神域最強のお仕事
※R15です
当作品比、イチャイチャ度が高いです。
四大華族の一つ、盾の一族の血筋で、神域最強と呼ばれる蘇芳の朝は早い。
日課の鍛練の為、朝の四時にきっかり目を覚ます。
目を覚ませばすぐに起き上がり、着替えをして準備ができる程、寝覚めが非常に良い。
間もなく準備を整え、いよいよ鍛練に出ようとしたその時だった。
「…………んぅ…………」
その声に蘇芳がくるりと振り向けば、蘇芳の部屋の寝台の上にまだ眠りについている女性の姿があった。
長い漆黒の髪を寝台の上に散らし、すやすやと寝息を立てている女性――蘇芳が愛してやまない婚約者の紅玉である。
ほぼ毎夜、互いの部屋を行き来している二人だが、昨夜はどうやら蘇芳の部屋で共寝をしたようだった。
すやすやと眠りにつく紅玉の顔を見て、蘇芳の頬が綻ぶ。
寝台の横に膝を着き、紅玉の寝顔を覗き込む。
手入れが行き届いた白い肌、ほんのりと赤い頬、艶やかな薄紅の唇、伏せられた長い睫毛――紅玉の全てが蘇芳を深く魅了する。
「……すぅ……すぅ……」
(今日も可愛いな)
心の中で呟きながら、紅玉を起こさないよう、蘇芳はそっと紅玉へ顔を近づけ、柔らかなその頬にそっと唇を寄せた。
(いってくる)
そうしてようやっと、蘇芳は鍛練へと出かけていった。
*****
鍛練で一時間程身体を動かした蘇芳が向かうのは、御社の勝手口だ。
「おはよう、水を貰えるだろうか?」
「おはよう、蘇芳くん。今日も鍛練お疲れ様」
台所にいたのは御社の生活管理部の紫だった。
台所は朝食の準備の為、絶賛稼働中で、あちこちから良い香りが漂ってくる。
思わず蘇芳の腹が「ぐぅ」と鳴ってしまうのも仕方がなかった。
「あらあら、可愛らしい音」
「べっ、紅……っ!」
同じく台所にいた紅玉に恥ずかしい音を聞かれ、蘇芳はたちまち赤くなる。
「もう少しで朝食が出来上がりますから、先にこちらをお飲みになってくださいな」
「あ、ありがとう」
いくら恥ずかしい事があったとしても身体は素直なもので、杯の水を一気に飲み干してしまう程、水分を欲していたようだ。
「ご馳走様」
「はい。さ、汗を流してきてくださいな。そうしたら、一緒に晶ちゃんを起こしに行きましょう」
「ああ……あ、紅」
「はい?」
蘇芳はそっと紅玉の腕を引き、その身体を両腕の中に閉じ込めた。
少し驚きに目を見開いた赤い宝石のような瞳を見つめて、蘇芳は蕩けるように微笑んだ。
「おはよう、紅」
「おはようございます、蘇芳様」
そして、惹かれ合うように口付ける。
唇を離せば、紅玉はたちまち頬を赤く染め、少し恥ずかしげに微笑んだ。
(ああ……今日も愛おしい……)
愛する人と愛し合える幸福を噛み締めながら、蘇芳はもう一度紅玉を抱き締めた。
*****
しかし、仕事が始まれば、きちんと気持ちは切り替える。
たとえ、愛おしい紅玉と同じ職場であったとしても、だ。
そこは真面目一辺倒な蘇芳らしいと言えよう。
「……結界、異常なし」
定期的に行なわれる結界の点検も見落としのないよう、しっかりと確認をしていく。
十の御社は平均より少し広い御社なので、その分点検も時間を要する。
(あとは、正門の点検を……)
一度、正門の結界を解除して表に出る。
(特に異常は…………ん?)
蘇芳が見つけたのは、正門の前にそっと置かれた手紙だった。
(手紙……?)
