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えるとれ 15

 翌朝早く、【小高い丘の古い村】を目指す一行はまず最初の中継地点に向かって歩き始めた。

 とはいえ輪の内側であるここらは鬱蒼としているばかりで目印が無く、しかも輪の内側には地図が無いため、第一の目的地である【小心者の拠点】までの道のりは最深部である【マセル】近くまで行った経験のあるジェニだけが頼りだ。

 

 楽に情報を共有できる手段である地図が、輪の内側でそうされないことには理由がある。


 一つは、道が無いから。

 それは誰も道を作らないからではなく、道を作ってもすぐ草に覆われてしまうからだ。

 故にここでは先人の後を追うことは叶わない。

 初めから終わりまで、輪の内側に立ち入った責任は自分自身で負わなければならないということだ。


 そしてもう一つ。

 ここに入り込むような連中は何においてもすべからく熟練者であるべきで、地図がなければ道に迷うような程度の者は入るべきでないという彼らからの教訓だ。

 その程度であれば地図を落とせばどうせ死ぬ、とそういう意味も込められている。


 そんな熟練者であっても、輪の内側を跋扈する野獣は恐ろしい。

 通常三人から五、六人のパーティーを組むのが当然で。つまり地図を持たざる探索は基本的な能力ということでもある。


 満たされた生活の中で自身を叩き育てられた者だけが、この輪の内側で上手く立ち回れるのだ。


 では、どのようにして目的地を目指すのか。

 

「答えは、代わり映えしない風景の中にも、また変わらないものがある。ということさ」

「【マセル】か? 【アトニム】を描いた地図でも中心に描かれてたしな。そこから逆算して……」

「残念、不正解だよ。言いたいことはわかるけどね、辺りを見てごらん。この風景のどれが【マセル】かわかるかい?」

「……確かに、どこもかしこも同じような色ばっかりで区別が付かないな」

「その通り。だから、中心が【マセル】だと知っていても、そこを探すまでに道に迷ってしまって終わりさ」


 正解は、自分だ。

 自分自身が今どこに立っているのかさえわかれば、自ずと目的地までの道は見えてくる。


「……いや、それはわかるけど。その自分が立っている位置がどこなのか確かめようがないから道に迷うんだろ?」

「ま、そうだね。だから経験が必要なのさ」

「経験で、自分の立っている位置がわかるってのか?」

「ああ、わかるさ。けど、自分だけじゃ無理だよ」

「自分だけじゃってことは……お前たち?」


 左右に立つ同行者の視線は、真っ直ぐ、中央に立つ白い人型へ向けられている。

 白い人型の身長の半分よりも小さい二人の仲間から向けられるそれは、確かに白い人型ベルエルを表す間違いのない標だろう。

 納得しかけたベルエル。しかし。


「くっさいこと考えるね、君……。意外」

「ああ。まさかボクもベルエルがそんな感傷的なこと言うなんて思いもしなかったよ……。でもダメさ、そんな美しいだけの発想じゃ輪の内側は歩けない」

「……じゃあなんだよ、とっとと教えてくれ」


 右も左もわからないのは、そこがどこだかわからないからだ。

 だが、そこがどこだかわからないのは、一つの理由とは限らない。

 経験不足、知識不足、それとも理解が足りないのか。

 様々な理由があり、それらは全て自分自身をどれだけ理解しているかによる。

 それでも、それすらもわからないのなら、試すしかない。


「さあ、準備してくれたまえ」

「準備……って、何のだ?」


 ベルエルの質問に微笑んだだけで答えず、ジェニはターを縦に構えた。

 そしてベルエルの隣では、スズはソダロを使って準備運動を始める。

 てんで違う行動を始めた二人の様子を理解できず、ベルエルはただ首を捻っていた。

 

 すると例の如く急に始まるターの音は、クルル、と鳴き。

 それは何か生物の息遣いのように聞こえる。

 

 とても凶暴そうには思えない、むしろ可愛らしい、そんな野獣をベルエルは想像した。


 持ち得る常識的覚えの中でそれは、"プッティ・ゼル"と呼ばれる虫を食う獣で、短い角が頭部に二本生えた比較的大人しい生物だった。

 曖昧な記憶の中のプッティ・ゼルはもう少し太い鳴き声なような気がしていたが、それでも、ジェニの奏でる獣の鳴き声に遠くはない。


 しかしわからない。

 ジェニが何をしたいのか、どうしてスズが準備運動をしているのか。


 悩むベルエルが何の答えも出せないまま左右に首を傾けていると、不意に音が止み、スズがソダロを構えた。

 それでベルエルがやっと理解できたのは、これから戦うということだ。   

 

「いったい何と……。もしかして、プッティ・ゼルを捕まえて道案内を頼むのか?」

「ぷってぃ? なんだい、それは。そんなことより……」

 

