第38話 床から生えた問題
朝。
演劇部の部室、改めテオドールファミリーのアジト。
ブルーノが扉を開けた瞬間、足を止めた。
「なんだこれは……」
その奇怪な光景にブルーノは困惑した。
そこにやってくるテオ。
「……ボス」
「なに」
「床が」
テオが顔を上げる。
「床が、どうした」
「……割れています」
全員が床を見た。
確かに、板張りの床の中央に、亀裂が入っていた。
しかも、その亀裂から何かが顔を出している。
紫色の、丸っこい何か。
「……なんだこれ」
テオがしゃがんで覗き込む。
「芋……?」
そうだった。
床板を突き破って、紫色の芋が生えていた。
しかも一個ではない。
亀裂に沿って、ぽこぽこぽこ、と三個、四個、五個。
なぜか整列するように並んでいる。
「……なんで芋が生えてくるんだ」
テオは呟いた。
「魔素の溜まり場になったんでしょう」
後ろから声。
リディアだった。
朝から来ていた。
いつも朝から来ていた。
テオは慣れていたが慣れたくなかった。
一応「顧問だからね」ということになっているが、単に遊びに来ているだけだった。
「魔素?」
「この学園の土台、古い魔術建築だから地下に魔力の流れがあるのよ。たまに植物が異常成長することがある」
芋を一個、ひょいと引っこ抜く。
澄んだ紫色。ぷっくりと張りがある。
「しかもこれ、ラウ芋ね」
「ラウ芋?」
「美容に良いとされる高級芋よ。魔素を吸って育つから、普通のより効果が高い。貴族の奥様方が喜んで買うわ」
リディアはうっとりした顔で芋を眺めた。
「お肌がつるつるになるのよねえ」
「……はあ」
テオは立ち上がった。
(芋が生えてきた。それ自体は不思議だが、まあいい。問題はこれをどうするかだ)
そう思った瞬間。
扉が開いた。
「テオ」
エリザベートだった。
いつもより早い登校。
珍しい。
だが、その目が芋を捉えた瞬間、表情が変わった。
「……ラウ芋?」
一歩、近づく。
「本物?」
「みたいだな」
エリザベートはしゃがんで芋を一個手に取った。
じっと見る。
目が輝いている。
「……本物だわ」
小さく呟く。
(あ、これ欲しいやつだ)
テオには分かった。
「この前、街の薬草店で見かけたけど、一個で金貨三枚したのよ」
「高いな」
「高いのよ。だから買えなかったのよ」
エリザベートは芋を抱えた。
「これ、演劇部のものね」
「なんで?」
即答だった。
「ここは演劇部の部室でしょう」
「アジトです。お嬢様」
ブルーノは寄り親であるローゼンベルク家の令嬢に対し、口調は丁寧だったが、アジトというのを譲るつもりはなかった。
そこはテオに対しての忠誠心が勝ったということ。
「演劇部の部室よ」
「それは……まあ、元は、そうだけど」
テオは言葉を濁した。
「演劇部の部室の床から生えた芋は、演劇部のものよ」
きっぱり言った。
論理としては穴だらけだが、言い切る勢いがあった。
(言い返せない……)
テオが黙っていると、また扉が開いた。
「あら」
シャルロッテだった。
朝から来ていた。
テオはため息をついた。
この人も朝から来るようになっていた。
慣れていたが慣れたくなかった。
シャルロッテの視線が床の芋に向く。
「ラウ芋ね」
一瞬で判断した。
「しかも魔素入り。珍しいわ」
すっと手を伸ばす。
「生徒会で管理するわ」
「はあ?」
エリザベートが立ち上がった。
「何を言ってるんですか」
「学園の建物から産出されたものでしょう。学園の管理下に置くのは当然ね」