神域では鳥の神獣による神獣連絡網で音声通話も書類のやり取りも行なわれているので、それ以外での書類のやり取りは基本的に怪しいと睨んで正解だ。
実際、蘇芳も怪しい手紙のせいで痛い目に遭った事がある。
(とりあえず、まずは「透視」をして――)
異能で手紙をくまなく調べて、気付く。
(……妙な神術が仕掛けられているな……紋章の属性は「金」か……)
手紙は開封すれば間違いなく神術が発動する仕組みであろう。
一体どんな新術が仕掛けられているのか皆目見当がつかないが、祝詞を見る限り物騒な術であることは間違いなかった。
(……「切り裂け」とは、またなんと危険な……)
属性「金」で祝詞が「切り裂け」とは、神術使用規約違反の他でもない。
(最早「祝詞」ではなくて「呪言」だな。禁術ではないだけマシなくらいか)
ふむ、と蘇芳は考える。
明らかに危険な神術が仕込まれたこの手紙、開封するか、しないか……。
この十の御社にはあらゆる神術を無力化してしまう紅玉がいる。
開封してもらうなら、彼女が適任であろう。
(……いや、紅にさせるわけがない)
相変わらず、紅玉に対して過保護な蘇芳である。
しかし、犯人を見つけ出そうにも、差出人の手掛かりは中を読まねば分からない。
(……仕方ない。危険を承知で開けるか)
そうして、蘇芳が手紙の封を破った瞬間、神術が発動した。
ザッ!――と、指を切り裂かれる感覚に、蘇芳は一瞬顔を歪める。
見れば右の手の甲や指が切り裂かれ、出血していた。
(……紅に頼まないで良かった)
冷静に傷口を舐めて出血を止めながら、手紙を取り出す。血で汚れてしまったが、それよりも中身の方が気になった。
便箋を開いて見れば、そこにはまたもや物騒な文章が書かれていた。
『私達の愛の邪魔をしないで!! 紫様を解放して!!』
蘇芳は溜め息を吐きながら、紅玉に報告しなくて良かったと心から思った。
この件を紅玉に報告したら最後、絶対零度の微笑みを浮かべながら紫を追いかけ回す紅玉の姿しか思い浮かばないのだから。
しかし、それよりも、だ。
(紫殿、一体全体どこで女性を誑かしてきたんだ……ッ!?)
紫の襟首を掴んで揺さぶって聞き出したい気持ちを全力で堪えながら、蘇芳は次の段取りを考え始めた。
*****
「では、紫殿はその日は目を外さず大人しく飲んでいたという事か?」
「ええ、そうよ~。女の子に口説かれていたけれど、全く靡いていなかったわ~。紫くんも流石にこれ以上紅ちゃんに怒られるのが嫌なんでしょうね~」
「赤薔薇ノ華」の責任者の野薔薇からの説明に蘇芳は考え込んだ。
話を少し戻そう。
御社の業務を紅玉達に託し、蘇芳が向かった先は乾区にある遊戯街。
そこでまず右京と左京に会った蘇芳は、紫が休みの日に遊戯街の何処で飲んでいたかを確認した。
いくつかお店の名前が挙げられたものの、最近の休みで紫が行ったのは「赤薔薇ノ華」だった。
野薔薇に確認を取り、紫のその日の店の様子を聞いたところ、大人しく一人で酒を飲んでいた紫にある女性が話しかけていた事が判明した。
知っての通り、紫は見目が良く、女性を口説く悪癖もあり、挙句「魅了の瞳」なんていう厄介な異能も持っているせいで、かつて女性関係が派手であり、紫を巡って女性で同士争ったり、刃傷沙汰になったり、御社への不法侵入があったりなどなど、十の御社が被った迷惑は両手の指では最早足りなさ過ぎる。
遊戯管理部の職員もそれを知っているので、遊戯街に遊びに来る紫の行動を監視してくれており、今回のように事情もすぐに分かった。
さて、問題はここからである。
