えるとれ 18
そして、彼らは走っていた。
その鬱蒼とした風景を走るのに、ジェニのターは歌わなかった。
代わりにジェニ自身が鼻歌を歌いながら、右だ左だと尻の下のベルエルに指示を出し。
その姿は騎手宛ら。また後ろでは、自分よりも少しだけ背が高い彼女のその割華奢な背中にしがみつき、スズはちらちらと忙しく後方を気にしていた。
「大丈夫だよ、スズ。ベルエルのこの速さに加えて、ここは輪の内側だ。狂った縄張りを臨機応変に行くなんて、若い彼らには無理さ」
あっけらかんと言い放つジェニの背中をスズが手の平で一発叩く。
「君は音売りなんでしょ。なんで喧嘩売ってんだよっ」
すると不意に、ケラケラと気持ちよさそうなジェニの高笑いが響いた。
「面白いこと言うじゃないか。でも、少し違うね。ボクは喧嘩を売ったんじゃない。きちんと支払いしたまでさ」
「君ってやつは……っ。今がどういう状況かわかってる?」
「もちろん、わかっているさ。だけど、必要な物資が予想外に多く手に入ったんだからいいだろ?」
「おカネなら持ってたよっ」
「だろうね」
「……コノっ!」
と、スズは二発目の平手打ちを遠慮なくジェニの背中に叩きつけた。
今三人が急ぎ、スズがイラつき、ジェニの機嫌が良さそうなのは、つまりジェニの言う通り"支払い"が原因だ。
ジェニを先頭に三人が清潔な男についていくと、そこには外より一回り大きな二つ続きのテントがあった。
看板こそ掲げられていないものの、そこが商店だったのは承知の上。
そして、そこがまともな商店ではないということだけはジェニだけが理解していた。
清潔な男に続きテントへ入ろうとしたスズとベルエルは、その時点でジェニに外で待つよう言われた。
不服ではあったが、彼女の言った『用が済んだらすぐにここを発つよ』という言葉が気になってスズはそれに従った。
そうして外で待たされている二人からでは中の様子こそ窺えないものの、少ししてから分厚いテントの幕越しに聞こえ始めた旋律が、中でジェニが何をしているか知らせていた。
二人共、微かに聞こえるその虚ろな旋律の意味まではわからなかったが。
少なくとも良からぬこと、もとい強引な音売りだろうとは予想していた、のに。
しかし、また少ししてテントから潜り出てきたジェニの姿は、外で待つ二人の予想を軽く飛び越えていた。
その時のジェニの姿は、一言でいうならば"充実していた"。
体に合わない妙に立派な兜を被り、その下にはまた別の帽子、首周りには何重ものキラキラと光る不思議な魅力のネックレスが。手には汚れてはいるが装飾の美しいブカブカの手甲を着けており。
一方の手には、わりかし丁寧に作られた矢筈が詰め込まれた矢筒。
もう一方の手には、パンパンに膨れた重たそうな大きな背負い鞄が握られていて、そこから剣の柄が二本分飛び出していた。
まさか今の一曲でこれほどの道具が手に入るはずがない。
そんな"一目瞭然の罪"を前にして愕然とするスズを無視し、ジェニは笑っていた。
『さあ、出発だ』
朗らかな笑顔に乗せてそんなことを言うジェニから、兜や手甲など幾つもの余計な物を取り払ったスズ。
さらに鞄を置いていこうとしたところ、『どうせまともに手に入れたものじゃないさ』とその言葉が彼女の手を止めた。
それから様子がおかしいことに気づいた彼らの仲間が現れ、その十数名から逃げるため早々に三人は【小心者の拠点】を飛び出した。
逃げる道すがら、結局スズは鞄の中身を不気味な置物など幾つかは捨てていくが、鞄と中の必要になりそうなものは全部、今も自分の腹に抱えられている――。
「気に病むことはないさ。どうせ、どれもこれも不当な取引と死体漁りで手に入れたものばかりだよ。ああいう連中はね、そうやってタダ同然で集めた物を元手に、目利きの幼い人たちを欺いて自分たちが深部に行くために有利な準備を整えている。だから戦闘力もあまり高くないもんで、大所帯であることが多いね」
気づいたかい、あの男。
とジェニが体を捻ってスズの方に顔を向けた。
「当たり前だよ。あんなあからさまなの、気づかないはずがない。後の男はどう考えたって呼ばれてきてたよ」
「なんだ、気づいていたのか。つまらないな」
「あのね。俺だってそれなりに難しい世界を歩いてきてるんだから、それくらいわかるよ。だから、嫌な予感がしたんだ……」
「ほう、どんなだい?」
「こうなる予感だよっ!」
