第41話 ある日森の中
学園には年に一度、森への遠足という行事がある。
魔素の濃い森を実際に歩き、自然環境と魔力の関係を体感するという、教育的な目的を持った行事だ。
引率はゲルハルト。
補助教員としてリディアも同行する。
テオは朝から、珍しく機嫌が良かった。
(遠足だ)
前世での思い出。
小学校の近くの山を歩いた遠足。
前日のお菓子の準備と、ウキウキして眠れぬ夜。
それを思い出す。
(ただの遠足だ)
同時に警戒。
(喫茶もない。決闘もない。ローレンツの秘策もない)
(平和な一日になる)
そう信じていた。
「ボス!」
集合場所で、ローレンツが駆け寄ってきた。
テオの機嫌が、少しだけ下がった。
「なに」
「今日は楽しみですね!」
「そうだな」
「実は、秘策があります」
「下がった」
「機嫌がですか」
「お前への評価が」
「そんな!!」
ローレンツは構わず続けた。
「今日、森の中で熊が現れます」
「なんで断言できるんだ」
「私が手配しました」
「……は?」
テオは半目になった。
「構成員に熊の着ぐるみを着せて、森の中で出てくるよう手配しました」
「なんのために」
「俺が颯爽と撃退します。それを見た皆さんが感動し、コンシリエーレとしての評価が上がります。ひいてはファミリー内での地位が固まり、レオンハルト様への借金返済の猶予も得られます」
「論理が飛びすぎている」
「完璧な作戦です」
「どこが」
テオはため息をついた。
(まあ、着ぐるみなら被害は出ない)
(ローレンツが自爆するだけだ)
(それはそれで構わない)
テオは深呼吸した。
しかし、猛烈に嫌な予感がしていた。
予感というよりも、経験からくる既視感。
「ゲルハルト先生の引率だぞ。見つかったら怒られるぞ」
「バレません」
「……好きにしろ」
テオは歩き出した。
――
森の中は静かだった。
木漏れ日が差し込み、魔素の影響で植物の色が鮮やかだ。
苔が青紫色に光っている。
鳥の声が遠くから聞こえる。
生徒たちは思い思いに歩いていた。
エリザベートが隣に並んだ。
「いい森ね」
「そうだな」
「……あなた、今日は機嫌良さそうね」
「たまには平和な日もある」
「そう」
エリザベートは少し笑った。
(平和だ)
テオは思った。
(本当に平和だ)
その時。
茂みが揺れた。
ローレンツが、少し離れた場所で親指を立てた。
(来た来た)
ローレンツの目が輝く。
(さあ、俺の見せ場だ)
茂みから、大きな影が現れた。
他の生徒たちが、その影を見て固まった。
それは。
茶色い毛並み。
鋭い爪。
赤い目。
熊だった。
普通の熊より、二回りは大きい。
魔素を吸って育った個体だった。
「……」
全員が固まった。
……大きい。
(あれ)
ローレンツは首を傾げた。
(用意した着ぐるみより、大きくないか。それに、予定の地点まではまだ遠いし……)
隣の構成員に小声で言う。
「おい、あれ、でかくないか」
「そうっすね。強く見えるように着ぐるみを改造したんじゃないですか?」
「そうだな。それにしては、やけにリアルというか。まあいいか」
最初に動いたのは、ブルーノだった。
「退がれ!!」
前に出る。
(任せろ!!ボスを守る!!)
ブルーノは拳を握った。
熊と正面から向き合う。
「テオドールファミリーのカポであるブルーノ様が相手だ!」
その背中を見て、ローレンツが焦った。
(まずい!!手柄を取られる!!)
(あの熊は俺の着ぐるみだ!!)
(中の奴はブルーノには勝てない!!)
「ブルーノ待て!!俺の出番――」
次の瞬間。
ブルーノが吹き飛んだ。
熊の前足が一閃。
ドガッ。
巨体が、木に激突した。
「ブルーノ!!」
テオが叫ぶ。
ブルーノは木に背中をぶつけたまま、ずるずると地面に座り込んだ。
「……強い」
呆然と呟く。
「あんなに強かったか……」
ローレンツは、それを見ていた。
(あれ)
(ブルーノが一撃で)
(まあ、着ぐるみだし、中の構成員が張り切ったんだろう)
(俺の作戦に間違いはない)
ローレンツは前に出た。
「コンシリエーレである俺に任せろ!!」
大声で叫んだ。
熊が振り向いた。
目が合った。
一秒。
二秒。
熊の一撃がローレンツを襲う。
間一髪、まともに喰らうのは回避したが、制服が爪に持っていかれる。
そこでやっと、ローレンツは本物であると気が付いた。
「……ギャーーーーー!!!!!!」
ローレンツは全力で逃げた。
「お助けを!!!!!」
熊が追いかける。
轟音。
揺れる地面。
「逃げろ!!」
ゲルハルトが怒鳴った。
「全員、西の広場へ!!」
生徒たちが走り出す。
テオもエリザベートの手を引いて駆けた。
「テオ!!」
「走れ!!」
後ろから熊の足音。
ローレンツの絶叫。
「俺の着ぐるみぃぃぃぃ!!!!」
(本物じゃないか!!!!)