(紫殿は大人しく一人で酒を飲んでいたとなると、今回は女性側の一方的な暴走だろうな……)
何せ、見目は非常に良い紫である。
紫にその気は無くても、一方的に紫に恋してしまう女性は多いのだ。
(俺が注意して聞く耳を持ってくれれば良いが……)
相手は形振り構わず危険な神術を手紙に仕込んでくるような女性だ。
逆上されてしまう恐れの方が高いと蘇芳は思った。
と、その時――。
「お困りのようねんっ」
「世流殿」
蘇芳の前に現れたのは、この遊戯街を取り締まる遊戯管理部の主任である世流だ。
「ここは世流ちゃんに任せなさ~い!」
「こんな事だろうと思って、私がすでに呼んでおきました~」
野薔薇がニコニコ顔で報告した。
流石は遊戯管理部……と、根回しの早さに驚きつつも、感心する。
「そうして頂けるとありがたい。もうこれ以上十の御社に迷惑が被らないよう重々に注意して頂きたい」
「まっかせて! そもそもその女の行動は最近目に余るのよね~。遊戯管理部主任としてここはビシーッとおしおきしとくわ!」
なにはともあれ悩みの種が解消されて、蘇芳は安心する。
「うっちゃん、さっちゃん! あの女からガッポリ罰金せしめる為に罠を張るわよ!」
「「承知致しました」」
(……大丈夫、だよな……?)
何やら不穏な言葉に蘇芳は心配になってしまう。
「まあまあ~、ここは世流ちゃんに任せておきましょ~」
「は、はあ……」
「ああ、そうだわ~。蘇芳さん、これ、紅ちゃんに渡してほしいの~」
野薔薇が差し出したのは小さな瓶だった。
「……これは?」
「うちのお店で作ったオリジナルの薔薇シロップ~。今度お店に出そうかと思って、これは試飲用。お水かお湯か炭酸かお酒で割って飲んで、感想聞かせてね~」
「分かった。伝えておこう」
蘇芳は瓶を受け取ると、店を後にして、御社へと帰って行った。
*****
十の御社の正門が見えてきた頃、門の前に人影がいる事に蘇芳は気付く。
(あれは、紅……と、誰だ?)
まだ距離はあるものの、蘇芳は耳が良いので会話に耳を傾けた。
「紫様を解放しなさいよッ!!」
「ですから、わたくし達は紫様を閉じ込めている訳では――」
「退きなさいよブス! アンタが紫様を一人占めしているんでしょッ!」
「そもそも紫様は貴女とお会いする事を拒んで――」
「そんなわけないでしょうッ! 嘘吐き! ブス!」
それだけで蘇芳は察し、即座に駆け出す。
(しまった!!)
まさか直接御社に突撃してくるとは。
そして、よりにもよって紅玉が遭遇してしまうなど。
「アンタを殺して紫様を助け出す!!」
女が取り出したのは鋭利な刃物だった。
瞬間、蘇芳は目の前が真っ赤になるのを感じた。
「きゃあっ!?」
気付いた時には、女から刃物を取り上げ、地面へ突き飛ばしていた。
「貴様……ッ」
口から出たのは低い己の声。
身体から迸るのは、赤黒い殺気。
「紅に刃を向けるとは……余程八つ裂きにされたいようだな」
「ひっ、ひぃいいいいっ!?」
「すっ、蘇芳様っ!」
女は戦意喪失し、腰を抜かしてもう動けない。
しかし、怒りが収まらない。
(腕を引き千切って、二度と紅に危害を加えようだなんて考えないようにしなくては)
前へ進み出そうとした瞬間、腕を強く引っ張られた。
「すっ、蘇芳様! そんな女のことなんて見ないで、わたくしだけを見てくださいましっ!」
ピタリと動きを止めた。同時に、ギュンと顔の向きを変える。
そこにいたのは、蘇芳の腕に胸を押し付けて腕を絡ませ、紅い宝石のような瞳を上目遣いで潤ませて、若干頬を膨らませている婚約者だった。