声を上げ、スズから三発目の平手打ちが背中に叩きつけられ、そしてまたジェニは気持ちよさそうに笑った。
◯
そうして走ること一時間ほど。
ようやく止まるようにいわれてベルエルが足を止めると、二人は早速と背から降り、一つ増えた荷物の分配を始めた。
その間にベルエルが見回す周囲。
そこには高さ二、三十メートルほどの岩が柱のように幾つも並び、歩くのに邪魔になりそうな太った石がわきまえずあちこちに寝転がる、岩石地帯が広がっていた。
岩石の隙間には例の草が埋め尽くされていて、陽光は岩の柱に阻まれ。
茂みと影で塗れたここらは、単純な森よりも死角が多い。
それだけでなく、岩石共から漂う鉄臭さが草の青臭さと相まって匂いを一色に染め、風が岩に当たってやたらと鳴き、終始耳が震え。岩石の肌を彷徨く羽が見えない虫の群れが目に付くだけで、生き物の気配まで感じづらくなっている。
そしてこの風景は少なくとも視界いっぱい、どうやら視線の先にも終りが見えない。
【忘れられた水路】より見えるだけマシとはいえ、前も後ろも右も左も同じような風景が続く道すがら、少ししてからようやく疑問に思ったベルエルはジェニに声を掛けた。
「こんな厄介そうな場所、さっさと走り抜けた方がいいんじゃないのか?」
すると、ジェニはその意見をすぐに首の動きで否定した。
「できればそうしたいところだけどね。言っただろ? 目的地へ辿り着くためには、野獣の作る縄張りだけが道標なんだ。
そういう意味じゃ、ここは地形の変化が見た目に大きいからね。ある程度方角と手前の地形を把握していれば来ることができる。だけどそれはボクが慣れているからさ。でも、ここからは……」
言ってジェニは広がる岩石地帯を手で差し、「見ての通り、右も左も区別が付きづらい」。
「地道に進むに越したことはないさ」
「まあ、そうか。でも、移動するだけならおれに乗っていればいいだろ?」
ベルエルからの提案を、「確かに……」と一度は飲みかけたジェニ。
だが、すぐに「いや」とそれを断った。
「ひとまとまりだと、囲まれたり、不意打ちを受けやすくなるかもしれない。やっぱり別々に進んだ方が良いだろうね」
ジェニは自分の言葉に納得するように頷いたかと思うと、腕を組み、そのまま難しそうな顔をして空を見上げた。
そして唐突に発される質問。
「グリムは、アリアスなのだろう?」
「それはつまりアトニム人って意味でか? それとも特別だって意味でか?」
「もちろん、後者さ」
また頷いてジェニがベルエルを見つめる。
「グリムは、アリアスの中でも特別な才能を発揮した特別なアリアス……仮に"覚醒アリアス"である可能性が高いわけだけど。その上でオマエの話を踏まえると、彼女の基本的な特技は"誘導操作術"ってことになる。
とまあ、それ自体は野獣使いやゴーレム使いなんてものがいるわけだから珍しいわけじゃないのはわかるね?」
ジェニが言うことに、ベルエルは「いや?」と早速首を傾げた。
「覚醒アリアスかなにか知らないけど。アリアス・コムといい、オマエが『アトニム人は皆アリアスだ』とか言うし。もうわけわからないぞ」
「えー、まさかー」
「…………」
ベルエルの沈黙に、ジェニが咳払いを返し。
「なるほど、それも仕方ないか」
ジェニが言って、「じゃあ少しだけ整理しよう」と。
まず、アリアスとは。
最早常識となっている、一般人の中で前他者の記憶を持つ者。付け加えると、現時点では【否読の書】の存在に気づいているか気づいていないかわからない。
つまり、アトニム人全般のことである。とジェニは考えている。
その上で、前他者の記憶を自覚した状態のアリアスを覚醒アリアスとする。
覚醒アリアスは、現時点でアリアスと認識されている者と同じ。
ちなみに、アリアス・コムとは。
アリアスの中でも特別なアリアスのことだ。
学会的な認識としては、【否読の書】を複数所有する者ともいわれ、覚醒アリアスの中でも発揮するとしないに分かれる特殊技術を必ず持っている。
「そのアリアス・コムだけど、実はあまり世間には知られていないんだ。大体は大きな組織の裏方として使われることが多くてさ。ポロトロスなんかは、彼らに"審判員"なんて役職を付けて、"ポロトロス的公平"を審判させてるね」
ジェニの話を聞き、納得するスズに対し、ベルエルはまだ首を捻っていた。
そこに浮かんでいたのは一つの矛盾だ。
(……だったらなぜグリムはアリアス・コムに怯えていたんだ?)