 しっかりボクを守ってくれよ。

 言うなりジェニはラナイの足の間に体を挟み込んで周囲をキョロキョロと見回す。


「大丈夫だ、ジェニ。プッティ・ゼルは虫食だから、人は襲わない。自分で呼んだんだ、それくらいわかってるだろ?」


 確認のつもりで訊いたラナイの言葉に、ジェニは「やれやれ」と。


「いいから。まずは身を低くするんだ、ベルエル。その身長で突っ立っていたんじゃ目立ってしょうがないよ」

「ああ……」


 ジェニの過剰な反応に納得できないままベルエルが蜘蛛の姿勢を取ると、足の間にいた彼女は腹の下で伏せる。

 

 そうして押し黙った三人が作り出す故意の静寂が数分。

 囁くように「来た……」とスズが言った直後、ジェニが呼んだ生物の唸り声が草を踏む音と共に聞こえ始め。


 その音に混じり込ませるように慎重に、スズがソダロの弦を引く。

 

 左手は仮面の脇に。横構えのソダロを前に右腕はピンと張られ。

 矢筈を獰猛な仮面の歯でしっかりと挟み込んで、通常よりも太いソダロの弦を首の力で支え目一杯引っ張るスズの姿は、ベルエルが初めて見るものだった。

 

(ああやって使うのか……なるほど……)


 感心してベルエルが気を逸らしたその時。

 突然立ち上がったスズが、仮面の脇の左手を掻くように動かした。


 瞬間、スズの仮面が口を開き、矢が放たれる。

 

 同時、弦が弾かれた分厚い布を叩いたような音はベルエルには耳慣れず。

 同時、矢が引く風の鳴く音は聞き覚えがあって。

 同時、草を踏む音が止み。


 そして未だ姿が窺えない生物の悲鳴が聞こえた。

 するとスズが叫ぶ、「背中っ! 直撃っ!」。 


 何を言っているのか、放たれた矢がどこかにいる生物に当たったということだけがわかっていて。

 ベルエルがソダロを剣として構えて走り出したスズを追いかけようとしたのは、ほぼ反射的な行動だった、が。


「行っちゃダメだっ」


 ニ、三歩進んだばかりのベルエルをジェニが止め。

 ベルエルが振り返ったそこ。

     

 いつの間にか中腰の姿勢に変わっていたジェニの向こう側で草が揺れる微かな音がした。

 何かいる。

 それが、プッティ・ゼルとも違う何かだ、ということはようやくベルエルにも理解できた。

 そしてそれは、プッティ・ゼルのような大人しい野獣でもない。

 

 草の香に紛れて気づけなかった血の香り。独特な脂の香り。

 匂いだけで感じられる草むらの野獣から得られた情報は、凶暴な肉食であること。

 それも、おそらく。


 プッティ・ゼルを想像したのと同じように、ベルエルにある常識的な記憶の中で描かれるのは、「……地竜か?」。


「ズバリ。"ハイハイリュウ"だ」


 ジェニが言うのに合わせて、ベルエルは立ち上がった。


 そうして見通しの良くなった景色に映る、濡れた土のような濃い茶色の背中。

 逆立った鱗に草がこびり付き、立ち上がった目線でこそ見分けづらい。

 

 それは、もうすぐそばまで来ていた。

 

 いったいいつの間にその距離十メートルまで近付かれたのか、目で捉えてなお些細な草を揺らす音しか立てない足取りの不思議など、色々と考察すべきことはあったが、どうやらそんな暇は無い。

 

 立ち上がったベルエルに己の位置を察されたことに気づいたハイハイリュウは、草が喧しく鳴るのもお構いなしに突っ込んでくる。

 攻めるか、待つか。

 ベルエルに過る選択肢は、「さあ!」というジェニの声によって前者に決められた。


 突進してくるハイハイリュウに対し"攻め"を選んだベルエルがまず確認したのは、その頭部。

 地を這う移動手段から察するに、爪があるにせよおそらく攻撃の決め手は口にあるだろうと知っているからだ。

 しかし、それが上からでは見えない。


 そのことが少しだけ明らかにするハイハイリュウの全貌。


 定石通りならばと、ベルエルが目前で飛び上がった。次の瞬間。

 勢いよく体を跳ね起こす、ハイハイリュウ。


 大きく開かれた口の形は平ら。小人など一口に入れてしまえるほど広く、通常の人間であっても体の半分は丸ごと収められてしまうだろう。

 その上下の顎の先からは太い牙が二本ずつ突き出ており、噛みつかれれば身動きを奪われることは必至。

 

 牙の奥に並ぶ角の丸い山脈のような歯は、捕らえた獲物を噛み潰すためのものだろう。そこには前回の食事の痕跡がまだこびり付いている。


 そしてその立ち上がった姿勢、大きく開かれた口こそ、ベルエルの狙い通りだった。

  

 体長よりも高く飛び上がっていたベルエルをハイハイリュウは捕らえられず、口は、バクッ、と空気を挟むだけで空振り。

 無理に立ち上がって崩れた体勢を整えようとハイハイリュウが体を捻って着地したその背後に、ベルエルはいた。


 ベルエルは躊躇なく太い尾を両手で握り、ハイハイリュウを振り上げる。

 遅れて再び開かれた口は自らの力ではなく、生じた遠心力で。

 閉じられる時もまた、強く地面に叩きつけられた衝撃で、だ。


――バチンッ!