そのあまりもの可愛さに、蘇芳は即座に陥落した。
「紅ぃっ!!」
ぎゅうっと抱き締めて、頬擦りをして、紅玉の無事を確かめる。
甘い花のような香りしかしない。怪我一つ無いようだ。
「すまんっ……真っ先に貴女の無事を確認すべきなのに……他に気を取られてすまん……!」
「いえ、ご心配をおかけしました……」
やわやわと、紅玉の手が蘇芳の背を撫でる度、蘇芳の心は凪いでいった。
抱き締めていた腕から紅玉を解放し、蘇芳は改めて紅玉の顔を見た。
(頬はもう膨らんでいないな。機嫌が直って良かった。ああでも、頬が膨らむ姿も可愛かった)
「蘇芳様?」
(相変わらず肌がすべすべだな。ずっと触っていたい、柔らかい、可愛い)
「す、蘇芳様っ……ふふっ、くすぐったいです、うふふっ」
(紅玉のような瞳も美しいな。いつまでも見ていたい。笑った顔はやはり可愛い)
「あの? 蘇芳様?」
(唇が動いているのも可愛い。柔らかそうで、甘そうで……喰いたい)
「んぅっ!?」
気付けば蘇芳は紅玉の唇をぱくりと食んでいた。
舌で唇をなぞれば、僅かに唇が開かれ、すかさず舌を入れれば、柔くて温かい紅玉の舌が絡み合う。
「ふぁっ……んんっ……んんぅっ……!」
紅玉の宝石のような瞳がとろんと潤み、息遣いには甘さが増していく様に、蘇芳の背筋にゾクゾクとしたものが駆け抜けた。
最早、蘇芳は己を止められなかった。
「紅っ」
「はっ、すお――んぅっ」
「可愛い」
「はっ、ふぅ、まって――んぅっ」
「紅、紅、紅」
「ちょっ、んぅっ――すおっ、んむぅっ――はなしを、んんぅっ!」
紅玉を掻き抱きながら何度もちゅっちゅっと口付ける蘇芳に、必死に抵抗しようとしている紅玉――そして、それを目撃している紫。
「……えーっと……盛り上がっているところ大変申し訳ないんだけど、とりあえず一旦その女は神域警備部に突き出そうね、ねっ?」
(見ていないで止めてくださいましっ!!)
そもそもの事の原因が貴方だと叫びたいが、そんな余裕などない。
結局、紫が介入しても蘇芳を止める事ができず、水晶の渾身の神術一発をお見舞いされるまで、蘇芳の暴走は止まらなかった。
*****
あの後、蘇芳は自身の暴走を呪うしかなかった。
御社に乗り込んできて刃傷沙汰を起こした女は神域警備部に連行される事になった。
その際、神域警備部に事のあらましの説明の為に手紙の件も報告した結果、結局紅玉に一人で勝手に行なった事が全て知られてしまった。
加えて、自身の暴走の件もあり、蘇芳は紅玉から絶対零度の微笑みを浴びせかけられた。
それから蘇芳は紅玉に口を聞いてもらえなくなってしまった。
(紅……怒っていた……物凄く、怒っていた……)
あからさまに紅玉は蘇芳を無視し続けた。
午後の業務も、夕食の時も華麗に無視。
今宵の共寝も拒否されてしまった。
(はあ……己の堪え症の無さが不甲斐無い……忍耐不足……鍛錬不足……)
業務終了後の夜、御社の庭園でひたすら己を戒める為に鍛え続けていたが、仕出かした事の大きさを改めて痛感する事になり、蘇芳はズドーンと落ち込む羽目になってしまった。
まるで人生のどん底にいるかのような蘇芳の姿に男神達は憐れんだ目で見る事しかできない。
何せ当の紅玉は赦していないのだから。
自室に戻っても、蘇芳は落ち込んだままだ。
むしろ一人だからこそ余計に落ち込むしかない。
ここ最近の夜はずっと紅玉と一緒だったのだから。
髪の毛を透かし合って、眠くなるまで寄り添って他愛のない話をして、眠くなればともに寝台へ向かい、眠る前には必ず口付けし合ってから一緒に眠る。
