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えるとれ 19

 野獣からの不意打ちを警戒する三人が、前衛にベルエル、後衛にスズとジェニがそれぞれ間を置いて横に並ぶ三角形の陣形で進み始めて少し。

 ここらを縄張りにしている野獣が何なのか知るために、岩の柱を縫って適当に進むが、野獣はその姿も痕跡としても見当たらないという時間が続いていた。


 早く野獣の鳴き声を奏でればいいものを、そうしないのは、もしかすると近くまで来ている追手を気にしてのことであり。

 そしてもう一つ、ここが複数の野獣の縄張りが交わる場所であることを考慮する必要があるからだ。


 ただの草原とは違い入り組んだ地形だからこそ、それが起こりうる。

 ジェニ曰く、「食事の跡が見つからないってことは、そういう可能性が高いかもしれない」。

 

 だから野獣を呼ぶよりも先に、ここが野獣たちにとってどういう場所なのか知る必要があったのだ。

 

 だが。

 それからまた少し時間が経ち、ジェニの知識を持ってしてもそこらに野獣の痕跡を見つけることができなかった。

 

「何かおかしい……」


 ポツリと呟き、ジェニが足を止めたのは、縄張りを持たない小型の野獣が前方を横切ったその時だ。

 

「何がだ?」 

「いや、今のを見ただろ?」

「ウサギか? あんなのさっきからちょくちょく見かけてたろ」

「だからさ。それがおかしいんじゃないか」


 そう言って神妙な顔で意味深な鼻息を、ふー、と漏らすジェニ。

 意味がわからずに首を捻っているベルエルに、スズが言う。


「あの子たちが縄張りを気にしないっていっても、近くに自分たちを捕食する獣がいるならこんなにうろちょろするはずがない。ってことでしょ?」


 スズの見解に、ジェニが「ふむ」と頷いた。


「一度奪われた縄張りには、しばらくの間大物がいなくなるからね。その間主要な食事は今見たような小型の獣になるはずさ。例えば虫だっていい。それなのに、ここには糞一つ、前回の主の痕跡も今の主の痕跡も見当たらない」


「相打ちじゃないのか? そういうことが無いわけでもないだろ」

「まあね。でも、だとしたってその死骸を求めて他の野獣が来ているだろうし。そもそもそれだって痕跡だろ?」

「あー……なるほど」


 それに。とジェニが岩陰からこちらを窺うウサギを指差した。


「彼らがこれだけ油断しているってことは、ここニ、三日の間空白の状態が続いているってわけでもないはずさ」

「もっと前からってこと?」

「おそらくね……。とはいえ、そういうことはままあるものさ」

「そうなの? じゃあ、解決策もあるんでしょ?」


 スズの質問に、ジェニは「無い」と。


「こうなったら、野獣に出くわすまで歩くしかないけど……」


 やれやれとため息がてらに頭を振るジェニ。

 すると、「だったら」とスズが鞄を漁る。


「強奪してきた物の中にあれが……」


 あった、とそしてスズが手に掲げられているのは、乱雑に布が巻かれた何かだ。


「野獣の香水を使えば、適当に歩くにしても効率いいよね」


 とその巻かれた布を解き始めると。


「待て。ダメだ、スズ」


 ジェニがそれを制した。


「……なんでさ」

「今ここは、主がいないってだけじゃなくて、"異様に広い縄張り"の一部となってる可能性がある」


「は……?」

「ウサギみたいな小型の獣は、縄張り争いをするような大型の獣に比べて勘が鈍いんだ。だから油断しているけど、勘の鋭い獣がここに縄張りを作っていないってことはそういう意味かもしれない」


 つまり、近寄りたくても近寄れないってことさ。

 そう言ってジェニはまたため息をついた。

 

「ベルエルが言うように縄張り争いの結果共倒れするってことの他に、時々起こるんだ。輪の内側の深部から獲物を追ってだんだん外側まで野獣が来てしまうってことがさ」

「なにそれ。ってことは……」


 言ってスズの顔に緊張感が滲む。

 その視線を受け、ジェニが深く頷いた。


「次に出会う野獣は、強い……かも」


 それを「例えば何だ?」と何の緊張感もなく訊くのは、ベルエル。

 しかしすぐには答えられず、ジェニは「うーん……」と唸って記憶を漁り始めたようだった。


 その暇にベルエルも考えに耽るが、記憶の部屋には入らない。

 いつも考え事の度に使用していたそこへ入らないのは、ベルエルとして自覚を得たからといっても、記憶の部屋の中はラナイである時と何も変わらないからだ。

 

 それに、今そこには入りたくないという思いが少し。

 あの銅表紙の本を見れば、ついでにエルエルへの憎悪も思い出してしまいそうだから、というそんな不安めいた気分がベルエルを記憶の部屋から遠ざけていた。


 その"外"で考えられることといえば、覚えている類のことで。

 自分が戦えるとすればどのくらいの野獣か、竜を食っていたという漠然とした記憶からベルエルはその程度を想像していた。


(強くて狂暴……となれば、ここなら地竜の類か。"ヒロ・ウォルカ"、"ペル・デン"、"ヴィル・メックス"……)


