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えるとれ 20

 その汚れた靴底は、初めにベルエルを、次にジェニの順でそれぞれの顔に押し当てられた。

 都度「おい」と言う声は、呼んでいるというよりも警告するかのようでそれもおかしかったが。

 なにより。


「いつまで寝てやがる……っ」


 声が男のものだった。

 よく知らない男、だが。


「おまえら、ただで済むと思うなよ! コラ!」

 

 何もというわけでないことは男の凄む様子でわかる。

 それに、なぜ男が凄むのかだってベルエルとジェニの二人にはわかっていた。


「やれやれ……」


 眠気眼を擦るよりも先にため息をついたジェニは、目覚めに背伸びをしようとして、そこで腕が動かないことにようやく気づく。


「……随分早かったじゃないか。意外だよ」


 そう言ったジェニの視線に、大型のウマが六頭と今目の前にいる男と同じく鎧を身に着けた人が二人だけ立っている。

 それもまた、ジェニにとっては意外な光景で。


「ウマに乗って来たのかい? ここを?」


 驚いたように言うが、男はそれを鼻で笑った。


「当たり前だろ。俺たちは、素人じゃねえ。"ミツアタマ"の類がいる領域までの経験があるんだよ。ここらの野獣なんざ、俺たちの匂いだけで近付かねえ」

「ほう、それはなかなか……。でもまさか、道を間違えずにここまで辿り着けるとは思わなかったな」


 ボクの見立てが間違っていたようだ。

 ふん、と嘆息するジェニを、男がまた笑う。


「今時ここまで来るのに、"縄張り繋ぎ"なんか必要ねえよ。ばーか」


 男の発言に、ジェニが「なに?」と眉をひそめる。


「常識だって言ってんだよ、ジョーシキ。ここに"ゴーレムの足跡"が出来てから、どれだけ時間経ったと思ってんだ? おまえ」


 片眉を釣り上げ、おどけたような表情でジェニの顔を覗き込む男。

 するとジェニはそっと目を閉じ、静かに頭を振って、「つまり、新しい常識……か……」。

 

「なにが、『新しい常識か』だ。新しいも何もねえよ。俺がガキの頃からずっとここはこうだ。しかしまあ、人のもんを盗んでいくことといい、プライアの育ちの悪さは昔から変わらねえみてえだし。常識ってもんがわかってねえ。だったら……」


 と、不意に男はジェニの髪を掴み、軽々とその小さな体を持ち上げた。

 ぶら下げられて、しかしジェニは眉ひとつ動かさない。それどころか、挑発的な笑みを浮かべてすらいた。


「立派な指導をよろしくお願いするよ。先生」

「ちっ……口の減らねえ」


 憎々しげに呟き、男がジェニの足をへし折ろうと逆さに持ち直し、後方で待つ二人に「そこのドールも積んでいくぞ」と口だけで指示を出す。


「そいつは他とは違うもんだからな。一応丁寧に扱えよ。近場の学会に運んでひと稼ぎだ」


 得意気に言った男に、ジェニが逆さのまま「ふふん」と嘲笑を。


「残念だが、今の【コルト】にそんな余裕はないよ」


 不意の発言に、男の表情が曇る。


「なんだと?」

「聞こえなかったかい? 今【コルト】はオマエが思っているような状態じゃない。それに、オマエたちが彼を街へ連れて行ったとしても、また彼はここに戻ってくることになるだけさ」

「何をわけのわからんことを……」


 曇った顔に深くなる眉間のシワは、プライアが語る与太話に男が耳を傾けた結果だ。

 それを見てジェニがニヤリと顔を歪ませた、その時。 

 

――ジ、ジ、ジ……


 どこからか急に奇妙な音が鳴り始めた。

 その奇っ怪な音に男が手を止め、「何だ?」と辺りを見回す。

 そして。


「ジュイ? どうした」


 寝転んだままの変わった喋るドールの陰から姿を現したものに、近くにいた一人の口からは「げっ」と声がもれる。

 つられてジェニを持つ男の視線もそこへ向くと、眉間のシワはさらに深くなった。


「な、なんだその気持ち悪いのは……」 

  