グリム自身、裏の世界で仕事をするにあたり、裏切りは当然のことと理解していて、ポロトロスも敢えてそこは追求してこないと思っていたが。しかし似非者イーリークラップ、もといジュウザと一緒にいるところを運悪く見つかってしまい、グリムはアリアス・コムにポロトロス破壊の片棒を担いだと勘違いされ。
そのせいで生命を狙われることになった。
(それはまあ理解できる……けど。あの怯え方は今さらどうのって感じじゃなかった……)
普段気が強く責任感もあるグリムが、イルルへの心配を差し置いて怯えるほどの恐怖。
一度出会ったあの金色の騎士を知っているだけに、ベルエルにはグリムの反応の方がおかしいと思えた。
だから、一応訊くことにしたのだ。
「なあ、死ぬのって怖いのか?」
ベルエルにとってただの質問が、ジェニからは小笑いを、スズからは怪訝な眉と尖った唇を引き出し。
「ああ、もちろん」
とそう言ったジェニは吹き出すのを堪えるように、ククっ、と声をもらした。
だが、相対してスズは、「いいや」と首を横に振る。
その返事が意外だったのは、ジェニだけだ。
「オマエは、死が怖くないのかい? スズ」
「別に、死ぬこと事態は怖くないよ。嫌なのは、イタイってとこだけ」
スズが言うと、ジェニが驚いたような顔で「ほー」と小刻みに頷いた。
「なるほど、そういう考え方もあるね。でも、ボクはそれを含めても死はできるだけ遠ざけたいと思うよ」
「なんで? どうせ死なないのに?」
平然と言うスズに、ジェニが引きつった顔を向ける。
「い、いや、一応死ぬさ。あの絶望的な傷みの後によくそんなことが言えるね、オマエは……」
そんなジェニの言葉を聞くなり、スズの表情が曇った。
「よく覚えてないからかな……」
「何をだい?」
「死んだ時のことだよ。どうしてあんなことになったのか、その前のことがどうしても思い出せないんだ。でも君は覚えてるんだよね……って覚えてる……?」
覚えてる。
三度目に声を張り上げて、スズはジェニの両肩を掴んだ。
「覚えてるの!? 君も、一度死んだの!?」
その必死の圧力を受け、それでジェニは驚くでもなく、笑う。
「まったく無神経だね。いきなりそんなこと、好きな人の数を訊かれているような気分だよ」
「いいから、さっさと!」
逸るスズに揺さぶられ、そんな反応を楽しむようにジェニの笑いがヘラヘラとしたものに変わる。
そして、
「もう覚えていないよ」
とその一言は笑い声の中に。
すると瞬時、スズの揺さぶる手が止まった。
「覚えていない……どういうこと? 君、さっきは覚えてるようなこと言ってたよ」
「ああ、覚えているさ。でも、もう覚えていないよ……」
ジェニが言うと、「まさか……」と一言口にしてジェニの言わんとすることが理解できたスズは絶句する。
その表情を見て、ジェニは「ふふん」と鼻を鳴らした。
「だから、こりごりなのさ。ボクはもう、死ぬつもりはないよ」
そう言ったジェニはいつもと変わらない得意気な顔をしていた。
そして。そこに宿る確固たる自信の奥で、瞳には妙に魅惑的な淡い輝きがあることに、相対しているスズだけが気づいていた――。