 それら全てを食ったことがあるかはわからないものの、名を浮かべれば急所が浮かぶ。

 そこからいえるのは、ベルエルが過去のどこかでそれらを倒してきたということだろう。


(だったら、勝てるはずだ。鈍っていても、急所がわかっているなら……)


 自信はある。

 だがそれをベルエルに完璧なものと感じさせないのは、名と急所までわかっているのにそれらの具体的な姿が思い浮かばないからだ。


 手足の有無や本数、爪、牙、体毛、色、大きさ。

 必要な情報のほとんどが揃っているのに、それだけがどうしても浮かばない。

 かといって不便なこともないが、なぜか混乱している記憶において具体的な姿が無いということが現実と記憶との間に食い違いがあるのは事実。


 妖精というものへの勘違いに始まり、地下棲の野獣フィレ・エルシュに関してもそうだ。


(もう少しちゃんと思い出せればいいんだけどな。そうすれば行動の荒い部分を削ることができるのに……)

 

 ふと生じた不満に、ベルエルは気づく。

 

(そうか……だからおれは……)


 思い返せば、大事なところで油断が多い自分の行動。

 それらはつまり、想像が足りないからだ。


 実在ではなく、あくまで体験を利用して作り上げられる世界。

 そこで得られる思考上の経験は、宛ら実践に匹敵する。

 むしろ、実践では落としかねない生命すらそこでは無限に存在し、いくらでも失敗と成功を繰り返すことができるのだ。


 そういう意味で、ベルエルは"ちゃんとした記憶"をしている者と大きな差がある。

 だから、弱くはないが強くもなれない。

 

 その答えなのか結果が、自身で思う自信が曖昧なもので何の根拠もないという残酷な結論へとベルエルを導き。


「例えば……」


 とジェニが口にする「"ニワカドリ"とか"ムクチ"」という二つの野獣の名に、ベルエルはほんの些細な寒さを覚えていた。

 

「ニワカドリって、たまに輪の外側にも来るあれ?」


 スズが言うと、ジェニが頷く。


「そう。ニワカドリは、奇襲しかしてこないトリさ。大きさはさほどじゃないし、竜や分厚い皮膚の獣とも違って防御力ってもんが大したものじゃないけど。いつも空の高いところにいて目視で気づくことが難しくて、およそ百発百中で急所を狙える速度と正確性をもっているんだ。

 だから縄張りそのものをあまり意識していなくて、食事も空中でしてしまうし、糞は尿と同じく液状で形が残りづらいし、独特の嫌な匂いがする。

 オマエはわかってるみたいだけど、ごくたまにしか外側には現れないからね。時々耳にする、輪の外側での人の失踪とか妙な悪臭ってのはニワカドリの仕業が多いのさ」


 聞いてスズは感心したように「へえ」と声を漏らし、そして「それは知らなかった」。


「それじゃ、もう一個の方は?」


「ムクチは、その名の通り三つ口がある奇形の野獣だよ。

 かなりの暴食でね。こいつは、輪の内側では珍しい決まった場所、湖のそばに生息する"ドロマギレ"の奇形進化だっていわれてる。殻を失ったドロマギレが何匹か絡まって互いに生き延びようとしてそうなったってことだろうね。絡まってるっていえばなんとなく想像できると思うけど、形は球状にまとまっているって感じだ。

 だからこいつは絡まったドロマギレの分だけ幾つか口を持っていて、その口の数だけ食欲旺盛ってわけさ。

 体を波打たせて転がって移動する習性と目が悪いことから移動が適当で。そっちの方面ではしょっちゅう他の野獣の縄張りに入って食ったり食われたりしている。

 移動の特性上、足跡っていうか転がった跡が残りやすいけど。それが見つからないのは、きっつい体臭にここらの野獣が遠ざかったことで縄張りが拡大したからじゃないか……って思ったんだけど……」


