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マフィアの息子ですが、普通に学園生活を送りたい ~なぜか学園にファミリーが出来ました~  作者: 工程能力1.33


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第40話 発酵の悪夢

 アルテン王国には、古くから愛される発酵食品がある。


 その名を、クヴァスブルクという。


 見た目は灰褐色のペースト状。

 木樽で数ヶ月から数年かけて発酵させる、王国の伝統食だ。

 貴族から平民まで広く親しまれ、食卓に欠かせない一品として知られている。


 そして。


 テオはこれが、心の底から苦手だった。


(なんだこの匂いは)


 初めて出会った時の記憶が、今でも鮮明に残っている。

 前世の記憶を持つテオには、この匂いが「何か」に結びついてしまっていた。

 具体的には、前世で一度だけ嗅いだシュールストレミングに。

 あの、北欧の缶詰。

 外で開けると条例違反になるという、あの。


(あれと同じ匂いがする……!!)


 理性では分かっている。

 これは王国の伝統食だ。

 みんなが普通に食べている。


「美味しいですよ」


 クラウディアが、パンにクヴァスブルクを塗りながら言う。


「癖になりますよね」


 エリザベートも普通に食べている。


「まあまあね」


 ブルーノに至っては、追加で皿に盛っていた。


「ボスも食べますか?」

「……いい」


 テオは静かに断った。


 その様子を、シャルロッテが観察していた。


「テオドール君、嫌いなの?」


 くすりと笑う。


「苦手、とだけ言っておきます」

「王国の伝統食よ?」

「分かっています」

「メイド喫茶のオーナーが、王国の伝統食を食べられないのは問題じゃないかしら」


 テオは黙った。


(そこを突いてくるか)


 実は、ローレンツがクヴァスブルクを使った新メニューを提案していた。

 クヴァスブルクのディップ盛り合わせ。

 伝統食を手軽に楽しめると、評判になっている店がある。

 それをベルンでも取り入れようという話だった。


 問題は、テオがオーナーとして試食できないことだった。


「オーナーが試食できないメニューは出せませんわよね」


 エリザベートが言う。


「……そうだな」

「ならば」


 シャルロッテが立ち上がった。


「勝負をしましょう」


 エリザベートを見る。


「どちらがテオドール君の苦手を克服させられるか」


 エリザベートは少し考えた。


「……内容は?」

「クヴァスブルクを使ったメニューを一品ずつ考えて、テオドール君に食べさせる。先に食べさせた方の勝ち」


 シャルロッテはにっこり笑った。


「負けた方は、次の一ヶ月、ベルンでの売り上げを放棄する」

「……乗りますわ」


 エリザベートが即答した。


 テオは頭を抱えた。


(なんで俺の苦手克服が賭けの対象になってるんだ)


――


 翌日から、両者の研究が始まった。


 エリザベートは厨房にこもった。

 クヴァスブルクの匂いを和らげる調理法を調べ、試作を繰り返す。


 シャルロッテは料理長を呼び寄せた。

 宮廷料理人の知恵を借り、素材の組み合わせを検討する。


 その一方。


「ボス」


 ローレンツが近づいてきた。


「秘策があります」

「……聞く」


 テオは半目で言った。


「嗅覚を一時的に麻痺させるお茶があります」

「そんなものがあるのか」

「薬草師から仕入れました。これを飲めば、しばらく匂いを感じなくなる」


 テオは少し考えた。


(匂いさえなければ、食べられるかもしれない)


(クヴァスブルクは、匂いが問題なのだ。味は、まあ、我慢できるかもしれない)


「……試してみるか」

「お任せください!」


 ローレンツは得意げに茶を用意した。


 淡い緑色のお茶。

 ほんのりと草の香りがする。


 テオはカップを手に取った。


「本当に嗅覚が麻痺するのか」

「はい。薬草師のお墨付きです」


(薬草師のお墨付き、という言葉の信頼性は微妙だが)


 テオは一口飲んだ。


 ……数秒後。


「……あれ?」


 テオは首を傾げた。

 匂いが、麻痺していない。

 むしろ。


(むしろ、鋭くなっている……?)