 男が嫌悪感たっぷりの目で見るそれは、短い灰色の嘴に全身が青みがかったそれも灰色の体毛に覆われた四本足の、言わずもがなパイカーの「ジュイだ」。

 ドールが言うと、男は顔を背けて「引っ込めろ」と片手を払うが、そう言われても連れの一人はジュイに触れることができない。


 情けない仲間の姿に「しょうがねえな」。

 すると男は、


「おい、ドール。お前がなんとかしろ」


 そう言ってベルエルに向かって顎の動きで、早くやれ、と促す。


「お前が縛ったから動けないんだろ。どかしてやるから、解けよ」

「おっと、そうだったな。木偶人形」


 小馬鹿にするように言って、改めて別の一人を「おい」と急かす男。

 そうして彼がジュイをつまみ上げようと恐る恐る手を伸ばしたのを、


――逃げろおおおおお!


 今度は、遠くから走ってくる三色の叫び声が止めた。

 そんな彼らの必死さから、この場にあるだけの視線がそこへ向けられて間もなく。大地が何かの気配を連れてくるのを全員が感じた。


 一秒、二秒と僅かにでも時間が進むだけでその存在感を増していく音。

 誰となく、何が来るのか、と気にし始めた時には、空気のみならず足下に微細な振動が伝わってきているのを、ジェニを除く皆が感じていた。


 時点で走ってくる三人の姿は五人がいる場所から三十メートルほどの位置に。

 ついに男が「なんだ!」と叫び伝えると。


「やりやがった! あのプライア!」


 先頭を走る一人が怒鳴り返した。


「やりやがった……?」


 それだけで全て理解した男からふと手の力が抜け、ジェニは地面に落とされた。

 そしてすぐさま振り返り、そばにいる二人に神妙な顔で男は告げる。


「逃げるぞっ」 


 男の気迫だけで何もかも伝わるところ、彼らはやはり訓練されていると感じられる。

 黙ってひとつ頷いただけで早速ウマに跨がり、追いついた三人が同じくウマの背に飛び乗った。


 と同時、ジェニが声を上げる。


「おーい、この縄を解いてくれよーっ」


 ウマの嘶きに紛れていても彼女の訴えは届いたはずだ。

 だから男は最後に一度だけ振り返り、薄ら笑みを残して去って行った。

 

 するとその去りゆく男の背中を見つめ、見直したとばかりにジェニが呟く。

 

「ほぅ……なかなか絵になる男じゃないか……」


 いや、それはただ見直したというばかりではなく、どこか恍惚としていて。

 それを知ってか知らずか、空を見上げたままベルエルが言う。


「いや、そういう場合でもないだろ。何が来てる?」


 そんな質問に、ジェニは体を捩りながら「ゴーレムに決まってるさ」と。


「それってマズいんじゃないか? 暴れると手がつけられないんだろ?」

「まあね。ただ、大人しくさせられないわけじゃないさ」

「それはそうだろうけど。どうする?」

「まずは、この縄を解くことだねっ……」


 そう言ってなおも体を捩りながら、やっとジェニは「スズ!」を呼んだ。


「いるんだろ? さっさとこれを解いてくれよっ」


 仰向けに声を上げたジェニ。

 すると突如振ってきた湿った布が油断していたその顔を覆う。

 それは、「う、く、臭っ……!」。


「ったく、いつまでも寝てるから悪いんだよ」


 ぼやくなり、いつの間にかそこに立っていたスズがベルエルにも同じく臭い布を被せた。

 

「脂の香り……。野獣のか?」


 ベルエルが布越しに訊くと、「何のかはわからないけどね」と肩をすくめる。

 

「なにも顔に掛けることはないだろうっ」


 憤慨してジェニが言うのを、瞬間、「しっ」とスズが制した。


「少し静かにしてて」


 忠告しつつ口元に指を立て、それから自らも姿勢を低くして少し経つと。

 背景で確実に重い何かだとわかるほど強く鳴っていた振動の正体が、ついに姿を現した。


 見てすぐにわかる岩石の質感。

 それを見てベルエルは、グリム・ゴーレムが美しかったのだと知る。

 