もう婚約した身で、成人もとっくに迎えている二人なので、休みなどが合えば、身体だって重ねた。まだ数えるほどしかしていないが。
だからこそ、一人で眠るという事が余計に寂しさを募らせてしまう。
おかげで、あんなに身体を酷使したというのに、蘇芳は眠れずにいた。
(はあ……紅が恋しい……)
普段もあまり飲まない酒を飲んで眠気を起こそうとするも、余計に虚しさが増すだけでちっとも眠くならない。
(はあ……情けない……全ては己の失態が原因だというのに……)
酒を注ぎ足そうと瓶に手を伸ばした瞬間、ふとそれが目に付いた。野薔薇から託された薔薇の模様が描かれた小さな瓶に。
(……酒で割ってもいいと言っていたな……)
元は紅玉への贈り物だが、傷心で酔っ払っていた蘇芳にその考えはすっぽりと抜けており、気付けば瓶の封を開けていた。
ふわりと薔薇の香りが漂った……。
*****
ふらふらと覚束無い足取りで辿り着いたのは真向かいの部屋だ。
その扉を控えめに叩く。
(……でてきてくれないかもしれない……)
もう一度叩いてみる。
(……もう、ゆるしてもらえないかもしれない……)
湧き上がる負の感情に、目の前が歪む。
その次の瞬間、扉がゆっくりと開かれ、蘇芳はハッと顔を上げた。
「……はい?」
「べ、に……」
「蘇芳様……!」
現れたのは部屋の主である紅玉。もうすでに寝間着姿の。
(ああ……ねむっていたんだろうか。おこしてわるかったな……でも、こうやってはなせることがうれしい……かみのけをおろしているすがたもかわいいな……かみのけ、すきたかった……ああそもそも、こんなよふけにたずねてきておこっていないだろうか……それにきっと、まだゆるしてくれていないだろうな……)
いろんな感情がごちゃ混ぜになり、いつの間にか瞳から大粒の涙を零している蘇芳に、紅玉はギョッとしてしまう。
何せ紅玉だって、蘇芳が泣いた姿は一度しか見た事が無い。これは異常事態である。
「と、とりあえずお入りになって」
「べに、ごめっ……べには、やさしいな……いとおしくてたまらない」
紅玉に手を引かれながら、部屋に入る。
足元は相変わらず覚束無いが、言葉はハッキリと出てくる。
いとおしい。
かわいい。
ごめん。
すきだ。
やさしいな。
すまん。
きれいだ。
わるかった。
あいしている。
支離滅裂な言葉を次々と並べる蘇芳の様子とほんのり漂う薔薇の香りに紅玉はハッとした。
「……蘇芳様、お酒と一緒に何か飲まれました?」
「……のばらどのからあずかったばらのしろっぷ……さけでわってのんだ……」
あれはほんのり甘くて美味しくて、紅玉にも飲ませてやりたいと思っていたら、身体が勝手に紅玉の部屋へと向かっていた。
「ばらのしろっぷ、もってきた……べににのませたくて」
「えっと……わざわざありがとうございます。でも、先にお水を飲みましょう。ねっ? ほら、涙も拭いて」
「べには、やさしいな……ほんとうにすてきなひとだ……それなのに、おれは……こらえしょうがなくて……ごめんっ……いいわけにしかきこえないが、べにがすきですきでたまらなくて」
言葉は不思議とするすると出てくる。
それと同時に紅玉の顔が赤く染まった。
「……あかくなった……かわいい……」
「とっ! とりあえずお水を飲みましょう、そうしましょう!」
「べには、やさしいな……かわいいな……ぎゅうってだきしめたい、ほおずりしたい、くちづけたい……ああ、だめだな……べにをまえにするとぜんぜんがまんができない」
その間も紅玉の頬は赤く染まる。
「やわらかそうだ……かわいい……くちづけたい、たべたい……」
「すっ、蘇芳様!!」
