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【完結後番外編】魔王様の娘【短編集】  作者: 神崎右京


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和解②

 新月の夜――”影”の姿へと変わったゼルカヴィアは、人間界で調達してきた書物を読んでいた。

 娯楽のための読書ではない。人間界の動向を探るための情報収集の一環だ。天界勢力は長らく裏から巧みなプロパガンダを行って人間たちを操っていた。人間界に蔓延る思想について、流通量の多い書籍を読むことで得られることは多い。

 ”影”でいるうちは、部屋から外に出ることは出来ない。日没からの時間を持て余した結果、数千年の時間の中で、部屋の中で出来る”影”が出来ることを編み出してきた。読書はその最たるものだ。


(とはいえ昔は、魔法の一つも使えませんでしたから――アリアネルのおかげで、最低限の魔法が使えるようになって、だいぶ”影”にも出来ることが増えました。感謝しなければいけませんね)


 読み終えた本を閉じて、軽く身体を伸ばす。

 昔は、いつ周囲に秘密が露呈するかと不安でたまらなくて、部屋の中でもじっと息を殺して夜明けを今か今かと待ち望んでいた。

 だが、毎月一回、必ず訪れるこの一晩を、悪くないと思い始めたのは、いつからだったろうか。


「少なくとも、アリィが来てからなのは間違いないですね」


 身体を伸ばして緩んだ肩を軽く回しながら認め、苦笑する。

 あのやかましい赤子の世話に忙殺されていた時代は、自分の身体が変化していることすらうっかり忘れるくらいだった。その奮闘の先に、いつの間にか成長した舌足らずな幼女が「お兄ちゃん」と無条件の信頼を預けてくれるようになり――初めて、この姿の自分をありのままに肯定してくれる存在を見つけた気がした。

 

 最初は、幼い頃特有の感情かと思っていた。しかし、十五の誕生日を迎えた今も、「お兄ちゃん」と呼んで全身で「大好き」という感情を露わにするのは変わらない。そのせいか、この姿で過ごす時間も、いつしか嫌ではなくなった。

 とはいえ、ゼルカヴィアが幼い頃に告げた、ゼルカヴィアと”影”は別人であるという嘘を、彼女は未だに信じ込んでいる。その姿を見ると、もう少し人を疑うことを覚えても良いのではと考えなくもないが。


 幼いころから何も変わらない無垢な娘を思い浮かべて苦笑しながら、ゼルカヴィアは腰を上げる。茶でも入れて一息つき、もう一冊くらい読んでおこうかと、棚にある茶器セットに向かいかけた時だった。


 トントン


「あの……アリアネル、だよ。お兄ちゃん……いる……?」


 こそこそと、部屋の中に聞こえるだけの最低限の声量で窺う来訪者に、驚く。まさに顔を思い浮かべていた本人の来訪だったからだ。


(一体何故――あぁ。そういえば少し前に、やたらと付き纏ってきていましたね)


 数日根競べをした後、ぱったりと何も言わなくなったから、その話は終わったと思っていたのだが、予想は外れたらしい。ゼルカヴィアから情報を得ることを諦めただけで、”影”に会って無事を報告したいという目的だけは達成しようということだろうか。


 少し呆れたが、ここで追い返しては、素直で純粋な少女が落ち込むことは容易に想像出来た。観念して、返事をしながら扉へと向かう。

 手塩にかけて育てた子供を邪険には出来ない。彼女からの報告の内容は全て既知の情報だろうが、彼女が「心配をかけた」ことを謝りたいと言うのなら、その気持ちだけ受け取ってやればいい。今、彼女が無事で、元気に、毎日を幸せに過ごしているなら、”お兄ちゃん”は何の憂いもないのだと告げてやればよいのだ。