 だから、予想外だったのだ。


 グリム・ゴーレムがずんぐりむっくりでも人型だったのに対し、いわゆる本家ゴーレムには何といえる形が無い。

 言うなればただの岩石であり、その塊。つまりは動く小山だ。

 しかし、それにはそこらの石に有るような表面の平らな部分がほぼ見当たらず、ただの岩石とも違って見える。


 ほとんどが黒一色で統一されていて、ぼこぼこで歪というよりも刺々しさで満ち、触らずともその感触が手の平に傷みすら感じるほどのものだとわかる。

 だが、それは脆く。見た目よりも素早く進む身動ぎに合わせて、関節部と思しき部分からは体表面が細かな粒となってこぼれ落ちていた。


 そこに辛うじて見受けられる四本の足らしき地面に接する部分は、巨体を支えるためにあるとは思えないほど細い。

 

 大きさはベルエルよりも大きく、五、六メートルだろうか。腕を伸ばして一番高いところに指先が届くかどうかというくらいで。

 進んでいる方向から、もし頭があるならばそこだろうと察せるものの、やはりどこがどうとは言い難い。


 動いていなければ生き物とはまず思えない"これ"がすぐそばまで来て、ベルエルはふと思う。


(こんなのを使おうなんて……。考えた奴はどうかしてるな)


 するとゴーレムは、突如動きを止めた。

 

 まさか聞こえたのだろうか。

 そんな思いから頭の中の声すら鎮めたベルエルだが、我関せずというフリをも見抜いたかのように、ゴーレムが寝転んだ白い人型へと僅かに体を向けた。


 スズとジェニ、二人の生唾を呑む音が、コクッ、と鳴る。

 

 その緊張感の生み出した静寂が伝える息遣い。

 長い洞窟の奥で行き場を失くした風がいうように、オォォ、と鳴って聞こえる。

 それが人の呻きに聞こえるというのはきっと珍しいことではないだろう。


 微かでも恐怖を覚えたベルエルにとって、そんな息遣いは悲しげに聞こえていた。


 乗じて自然と落ち着いていく気配がそうしたのか、ゴーレムはほんのニ、三分ばかりそこに佇み、六人が逃げていった方へと歩いて行った。


「でも、あれって……」


 ゴーレムの姿が岩の柱に隠れて見えなくなり、大地の振動がまた些細なものに変わった頃、思い出したようにベルエルが呟く。


「あっちは中継地点の方角じゃないか?」


 疲れたような長い息の後「そうだね」と言ったジェニは、スズに解かれてようやく開放された体を、うん、と伸ばした。


「問題あると思う?」


 ジェニに続いてベルエルの縄を解きに来たスズが言う。


「あるんじゃないのか? っていうかなんでゴーレムはあいつらを?」


 変わる質問に、「だよねえ」の後、「香りを付けたから」とスズは淡々と答えた。


「香り……」


 言ってベルエルがスズに目をやると、彼女の腕には自分の顔に掛けられたものと同様の布切れが巻かれている。

 茶色みがかった布切れに滲む染みを見て、それを「血の?」だと察する。


 スズは頷いた。


「ゴーレムってさ、目も鼻も口もないけど、自分を傷つけた相手に関してだけ執着する性質があるんだって。で、その執着の的になるのが本人の血じゃないかっていわれてるわけ」

「それでその傷か……」


 ベルバルが言うと、「まあね」とスズは自分の腕を見る。


「自分丸ごと囮になるよりはずっといいよ。ってもまあ、今回はあいつらがバカだったからこれで済んだけど。また同じようなことになったら、こんなに上手くはいかない」

「どうしてだ?」

「向こうが逃げてくれるとは限らないから」

「……なるほど」 


 納得してベルエルが立ち上がると、「荷物も取られなかったし、結果は上々。案外やるじゃないか、スズ」、とジェニが位置をずらされただけで置き去りにされた荷物を背負う。


「それと。中継地点のことは放っておいていいと思うよ」

「ほんとうに?」

「ああ。だって彼らが言ってたじゃないか、『ここにゴーレムの足跡が出来てから、どれだけ時間が経ったと思ってんだ』って。だからあそこの主になってる戦士でなんとかなるさ」


