第19話 復讐のクラウディア
夜の路地裏。
倒れている悪漢ども。
それを気にする様子もなく、ブルーノは拳を見つめていた。
固く握る。それは岩のようにごつごつとして硬かった。
だが、その手は微かに震えている。
「……一撃だった」
思い出す屈辱。
メイド喫茶『ベルン』にやってきたあの巨漢。
重い一撃だった。しかし、たった一撃である。
その一撃のみで視界が揺れ、次の瞬間には床の感触が顔に伝わった。
あれは強かった。
仕方がない。
そう思っていた。
だが、もう一つの光景が、脳裏に焼き付いて離れない。
シャルロッテ殿下。
あの華奢な殿下が、自分を一撃で倒した巨漢を一撃で沈めた。
まるで、目の前の羽虫を軽く振り払うかのごとく、何でもないことのように。
ブルーノは再び拳を握る。
強く。
「……差が、ありすぎる」
歯を食いしばる。
「強くならねえとな。ボスとエリザベートお嬢様の前で、二度と無様な格好をしないためにも」
彼は強くなるため、実戦を求めて夜の街を彷徨っていた。
まるで野良犬。伝統派貴族の子供にあるまじき行為。
しかし、全ては強くなるため。
それから数日。
「おらぁ!!」
ゴン、と鈍い音。
チンピラが壁に叩きつけられた。
「ぐぇっ……」
崩れ落ちる。
ブルーノは息を吐いた。
「……弱いな」
腕を回す。
違う。
こんなのじゃない。
(あんな連中じゃねえ)
求めているのは、もっと上。
もっと強い相手だ。
その時耳に入る、蚊の泣くような声。
「……助けて」
振り向く。
そこは路地の奥。
数人の男に囲まれた少女。
細い小枝のような四肢。
怯えている。
ブルーノは一歩踏み出した。
「そこまでだ」
男たちが振り向く。
「なんだお前」
「その子を離せ」
「は?調子乗ってんじゃ――」
最後まで言わせなかった。
拳が一閃。
男が吹き飛ぶ。
続けざまにもう一人。
残りは逃げた。
静寂。
ブルーノは少女に向き直る。
「大丈夫か」
少女はしばらく言葉を失っていたが、やがて小さく頷いた。
「……ありがとう」
その声は、どこかかすれていた。
(何故、こんな女性がこのような場所に?)
似つかわしくはない。
深窓の令嬢というのがピタリと当てはまるかのような女性が、夜、治安の悪い路地裏にいる違和感。
しかし、ブルーノはその理由を訊ねるのを躊躇った。
(人には言いたくないこともあるだろう)
それから。
何度か顔を合わせるようになった。
やっとわかったのは名前だけ。
少女の名はクラウディア。
笑うと、少しだけ柔らかい顔になる。
「……あなた、優しいのね」
「別に」
ブルーノはそっぽを向く。
(優しい、か)
違う。
(俺の求めるのは絶対的な暴力。誰かに優しいと言われるのは、まだ足りないから)
そう言い聞かせるも、悪い気はしなかった。
夜。
クラウディアは自室で一人、ナイフを握っていた。
手が震えている。
だが、目は揺れていない。
「……ベルンシュタインを名乗る偽物を殺しなさい。そして、家を取り戻すの……」
母の声が蘇る。
ベッドの上で寝たきりである。
かつての名家。
ベルンシュタイン。
奪われた家。
奪われた誇り。
復讐。
そのために、生きてきた。
そう、クラウディアは本来のベルンシュタイン家の血筋であった。
彼女の祖父がガルディスにはめられ、借金のかたに家も、爵位も奪われたのである。
彼女がブルーノに助けられたあの晩。実は毒を扱うという闇業者をたずねた帰りであった。
毒は入手できず、悪漢に囲まれ、復讐叶わず終わるかと思ったとき、ブルーノが現れて救ってくれたのだった。
「ピンチに現れる王子様って、あんな感じなのかしら」
小さく呟く。
ナイフを持っているというのを除けば、実に乙女なクラウディアであった。
一方そのころ、ローレンツは焦っていた。
(まずい……)
帳簿の誤魔化し。
ファミリーの資金を流用し、絶対安全といわれた競馬のレースで勝負をしたが、それが外れた。
穴埋めできずに露見。
ファミリーの為というが、他にも私的流用が発覚して、信頼は地に落ちた。
「挽回しなければ。俺のコンシリエーレとしての地位が。楽して子分どもに稼がせる夢が」
最低な理由で保身したかった。そこがローレンツのローレンツたるゆえん。
拳を握る。
(ボスに証言してもらわねば……!)
