第五節「休息」
日は西に向かって傾いて久しく、光を強めている。
「どうされますか」
次はどこへ行くのか、何が知りたいのかと、
イメナータはコッパーの指示を仰いだ。
人生の大半を人に従って生きてきたコッパーにとって、
人を使い自分で選択しなければならない立場というのはなかなかに苦しい。
「……どこか休めるところはないか」
「休めるところ、ですか?」
「日陰であればどこでもいい。探してくれ」
1番の理由は先ほどの動悸ではあるが、
したことのない振る舞いに疲れが出たようだ。
しばらく落ち着く時間が欲しかった。
イメナータは不審そうにしていたが、
すぐに辺りを見回し、少し歩いて坂道に面した家の戸を叩いた。
返事がないと見ると彼女はその扉を開け、
中を覗いて軽くあらためると
「こちらへ」とコッパーへ声をかけた。卒のない動きだ。
「鍵はないのだな」
「なぜ必要でしょうか」
イメナータはなんでもないことのように即答した。
質問を続けたい気持ちが幾分浮上したが、
今は休むことを優先したい。
特に彼女を相手取るのは骨が折れそうだ。
油断をするとすぐにこの"黒銅の民"といういかめしい鎧を剥がされ、
正体は卑しい奴隷だと罵られるような気がする。
家の中には誰もいないが、おそらく労働に出ているのだろう。
よれて斜めにずれた絨毯、新しい水の入った水瓶が生活を物語っている。
コッパーはつい「勝手に滞在していいのか」と確認したくなるが、愚問なのでやめた。
この街で黒銅の民である己の行いを誰が咎められるというのだろう。
神民、神下、神徒、神官――天使であってもおそらくは――誰もいない。
――事実、貴殿が望むのであれば誰もが喜んでどんなものも差し出すだろう――
――コッパー様ほど偉大な方でありますれば、応じない者などございません――
慣れれば、当たり前のように思えるものだろうか?
彼は気が重い。
内心はどうあれ、当たり前のような態度で絨毯の上に腰を下ろし、
思案に耽るコッパーを、イメナータは窓際に立って静かに見ていた。
退屈そうに時々外と見比べながら、彼の気の済むのを待っている。
観察されているわけではないにしろ、
自分の一挙一動が彼女の意識に入っていることが、コッパーとしては居た堪れない。
自由にしてくれと言って寛ぐような性分でもなさそうだが、
会話をするのは避けたい。
そこで、コッパーは1つ思いついた。
「物語が聞きたい」
「……物語ですか?」
「歌でもいい。この国に伝わるものを何か話せ」
「何故……」
「答える必要が?」
イメナータはその一言を聞くと一瞬ぐっと顔をしかめて、
「失礼いたしました」と言い真っ直ぐに腰を下ろした。
裾を素早く捌く姿が様になっている。
結果として、思い出しながら話をしていることで、
イメナータの意識はコッパーの観察から逸れ、
程よくコッパーを解放してくれた。
コッパーの方も、静かであると深く考えすぎてかえって疲れる性分だったので
この提案は思った以上に丁度良い息抜きとなった。
コッパーは時に先を促しながら2篇の物語を聞き終えた。
歌はないのかと一度イメナータに尋ねたが、
「歌は下手だから正しく伝えることができない」と辞したので、
コッパーはそれ以上は求めなかった。
窓の端から日が覗く。
姿勢を変えたコッパーの顔に光が当たり、彼は外へ目線を向けた。
日暮は想定よりもずっと早いようだ。
「動かれますか」
コッパーは驚いた。
考えていることを読まれたのではないかと思ったのだ。
イメナータを見ると、彼女は不安そうに揺らいだ瞳で彼を窺っている。
……なんのことはない。
彼女はコッパーをずっと警戒し、細かな挙動も鋭敏に観察していた。
彼が時々その場に留まっては、日の高さを確認していたのに気付いてこう質問したに他ならない。
「そうだな…」
宮殿から降りた高さもまだまだ中間より手前といったところ。
これから緑の野まで行って調べる――この坂の最下まで降りて、反対側の斜面を登って、また帰る――には、いささか余裕が無いように思われた。
「イメナータ」
「なんでございましょう」
「市場や店はないだろうか」
まだまだ街の全貌が掴めているわけではないが、
見えている部分が全てだとすれば、
コッパーはこの街の奇妙な部分に気が付いていた。
この街は――実質的にはこの国というべきだが――そう広くはない。
だが強いて施設として見えたのは大きな家ばかりで、
商売の気配が一切伺えないことが気になっていたのだ。
「…恐れ入りますが、それはなんでしょうか」
「それ?」
「イチバヤミセでございます」
コッパーは面食らう。
彼女は思い出そうと思案しているように目元をしかめている。
とぼけているようには思えなかった。
「手に入れたものや作ったものを売買する場所だ」
「バイバイ……?」
その後もいくつか質問を重ねたが、
彼女は首を捻り、眉間の皺を濃くしていくだけだった。
コッパーにとって全く想定外なことに、
この国には通貨や売買という考え方そのものがないようだ。
本当にそうだろうか?
少なくとも……天使は知らないはずがない。
この国のすぐ外、「奇跡の山」の麓には小さいながらに行商の市があった。
何より、コッパーをここへ買い付けたのは天使なのだ。
取引は宝飾品で行われ、確かに通貨こそ見ていないが、
売買の勘定が天使にはあるということだ。
ずっとコッパーの言うことに不可解そうに首を傾げていたイメナータは、
ふと顔を上げ、奇妙なことを言い放った。
「奇跡をご覧になりたいのですか?」