紅玉の声に蘇芳はハッとし――ぶわりと涙を溢れさせた。
「す、蘇芳さ――」
「ごめんっ……いっているそばから、がまんが……できなくてっ……あいしているんだ、べに……っ……ずっと、そばに……うしないたくない……っ!」
思い出すのは、ほんの数か月前――紅玉が戦いで倒れて三ヶ月ものの間、眠りにつき、目を覚まさなかった時の事――。
「うしなうとおもった……こわかった……あなたが、いなくなるって……っ……こわくてこわくて、たまらなかった……っ!」
紅玉に腕を伸ばす――が、赦されていない身で抱き締めるなんて事は出来ない。
「だきしめたいっ……ああでも、だめだ……がまん、がまん……っ……でも、いきてるって、ぬくもりをかんじたくて……!」
紅玉の温もりを感じる事が幸福で、安心できて……。
「……だから、つい、ふれたくなる……すまん、ゆるしてくれ……」
「……蘇芳様……」
ほろほろと零れ落ちる涙を紅玉が拭ってくれる。
「ああ、ゆびもかわいい……てもかわいい……べには、ほんとうにかわいくてたまらない」
「蘇芳様、少しお黙りになって」
「うん、だまる」
その間もじっと紅玉を見つめた。
(ほおがあかくなっていてかわいい……めもほうせきみたいできれいだ……むぅっとなったくちびるもかわいくてたまらない)
「……貴方は、本当にずるい御方ですわ」
「……ずるい?」
「ええっ! ずるいですっ!」
そのまま紅玉は蘇芳に抱き付いた。
久方ぶりに感じる紅玉の温もりと柔らかさに蘇芳は目を剥く。
「今日は、今日が終わるまでは十二分に反省して頂く為、絶対絶対赦しませんって思っていたのに……」
「べ、べに、ふれていいか? さわっていいか? あたまをなでたい」
「まだ話は途中ですのに……ふふっ、いいですよ」
蘇芳は恐る恐る紅玉の身体を抱き締め、ふわふわと漆黒の艶やかな髪を撫でた。
「べにだ……べにだぁ……」
「ふふふっ、はい、わたくしです……本当にずるい御方……こんなに可愛らしい姿を見せられてしまったら、意地を張っていた自分が馬鹿らしくなってしまいましたわ」
「……いじをはっていた?」
抱き締めていた腕を解放し、紅玉の目が見えるように額を合わせる。
すると、紅玉は困ったように笑いながら、蘇芳の右手を撫でた。
「ええ。蘇芳様ったら、わたくしには無茶をするなって怒るくせに、ご自身の怪我には本当に無頓着なんですもの。挙句、わたくしに黙って勝手に行動してしまいますし」
「それは…………」
紅玉に怪我をさせたくなかったのは勿論、紅玉を面倒な事に巻き込みたくなかったのも本当だ。だから、黙っていた。
でも、一番の理由は――。
「……ゆかりどののことであなたをとられたくなかった……」
「えっ」
「ずっとおれだけをみていてほしい。あなたはおれのもので、あなたはおれのものだ。ほかのおとこのことでわずらってほしくない。ただの……わがままなどくせんよくだ……」
隠しておきたかったのに……何故かさっきから本音の言葉がするすると口から零れ落ちていく。
「……はずかしい……」
「……わ、わたくしもです……」
しばらく唸り声を上げていた紅玉だったが、ふとふわりと笑う。
「もう、本当に可愛い人……もう赦すとしか言うしかありませんわ」
「ゆ、ゆるしてくれるのか!?」
「ええ」
「だきしめても?」
「はい」
「いっしょにねても?」
「はい」
「くちづけても?」
「はい」
「したをからめて、からだじゅうくちづけて、からだをかさねてひとつに――」
「口を慎みなさい!!」
「す、すまん……なぜかさっきから、かんじょうそのままにことばになってでてきてしまって……」
