第六節「恩恵」
「奇跡……?」
「はい。この辺りで、作るものといえば、それのことかと」
「…もう少し具体的に教えてくれ」
「具体的というと」
「奇跡とは?」
イメナータの目は大きく開かれ、そこには驚愕と疑いが浮かんだ。
「ご冗談、でしょう?」
初めてイメナータの口角が上がっているのを見た。だがこれは決して微笑みではない。
コッパーは怯んだが、このようなことは何度もあった。
声を震わせることなく、彼は続けてみせた。
「知らないな」
だが、ゆったりと、含めるように。
訊いて見せるのはあくまでわざと――この国のことを"国民が"理解しているのかを確かめるため――だと思わせる。
「奇跡は……神の最大の恩恵ですよ」
「どういったものだ?」
「どう……」
「見た目などは」
イメナータはそこで、両の腕を胸の前へ出し口を動かしたが、すぐに言葉が出ないようだった。
「……煙水晶を丸めたような見た目をしているという話ですが……」
「話?」
「…私は…見たことはありません」
「……どういうことだ?」
「工房で作りますが、できたものはそのまま神に贈られるので、
多くの者は見たことはないのです」
彼女の身ごなしが、いつになく揺らいで見えた。
「工房という場所があるんだな」
「ええ……一度ひと所に集めますから」
「集める?」
「……材料を」
「何が材料だ」
「……もうご覧になっているでしょうが、
あれら農場で奇跡の材料の栽培を行っております」
そう言ったイメナータが窓の外へ顎を向けたので、コッパーもそれに倣う。
窓の外正面遠方に見えるは緑の野。
白っぽい服を着た集団が蠢いている。
コッパーは、今日のところは訪問を諦めようと考えていた「緑の野」について
――彼としては全く意図しないことに――
ここで知ることになったのだった。
「奇跡」とは、この国では固有名詞を指すようだ。
コッパーは「奇跡」という響きに、思い出せることがある気がした。
――ぼやけた光の朝の室内。主張する白。
――「これは、奇跡だ」
「奇跡、の、花……」
そう呟いて固まったコッパーを、イメナータは訝しげに振り返った。
彼の目には緑の野が写っているが、映ってはいない。
「……それの花は、白いか?」
「え?ええ、勿論」
うわごとのように繰り出された質問に彼女は追いつき、
コッパーはその答えを聞いて確信に至る。
思い出すのはこの国へ招かれてすぐ、
燻され醜態を晒した翌朝のこと。
コッパーに「この国を救える」と囁いた白き天使のその手元。
見せつけるように踊らされた花は、その手と同じに白く――。
あれが、「奇跡」の花だったのではないか?
「やはり、それが希望する物でしたか」
「希望?」
「……バイバイするもの、と……」
そうだった。不可解に思う点が急に繋がり、形をもったことについ浮き足立ってしまったが、当初の希望は商売の様子を見たいと言ったことにあった。
「この国ではその、奇跡が売買されているということか?」
「いえ、奇跡では、なく」
奇跡は神に贈られるのだった。
「……材料の方か」
「……はい。配給とは別に、国民みなそれぞれ必要な分を頼むことができます。
……それがバイバイということでしょうか?」
「近いが……そうではないな」
これは後に確かになったことだが、この国には"売買"がない。
生活のあらゆる物は全て配給で国民の元へ渡っている。
配給された分から他者に譲り合うことはあるが、
引き換えに同等の価値のものを得ようとする、
いわゆる物々交換の取引も、欲をかいた行為、
祈りに澱みを溜める行いとして忌避されている。
「まあ、売買のことはもう良い。奇跡を頼むというのは、工房へ?」
「……そう、ですね」
「直接行くのか」
「礼拝の日に、神徒様へ頼みます」
「うん……?順序を教えてくれ」
「え?……はい、……礼拝の日に、神徒様に申し出て、
……三日後、工房に行けば、神徒様が渡して、……下さいます」
「渡すと言うのは……」
ふとコッパーは、イメナータの眉間がこの上なく深まっていることに気付く。
そんなことも気付かぬほど己の視界が狭まっていたということだ。
問いの答えに浮かぶ想像に囚われて、どこも見ているようで見ていなかった。
浅黒い肌ではさほど目立たないだろうが、
自分でも己の顔が上気しているのがわかる。
この国に至って過ごしたことで初めて気付いたことだが、
身分による制限さえなければ自分には、
細かく問い詰めたくなる癖――研究欲や、好奇心が、あるらしい。
「工房はどこにある?間に合うならば見て行きたい」
兎に角、コッパーは「奇跡」を何をおいても確認したくなった。
イメナータは不思議そうにそれを了承すると、
東の端、灰棟を見上げる崖のそばに、工房はあるのだと彼に告げたのであった。