 ジェニが言うと、「んん?」と唸ってスズが首を傾げる。


「ちょっと、君今なんて言った? ゴーレムの足跡が出来てから……」

「どれだけ時間が経ったと思ってんだ、ってとこ?」


 何がおかしいのか、といった様子でジェニも首を傾げる。


「君さ、それ知らなかったってことだよね。あんだけ玄人ぶっといて、ここにこんなおっきい変化があったのを知らなかったの?」


 呆れたようでもあり、むしろ責めるような語気でスズが言った。


「それは、まあそうだね」


 怠けた返事に責める気が失せ、次にスズの口からもれたのは嘆息だ。


「で、どれくらい時間経ってるわけ? 君の知ってる輪の内側と今と……」


 訊かれてジェニが考えること数秒。

「彼の話から察するに、少なくとも三、四十年前かそれ以上だろうね」と導き出された"誤差"に、スズが恐る恐る訊く。 


「き、君さ……現役だったのって……」

「三、四十年より前だね。だから五十年くらいかな」


 聞いてスズから「げっ」と声が漏れる。


「ちょっとそれ、君の情報当てになるの? っていうかさ、君いくつだよ。俺と同じくらい?」


 何気ない質問に、ジェニは一旦何か考えるような仕草をした後、


「覚えている限り百は越えているはず……またはその倍か、三倍か……」


 言ってさらに、「二百までは数えていた気がするけど、年齢なんてだんだん意味を感じなくなって思い出せなくなるものさ」と続けた。


「いっ……」


 そう喉を鳴らしてスズは、「か」とか「く」とか意味のない文字を口の中で鳴らしただけで、それが終わると短い嘆息の後にがっくりと肩を落とした。


「俺よりババアかよ……」


 その発言を、「心外だね」とジェニ。


「不老のプライア同士じゃないか。オマエだって世間的には年寄りだろうに」

「まあ否定はしないけど……」


 と、スズは自分の手の平を目の前にかざして手袋越しに表と裏を確認する。


「それに、だ。プライアなんて皆そうさ、皆何百年も生きている人ならざる者だよ。多少姿は変わっているかもしれないけどさ」

「……え?」 

「皆、思い出せないだけさ」

「どういうこと……?」


 慎重に呟くように言って、スズの顔に驚愕と困惑が入り交じった複雑さが浮かぶ。

 その複雑さに対し、「まあ、懐かしい反応だ」とジェニは笑った。


「プライアは、不老。不老と不死とは繋がらないけど、プライアはいわゆる不死の部類だ。正確な死を持たない、つまり生きていれば死なないってことさ。どうしてかわかるかい?」


 わかるわけがない。

 スズが力なく首を横に振る。


「答えは、本来なら繋がらないものが繋がっているからだ。それが、"記憶"。アリアスが両親、代々継承するそれを、ボクたちプライアは個人的に生じさせる」


「それはどういうこと? 自分が親、ってこと?」


「まあ、そう考えても間違いじゃないかもね。

 仕組みは似ているけど、プライアとアリアスが決定的に違うのは、"両親、先人という複数の人生を混合し一気に継承する"か、"自分一人で時間を掛けて濃密なひとつの人生を保有する"か、というところだ」


 だから、プライアは正確な死を持たない。寿命で死ぬことがない。


「でもそうやって精一杯生きた人生は、一回の死によって失われる。残酷なことにね。

 もしもアリアスなら、それは新たな生命という形で活かされるけど、プライアは彼らのように"繁殖しない"。だから一回死ぬと無駄になってしまうわけだよ」


「ちょっと待って。今君は、プライアは死なないって言ったばっかだよ」


 矛盾している、言いつつもスズの目には何かしら期待が混じっている。

 その期待に応えるようにジェニは「一回なら、ね」と頷いた。


「その矛盾をも繋ぐ不思議なものがあるんだ。この身体のどこかにさ」


 そう言ってジェニは指先で自分の胸を突いた。


「それは、何……?」

「頭に浮かぶ誰にも読めない本だよ」

「ま、まさか……【否読の書】? やっぱり、俺の中にもっ!」


 歓喜するスズだが、ジェニは逸るなと言わんばかりに胸に当てた指を立て、否定的に横に振る。

 すると急転直下、スズの表情は絶望にまで届いた。が。

 

「ただの【否読の書】じゃない……」


 意味深なジェニの発言に顔を上げ、


――それを【記録の書】、とボクたちはそう呼ぶ


 改められた一言に引き上げられたスズは、先ほどの歓喜すら飛び越え。

 彼女の目からは一粒、過去がこぼれ落ちた。


「そんなの。知ってるなら早く教えてよ……」

「ふふっ。知りたかったら訊けば良かったのさ。たとえ自分のことだとしてもね」

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