「今開けます」


 手のかかる子供だ、と思いながら扉を開け――固まる。


「あ、の……ご……ごめん……お兄ちゃん……ど、どうしても……一緒に、って……えっと……」


 もじもじと気まずそうな顔でアリアネルが弁明を試みているが、内容が頭に入って来ない。

 俯くアリアネルの後ろに立っていた長身が、ぬっと一歩近づいた。


「どうした。客人をいつまでも廊下に立たせ、部屋に招き入れぬつもりか」


 当たり前のような顔で尊大な態度を取る男に、”影”は頬を引きつらせる。


「ま――魔王、様……?」

「いかにも」


 いつものように端的に答えた魔王は、腕を組んだまま、何もおかしいことなどないと言うように、仁王立ちをしていた。


 ◆◆◆


 混乱しながらもとりあえず二人を招き入れて、”影”は頭をフル回転させる。


「ちょっと待ってください――普段、私室に人を招くことなど想定していませんから、椅子が足りません。あ、茶――いや、カップも足りませんね」

「構うな」

「いや、無理でしょう!」


 魔界は、言ってしまえば魔王を頂点にいただく独裁国家だ。名君だからうまく回っているだけで、絶大な権力を持つ存在を、茶の一つも出さずに突っ立たせておくわけにはいかない。


(今の私に転移門ゲートは使えませんから、カップも椅子もここからパッと調達するわけにもいきません。アリアネルに調達させに行きますか? ――いえ、その間、この部屋で魔王様と二人きりというのは、勘弁願いたいですね)


 いきなり、何の知らせもなく騙し討ちのような形で来訪したからには、魔王は”影”に何か用があったのだろう。魔王は基本的に、無駄なことをしない。

 ゼルカヴィアとして魔王に無茶ぶりをされるのは慣れている。唐突な来訪があったとて、皮肉の一つも言いながらうまくこなす自信もある。それは、長い間を過ごした時間の積み重ねと、それに基づく揺るがぬ信頼関係があるからだ。

 だが――この姿で魔王の前に姿を現したことは、幼いころから数えてもほとんどない。思考の癖はゼルカヴィアと同じでも、精神構造が大きく異なり、身体の組成も全く異なる”影”と魔王の間には、何の積み重ねも、信頼もないといって差し支えない。


 城の古参魔族ですら、魔王の前では常に膝を付くのが当たり前なのだ。こんな、人間と大して変わらない無力な存在が、魔界における最高権力者と二人きりで部屋に残されるなど、勘弁してほしい。何を話していいかすら、皆目見当がつかない。


「いっそ私が直接――いえ、流石に、この姿で外に出るのは……仕方ありません、ミュルソス辺りに依頼して――」

「何をぶつぶつと言っている」


 混乱している”影”に魔王が呆れたように声をかける。


「必要なのは、椅子、テーブル、茶器か」

「え――えぇ、まぁ――」

「フン……一言、俺に言えばいいものを。お前は本当に、俺に頼るという発想がない」

「ぇ――」


 小さく鼻を鳴らして、魔王が床に手をかざすと、ヴン……と小さな振動音が響き、紫色の魔方陣が浮かび上がる。

 高等魔法の転移門ゲートを、無詠唱であっさり展開し繋げられた空間の先は、魔王の執務室だったらしい。

 床から浮かび上がるようにして、見覚えのある、アリアネルといつも”お茶会”をするときのテーブルと椅子が現れた。テーブルの上には、魔王の執務室に常備してある茶器が据えられている。遠隔で転移門ゲートを展開し、先にテーブルの上に茶器を据えてから、テーブルセットごとここへ移動させたのだろう。ここまでの精密な魔法展開が出来るのは、この世で魔王しかいない。