「演劇部の部室から生えたんです。演劇部のものよ」
「演劇部の部室は学園の施設よ。施設から産出されたものは学園のもの」
シャルロッテはにっこり笑った。
「論理的でしょう?」
エリザベートの眉がぴくりと動いた。
「では聞きますが、学園の施設で生徒が作った作品は、学園のものなんですか」
「それは生徒の創造物だから別よ」
「芋だって、魔素と土と水が創り出した自然の産物です。施設から産出されたという理屈なら、雨水も学園のものになりますわ」
シャルロッテは少しだけ目を細めた。
「面白い論理ね」
「ありがとうございます」
「でも、間違ってるわ」
「どこがですか」
二人の視線が、同時にテオに向いた。
「……テオ。どっちだと思う?」
エリザベートが言う。
「テオドール君、裁定を」
シャルロッテが言う。
テオは固まった。
(なんで俺が)
(どっちを選んでも、もう一方が怖い)
(詰んでる)
冷や汗が背中を伝う。
ブルーノが横で腕を組んでいた。
助けてくれる気配はない。
リディアは芋をひとつ懐にしまっていた。
泥棒だった。
「……少し、考えさせてくれ」
テオはそう言うのが精一杯だった。
「いつまで?」
シャルロッテが問う。
「……昼までには」
「分かったわ」
エリザベートも頷く。
「待ちますわ」
二人は、それぞれ反対側の壁際に立った。
静かな張り合いが始まった。
テオは廊下に出た。
(どうする)
(正直、どっちの言い分も分かる)
(そもそも、俺はどっちにも味方したくない)
頭を抱えていると、廊下の向こうから軽い足音が聞こえた。
「ボス!!」
ローレンツだった。
顔に傷がある。
腕に包帯がある。
いつも通りだった。
「今日も元気そうだな」
勿論嫌味。
「レオンハルト様から逃げ回っているので、足腰が鍛えられました」
「それは良かった」
「褒めないでください、死にそうなんですから」
ローレンツはテオの顔を見た。
「ボス、何か困っていますね」
「困ってる」
「なんです?」
テオは事情を説明した。
ローレンツは聞きながら、だんだん目が輝いてきた。
「なるほど」
指を立てる。
「秘策があります」
「また秘策か」
「今度こそ完璧です」
(そのセリフ、何度聞いたか)
テオは諦めた顔で続きを促した。
「聞かせてくれ」
ローレンツはにやりと笑った。
「一個ずつ渡して、残りは喫茶ベルンのメニューにします」
テオは少し考えた。
(悪くないかもしれない)
(シャルロッテもエリザベートも一個ずつ手に入る。残りは商売に使える。誰も完全には負けない)
「……それ、まともな案じゃないか」
「たまにはまともなことも言います」
ローレンツは胸を張った。
「任せてください。私が二人に説明して、芋を渡してきます」
「頼む」
テオは少しだけ肩の力を抜いた。
部室に戻ったローレンツ。
二人に向かって、よどみなく説明する。
「両者に一個ずつ。残りはベルンのメニューに。売り上げの二割ずつお二人に。これがボスの裁定です」
シャルロッテとエリザベートは顔を見合わせた。
「……まあ、妥当ね」
「納得しましたわ」
二人が頷いた。
(よし!!)
ローレンツは心の中でガッツポーズをした。
だが。
その内心は、二人には見えていなかった。
(さて……本物はいただきだ)
芋を渡す段になって、ローレンツは手際よく動いた。
事前に市場で買っておいた、ラウ芋によく似た安物の紫芋。
それをさりげなく二人に手渡す。
本物のラウ芋は、すでにローレンツの鞄の中だった。
(これをオークションにかければ……!!)