これには流石の蘇芳も戸惑う。
これ以上、紅玉に恥ずかしいところなど見せたくないというのに。
「……もう……お酒には強いのに、薔薇には弱いなんて……」
「……ばら?」
そういえば、もうさっきからずっと薔薇の香りが消えない。
(なんなんだろう……このかおり……)
「さあ、とりあえず寝ましょう。明日になれば、薔薇も抜けるでしょう」
「……うん」
紅玉に手を引かれるまま、寝台に誘われる。
寝台に潜り込むと、紅玉もその隣に横たわった。
手を伸ばせばすぐそこに紅玉がいる……もう薔薇の香りなんて感じたくなかった。
「おやすみなさい、蘇芳さ――」
「べに、だきたい」
「ふえっ!?」
「だきたい。あなたとひとつになりたいんだ。ばらのかおりにしはいされて、あなたのかおりがぜんぜんかんじられない。だから……だめ、か?」
「……っ、もうっ! 本当にずるい人!」
気付けば蘇芳は紅玉の胸に抱かれていた。
柔らかい感触と花のような香りに心が満たされていく。
「……明日、わたくしお休みですの……」
その上、甘美な誘惑が聞こえた。
「だから……蘇芳様……」
かすかに聞こえてくる紅玉の鼓動がとても速い。
自身の息も期待で荒くなっていく。
「いい、ですよ」
その声が聞こえた瞬間、蘇芳は紅玉の唇に噛み付くようにして口付けをして、上へ覆い被さっていた。
その夜、蘇芳は箍が外れたように紅玉を激しく愛した。
身体中に痕が残る程、愛撫を繰り返し、何度も何度も紅玉を求めてしまった。
薔薇の香りが一向に消えてくれないから……そう言い訳がましく理由を述べて、蘇芳は紅玉を明け方まで抱き潰した。
*****
翌朝きっかり四時に目覚めた蘇芳はすっかり我を取り戻していた。
以前、似たような事があった時は夜にあった事を忘れてしまったが、今回は全部覚えている。一から十まで全て。
おかげで目を覚ました瞬間、目の前に一糸纏わぬ姿の紅玉を見て、青褪めた。もうそれは驚く程真っ青になった。
慌てて紅玉を部屋の浴室へ連れて行き、全身くまなく綺麗にして、寝台に敷布も清潔なものへ交換し、寝間着を着せて、紅玉を寝台へ横たわらせると、物凄い速さで紅玉の朝食を取りに行った。
すれ違った夜番の神が目を点にする程、物凄い速さだったという。
そして、紅玉が目覚めると同時に蘇芳は床に額を擦り付けて土下座をした。
「すまんっ!! 紅、本当に申し訳ないっ!! 貴女にとんでもない無体をっ!!」
「……あ……おぼえていらっしゃ……けほっ、けほっ……」
「ああああ先に何か飲まねば! 喉が渇いているだろう? お、起きられるか? ああ、ふ、触れてもいいか?」
まるで壊れ物を扱うが如く、おっかなびっくり、ゆっくりそっと、紅玉を抱き起こす。
差し出した飲み物をこくこくとゆっくり嚥下する紅玉の姿を見て、蘇芳はまた罪悪感が沸いてきてしまう。
「すまん……っ! 本当にすまない、紅……本当に己の堪え症の無さが不甲斐無い……昨日、あれだけ貴女を怒らせたというのに……反省も何もできない男で……」
「あれは蘇芳様のせいではありませんわ」
「だ、だが……」
優しくふわりと微笑む紅玉に、蘇芳は余計に胸が痛くなるばかりだ。
「あれは野薔薇ちゃんの薔薇のせいです。あまり自分を追い詰めないでくださいまし」
「……野薔薇殿の、薔薇?」
「……もしかして、野薔薇ちゃんの異能をご存知ではない?」
「……ああ」
「野薔薇ちゃんの異能は『解錠の薔薇』と言いまして、人の感情を少々開放的にする薔薇を生み出すものなのです。昨夜、蘇芳様がお酒で割って飲んだ薔薇のシロップは、野薔薇ちゃんの異能の薔薇が使用されています」