 次の瞬間。

 厨房からクヴァスブルクの匂いが漂ってきた。


 それが、テオの鼻に。


 倍の濃度で。


「……っ」


 テオの顔が青くなった。


「ボス?」

「……ローレンツ」

「はい」

「これ、何のお茶だ」

「嗅覚を麻痺させる……」


 ローレンツは自分のメモを確認した。


「……あ」


 顔が青くなった。


「似たような外観の別のお茶と……」

「混ざったのか」

「……嗅覚を鋭くするお茶でした」


 沈黙。


「ボス、大丈――」


 テオは、静かに意識を失った。


――


 夢の中。


 ぼんやりとした光の中に、誰かがいた。


 銀髪。

 碧眼。


 エリザベートだった。


「テオ」


 静かな声。


「口を開けて」


 手に、小さなカップを持っている。


「これを飲めば楽になるわ」


 テオはぼんやりと頷いた。


 エリザベートがカップを傾ける。

 しかし、テオには自力で飲む力がない。


 エリザベートは少し考えた。


 そして。


(……仕方ないわね)


 自分でお茶を口に含んだ。


 ゆっくりと、顔を近づける。


 距離が、縮まる。


 テオの意識が、少しだけ浮上した。


 柔らかい感触。


 温かい液体が、口の中に流れ込んでくる。


(……あ)


 意識が、戻ってくる。


 目を開ける。


――


 現実。


 テオは目を覚ました。


 口の中に、お茶の味がした。

 温かい。


(夢じゃなかったのか……!?)


 期待と動揺が混ざった感情が胸を占拠する中、テオはゆっくりと視線を上げた。


 そこにいたのは。


 ブルーノだった。


 真剣な顔で、カップを持っていた。

 口元を、袖でぬぐっていた。


「……目が覚めましたか、ボス」

「……」

「嗅覚を麻痺させる本物のお茶を、口移しで飲ませました。意識がなかったので」


 真顔だった。


 完全に任務として遂行していた。


「カップで飲ませようとしたんですが、意識がなかったので、やむを得ず」


 説明する声は、至って冷静だった。


「……そうか」


 テオは静かに言った。


 沈黙。


 シャルロッテが、腹を抱えていた。


「ぶっ……!!」


 堪えきれない笑い声。


「ふふっ……あははははは!!」


 珍しく、品なく笑っていた。


「ブルーノ君が!!真顔で!!口移しで!!」


 涙をぬぐっている。


「最高ね……今年一番だわ……」


 エリザベートは、固まっていた。


 テオを、見ていた。


 テオを、見ていた。


 テオを、ずっと見ていた。


「……リザ?」


 テオが声をかける。


 エリザベートは、口を開いた。


「……私が」


 絞り出すような声だった。


「私が……やろうとしていたのに……」

「え?」

「ブルーノに……先を越された……」


 ぽつりと言った。

 店内が、静まり返った。

 全員が、エリザベートを見た。

 エリザベートは数秒後に気づいた。


「ち、違っ……!!そういう意味じゃ……!!私、男には興味がないから!!!」


 顔が、耳まで赤くなった。

 そこでまた、爆弾発言をしてしまったことに気が付く。


「違うのよ!!看護の一環として……!!」

「でも先を越されたって言いましたよね」


 ローレンツが追い打ちをかける。


「言ってない!!」

「言ってました」

「言ってないったら!!」


 シャルロッテがまだ笑っている。


「いいわね、青春って」

「笑わないでください!!」


 エリザベートが叫んだ。


 店内が、どっと笑いに包まれた。

 テオはその場に仰向けになったまま、天井を見上げた。


 口の中に、まだお茶の味が残っていた。


(夢がよかった)


(夢が、よかった……)


「ああ……」


 絞り出すように言った。


「ああ……俺はなぜ異世界でこんな目に……」


 その声だけが、喫茶ベルンに静かに響いた。


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