第25話 麗しの姫と虎
闘技場。
ざわめきが、波のように広がっていた。
既に二回戦。 観客の熱気は、先ほどまでとは明らかに違う。
「テオドール・フォン・ベルンシュタイン 対 ディートリヒ――」
歓声が爆発する。
リング中央。
ディートリヒは一歩も動かず、ただテオを見つめていた。
その視線は、明らかにおかしかった。
敵を見る目ではない。
もっと別の――
(なんでそんな目してんだよ……)
ぞわりと背筋に寒気が走る。
逃げ場を塞ぐように、視線が絡みつく。
「麗しの姫……できれば」
低い声。
「女性は殴りたくない。それが愛する人なら尚更」
沈黙。
圧倒的勘違いである。
「……は?」
「今なんて言った?」
「女?」
「服はメイドだけど、中身は男だろ」
「愛する人?」
観客席がざわつく。
ジークフリートが眉をひそめた。
「……頭でも打ったのか、あいつは」
一方。
「ふふっ……あはははは!」
シャルロッテ、大爆笑。
「いいわねこれ!トーナメントをやった甲斐があったわ!」
(絶対お前のせいで……)
テオは遠い目になる。
(いや待て)
(なんでこんな状況になってるんだ)
冷静に考える。
メイド服。
トーナメント。
風紀委員に女扱い。
(意味がわからない)
(いや全部あいつのせいか)
視線だけでシャルロッテを睨む。
当の本人は、腹を抱えて笑っていた。
(楽しそうで何よりだな、おい)
殺意が湧く。
だが。
「だが」
ディートリヒの声が、空気を切り裂いた。
「これは殿下の命令だ。女だとて容赦はしない。諦めろ」
(こっちも殿下の命令なんだよ……)
最悪だった。
殿下違いであるが、どちらの殿下も自分を放っておいてくれない。
空を見上げる。
神からの返事はない。
(帰りたい)
心の底からそう思った。
「――始め!」
号令。
瞬間。
ディートリヒの身体が変形する。
骨が軋み、筋肉が膨れ上がる。
巨大な虎。
観客がどよめく。
「うおおお!?」
「変身系か!」
だがテオは驚かない。
既に見たことがある。
そして。
(負けたら終わりだ)
魔力を流す。
身体強化。
出し惜しみはできない。
(ちょっとだけ……ほんとにちょっとだけ感謝してる)
リディアの秘策。
メイド服という名の隠蔽。
なければ今頃、完全に詰んでいた。
虎が突進する。
速い。
だが。
テオは紙一重でかわす。
風が頬をかすめる。
(ばれてないか……?)
一瞬。
視線が揺れた。
観客。
シャルロッテ。
ジークフリート。
(大丈夫か……?)
油断。
その一瞬。
ドン。
胸元に衝撃。
布が裂ける音。
メイド服が破れた。
白い肌が、わずかに覗く。
「――!」
慌てて腕で胸を隠す。
だが。
遅かった。
ディートリヒの目。
強化された動体視力。
その一瞬を、確実に捉えていた。
「……な」
硬直。
次の瞬間。
ぶしゅっ。
勢いよく噴き出した鼻血が、空中に弧を描いた。
「……は?」
誰かが間の抜けた声を出す。
そして。
ドサリ。
ディートリヒが崩れ落ちた。
戦闘不能。
完全沈黙。
誰も、何が起きたのか理解できない。
「……え?」
「え?」
「……え?」
困惑の連鎖。
「今、何が起こった?」
「攻撃してないよな?」
「してない」
「じゃあなんで倒れた?」
ざわめきが波のように広がる。
「見えた?」
「見えてない」
「でも何か見えた気がする」
意味不明な会話が飛び交う。
「触れてもいないのに倒した……?」
「やばくない?」
「呪い?」
「魔眼じゃないか?」
「いや聞いたことないぞそんなの」
評価だけが、勝手に積み上がっていく。
(やめろ)
(変な評価を積み上げるな)
必死に否定する。
だが当然、誰にも届かない。
リディアもなぜか鼻血を出していた。
理由は考えないことにした。
「……かわいい」
ぽつりと誰かが言った。
「いや待て男だぞ」
「関係あるか?」
「ないかもしれない」
価値観が崩壊する。
「俺、入るわ」
「何に?」
「ファンクラブ」
誰かが言った。
なぜか数人が頷く。
意味が分からない。
だが。
確実に何かがおかしかった。
エリザベートも固まっていた。
視線はテオに向けられたまま。
何かが変わった。
マフィアの息子であり、自身も学園内でファミリーを結成するという、恐怖の対象だったはずの存在が、別の何かへと変わった瞬間だった。
「勝者――テオドール!」
歓声が爆発する。
そして、この瞬間。
“テオファンクラブ”が誕生した。
(なんでこうなるんだよ……)
テオは心の底から思った。
空を見上げる。
やはり神は何も答えない。
(ああ……俺は何故異世界でこんな目に……)