「異能の、薔薇!?」
言われて蘇芳はハッとする。
昨夜、思った事が全て言葉にして出てきていた事を。
ひたすら薔薇の香りに支配されていた事を。
それが、異能のせいだというのなら……。
「なんて危険な代物……ッ!」
「……後日、野薔薇ちゃんには厳重に注意しておきますわ」
「是非ともそうしてくれ」
しかし、異能の効果とは言え、結局昨夜の行動は蘇芳の欲望そのものという事だ。
紅玉に無体を働いた事は無くなった事にならないし、紅玉の身体中に浮かぶ鬱血痕が何よりも物語っている。
蘇芳は紅玉をぎゅうっと抱き締め、その背を優しく撫でた。
「紅……本当にすまなかった。昨日から貴女にずっと迷惑をかけてばかりで……婚約者として情けない……」
「蘇芳様……」
するりと頬を撫でられ、蘇芳はハッとする。
見れば、紅玉が蘇芳の頬を撫で、ふわりと微笑んでいた。
「蘇芳様のおねだりに『いいですよ』と言ったのは、わたくしです。それに、わたくしは蘇芳様の婚約者です。蘇芳様からの愛情は全て受け止めたいのです。ですから、これくらいの疲労なんて問題ありませんわ」
「紅……っ……」
「愛していますわ、蘇芳様。それでも気に病むのでしたら、今日のわたくしの御世話をお願い致しますわ」
「するっ! 責任以って、貴女の世話を焼く! 食事も移動も風呂も、全部面倒を見るから……俺の事、見捨てないでくれ」
「ふふふっ、しませんわ、そんな事。わたくしの、わたくしだけの可愛い蘇芳様」
蘇芳の頬に柔らかな紅玉の唇が触れる。
それが嬉しくて嬉しくて、蘇芳もお返しとばかりに紅玉の額に口付けた。
「愛している、俺の紅」
「ふふふっ、蘇芳様」
「紅……」
また紅玉が頬に口付ければ、今度は蘇芳が頬に口付け、その次は瞼に口付ければ、お返しは鼻先に口付ける。
いつしか抱き合ったまま寝台にころんと転がって、唇同士を触れ合うだけの口付けを繰り返し、やがて互いに我慢ならなくなって、舌を絡ませ合う程の深い口付けを繰り返す。
絡み合うように抱き合って、首筋にも口付けし合って、互いに互いの痕を残し合う。
そうしてじゃれあっている内に、互いの中で燻る熱が抑えきれなくなり、せっかく身を綺麗にしたばかりだったというのに、いつしか服を脱ぎ捨てて、互いに溺れ合うようにして愛を確かめ合う事に夢中になってしまったのだった。
<いろいろ察する十の御社の住人達>
紫「えっ、蘇芳くんが紅ちゃんの部屋から慌てて出てきて、朝食持って慌てて戻って行った?」
槐「そうじゃ。儂らが夜番だったんじゃがのぅ、栗丸がしっかり目撃しておるぞい。おかげで女神は朝から狂喜乱舞じゃ」
紫「あーー……紅ちゃんは今日お休みだったよね? 蘇芳くんは?」
空「今日は勤務日っすよ」
紫「あーー……うん、今日は蘇芳くんもお休みってことにしてあげよう。どうせ有休全然使っていないんだしさ~」
空「分かったっす! 蘇芳さんの分までしっかり働くっす!」
紫「あと、二人が出てくるまで紅ちゃんの部屋に誰も近付かないでね~。神子ちゃん達にも申し送っておいて~」
空「おっす! 早速伝えて来るっす!」
鞠「ユカリさん、ユカリさん」
紫「ん? なあに、鞠ちゃん?」
鞠「Yesterdayのコト、キにしてマースカ?」
紫「あはは、まあね。僕のトラブルのせいで二人が喧嘩するとは思ってもみなかったからね。せめてもの罪滅ぼしってね」
鞠「ユカリさん、イイヤツデース!」
紫(……それにしても仲直り驚く程早かったけど。ま、存分にイチャイチャしてろ)