テオをそそのかして、無実だと証言してもらう計画。
なお、この時テオはローレンツがファミリーから追放されれば、少しは厄介ごとが減るのではと期待していた。
なので、ローレンツを庇う気などさらさらなかったのである。
その夜。
店の裏口。
テオが外に出る。
空気を吸う。
「はぁ……」
疲れていた。
その背後。
影が動く。
クラウディア。
ナイフを握る。
震えは止まっていた。
(ごめんなさい。だって貴方がベルンシュタインで一番弱そうだから)
クラウディアはそんな理由でテオを狙った。
ガルディスとレオンンハルトは見た目が怖かったのである。
一歩。
二歩。
距離が詰まる。
腕を振り上げる。
その瞬間――
「ボス!!」
横から飛び込んできた影。
ローレンツだった。
「え?」
クラウディアは驚くも止まれなかった。
ナイフが突き刺さる。
「――っ!?」
ローレンツの腹に。
静止。
「……え?」
テオは状況がつかめなかった。
ローレンツが目を見開く。
「ちょ、え、なんで俺……?」
血が滲む。
テオも固まっていた。
「ローレンツ……?」
その瞬間。
構成員たちがやってきた。
ブルーノも。
「クラウディア?」
「私、復讐のためにこの人を刺そうとしたのに、こっちが身を挺して――」
言葉が続かない。
「ローレンツが……」
「ボスを守った……?」
「身を挺して……!」
「じゃあ、金の使い込みも組織の為っていうのは本当?」
空気が変わる。
一気に。
「ローレンツ!!」
誰かが叫ぶ。
「よくやった!!」
「忠義だ!!」
「見直したぞ!!」
「いや待て違――」
聞かれない。
完全に英雄扱いだった。
「持ち上げろ!!」
「おおお!!」
ローレンツの身体が宙に浮く。
「待て待て待て刺さってる!!刺さってるから!!」
胴上げ。
上下。
上下。
「内臓が!!」
誰も止めない。
むしろ盛り上がる。
テオは頭を抱えた。
「なんだこれ……」
その横で。
クラウディアは立ち尽くしていた。
震えている。
ナイフを見つめる。
血。
違う。
違う人。
「……私、何やってるんだろ」
ぽつりと呟く。
力が抜ける。
復讐。
意味。
全部、空虚だった。
ナイフを落とす。
乾いた音が響く。
帰宅後、クラウディアは母の元へ直行した。
「どうだったの」
寝たきりの女が言う。
「……やめた」
「そう。じゃあ生活は苦しいままね」
あっさりとした返事。
クラウディアは眉をひそめる。
「お母さん、そろそろ働いてよ」
「面倒だからいや」
「だからあ」
クラウディアの語気が強くなる。
「だってだるいじゃない」
沈黙。
クラウディアは天を仰いだ。
貴族の生活しか経験したことない母親は、仕事もせずに家で寝ているだけであった。
そのころ、病院では。
「なんとか誤解はとけたが、あいつら」
ベッドの上でローレンツが唇を噛んでいた。
包帯ぐるぐる。
決して誤解ではないのだが、彼の頭の中では誤解だった。
そして、思い出される構成員たちの言葉。
「安心しろローレンツ」
「お前の忠義、しかと見届けた」
「ボスもきっと評価してくださる。安心して天国に」
「だから違うって言ってるだろ!!」
誰も聞いていなかった。
テオだけがおろおろしながらも、
「あの、病院に運んだ方が……」
といったのだが、涙ぐむ構成員たちがそうしたのは、もう少し時間が経ってからであった。