 それがハイハイリュウの断末魔代わりに響いた終結の音だった。

 一撃でハイハイリュウが気絶した直後、ベルエルはそれの鼓動を止めた。

 

 一分に満たない出来事を目の当たりにし、ジェニからは「ほう」と感嘆の声がもれる。


「あの時よりよっぽど優しいね」

「……だろうな」

「ボクはその方が好きだ」

「へえ……」


 言いながらベルエルは手に着いた血をそこらの草で拭った。

 

「それで、これのどこが輪の内側の歩き方なんだ?」


 ベルエルが謎ばかりの一連の出来事の結論を求めると、ジェニは「案外オマエは鈍いね」と笑う。


「縄張りだよ」

「縄張り……。それがどうした?」

「ここは、ハイハイリュウの縄張りだ。だから彼らはボクが鳴らした弱い野獣の鳴き声につられてやって来たのさ」

「そう言われればそうだけど。当たり前だろ、そんなの」


 ベルエルの反応に、ジェニが頷いた。


「そう、その通りだ。強い野獣はそれよりも弱い野獣を食らう。一概には言えないけど、そういう連鎖は基本的にある。そしてその連鎖こそ、地図が無いこの輪の内側を歩く方法になるのさ」

「つまり?」


「ここらを縄張りにしているのがハイハイリュウなら、この先どこかにはハイハイリュウを捕食する野獣がいることが予想できるだろ?

 その次にはハイハイリュウを捕食する野獣より強い野獣がいる。その次も、また次も。連鎖というからには、それがずっと続くんだ。つまり、わかるだろ?」


「その連鎖が……"道"?」


 ズバリ、とジェニが深く頷く。


「道が無くとも、目印が無くとも、この輪の内側に棲む野獣たちが今いる自分の立ち位置を教えてくれるのさ。とは言っても、野獣たちが持つ縄張りはいつも同じとは限らない。だから、現れた野獣がどうで、それを捕食する野獣がどういう類なのか知っておく必要があるのさ」


「なるほどね。どこにどんな野獣が出るか予測するのには経験が必要だってことか。でも、だったらそういう分布図みたいなものを地図にすればいいんじゃないか?」


 ベルエルが言うと、ジェニは「いや」と首を横に振る。


「野獣の縄張りは簡単に円を描くようにはなっていないのさ。歪で、不規則なんだ。だからボクたちが確実といえるのは覚えた野獣のことくらいなものでね。

 それでもここにはアンノウンがいるだろ?

 あれらは何もわからないからそういう特別な呼ばれ方をするわけであって、そんな彼らを手っ取り早く理解するために"型"でわけられているのさ。


 例えば、ベルエルがそうしたように、地を這う野獣を捕食しやすい傾向があるのは彼らを視認しやすい鳥型と考えることだったり。

 逆に空を飛ぶ鳥型を捕食しやすいのは、地面に近付いてきた一瞬を捕えることができる獣型や人型だったり、ってね」


 そういう基本的な知識を元に輪の内側の深さを見極め、少しずつ目的地に近付いていくのさ。

 満足気な顔で言うジェニ。

 

 だが、今の説明が腑に落ちないベルエルは、「でも、それでどうして目的地に近付いているって言えるんだ」と疑問を返す。


「地図に出来ない、縄張りは複雑で難しい。じゃあ、目的地に近付いてるって保証もないだろ」


 もっともらしい考えにジェニは頷いたものの、「そこで」と人差し指を立てた。


「村は一部縄張りを調整しているのさ。だから、そうだね……先人たちの道は残されていないけど、彼らが残したものはちゃんと守られている。知識としてしっかりね」

「まあ、それはわかったけど。どうやってだ?」

「簡単さ。人が住めばいいんだ。それも、強い戦士がね」

「あー……なるほど」


 ようやく納得したベルエルを見て、ジェニは改めて満足気に「ふむ」と頷いた。


「だからボクたちは、強い野獣を避ける弱い野獣から順にその強さを追って輪の内側を深くまで進んで行く。それでいつか、ボクの音に野獣が来なくなったそこに村はあるよ」


 そうして二人が話を終えた頃。

 二人の元に戻ってきたスズは、「剥ぎ取りなんて久しぶりだから手間取っちゃった」とぼやき。

 そばで横たわっているハイハイリュウの太く長い足の爪を、「こっちも貰っちゃおう」、とまた剥ぎ取りを始めた。

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