脳内で金貨が降り注ぐ幻覚が見えた。
放課後。
ローレンツは意気揚々と街へ出た。
鞄の中には本物のラウ芋。
足取りが軽い。
そして。
「よう」
路地の角から、聞き慣れた低い声。
ローレンツの足が止まった。
「……あ」
レオンハルトだった。
にやりと笑っている。
「ちょうどいいところで会ったな。借金の件、話し合おうぜ」
「今日はちょっと急ぎでして!!」
「逃げんな」
がしっ、と首根っこを掴まれた。
「鞄の中、見せてみろ」
「これは私物でして!!」
「あ?」
レオンハルトの目が細くなった。
数秒後。
「……いい芋じゃねえか」
鞄からラウ芋が取り出された。
「返してください!!」
「借金の担保だ」
「そんな!!価値が合ってない!!」
「利子込みならちょうどいいだろ」
「くそっ……!!」
ローレンツは地団太を踏んだ。
が、レオンハルトの拳が目の前にあるので、それ以上は何もできなかった。
――
翌朝。
シャルロッテが真っ先にアジトに来た。
手に紫の芋を持っている。
「ねえ」
静かな声だった。
テオは嫌な予感がした。
「これ、ラウ芋じゃないわ」
沈黙。
「……は?」
「普通の紫芋よ。市場で束売りしてるやつ。一束で銅貨五枚」
続いて扉が開いた。
エリザベートだった。
同じく芋を手に持っている。
「テオ」
低い声だった。
「これ、偽物ね」
二人の視線が、部屋の中を見回した。
ローレンツがいた。
壁際で小さくなっていた。
「ローレンツ・フォン・クライネルト」
シャルロッテが名前を呼んだ。
「は、はい……」
「説明して」
ローレンツの額に汗が浮かぶ。
逃げ場はない。
ブルーノが扉の前に立っていた。
偶然だろうが、完全に塞がれていた。
(どうする……どうする……)
ローレンツの頭が高速回転する。
そして。
「……これはボスの案でした」
言った。
テオが振り向いた。
「は?」
「ボスが、本物はオークションで売って組織の資金にしようと。私はただ従っただけで……」
「ちょっと待て」
テオは立ち上がった。
「俺はそんな指示をしていない」
「ボスは口に出さずとも、目で指示を……」
「目で指示なんかしていない!!」
テオは声を荒げた。
珍しいことだった。
が。
シャルロッテとエリザベートの視線が、ゆっくりとテオに向いた。
「……テオドール君」
シャルロッテの声が、一段低くなった。
「テオ」
エリザベートの声も、同様に。
「違う!!俺は本当に知らなかった!!ローレンツが勝手に――」
「ローレンツ君が勝手に動けるの?」
シャルロッテが首を傾げる。
「コンシリエーレって、ボスの意向を汲んで動く役職じゃなかったかしら」
「そ、それはそうだけど、今回は本当に――」
「テオ」
エリザベートが一歩、近づいた。
「私、信じたいのよ。あなたのことを」
静かな声だった。
「だから、ちゃんと説明して」
テオは口を開いた。
が。
説明しようとすればするほど、状況証拠がテオに不利だった。
ローレンツを使ってうまく取り仕切っていた。
芋は確かになくなっていた。
計画的に見えた。
「……ローレンツ」
テオはローレンツを見た。
「俺が指示したって、本当に言うのか」
ローレンツは視線を逸らした。
「……私の一存では、動けませんので」
逃げた。
完全に逃げた。
(こいつ……!!)
テオの中で何かが限界を迎えた。
しかし、怒鳴っても状況は変わらない。
シャルロッテが、すっと床を指さした。
「座りなさい」
テオは固まった。
「……え?」
「正座よ。ローレンツ君も」
「は、はい……」
ローレンツがすでに正座していた。
素早かった。
エリザベートも腕を組んで立っている。
「テオも」
一言だった。
テオはゆっくりと、床に膝をついた。
こうして。
テオとローレンツが並んで正座させられた。
シャルロッテが前に立つ。
エリザベートがその隣に立つ。
「では」
シャルロッテが口を開いた。
「最初から、全部話してもらいましょうか」
静かな声だった。
しかし、有無を言わさぬ圧があった。
ローレンツが小声でテオに言った。
「ボス……すみません」
テオは前を向いたまま答えた。
「後で覚えてろ」
「……はい」
ローレンツは縮んだ。
説教は、昼まで続いた。
テオは最終的に無実が証明されたが、「管理が甘い」という理由で同じ時間だけ説教を聞く羽目になった。
廊下に出たテオは、空を見上げた。
「ああ……」
膝が痛かった。
「ああ……俺はなぜ異世界でこんな目に……」
隣でローレンツが正座の跡がついた膝をさすっていた。
「ボス……本当にすみませんでした……」
「謝っても膝の痛みは消えない」
「……はい」
沈黙。
「ローレンツ」
「はい」
「本物のラウ芋、どこにある」
「……レオンハルト様に」
「そうか」
テオはもう一度、空を見上げた。
(芋は消えた。説教された。何も解決していない)
ため息が、昼の空に溶けていった。