 最後自信なさげに言って、ジェニはまた「うーん」と唸った。

 そこに、「どうした?」と口を挟んだのはベルエルだ。


「いや。どっちにしても、噂になっておかしくないと思ってね」


 するとその怪訝な表情に、スズが不満顔とさらに眉間にシワを寄せる。


「……その噂を聞く暇がなかったでしょ」


 それが嫌味だとわかったのか、ジェニは「ふふ」と小さく笑い、「それにしてもだよ」と。

 しかし、意味がわからずに「何が?」とスズが訊き返す。


「この岩石地帯に入る直前までは、その前からの流れを汲む縄張りだったんだ。ところどころ見掛けられた主の痕跡がそれを物語ってる……」


 なのに。とジェニが辺りをぐるりと見回した。


「ここから急に不自然で満ちているんだ。例えば、直前の縄張りに今挙げた二匹の野獣が嫌うようなやつがいたなら別だけど。そういうわけでもないしさ」

「じゃあ、その二匹以外の野獣ってことじゃないの?」

「まあ、そうだよねえ……」


 スズが言うことにジェニは納得しているようだが、やはり何か引っかかるようで。

「やっぱり一度野獣を呼び寄せてみよう」とするも、また一度首を傾げて、構えたターを鳴らさずに背負い直した。


「ちょっと、なんで止めちゃうの?」


 釈然としないジェニの行動に嫌気が差しているのか、スズの不満顔がなかなか解けない。


「何か違うって気がするんだ。見落としじゃないけど、何か取りこぼしているような気がする……」


 そう言ってまた悩むジェニ。

 彼女が何を違和感に感じているのかは二人にはわからないことだったが、その"取りこぼし"に思い当たることがあるベルエルは、


「グリムのことじゃないのか?」


 と、助言する。

 しかし、「違う」。


「だって彼女は、【ビッツ】方面にある自宅へ戻った可能性が高いんだろう? だったらこっちはほとんど真逆だよ。だからこの不自然さはまた別の……」


 言い掛けて、あ、と声を漏らすジェニ。

 すぐさま辺りを見回して、スンスン、と鼻を鳴らし始めた。

 その何か気づいた様子に二人が声を掛ける間もなく、彼女は「最悪だ」と呟いてくしゃくしゃ頭をかき乱す。

 そして。


「ゴーレムだ。あれらがここに入り込んでいるなら、糞は残らないし痕跡も残らない」


 独り言のように言って、あーっ、とジェニは苛立った声をもらす。 


「どういうことだ?」

「ゴーレムは食事をしない。だから糞も尿もしない。温厚で、大人しくて……」


 聞く限りまるで問題の無さそうなゴーレムの特徴を列挙し、ジェニは「ツイてないな」と肩を落とした。


「……どういうことだ?」


 またしても同じ台詞を吐きラナイが首を傾げると、ジェニはどこか物憂げな目線を底に向けた。 


「ゴーレムを捕食する野獣がほとんどいない。普段はあまり動かないこともあって、だから深部近くの野獣は縄張りの中にいても大概無視されるのさ。それが、この辺りにいるかもしれないんだよ」


 言われてベルエルとスズも周囲を見回すが、そこには最早見慣れた岩石が立っていたり転がっていたり、どれがゴーレムと言われても変化が見えない。


「で、それの何が最悪だ?」 


「ゴーレムは、温厚な割ちょっかいを出すとすぐ暴れるかなり沸点の低い奴なんだ。この辺りの野獣如きじゃ叶わないし、彼らは本能的にゴーレムが危険なことがわかっている。なまじ力がないことを理解しているからこそ、ここの手前までの縄張りの主はその境界線を守れば問題ないって思ってるのさ……」


 つまり、ゴーレムが駆除されるまでここに縄張りは作られない。 


「それに。今言ったけど、ゴーレムは普段動かないんだ。おまけに複数体で行動する。どうしてあれらがここまでやって来たのかはわからないけど、おそらく深部から点々と……」


 そう言ってため息をつくジェニの代わりに、「弱い野獣が避けてしまうような縄張りを作ってる……?」とスズが言うと。

 ジェニはもう何も言わず、力なくコクリと頷いた。


「それってつまり、君の縄張り感知能力が無意味だから、次の野獣が現れるところまで、どこまでかわからないけど適当に進むしか無いってこと?」


 コクリ。


「サイアクだっ!」

「最悪だろ?」


 そうしてわかり合うスズとジェニ。

 一人蚊帳の外でベルエルがポリポリと頭を搔いていたのは、事態の最悪さがわからなかったからじゃない。


「……なあ」


 思いついたことを伝えようと二人に声をかけるものの、「最悪」に忙しい二人はなかなかベルエルに気がつかない。


「なあ、あのさ」


 二度目に言うと、二人はベルエルを見つめて「最悪だっ」と喚く。


「いや、最悪でもないだろ。どうせ適当に進めばいいなら、おれが全力で走ってもいいんだろ?」

「……あ」

「確かに……」


          ◯


 そうして、ジェニの勘に従ってベルエルを足として移動を始めた三人だが。

 またしてもジェニの予測は外れ、本来なら当日中に越えられるはずの岩石地帯を抜け出すことができなかった。


 急ぐ道に、それはやはり良くない出来事で。

 立て続けに起こる不都合に、彼らは肉体的に無傷であっても精神的に蝕まれていた。

 だから昨日のような夜の騒ぎは無く、三人は静かに眠る。

 

 不思議と風の吹かないその夜には、虫の微かな足音と、どこかで彼らを見守る小型の獣の息遣いがよく聞こえ。

 そのまるで空間が皆に気遣っているかのような静寂の中で、草たちの湿気が大地が放つ昼の熱に乗ってふわりと満ちていた。

 

 それは自然が与えてくれる毛布ともいえよう。  

 温かな自然の毛布は、そっと優しく疲れた彼らを癒やしてくれる。


 きっと明日は上手く行くだろう。

 そんな幸運の先触れのような夜だった。が。

  

 翌朝早く、心地よい眠りについていたベルエルとジェニを無理矢理に起こしたのは、汚れた靴底だった――。

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