テオは走りながら心の中で叫んだ。
必死に逃げる生徒たち。
そんな中、ゲルハルトが踏みとどまった。
「お前たちは先に行け!!」
振り返り、熊と向き合う。
リディアも隣に立った。
「私も残るわ」
「先生たちが時間を稼ぐ!!全員走れ!!」
生徒たちが走る。
テオも走る。
走りながら、テオは考えていた。
(先生たちが時間を稼いでくれている)
(でも、あの熊の大きさだ。長くは持たない)
あるいは、ゲルハルトとリディアの協力した戦いなら勝てるかもしれないという期待もあった。
(俺が戻って魔力を使って戦えば……)
(でも女体化する)
(リディア先生はいいとして、ゲルハルト先生に見られるのは……)
その時。
前方の茂みが揺れた。
全員が足を止めた。
茂みからもう一頭、でかい熊が現れた。
さっきの熊より、さらに大きい。
「……」
沈黙が降りた。
「二頭いたのか」
誰かが呟いた。
熊が、生徒たちを見た。
目が、赤い。
(詰んだ)
テオは一瞬だけそう思った。
次の瞬間。
覚悟を決めた。
(仕方ない)
「みんな、振り返らずに全力で走れ!」
そう叫ぶ。
誰も振り返らなければ問題はない。
再び走り出す生徒たち。
魔力を解放した。
輪郭が変わる。
髪が伸びる。
シルエットが、しなやかに変化する。
テオは、熊と向き合った。
熊が吠える。
テオは一歩、前に出た。
魔力を全身に巡らせ、地面を強く踏む。
風が、巻き起こった。
森の土はテオの後ろに飛び、テオの体は前に射出される。
次の瞬間。
テオは熊の懐に入っていた。
一撃。
ドン。
正拳突きが当たると、熊の巨体が、大きく揺れた。
もう一撃。
ズドン。
熊が、どっと地面に倒れた。
沈黙。
テオは荒い息を整えた。
魔力を収める。
体が、元に戻っていく。
振り返る。
エリザベートが、固まっていた。
テオの事が心配で戻ってきてしまったのである。
そして、また見た。
またしても見てしまった。
(……また、走馬灯が……)
死の危険が迫ると見える走馬灯。
そこでは、テオは全て例外なく女性だった。
妄想と欲望の作り出す幻覚。
エリザベートの脳はそう判断し、主を守るために機能を停止する。
エリザベートの目の前が暗くなっていく。
後ろに倒れそうになるのを、テオが慌てて支える。
(ああ、今回は胸がぽよんぽよんじゃないのね……)
残念な気持ちが芽生えるが、それもまた闇に呑み込まれる。
エリザベートは気絶した。
抱きかかえて固まるテオ。
その時。
後ろから声が聞こえた。
「全員無事か!!」
ゲルハルトが走ってきた。
その後ろから、ローレンツが這っていた。
「……ボス……」
ぼろぼろだった。
「ローレンツ」
テオは静かに言った。
「はい……」
「着ぐるみは?」
「……本物でした」
沈黙。
「それはわかっているんだ」
ため息を一つ。
「着ぐるみの構成員は?」
「まだ、予定の場所まで行ってませんので……」
テオは再びため息をついた。
ゲルハルトが状況を把握して、倒れた熊を見た。
「……誰がやった?って、ベルンシュタインしかいないか」
疑いの視線が、テオに向いた。
「……俺です」
「そうか」
ゲルハルトは、少しだけ口元を緩めた。
「よくやった。しかし、こいつを倒せるなら、最初の奴も仕留められただろう」
何故最初に戦わなかったのかを疑われている。
女体化とは言えない。
そこにリディアが助け舟を出す。
「彼は学生よ。いきなり熊に遭遇すれば、冷静に対処なんて出来なくて当然」
「それもそうか。よくやったな」
再び褒められる。
テオは力が抜けた。
(褒められた)
(珍しい)
その時。
エリザベートが、目を覚ました。
「……テオ」
小さな声。
「なに」
「さっき……また見た」
沈黙。
「……気のせいだ」
「気のせいじゃないわ」
「暗かった」
「明るかったわ」
「目の錯覚では」
「錯覚じゃないわ」
「いちゃいちゃするのもいいけど、お姫様抱っこしていては、他の生徒にあらぬ噂を立てられるわよ」
リディアに指摘され、エリザベートはテオの腕に抱きかかえられていることに気づいた。
慌てて
「おろして」
と言う。
もう、先ほどまでのテオの女性姿のことなど、頭から抜け落ちていた。
いや、羞恥心で上書きされたというべきか。
テオは空を見上げた。
青い空だった。
木漏れ日が差している。
鳥が鳴いている。
遠足日和だった。
「ああ……」
「ああ……俺はなぜ異世界でこんな目に……」
その声は、森の中に溶けていった。
一方、そのころ着ぐるみを着た構成員は、予定の場所まで生徒たちが来ないので途方に暮れていた。
(指定された場所、間違ったかな……)
結局、森の中で一晩過ごすことになり、翌日ちょっとした騒ぎとなった。
それにより、ローレンツの秘策が学校にばれた。




