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■9月5日②
全員の対局が終わる。簡単な感想戦を行ったあと、午前の部が幕を閉じる。
ニコは去ろうとする角巻の背に、声をかける。
「角巻さん!」
「ん、なんだい?」
「僕は、碁のプロとして戦いたい。日本に行って。どうしたらいい? ライセンスの取り方は?」
「ええと、君、たしか16歳だったよね」
「年齢制限があるの?」
「いや、そうじゃない――」
角巻は困った。ニコが強いのは認める。だが、16歳というのは囲碁を始める年齢ではなく、すでにプロになっているものも出てくる年齢だ。
まったく希望がないのなら、厳しくても現実を話せばいい。彼は賢い、理解はしてくれるだろう。
だが角巻は、ニコならあるいは、とも思ってしまった。だからこそ、困っている。迷っている。
角巻の困惑は、ニコにも伝わる。だが、その意図までは汲めていない。
ニコは角巻に訴える。
「本当にやりたいことが見つかったんだ。初めてだと思う。だから、やらずに諦めるのだけは、いやだ」
悩んだ末に角巻は、心を氷柱のように尖らせる。
「君は、結果がわかっていたのに、棋譜通り打った」
「はい」
「負けるのをわかって打つのは、プロじゃない」
角巻の言葉は、はっきりとした拒絶だった。
ニコは言葉に詰まる。自分の打ち筋を責められていることに、消えていたはずの罪悪感が再び戻ってくる。
背中越しに、力強い声がした。
「でも、ニコはまだ、プロじゃないわ」
アシュリーは角巻を強く見つめる。その目は、ニコなら大丈夫だと強く訴えている。
「3ヶ月でここまで来たのよ。3年もあれば、戦えるようになる。絶対よ」
アシュリーの顔を見て、角巻は少し笑った。
「ふふ、ずいぶん信頼されてるみたいだね。……わかったよ」
角巻は胸元から適当な用紙を取り出すと、さらさらと何かを書き、ニコに渡す。
「これ、僕の連絡先。ええと、アシュリーさんだったね。彼はまだ未成年だし、君に渡しておくよ」
「え? あ、ありがと」
「ちゃんと親御さんと相談して、それでも気持ちが変わらなければ、連絡してごらん」
角巻は手を振りながら去っていく。
「どうするの?」
「わかんない、これから考えないとね」
「だよね、日本って遠いし――」
「いや、そこじゃないよ」
「どういうこと?」
「行くのは決めてる。ただ、母さんとか店のことがあるし。もちろんお金も。そこをどうするか、これから考えるんだ」
アシュリーはニコのセリフに、目を丸くして言った。
「そっか。ニコ、あんた、なんか頼もしくなったね」
「そうかな? だとしたら、アッシュのおかげだよ」
■2019年、夏
久しぶりの電話だった。
ニコは何から話そうかと迷いながら、呼び出し音を数えている。待たされるうちに、組み立てていたはずの言葉が頭の中に溶けていく。
何十回目かのコールに、ざっとノイズが被さる。
「ハロー、銅の月だけど、何かしら?」
聞き慣れた、懐かしい声だった。
だが、本来ならこの電話からは聞こえるはずのない声。
ニコは言葉を失う。
再度、アシュリーが声を投げる。
「ハロー? 誰? 一杯やりたいなら夕方5時からよ」
返事はない。切れたのかと思い、アシュリーは沈黙する受話器に耳を押しつける。
奥から切り裂くような飛行機のエンジン音が聞こえた。
それを聞いた彼女の声が跳ねる。
「ニコ! ニコね? お帰りなさい、待ってたわ」
「ただいま、アッシュ」
おわり。
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