「さすが魔王様。これほどとは――」

「世辞はいい。……この程度、俺に一言いえば、すぐに片が付く。どうしてお前はいつも、自分で何でも成そうとする」

「!」

「何よりも忌避している己の姿を晒すことよりも、俺に頼みごとをすることを厭うか」


 自分が直接調達しに行こうとしたことを責められているのだろう。魔王の視線に、行動を咎める空気を多分に感じ、ビクリと身体が硬直する。


『何をしに来た――!部屋から出るなと厳命しただろう――!』


 耳の奥に、もう忘れたと思っていた太古の記憶が蘇る。


『脆弱な子供に何が出来る――!』


 血走った眼で恫喝され、厳しく叱責された日々。


「ぁ――申し訳……ござい、ません……」


 思わず視線から逃れるように顔を背け、震えだしそうになる身体を留めるように、右手で左腕を握り込む。

 無力な自分は、父の視界に入ってはいけなかった。

 ――何もできない、無価値な存在だから。

 魔法も使えず、戦うことも出来ず、敵の前に出れば、魔王の弱点として利用されるだけ。おまけに顔を見せるだけで、失った母の面影を重ねさせ、地獄の苦しみを味わわせる始末。

 有能な部下を自ら無限に造り出せる完全無欠の魔王が、ただ一つ、手元に置かざるを得なくなった――致命的な、足手まとい。

 

「……謝罪を求めているのではない」

「いえ……私が……全て、悪い、のです……」


 魔王に叱責され、咎められる雰囲気を感じ取ると、ずいぶん昔に克服したと思っていたはずのトラウマの蓋が開く。

 ばくばくと不規則に心臓が脈打ち、冷や汗が滲んだ。

 

「ストーーーップ!! それ以上お兄ちゃんを怖がらせないで!!!」


 叫びながら、ザッと二人の間に立ちはだかったのは、アリアネルだった。


「……怖がらせているつもりはない」

「つもりがあっても無くても、お兄ちゃんが怖いって思ったらだめなの! 最初に言ったでしょ! お兄ちゃんはゼルと違って、とっても臆病なの! 優しいお城の魔族の皆だって怖いっていうくらいなの! パパなんて、普通にしててもめちゃくちゃ怖がられるに決まってるでしょ!」

「ぅ……む……」


 長身の魔王に向かって、アリアネルは足を踏ん張り仁王立ちになって、一歩も引かないと決意を込めた視線を向ける。


「約束したでしょ!? もしお兄ちゃんが怖がったり嫌がったりしたら、すぐに帰ってもらうよって!」

「……わかって、いる」

「もうっ……お兄ちゃん、大丈夫?」


 くるりと振り返って、アリアネルは”影”を気遣う。

 

「ごめんね、お兄ちゃん。お兄ちゃんがパパとお話したくないって言ってたの知ってたのに――パパが、どうしても、って言うから」

「いえ……」

「嫌なら帰ってもらうから、遠慮なく言って。大丈夫。私は、お兄ちゃんの味方だよ」


 にっこりと笑う顔は、魔界の太陽と称されるのにふさわしいくらいに、眩しかった。


『昔、約束したでしょ?――お兄ちゃんは、私が、絶対に守るよ!』


 いつの日かの記憶が蘇る。あのときも、魔王が目の前に現れ、トラウマに怯えていた自分に、こうして自信満々に胸を反らせて宣言したのだ。


 ――自分よりも幼く、脆弱で、どうしようもないほど無力な、アリアネルが。


「……大丈夫です。貴女が頑張っているのに、私が弱音を吐いていてはいけませんね」

「? ……私は何も頑張ってないけど――」


 きょとん、と眼を瞬くアリアネルに、安心させるように気丈に微笑んでみせる。

 

「貴女はとても優しい子に育ってくれましたね。育ての親として、嬉しく思います」

「えへへ……」


 ぽんぽんと頭を撫でると、アリアネルは嬉しそうに破顔する。

 

「どうぞ、魔王様もおかけになってください。今、花茶を淹れます。アリィ、菓子はないですが良いですか?」

「うん! 晩御飯もしっかり食べて来たから、大丈夫だよ!」

「それはよかった」


 アリアネルの顔を見ていると、あんなにも辛かった過去のトラウマさえどこかに飛んでいく気がするから不思議だ。

 ”影”は苦笑して、客人をもてなす準備を始めるのだった。


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