ、ニコ」
そういえばあのときも、染みの付いたシャツだった。「服脱いで」アシュリーは言う。
「え?」
ニコは、わけもわからず固まっている。
「いいから」
アシュリーはニコの服を引っ張るように脱がせると、次は自身もシャツを脱ぐ。下着が見えるのも気にせずに。
戸惑うニコの前で、アシュリーは穴の空いたシャツに着替える。と同時に、自身の着ていたシャツをニコにひっかぶせた。
「わかる、ニコ? 前に言ったじゃん、一緒だって。だから、ええと、――もし違ってたら、ごめん。怖がらないで欲しいの」
ニコはしばらくきょとんとしていた。言葉を探して少しだけ彷徨うけれど、ゆっくりと表情は緩んでいく。
「別に怖かったわけじゃない。ただ、ちょっと。そうだね、たぶん寂しかったんだと思う」
「わかるわ。ずっとダイナーで二人だったんだもん、ムリないわ。私だって初めてライブハウスに入ったときは、心細かったし」
「え、それで一緒って言いたいの? なんか酷いな」
「なんでよ、一緒じゃん」
笑ううちに、ニコの声はいつの間にか上を向いていた。
「よかった。やっと笑ったわ。今のニコのがいいよ、絶対」
「ありがとう、アッシュ」
「いいって。それより夕食作るの手伝ってよ。上手いでしょ?」
「もちろん。毎日やってたからね」返事をしてすぐに、ニコの頭に疑問が浮かんだ。
「あれ? そういえばご両親は?」
アシュリーは当然のように言い放つ。
「いないわよ。レイバー・デイでサンディエゴ」
「え、大丈夫なの? いない間にお邪魔して」
「もちろん大丈夫よ。パパたちには言ってないから、問題ないわ」
ペンネ・アラビアータの見た目は、砂漠育ちのニコをだますのに十分だった。
ニコが頭の中で連想していたのは、見慣れたケチャップの甘辛さ。一緒に料理を手伝ったにも関わらず、だ。
「かっら! アッシュ、いつもこんなの食べてんの?」
「そう? 美味しいわよ」
アシュリーはすました顔でパスタを口に運ぶが、即座に顔をしかめる。
「うーん、ちょっと、味濃かったかも」
「だろ? いつも作ってるんじゃないの?」
「そうよ。ニコが来るって聞いてから、3回も作ったわ」
アシュリーはオレンジジュースを注ぎ、ニコに渡す。
「食べたら私の部屋に来て、囲碁のこと教えてあげる」
「いつも打ってるじゃん」
「リアルの話よ。碁盤とか石とか、触ったことないでしょ」
「ああ。たしかにね」
※レイバー・デイ――アメリカの祝日。労働者の日。




